Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

男は読んで考えるべき~姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。
現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」!

実際に起きた事件を題材にしていることもあり、読後に、事件の内容を確認し、再読し、感想を書き、また読み直し、としている間に、この小説を意識したと感じられる東大卒業式の式辞、および、この小説に直接言及した東大入学式の祝辞などを読み、書き終えるまでにかなり時間がかかってしまいました。
が、感想を書き終えて改めて思うのは、この本は多くの男性に読んでほしい小説であるということです。
特に東大生男子には絶対に読んでほしい小説です。

この本のポイント

姫野カオルコさんは、執筆動機について、実際の事件後に起こった被害者バッシングへの違和感を挙げています。
この本を手に取る動機は人それぞれだと思いますが、何となく被害者女性に少しは非があると感じていた人も、この本を読むことで、被害者側を責めるのはおかしいと気がつくことでしょう。その意味では、バッシングに疑問を投げかける目的は確実に果たされる本だとは思います。
ただ、読む前から、どころか、裁判上においても、悪いのは(被害者女性ではなく)加害者たちであることは分かっています。また、第三者的立場の「バッシングする人」が被害者女性を過剰に貶めているのはいわずもがなで、当然ながら、この本のポイントは、「誰が悪いか」「悪くないか」にはありません。


そうではなく、加害者大学生が、動機として「彼女は頭が悪いから(何をやっても良い)」という論理を持ち出すに至った背景を丁寧に描いたのがこの小説の意義です。また、そこを加害者・被害者の内面にまで(想像のレベルで)踏み込んで書いていることで、後述するように小説そのものが批判される原因になっています。


まとめると、読者は「誰が悪いのか」ではなく「どうしてその考え方になったのか」(加害者側だけでなく、被害者女性がなぜ家についていったのか、も含む)に焦点を当てて読むべきだと思います。そして、その要因に「東大生だから」という理由も部分的にはありますが、もっと大きなものが横たわっている。だから、この本は「考えさせられる本」となっているのです。

非さわやか100%青春小説

横浜市郊外のごくふつうの家庭で育ち女子大に進学した神立美咲。
渋谷区広尾の申し分のない環境で育ち、東京大学理科1類に進学した竹内つばさ。
ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。
渦巻く人々の妬み、劣等感、格差意識。そして事件は起こった…。これは彼女と彼らの、そして私たちの物語である。(背表紙帯)

読み始めてすぐ、予想外のことに面食らいましたが、小説は、事件当時者の美咲(被害者女性)とつばさ(5人いる加害者男性のうち1名)の中学生時代から始まります。
のちに起きる事件を知った上で、美咲パートを読んでいると胸が痛くなりますが、最初に書いた通り、美咲パートもつばさパートも、それぞれが 「どうしてその考え方になったのか」を知るための10年弱と言えるでしょう。
したがって、事件が起きる直前までは、美咲にとっては間違いなく「青春小説」であり、つばさにとっても「歪んだところのある青春小説」という括りで読める内容になっています。帯に書かれた「非さわやか100%青春小説」とい言う惹き文句も納得です。

つばさの恋愛観

加害者東大生5人のうち、つばさは、その内面を丁寧に描写され、たった一人だけ、人間性を持った人物として(作者の肩入れを受けて)描かれます。一筋の「救い」を求めるように。
中学生時代のつばさは、大学生になって以降もつきあいの続く同級生の山岸遥が気になります。また、オクトーバーフェストで出会った美咲をかわいいと思います。そこには確かに恋愛感情があったはずなのです。


しかし、繰り返し書かれるように、加害者東大生5人にとっては、恋愛は「不合理」で「無駄」なことなのです。
つばさも、無駄なことを避けるように、自分の気持ちに向き合わず、最短距離を進もうとします。
つばさの恋愛観、人間観は、作中で、「ぴかぴか」という言葉とともに何度も登場します。姫野カオルコさんは、この事件の裁判の傍聴に何度も足を運んだということを考えると、「ぴかぴか」には、彼女の怒り・呆れが悪意を持って込められているのでしょう。

つばさには、遥のことを気にしている自覚はない。一位でも二位でもない女子を自分が気にするのは業腹であり、自分の裡の、得にならない感情を見ない技術を、彼はわりに幼いころから体得していた。さすがは東大に合格するだけのことはある器用さだ。p59

「それじゃ、私はもう板倉に行くね。竹内くん、元気でね」
遥は行った。
「……」
とり残された。そんな気が、なぜかした。
自分の裡の、そんなかんしょくの正体に近寄ろうとは、つばさはぜったいしない。メリットがないからだ。無駄だ。p108

家族に限らない。つばさは概して人の情感の機微について考える性質ではない。彼はまっすぐで健やかな秀才なのだ。健やかな人間は内省を要しない。p125

ではつばさにとって美咲は?
そんなことに思考を充てる無駄は、この勉強のできる青年はしない。(略)
おれにとってかの人は何なのだろうかと考えるような行動は、東大に入りながら本郷に行くころには二次方程式の解の公式すら使えなくなる文Ⅲのやつらがやっているごくつぶしのような行動であり、難病や飢饉や地雷に困っている世界の人々を救えないアホな行動なのだから、そんな行動を、優秀なつばさはしたことがないし、これからもしないようにしている。(略)
だから、頭脳優秀なつばさは、早く美咲に会いたい、美咲の膣に挿入して射精したいと欲した。p293

星座研究会のメンバーはサラブレッドだ。幼少のころからブリンカー(競走馬用目隠し)をつけて、ゴール(=東大)に向かってい真っ直ぐにインしたので、心はすべすべできらきらだ。p337

最後のブリンカーの喩えが分かりやすいですが、彼らは世間的に言う「悪いこと」に対する誘惑を断ち切るだけでなく、少しでも無駄だと思えば「考えることをやめる」ことすら厭わないのです。
結果として、「すべすべできらきら」な心の持ち主に育ちます。
作品内で多用される「すべすべできらきら」に対して、小説内では、彼らが絶対に感じない感情として「引け目」が使われています。特に、偏差値に対する「引け目」*1について、繰り返し書かれていますが、趣味や友人関係すべてについて同様のことが言えるでしょう。
例えば、「すべすべできらきら」な心の持ち主は、メジャースポーツは適度に嗜むとしても、世間でオタク的とされる趣味に時間を注いで、世の中や友人に「引け目」を感じるようなことをしません。ガチャガチャを買うか漫画を買うかなど不毛なことで悩んだりはしないだろうし、自分の発言が人を傷つけないか、間違って伝わらないか不安になって、逡巡したりもしません。
しかし、とても優秀で、大学のみならず社会に出ても求められたものをそつなくこなしていきます。


…というような、通常の小説ではあまり見ない、作者の悪意のこもった描写~すべすべな東大生を揶揄する言葉があまりにしつこいのは確かです。そのため、現役東大生の怒りを買い、姫野カオルコさんを招いての東大新聞主催のブックトーク企画は、作品を批判する声ばかりが目立つ結果となったようです。
ただ、この小説を東大生が非難するのは気持ち悪さを感じます。
まず第一に、この小説で描かれる異常な事件は、実際に起きてしまった事件なのです。
また、この中の東大生描写は、おそらく姫野さんが裁判を傍聴して感じた、加害者東大生たちの(持論を信じて疑わない)揺るぎなさの異常性を表現しようとした成果であるわけです。
であれば、むしろ、この異常な部分がないか、自分たちや仲間を顧みて反省する方向に向かってこそ、「頭のいい」東大生だと言えるでしょう。


最初に書いたように、この事件は「東大生だから」起きた事件というわけではありません。読んだ人が感じる居心地の悪さは、もっと普遍的なテーマを含んでいるからだと思います。

美咲の「あきらめ」

つばさとの恋に落ちる直前に、美咲は変わりました。端的に言うと「もてる」ようになったのです。
そして、その変化こそが、彼女が事件に遭った遠因にもなっており、それをもたらしたのは「あきらめ」でした。

まじめでなくなったわけではない。礼儀正しくなくなったわけでもない。変わらないといえば、なんら変わらない。
ただ、少しだけ。
少しだけ、力が抜けた。
(略)
こうした変化を美咲にもたらしたものは、ひとしずくのあきらめ、である。
『エンゼル』に冒険で入ってみたクリスマス・イブの夜に、だれとも知らぬ客が、胸元を褒めてくれた。
(なら、そうしておこう)
なんとなく襟ぐりの大きい服、胸のラインがなんとなく出るような服。そんな服を着るようになった。(略)
(こんなふうなのがいいんなら、こんなのにしておこう)
どこかあきらめて、美咲はそう思った。p202

勿論、胸のラインが出る服を着るのが悪いということでは全くなく、美咲がもてるために戦略的にその服を選んだのであれば、問題はありません。
しかし、ここで、わざわざ「あきらめ」という言葉が使われているのは、美咲が自己の意志よりも、男性視点の価値観に身を委ねることを選んだ、ということを意味します。
事件が起きた当日の飲み会でのやり取りも、やはり美咲の行動選択は「あきらめ」がベースとなっています。

重たい大ジョッキを持ち上げ、残っていた生ビールを一気に飲んだ。ぬるくなっていた。
「そうそう。やっぱ、美咲ちゃんはそうこなくっちゃ」
美咲ちゃん。つばさの声が発する自分の名前。笑みがようやく浮かぶ。
(私の役は…)
察知する。
(今日、私が呼ばれたのは、飲み会を盛り上げること)
笑っていよう。胸を出していよう。それがいいよと、前にも何人かが言ってくれたから。
p352

2つのルール

この小説の中を支配するのは「学歴偏重」「男性優位」という2つの価値観=加害者東大生の大好きなゲームのルールです。これらは加害者、被害者、バッシングをした人にそれぞれ影響している大きな要因で、小説のメインのテーマとなっています。
美咲は「ごくふつうの女の子」(p134)であり、それらの価値観にそれほど囚われているわけではないように見えます。
しかし、それでも、男性視点の価値観に屈服しなければならず、それらの価値観に翻弄されることになりました。


一方で、東大生とつき合うことにブランド的な価値をおく女性も登場します。加害者東大生のうち2人と順番につきあった那珂いずみがまさにそれです。
高校時代に美咲と淡いつきあいのあった須田秀の彼女もそうです。
彼女達は、小説内でも嫌われているのですが、もしかしたら、美咲のように「あきらめ」を感じ、自分の立場から「ルール」を巧みに利用して生きようとしていただけなのかもしれません。


彼女たち…どころか女性全般について、つばさをはじめとする加害者東大生は「下心」という言葉を使って評します。この「下心」という言葉も、裁判の傍聴で実際に聴いた言葉のようです。

「そ。下心があるのは女のほうなんだよ。東大男子をみるときはね。」
國枝が言う。「下心」という國枝のひとことに、つばさは頷く。
「『このワタクシに釣り合う』ってのが偏差値の高い大学の女子。『これをゲットしなくちゃ』ってのが偏差値の低い大学の女子。差はこれだけ。
どっちも下心で東大男子に接近してくる。結婚というものがそもそも下心による結びつきじゃん。だったら、はじめからツヴァイやゼクシィで下心を合理的にマッチングさせればいいんだよ」


慣習的に残っていることがむしろ問題である「学歴偏重」「男性優位」という誤ったルールに乗っかって、さんざん女性を蔑むつばさ達。
それらの価値観を分かった上で、何とか楽しく生きようとする那珂いずみ。
それらの価値観に気がつくのが遅く翻弄されてしまう美咲。


実際の事件の被害者が、美咲のようなタイプだったのか、那珂いずみのようなタイプだったのかは不明ですが、たとえ東大生というブランドに「下心」から近づいた後者のようなタイプであったとしても、バッシングを受けるのは誤っています。
というより、バッシングするタイプの人(おそらく 「男性視点」を過剰に獲得してしまった 女性もいるのでしょうが)こそ、 「学歴偏重」「男性優位」の2つの価値観に囚われていると言えます。
そして、まさにその点について、読者である私たちが問われる小説なのです。

東大卒業式と東大入学式の言葉

小説の中では、これらの価値観から自由になっている人が何人か登場します。
中学生時代のつばさの同級生である山岸遥。東大法学部から司法試験に挑戦するも、途中で進路を変更し、北海道で学校教師になった兄。そして、加害者大学生の中心的人物・譲治の高校時代の上級生で、美咲が大学生時代に出会った「グレーパーカ」です。
彼らの話を聞いたときの、つばさや譲治の反応は、「キモい」の一言です。(p129、p176、p305)
結局、彼らは「学歴偏重」「男性優位」のルールから外れた人の意見には全く興味がないのです。
実際、今の日本社会では、そこから外れることで、生き方に「非効率」が生まれることもあるのですが、その「非効率」を彼らは理解できず、また、頂点にいる自分たちが無視されるのが許せないのでしょう。
その「他人への無関心」こそが問題です。
この小説を読んだあとで、東大の卒業式と入学式での言葉が話題になりましたが、まさに、東大関係者がエリート東大生の「無関心」を心配する内容となっていました。


平成30年度東京大学卒業式で、 五神真・東大総長は見田宗介の『まなざしの地獄』という論考 を引用し、そこから2つの大切なこと~「個人の内なる多様性に目を向ける」ことと「極端な事例から全体を知る」ことを学ぶことができると語っています。

その一つは、私たち自身誰もが、異質性によって排除される他者の立場になり得るということであり、逆に異質に見える他者の誰もが、じつは互いに共通する側面をもっていて、同じ社会の一員になり得るのだということです。(略)「内なる多様性」に目を向けることこそが、自己と他者との深い相互理解を可能にし、多様性を尊重するということなのです。

もう一つの大切な点は、個別的で例外的な事例であっても、注意深く目を凝らせば、そこにも全体を語る力があるということです。現代社会はグローバルな広がりを持ち、関わりのあるすべての人の意見や態度を直接見聞きすることなど到底できません。しかし、諦めてはいけないのです。むしろそこで、身近な少数の人の考えをとことん聴き、共感し議論を交わすべきなのです。それを通じても、より広い社会の人々の動向を理解するための重要なヒントを得ることができるからです。
平成30年度卒業式総長告辞 | 東京大学

この2つこそ、つばさや加害者東大生達が無駄だとスルーしてきた行動と言えるでしょう。
(東大の中での割合は少ないかもしれませんが)本来はマイノリティでも何でもなく、最も関心を持ちやすい「他者」である「女性」すら、深く理解しようとせず、一方的な価値観の型を押しつける人間が、日本のこれからを作っていくとすれば、これからの日本に期待を持てません。
いや、そのような人たちが、今現在の日本の政財官に巣食っているのからこそ、同じようなタイプの人間が幅を利かせるのかもしれません。
五神総長の言葉は、やや遠回しではありますが、東大生集団暴行事件や『彼女は頭が悪いから』を念頭に置いた、東大生に対する警鐘なのだ、と自分は感じました。


この問題をさらに厳しい言葉で、直接的に指摘したのが、こちらも話題になった平成31年東京大学入学式の上野千鶴子さんによる祝辞です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学


この祝辞に対する(式に出席している東大生の)リアルタイムツイートが『平成31年度東京大学学部入学式 上野千鶴子さんの祝辞で会場が大荒れ #東大入学式2019』にまとめられているのですが、この中の「 やべーやつの臭いがする 」「 祝辞の意味知らんのかなきもい」というツイートがあまりにも『彼女は頭が悪いから』に地続きで、自分は、小説の中に入ってしまったのかと思いました。
あと、とりあえず「クソフェミ」と言っておけば良しとする人の語彙の少なさには唖然とします。


上に引用した祝辞のまさにその後で、上野千鶴子さんは『彼女は頭が悪いから』に言及するのですが、NAVERまとめを読むにつけ、やはり、 「すべすべできらきら」な心の持ち主は小説の中だけでなく実在するのだと打ちのめされた思いです。
ということで、最初に書いた通り、この小説は、すべての男性が読み、「自分事」として考えるきっかけとしてほしい本だと思います。
そして、読後に改めて、五神総長の式辞を読めば、小説を読む前と比べて受け取るものが倍増するのでオススメです。

合わせて読むべき本

と書いて、終わりにしようかと思ったのですが、男女差別について具体的な事例*2を挙げて追及するような小説ではないので、これだけ姫野カオルコさんの怒りが込められた文章にもかかわらず、届かない人には届かないのかなあとも思ってしまいます。
そういう人は、下品に赤裸々に男女差別について追及する田房永子さんの著作をオススメします。
日本で長い間生きてきた男性は、ちょっとやそっとの指摘では、この社会のおかしさに気がつかなくなっているので、ここまで下品に指摘されないと分からなくなっていると思うのです。(以下、いずれも『他人のセックスを見ながら考えた』からの引用)

(女性用のおっぱいパブ「イケメン乳首パブ」があったとしても、最初は罪悪感を感じてしまうが…)
それが男の場合は歴史が長いため、すでに完成されている。「この女の子も仕事でやってるから」という割り切りの感覚を、男は小さい頃から大人の男たちから感じ取り学んでいる。男は「娼婦」的女性と「自分の妻・娘」的女性を、別のものと分けて考える傾向が強い。本人はそんなつもりはなく、気づいていない場合も多いが、「娼婦」と「普通の女」を分けて考えるのは、そうしないと自分に罪悪感が溜まってしまうからだと私は考える。

>>
"健康な”男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。理由は「だってヤリマンじゃん」「だってゲイじゃん」のみ。
自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。それは彼らが小さい頃から全面的に「彼らの欲望」を肯定されてきた証しとも言えるのではないだろうか。

*1:特に女子大格差について書かれたP337あたりに顕著です。ここでは、「引け目」と合わせて「挫折」という言葉も用いられています。

*2:女子マネージャーの問題について少し語られる程度である気がします。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(5)空気-抵抗

今回は、アルバム7曲目(B面2曲目)の「空気-抵抗」についてです。
はっきり言って、この歌は相当面白いです。
今回のアルバムで聴くべき曲として3本の指に入ります。
渡辺香津美さんが参加しているギターも、素人に分かりやすい聴きどころで、楽曲的にも魅力はあるのですが、何と言っても変なタイトル、変な歌詞。(褒めてます)
「逆行」とセットで語られることの多い曲だと思いますが、この「空気-抵抗」が他と異なるのは、怒っていること。ここまで真面目に怒っている曲も珍しいのではないでしょうか?一番のサビはこんな感じです。

Peer Pressure 同調圧力
屈しないで抵抗しろ
Peer Pressure 脅されてもひとり
本当のことまっすぐ言え
Peer Pressure 同調圧力
盾ついて行け

田島は何に対して怒っているのか。
「クラス中笑っても俺ひとり」なんて、小中学生時代を想定させるような歌詞もありますが、内容は、ネット社会を意識しているのは明らかで、インタビューでも本人がそう答えています。

──そこに乗ってる歌詞がまた異様で(笑)。

この曲に関しては、どういう歌詞を書いたらいいのかわかんなくなっちゃって。それでずっと悩んでたんだけど、ある種のいら立ちみたいなものをテーマに歌詞を書いていったらハマったんですね。日本人にありがちな、ロックなら“ロック村”とか、政治好きなら“政治好き村”とか、まあ、なんの村でもいいんですけど、1つの方向で急に熱くなって盛り上がってる中で、そこに対して違うことを言うと、めっちゃ叩かれたりするでしょ?

──確かにそうですね。

僕はそういう風潮がすごく嫌で。例えば、学者の人たちは自分が追求してきた学問に対して、世の中の人たちが違うことを言っていたとしても、それが自分の結論ならば意見を貫き通さなければいけない。それはプラトンの時代から同じで。自分の意見を貫き通したことで殺されたりしたことがあったかもしれない。現代社会でも、そういう部分は変わってなくて、それがSNSという非常に見えやすい形で存在していて。「みんなが右を向いてる中で、自分が左を向いていたとすれば、それを堂々と表明できるのか?」っていう。そういう自問自答と、周りに対する違和感みたいなものを表現したのがこの曲で。つまり「空気」に「抵抗」するということですよね。こういう気持ちって、みんな本当は持ってるはずなんです。でも「言ったら叩かれる」とか、そういう空気が今は昔より強まってるから、なかなか言い出せないんですよね。生きてくうえでは、ある程度、そういう空気を受け入れなきゃいけないのかもしれないけど、本当は違うんじゃないかなっていう。
ORIGINAL LOVE「bless You!」インタビュー|逆行し続ける男がたどり着いた新境地 (3/5) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

──そんな“bless You!”と“いつも手をふり”の後に、パンキッシュな曲調で<この流れに逆らえ>と歌う“逆行”でアルバムを締め括ってるのも田島さんらしいなと思いました。
ある意味さっき言ったこととは正反対というか、みんな一緒くたに何かを信じるのってやっぱりちょっと不気味だし、嫌だから、「全部逆を行け!」って言ってて、そうしたら、友達が一人もいなくなっちゃったっていう(笑)。そういう生き方もあるというか、そういうモノの見方もどこかしら心の隅に置いておいた方がいいと思うんですよ。僕は昔からそうで、クラスのみんながワッとなってると、一人だけ別のことをイメージするタイプ。今SNS見ても村社会っぽくて、何かひとつの考えにまとまり過ぎて、そうじゃないとめちゃくちゃ叩くでしょ?あれがすごく嫌で、“空気-抵抗”は「空気を読むな」っていう曲。「これ言ったら叩かれるんじゃないか」って、自分の考えを言わないでおくのはやっぱりおかしいんじゃないのか、ひとりひとり本当の自分の考えを言うことができるのか。そういう覚悟を問うた曲っていうかね。
──今の時代感だからこそ、「空気を読まないこと」や「流れに逆らうこと」の大事さっていうのは非常によくわかります。
どっちかっていうと、仲間外れの方が好きなのかも(笑)。でも、僕はポップスをやっていて、普遍的な、誰もが普通に感じることはとても大事だと思ってる。だからこそ、大衆心理の負の部分、危ないところも感じるわけですけど、その両方の感覚を持っていたいですね。
オリジナル・ラブ、4年ぶりの新作『bless You!』をリリース!“一発録り”で「音楽のアンサンブルの良さ」を込めたライブ感溢れる作品を田島貴男が熱く語る!|DI:GA ONLINE|ライブ・コンサートチケット先行 DISK GARAGE(ディスクガレージ)

少し長めに引用しました。特に後者では「逆行」のことを聞かれているのに、「空気-抵抗」のことまで答えているこの流れ。実際、歌詞も「逆行」で不足していることを「空気-抵抗」で過剰に補っている感じのバランスになっています。
「逆行」だけだと、ものすごく天邪鬼な人の(変わった)歌のようにきこえてしまいますが、「空気-抵抗」があることで、田島の本気度合いが分かります。
おそらく、ツイッターなんかでの盛り上がりや、ネタ的な消費のされ方に田島は敏感で、歌詞で「歩き方話し方キャラクタが変わっているとクラス中笑っても」と歌っているのは、田島本人が、自分自身のこと(外見など)を言われるのが嫌だという表明なのかなと思います。
例えば、先日、最近のインタビューでよく身につけているベレー帽の本人写真と、同じくベレー帽をかぶった藤岡弘、写真を並べたツイートが回ってきました。自分は不用意にRTしてしまった*1のですが、多分ああいうのに対する意見表明が、怒りのこめられた「空気-抵抗」の歌詞なのかな、という気もしています。


さて、「逆行」と「空気-抵抗」の一番のメッセージは何かについてよく考えてみると、タイトル通りの、流れに逆らえ、抵抗しろ!ということではなく、歌詞で歌われる次の部分だと思います。

  • 空気-抵抗:本当のことまっすぐ言え
  • 逆行:自分で考えさせず巻き込んで使うそんなものに逆らえ

つまり、自分で考えて、その考えを大事にしろ、ということなのでしょう。上のインタビューからその部分を抜粋します。

「これ言ったら叩かれるんじゃないか」って、自分の考えを言わないでおくのはやっぱりおかしいんじゃないのか、ひとりひとり本当の自分の考えを言うことができるのか。そういう覚悟を問うた曲っていうかね。

これは言うのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しいことです。
日々思うことですが、一番自分の頭を使って考えていたのは、ブログを始めた頃です。
2010年頃からTwitterを始めましたが、Twitterは、本当に考えるのに向いていません。触れる情報の量が増えれば増えるほど、人は考えなくなると思うのです。
そして、Twitterが得意にしているのは「暇つぶしからかいつっこみ」で、それを嬉々として行っている大量のカオナシが、自分のような人間というわけです。


少し話を変えますが、つい先日、イチロープロ野球の一線から退くこと、つまり引退を表明しました。
突如報じられた引退のその日(翌日)に行われた会見は生中継されて、深夜にもかかわらず多くの人が、その様子を見ていたと言います。
自分は生中継では見ませんでしたが、その後、会見の一部をテレビで見て全文を記事で読みました。
引用しだすと全文引用してしまいそうなので控えますが、「生き様」について聞かれた際の回答がグッときます。

生き様というのは、僕にはよくわからないですけど。うーん、まあ生き方というふうに考えれば…。

先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。

でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。

ここでも、「生き様」を、わざわざ「生き方」という言葉に直して答えていますが、何故多くの人が、イチローの「言葉」を待って深夜に会見の中継を見ていたかと言えば、イチローが「自分の考え」を「自分の言葉」で語れる人だからだと思うのです。
それは、言い換えると「空気を読まない」ことだとも言えます。会見の流れは明らかにイチローが握っていて、むしろ記者の方が、イチローの空気を読むことに必死になる、そんな会見だったのではないでしょうか。


ただ、イチロー会見についての能町みね子さんのTweetについても、自分は痛いところを衝かれたという感想を持ちました。。
浮かれ能町みね子 on Twitter: "イチローの会見、みんな、イチローが何言ったかより記者会見のダメな質問を批判する、ってことが楽しくなっちゃってんのね。ツイッターではみんな神の立場になれるからよいことですね。"
浮かれ能町みね子 on Twitter: "そりゃまーダメな質問もありましたけど、ダメかどうかの基準をイチローとまったく同じ部分においてツイッターで叩くだけで、どこの馬の骨ともわからんもんがイチロー様と同格の気分になれますよね、さぞ気持ちよかろ"

これは、普通の人がTwitterで陥る一番よくあることで、実際、自分でもやってしまいがちです。
世の中の空気に、独りで抵抗するイチローを絶賛するあまり、「爆笑とヴァイオレンスチラつかせて迫る気まぐれと正義ヅラ見物客」になってしまうパターンです。
だからこそ田島は「逆へ行け その逆へ 逆の逆のその逆へ」と歌うのでしょう。
繰り返しますが、そのこころは「逆に行く」ことではなく「自分で考える」ということです。このメッセージは、実はかなりハードルの高いことを聴く人に求めているという難点はありますが、同意できます。イチローが語るように、僕らも少しずつの積み重ねで自分を越えていく必要があるのです。


ただ、だからこそ「空気-抵抗」の最後の歌詞は「本当のことを言うんだ」と書いてほしくなかったと思います。
ネットで「本当のこと」に目覚めて極端な健康、環境、政治への思想にハマる人がいかに多いことか。*2そういう人たちは皆、自分は「同調圧力に屈しないで抵抗している」と思い込んでいることを考えると、「本当のこと」にこだわる「空気-抵抗」の歌詞は、少し気持ちが悪いのです。


とはいえ、田島貴男の言いたいことは、インタビューなどを読んで伝わってきたし、その超攻撃的な歌詞を単純に楽しんでいます。
ただ、田島貴男のメッセージに一番素直にしたがうとすれば、まず、世の中の流れに抗ってまで通したい「自分の考え」を持つところから少しずつでも進めていきたいです。


*1:自分なんかは、あくまで「田島愛」の表明のつもりなのですが、数パーセントは「からかい」の気持ち(愛情の裏返し)もやっぱり入っています。とすれば、その絶妙なバランスが全ての人に伝わらないSNSでの拡散はダメだろうなと思うわけです。でも時々そこを踏み越えてしまうからブロックという憂き目に遭うわけで…笑。なお、藤岡弘、の件はブロック後です。また、言うまでもないことですが、先日も仮面ライダー関連の本を読んで、いかに藤岡弘、がすごい人なのか改めて思い知りました。

*2:具体的な事例については、例えばこの記事が参考になります→ 「ネットde真実」 ズレた正義に目覚めて無駄な行動力を発揮|NEWSポストセブン

ヤッターアンコウがいるからこそ物語は楽しい~『スパイダーマン: スパイダーバース』感想

今年は月一本のペースで映画を観ている。
1月は『来る』、2月は『ギルティ』と来て、3月に観たのは、この『スパイダーバース』だ。
『来る』のタイミングで一番観たかったのは『へレディタリー/継承』だったのだが、そろそろ終わる頃で劇場が限られていたことと、一緒に観に行くよう太に選ばせたら、第二候補だった本作を選んだので、こちらにした。(気持ち悪さとエンタメのバランスが絶妙な映画でした。)
『ギルティ』は、アトロクで何度か紹介されていて、特殊なシチュエーションのミステリということを知り、ネタバレは嫌だなという気持ちで、公開週の週末に観に行った。(想像力を掻き立てられる見事なワンシチュエーション映画でした。)
『スパイダーバース』は、そもそもはあまり興味がなく、またMARVELの作品が映画されているのかという程度。しかもスパイダーマンは、確かこの前リブートしたばかりじゃ…とむしろ敬遠していた。しかし、アカデミー賞発表前に、細田守未来のミライ』がノミネートされた長編アニメーション部門は、どうも『スパイダーバース』でぶっちぎりで獲るらしいという話を(これもおそらくアトロク経由で)知った。そこで初めてこの作品がアニメ作品であり、過去作をあまり気にせずに見ることができそうだ、と興味を持てた。


さて、観る映画は決まったが、1月、2月と一緒に映画を観たよう太を誘うと、どうしても立川まんがパークで漫画を読みたいということだったので、立川まで一緒に行き、初めて立川で映画を観ることとなった。今思うと、これが素晴らしい選択だった。



映画『スパイダーマン:スパイダーバース』予告


デザイン・表現

事前に自分が知っていたのは、通常のスパイダーマン以外に小柄な黒いスパイダーマンと白いスパイダーマンが登場すること。 観るきっかけとして、この白黒2体のスパイダーマンのデザインのカッコ良さに惹かれた部分は確実にある。
カッコ良さといえば、映画が始まっても、序盤どころか、最初のソニーのロゴアニメーションから引き込まれっぱなしだった。その後の、ピーター・パーカー(本家)が、スパイダーマンについて紹介する場面、マイルス・モラレス(主人公)がノリノリで音楽を聴いているところに、親からの早く急いで、の声が重なる朝のシーン。アニメーションがリズムを持っている、絵そのものがビートを刻んでいる感じで心地良い。
マイルスが「黒い」スパイダーマンになる前の追いかけっこのシーンもニューヨークの地下鉄、トラックなどをよける動きそのものが見ていて全く飽きない。美術館で絵画を眺めるように、映画の場面ひとつひとつを隅まで追いたくなると共に、感覚的には、美術館にいるというよりはゲームをしている感覚に近い。これはもしかしたら、直前に、PS4のゲーム『スパイダーマン』を少し遊んだことが影響したのかもしれない。。


さて、物語は、マイルスが蜘蛛に噛まれて、直後に会話を交わしたピーター・パーカーが亡くなり、これでとうとう(期待していた)黒いスパイダーマン登場か!と思うと、まずマイルスが手に入れたのは、雑貨屋で買ったパーティグッズのようなスパイダースーツ。しかもサイズが合っていない。目の部分に完全に穴が開いているデザインもカッコ悪く、黒いスパイダーマンはまだなのか、とがっかり。
白いスパイダーマン(スパイダー・グウェン)が登場し、さらに3体のスパイダーマン(スパイダーハム、スパイダーマンノワール、ペニー・パーカー)が登場し、行動を共にするようになっても、マイルスは黒いスパイダーマンにならない。
このように溜めて溜めて終盤まで姿を見せないからこそ、黒いスパイダースーツがどのようにして誕生したのかが描かれる場面は、それだけで涙が溢れるほど感動した。グラフィティの才能のあるマイルスだからこそ、あのスーツなのだ!という意味付けも含めて最高だ。


デザインという点では、当初、登場を想定していなかった3体のデザインが素晴らしいことも自分にとってはツボだ。『パシフィックリム』が楽しいのは、悪と戦うロボットが、一体だけでなく、複数あるということ。結局は敵を倒す役割は主人公だったとしても観る側としてはオプションがあることで想像の幅が広がりやすく、楽しみが2倍にも3倍にもなる。
(ほとんど出番がなかったように思うヤッターアンコウが、自分にとってどれだけヤッターマンを観る楽しみを増やしていたことか…)
なお、追加3人のスパイダーマンは 、それぞれ全く他と似ておらず 、どのキャラクターも魅力的だが、やっぱりペニー・パーカーは、日本の萌えキャラとは少しズレがある点も含めて目が離せない存在だった。
デザインとは関係ないが、ピーター(B)パーカーの人間臭い感じ、もっと言うとカッコ悪い感じは、そのあとスパイダースーツを着たときとのギャップがそのカッコ良さを5割増ししていた。宮野真守がその声を当てるのもとても合っているように思うが、途中、勢い余ってゾンビランドサガになりかけていた場面が特に良かった。


その他、動きや絵について語ろうとするといくらあっても足りない。
敵キャラで言うと、キングピンの特殊な体型。あれは実写表現では無理で、アニメだからこそのデザインであるのだろう。
スパイダーマン同士が感じる「ニュータイプ」の表現や、アクションシーンで時々登場するコマ割り表現、吹き出し表現、書き文字表現はなど、独自の表現が多く、エンディング後にも続編があることも示唆されていたので、引き続き、続編にも、こういった新しい表現を期待したい。(ここら辺も、従来のアニメというよりゲームの世界に近い表現のような気がする)

極上爆音上映

今回、忘れ得ない映画体験となったのは、作品自体の(デザイン、ストーリーの)素晴らしさは勿論あるが、それと同等レベルで、立川シネマシティの極上爆音 上映が良かったということが言える。
振り返ると、2月に観に行った『ギルティ』は、劇場がフラットでスクリーンが低く、それだけでも字幕が見にくい上に、前席にとても座高の高い人が座り、作品の内容以前の問題として、視聴環境が最悪だった。(新宿武蔵野館でした…)
最悪の体験と比較するのもどうかと思うが、映画の内容に集中できて、アクションシーンで、音に、音の響きに驚いたり、本気で手に汗握ることが出来ることの幸せを、今回、しばらくぶりに感じたように思う。少なくとも、アクション重視の作品は、音響が良いところでないと観られない、そう感じるほどに衝撃的な体験だった。

ストーリー(疑問点)

最後に少しストーリーについて。
ストーリーは、マイルスの成長がしっかり描かれるシンプルストーリーで言うことなし。父子のシチュエーションが多めで、そこが特に涙腺を刺激した。(逆に、よう太と見に行っていたら恥ずかしくなっていたかもしれない。)スパイダー・グウェンという同世代の女性スパイダーマンがいながら安易な恋愛が描かれなかったのも良く、とにかくマイルスの人間的成長を中心に描かれていたように思う。


ひとつ疑問なのは、何故マイルスは最初に転校しなければならなかったのかということ。
物語の中では、父から成績の良さが評価されて補欠合格となった、というような説明を受けるが、同じタイミングでグウェンが同じ高校に転校してくるというのは出来過ぎ。
学校長が全てを仕組んでいて、能力者を一つの学校に集めたというのがよくあるパターンだが…。
今書いていて気がついたが、つまり、グウェンとモラレスの関係は、ピーター・パーカーとピーター・B・パーカーのように表裏一体で、パラレルワールドで同じ高校に通う存在ということなのか。
あ、物語上の必要性についても少し想像がついてきた。転校したモラレスは、週末だけ実家に戻る寮生活に入るので、つまり最初に「家族との別れ」が描かれているのか。だからこそ、学校の前でのパトカーからの「愛してる」の冒頭の名場面も出てくる。
ということで、何度も同じゲームを楽しむ感覚で、何度も楽しみたい映像体験でした。続編も望ましいけど、(キャラクター含めかなり異なるようですが)アメコミ原作も気になります…。

スパイダーバース【限定生産・普及版】

スパイダーバース【限定生産・普及版】

エッジ・オブ・スパイダーバース (MARVEL)

エッジ・オブ・スパイダーバース (MARVEL)

ワールド・オブ・スパイダーバース (MARVEL)

ワールド・オブ・スパイダーバース (MARVEL)

  • 作者: ダン・スロット,スコッティ・ヤングほか,ウンベルト・ラモス,ジェイク・パーカーほか,秋友克也
  • 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
  • 発売日: 2016/07/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る



なお、次に観る映画は、アカデミー賞関連映画として『ローマ』『グリーンブック』や『女王陛下のお気に入り』、大人気の『翔んで埼玉』、そして、『コードギアス 復活のルルーシュ』のいずれかになりそうです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(4)AIジョーのブルース

bless You! (通常盤)

bless You! (通常盤)

今回は、アルバム3曲目の「AIジョーのブルース」について取り上げます。

一発録り

話題にするべき「アクロバットたちよ」の時にはあまりしっかり書きませんでしたが、インタビューで、田島貴男は、これまで以上に「一発録り」を強調しています。代表曲として基本的に「アクロバットたちよ」について取り上げるのですが、毎回付け足しのように付け加える一曲が、あまり「一発録り」に似つかわしくない「 AIジョーのブルース」。

やっぱり人間のインスピレーションとか気合いって、すごく大事だなと思いました。「これ直さないよ」ってメンバーに言うと、みんな全力で演奏するんです(笑)。オリンピックの競技に参加する選手みたいなもんで、一発勝負だからプレッシャーが全然違う。で、そうやって録音したサウンドって何年経っても古くならないんです。何度聴いても飽きない。確実に何かが違うんですよ。どういう理由かはわからないんだけど。ちなみに3曲目の「AIジョーのブルース」も一発録りです。
ORIGINAL LOVE「bless You!」インタビュー|逆行し続ける男がたどり着いた新境地 (2/5) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

〈アクロバットたちよ〉と〈AIジョーのブルース〉は去年の〈Wake Up Challenge Tour〉で披露していたんですけど、前者はリハーサルでバンド形式で作っていった曲で、だから編曲にバンド・メンバー全員のクレジットが載ってるんです。後者はある程度デモでできていたものをバンドで仕上げていって。〈ゼロセット〉も2年前にそのメンバーでレコーディングしたんで、その3曲に関しては本チャンのレコーディングも一発でした」
――ライヴ・レコーディングみたいな。
 「〈アクロバットたちよ〉は完全に一発録りで、歌も直してないです。ギターを弾きながら歌ったし、ダビングも一切してないし。リズム録りのときにオケ完になったわけです(笑)。で、〈AIジョーのブルース〉は歌詞のテーマが機械なんで、それを生でやろうということで、あれもダビングはしてないですね。リズムは多少エディットしましたけど。でもそれ以外の曲に関しては一切してないです。いまはみんなエディットしますけど、僕はあんまり好きじゃなくて、アナログみたいな録り方をしてます。
インタビュー:“生命のありさま”みたいなもの――ORIGINAL LOVE『bless You!』 - CDJournal CDJ PUSH

元々自分は、ライヴではなく何度も聴くCDというパッケージで売るのに一発録りは必要ないのではないかと思っていたクチなのですが、今回の「アクロバットたちよ」を聴いて、その考えを改めつつあります。それを後押しする言葉を二つ引用します。
まず、ちょうど昨日、地上波で初オンエアされた映画『カメラを止めるな』評で、納得感のあるものがありました。

カメラを止めるな、ワンカットの前半の方が「リアル」で、ドラマパートの後半は何回もリテイクしたり編集で繋ぎまくった嘘だらけの「虚構」なんだけど、観てる方は逆に感じてしまうんですよね。この辺が本当に映画のマジックで、この映画って映画の魔法を可視化してくれるんですよね。だから面白いんだ
https://twitter.com/BoyWithTheThorn/status/1104012696700149767

あの『カメラを止めるな』のワンカット部分は、確かに粗がありますが、スリリングでドキドキして、だからこそ全体が引き締まります。つまり、あの映画は、ただ脚本がいいだけでなく、前半40分の「肉体」的な部分とセットだからこそ仕掛けが引き立つ話になっているというわけです。


ただ、それでは、「アクロバットたちよ」や「AIジョーのブルース」は、聴く側が、これは一発録りなんだ!と意識して聴かなければ楽しめないのか、というと、そういうわけでもありません。
先日読んだ小路幸也『東京公園』は、写真家を目指す主人公の大学生・圭司が、写真について以下のように述べる場面があります。

被写体との間の空気感というものを僕は、いやカメラマンだったら感じ取れる。わかると思うんだ。
撮る人間と撮られる人間の間にはかならず何かが、空気感としかいいようのないものが流れている。(略)
だから、写真集なんかを観ると、そのカメラマンと被写体との関係を勝手に感じてしまうこともある。その写真に含まれている、映し出されている空気管というものを濃密に感じることがある。ほとんどの場合そういう写真集は素晴らしいものになっている。

今回のアルバムが写真集とセットということもあり、カメラと音楽の親和性を今まで以上に感じますが、どちらもデジタルが普及してアナログの良さに立ち戻っているジャンルということが言えるかもしれません。そして、そのアナログの良さというのは、ここで書かれているような「空気感」みたいなもので、カメラと音楽に共通する、この空気感に田島は惹かれているのかなあと思います。
実際、ライブで聴く「AIジョーのブルース」も、メンバー揃っての振付も含めて、あそこにしかない「空気感」が詰まった曲なのです。

歌詞の中で扱う「AI」

AIと言えば、昨年のKIRINJIのアルバム『愛をあるだけ、すべて 』に収録の名曲「AIの逃避行」があり、まさに今の時代にマッチするテーマなので歌詞にも当然期待します。最初に、自分の考えるAIをテーマにした場合の「正解」を書きます。


先日のNHKクローズアップ現代+」は、スティーヴン・ホーキング博士(2018年3月没)の遺作『ビッグ・クエスチョン―〈人類の難問〉に答えよう』を取り上げ、博士のAIへの関心の深さについて紹介していました。

内容は、人類が抱える大きな疑問に答えるというもの。その疑問とは何か。例えば「神は存在するのか」「宇宙には人間の他にも知的生命体は存在するのか」「人間は地球で生きていくべきなのか」、どれも壮大な難問ばかりです。そして、中でも博士が力を入れて書いたテーマの一つが「人工知能=AIは人間より賢くなるのか」。博士は晩年、ビル・ゲイツ氏やイーロン・マスク氏などの世界的起業家に、AIが社会に及ぼす影響を考えようと呼びかけたり、研究機関を立ち上げたりするなど、AIと人類の関係に深い関心と懸念を持っていました。
車いすの天才ホーキング博士の遺言 - NHK クローズアップ現代+

このように、AIがニュースで取り上げられる場合には、 いわゆるシンギュラリティ*1の問題など、 バラ色の未来よりも、それと隣り合わせの「AIが人間の仕事を奪う未来」に重きを置かれることがほとんどのように思います。(もしくは、シンギュラリティなど来ないがAIの能力向上とは対照的に人間の能力が下がっていることを危険視する『AIvs教科書が読めない子どもたち』の路線)
KIRINJI「AIの逃避行」は、そういった不安を背景に、恋愛においても人間と機械の境目が曖昧になっていくという虚無的な感覚をうまく表しているように感じます。*2


と・こ・ろ・が。


何故か「AIジョーのブルース」は、そのような悲哀、不安が、曲調にも歌詞にも感じられない作品となっています。
確かに以下の部分など、携帯電話やスマホの登場で生活が便利になった反面、監視の目が強くなり、むしろ不自由になっている一面を良く表していると思います。

画面をタッチするほどに1年が短くなっていく
早回しの映画のような人生は忘却の物語
星の時点早めました
便利な暮らしのために
豊かになった Ah My Master
なぜ青ざめてまた急いで

ただ、これは「AI」というテーマからは大きく離れた内容だと思うのです。
コンピュータやロボット導入によって、人間は楽になると思っていたのは間違いだった…というのは一時代前の悩みであって、AI時代で問題とされているのは、忙しさではなく、人間自体が機械よりも「使えない」「不要な」存在に落ちてしまうのではないかという部分です。つまり、より本質的な「人間性」の問題が問われていて「AIの逃避行」なんかはまさにそのような作品になっていました。
歌詞で「コンピュータワールド」という言葉が使われていますが、まさに語るに落ちる(笑)、というべきか、この言葉は今、ほとんど聞くことはありません。オマージュ*3なのかどうか不明ですが、クラフトワークのアルバム『コンピューターワールド』が発売されたのは 1981年ということを考えると、ここで歌われているコンピュータへの問題意識は、AIのシンギュラリティを前提としたものではなく、30~40年くらい前まで一気に戻っているような気がします。なお、「コンピューターおばあちゃん」(みんなのうた)も1981年で、「AIジョーのブルース」は、牧歌的な、古き良き時代のコンピュータ観に満ちていて、平成も終わる頃になって昭和を思い出させる牧歌的な歌詞となっています。(結局、AIは曲タイトルの駄洒落のためなのか…と思わせるところまで含めて牧歌的)
念のため、この曲についての田島自身の言葉をインタビューから引用すると…。

──3曲目の「AIジョーのブルース」は冒頭の2曲から一転してエディットを駆使した曲になっています。

曲のテーマがAIの時代におけるブルースということだったので、エレクトロニクスやSNSとか、そういうものに制御される人間というイメージを曲に落とし込んだんです。なので、アルバム中この曲だけ歌も含めて一発録りした演奏を極端にエディットしました。無機質なビートの中に、生身の人間が演奏したリズムをエディットして入れて。非常に変な感じのリズムになりましたね。

──頭の中が混沌としていく感じがします(笑)。

ヒップホップの人がこういうリズムで曲を作ったりしてますよね。

──その手法でブルースをやるという。

そう。そこは誰もやってないんで。今回のアルバムは、自分が今感じてることが要所要所で歌とか曲になってるんですよね。「空気-抵抗」とか「逆行」って曲もそうなんですけど、今自分が感じてる苛立ちや歪み、不気味さとか、それをストレートに書いているんです。

ということで、 「空気-抵抗」「逆行」 という傑作2曲と並べて、「 苛立ちや歪み、不気味さ」をストレートに書いている、とのことですが、特にあの2曲と並べてしまうと苛立ちは伝わりにくいです…。(むしろ過去曲で言うと「Hey Space Baby!」に通じる能天気さを感じます)


と、悪く書きましたが、オリジナル・ラブの楽曲の中でも打ち込み推し、変拍子推しの自分からしてみれば、この曲は大好きです。A面は、「アクロバットたちよ」~「ゼロセット」と来て、3曲目に、この「AIジョーのブルース」。そしてこのあとに「グッディガール」ということで、全く隙なし。アルバムのメインテーマ「人生賛歌」というところから3曲目、4曲目が少し離れる感じがしますが、そこら辺のバランスも絶妙ですね。

参考

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

東京公園

東京公園

コンピューター・ワールド

コンピューター・ワールド

愛をあるだけ、すべて(通常盤)

愛をあるだけ、すべて(通常盤)

*1:AIが人知を超える転換点。具体的な年を挙げ、2045年問題と呼ばれることも

*2:映画『her 世界でひとつの彼女』が、まさにこのテーマど真ん中の作品でした。

*3:コンピューターワールドで検索すると、電光超人グリッドマンが引っかかります。昨年アニメがありましたが、原作の実写特撮作品は1993年の作品のようです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(3)疑問符


まず、アルバムの曲順を再度確認します。

  1. クロバットたちよ
  2. ゼロセット
  3. AIジョーのブルース
  4. グッディガール feat. PUNPEE
  5. ハッピーバースデイソング
  6. 疑問符
  7. 空気-抵抗
  8. bless You!
  9. いつも手をふり
  10. 逆行


オリジナル・ラブのアルバムは基本的にA面B面を意識して製作されていることは、ファンはよく御存知かと思いますが、今回も全10曲の前半5曲、後半5曲でA面B面が分かれます。
そして、『bless You!』のB面は、また凄い曲が揃っています。
いわずもがなの名曲「bless You!」。アルバムのテーマ的には 「bless You!」と双璧をなす「いつも手をふり」。そして、本作の中でのいわば“地獄兄弟”「空気-抵抗」「逆行」*1
その中で、少し浮いた存在がB面1曲目の「疑問符」です。
ところで、これまでのアルバムでB面1曲目にはどのような曲があったか復習してみます。

  • LOVE VISTA(LOVE! LOVE! & LOVE! )
  • フレンズ(結晶)
  • Wall Flower(EYES)
  • 心 ~ANGEL HEART風の歌を聴け
  • 夏着の女達へ(RAINBOW RACE )
  • Words of Love(Desire)
  • ローラー・ブレイド・レース(ELEVEN GRAFFITI )
  • 大車輪(L)
  • ダブルバーガー(ビッグクランチ
  • 守護天使ムーンストーン
  • のすたるぢや(踊る太陽)
  • 13号室からの眺め(東京 飛行)
  • ひとりぼっちのアイツ (街男 街女)
  • ハイビスカス (白熱)
  • きらめきヤングマン(エレクトリックセクシー)
  • クレイジアバウチュ(ラヴァーマン)

書いてみて、曲の並びが面白くて、独りで盛り上がっています。*2
また、やや自分の意図と異なる曲が並んで驚いています。
自分の中の、これぞ"B面1曲目”という曲は「ローラー・ブレイド・レース」や「ダブルバーガー」などの攻撃的な楽曲。もしくは「ひとりぼっちのアイツ」や「クレイジアバウチュ」などのヒットチューンなのですが、「のすたるぢや」や「守護天使」など、ゆっくりした曲もあるのですね。
田島貴男自身は、この「疑問符」についてインタビューで次のように答えています。

これはもう、絵に描いたようなソウルバラードですよね。オーディオを一新して、The Stylisticsの1stアルバムを聴いたら、あまりにも素晴らしくて椅子から転げ落ちるぐらいのショックを受けて。演奏もコーラスも、とにかくすごくて。 (略)
それぐらい完璧すぎるアルバムで感動しちゃって。自分でもそういう曲を作りたいなと思ったんです。ただ、弦を入れるつもりはなかったんで、シンプルなスウィートソウルをこの曲で追及しようと思って。今までだったら、もっとゴテゴテな感じにしたと思うんだけど、最小限のメロディ展開で“なんかいい曲”っていうのを作りたかったんですよ。
──本当に音数を絞りに絞った“いい曲”ですよね。
そういうふうに作りたかったんです。この曲は真夏に作ったんだけど、真夏っていうのは創作に向かないですね(笑)。冬のほうが圧倒的に曲のイメージが浮かぶ。大変だったけど、パッとイメージが浮かんで急いで書いたんですよ。
音楽ナタリーインタビュー

──「疑問符」はオーセンティックなソウルバラードですね。
田島:うん、これはソウルバラードを作ろうと思って作りました。3年くらい前にオーディオセットを揃えて、1970年代初頭あたりのソウルばっかり聴いてた時期があったんですけど、その頃のバラードってシンプルでいいんだよね。「疑問符」みたいな曲も、以前だったらもっと展開を考えたり、装飾したんだろうけど、今回はなるべくシンプルにしたくて。曲も短くしかったんだよね。

──3分半くらいですね、「疑問符」は。
田島:そう。昔のソウルバラードって、AメロとBメロしかなくて2分くらいで終わったりするんだけど、短くするのもテクニックが必要で創作が洗練されてないとダメなんです。そういうものを目指したんですよね、「疑問符」は。
RealSoundインタビュー

こうしてインタビュー記事を読んでみると、シンプルな楽曲を目指したチャレンジが、実際に成功していることを実感できて、またアルバムを聴くのが楽しくなります。
なお、音楽評論家・小倉エージさんの曲ごと解説は以下の通りでした。

「疑問符」は、シンプルなスイート・ソウル。ニール・セダカの「雨に微笑みを」風のポップなメロディー。ファルセットによる歌はスタイリスティックスを意識したのかも。(オリジナル・ラブの金字塔!? 新作は傑作だ!-AERAdot


さて、歌詞の面から考えると、特にB面はアルバムのテーマである「人生賛歌」、そして裏テーマの「逆行、抵抗、心意気」(適当です笑)がてんこ盛りの中、かなり毛色の違う歌詞となっています。具体的には、「ハッピーバースデイソング」や「ゼロセット」なども含め、聴く側に向けたメッセージ性の強い曲が多く並ぶ中で、まさにそれらとは逆行した内省的な歌詞となっています。
しかも、この歌詞の主人公は、答えを出せずに迷っている。だけでなく、運命や偶然に頼ろうとするなど、考え方に「逃げ」が見られるのです。「ゼロセット」で「ためらってないでしっかり掴んで」「チャンスはRight Now!」と歌ったのとは全く別のタイプの男です。
しかし、B面1曲目にこの曲があることで、このアルバムのメッセージ性、説得力はさらに強まるように、自分は考えます。
今回のアルバムはテーマが「人生賛歌」で、メッセージソングが多いため、ともすると「上から目線」のアルバムになってしまいます。例えば(また改めて書きますが)「ゼロセット」は良い曲ですが、あまりにも歌詞の内容が田島貴男本人のこと(継続して努力できる資質)を指し示すようで、自己評価の低い自分には、純粋な応援ソングとして受け取るのは難しいです。
また、ここで「大事なことに気づかない」と書かれているからこそ、気がついた大事なことを歌いたい、という気持ちが表れている「bless You!」のメッセージ性が際立ちます。つまり、人生は、何かひとつ大切なことを手に入れたら、別の何かを忘れている、その繰り返しだということだと思います。
「疑問符」があることは、悪いところはたしなめつつも弱い心も肯定してくれるような曲で、自分にとっては、仲良くしたい、贔屓にしたい友達のような存在です。
そういう面が同じ田島貴男の中にあるのだろうと思うと、アルバム全体のメッセージがより真実味を帯びてくるように感じます。


先日、川崎市にある岡本太郎美術館で「重労働」という油絵を見ました。
1949年の作品で、工業化が進み、生活がよりよくなる一方で、環境破壊やエネルギー危機などの問題が進行することに対する不安を表現した作品で、岡本太郎の好む原色が多く使われながらも、画面全体としては暗い作品です。
検索するとどのような絵かすぐにわかるので是非見ていただきたいのですが、この絵の中には中央左側に唐突に長ネギが描かれています。*3自分は今回の美術館で初めて見たので、とても驚きましたが、このユーモラスにも見える長ネギがあることで、不安一辺倒でもないということもわかり、一方で、不安感も増すのです。いわゆるスイカに塩理論です。
「疑問符」は、まさにそのような楽曲で、名盤『bless You!』のB面1曲目として、過去のB面1曲目の名曲群と比べても遜色ない名曲だと思います。

*1:一応、解説しますが、仮面ライダーカブトに出てくるやさぐれた仮面ライダー2人キックホッパーとパンチホッパーを指します。とにかくやさぐれています。

*2:これはかなり良くないですか!新旧含め、微妙にライブでは演奏されることの少ない佳曲も多く、裏ベスト的なセットとして十分に勝負できます!

*3: この長ネギは岡本太郎の提唱した“対極主義”を具体化したものとのことです。岡本太郎美術館の紹介も含めてこちらのサイトが分かりやすいです。→TONTONclub

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(2)アクロバットたちよ


さて、2月に発売したオリジナル・ラブの最新アルバム『 bless You! 』の1曲目が、今回取り上げる「アクロバットたちよ」です。
前作『ラヴァーマン』の1曲目は、先行シングル「ラヴァーマン」でした。
『ラヴァーマン』 は大好きなアルバムなのですが、アルバムを聴いてまず最初にかかる曲で驚きたい。そう考えている自分にとっては、ややスリルに欠けるアルバムとなりました。

今回はその意味では期待大の1曲目です。一応、ライブでは聴いていて、印象も良かったので尚更です。


ただ、自分にとっての1曲目はアルバムの顔として期待度が上がり過ぎているので、苦手曲が来た場合に一気にアルバム全体が苦手になる可能性のある、いわば「鬼門」です。
勿論、気持ちの振れ幅はありますが、一曲目が苦手な『エレクトリックセクシー』(1曲目は「スーパースター」)、『東京 飛行』(1曲目は「ジェンダー」)は、どちらも聴き直すハードルが高いアルバムとなっています。


さて、実際に聴いてみると、思いのほか静かな立ち上がり。
「紫の靄」という歌詞からは、「淡い紫の夜明けの空」から始まる、同じくアルバム1曲目の 「Hum a Tune」(1996年発売の『Desire』)を思い出します。脱線しますが、『枕草子』も冒頭に同様に夜明けの頃を表す言葉として紫が出てきますね。( 紫だちたる雲の細くたなびきたる。)
そんな紫で始まった曲は、曲調が一変し、すぐに特徴的なギターリフで持ってかれます。
それでも、この曲の第一印象は、その他の目立ち過ぎる曲に比べれば「普通」でした。


しかし、何回か聴いているうちに、この曲の面白さに気づいてきます。
それほどでもなかった第一印象ですが、最初から好きなフレーズがありました。この部分です。

Offence Defence 立ち向かって怯んで

バスケットボールの試合をしているみたいで楽しいので気に入っています。
ところが、このフレーズは通常の曲で言うと、何処にあたるのかは上手く説明できません。サビではない気がします。


少し考えてみると、この曲が好きだと言う人も、細かく見ると、いくつかの派閥に分かれるように思います。
具体的には、(1)紫の靄立ち込める~の導入部のギターのコードチェンジに心揺れる人、(2)アンバランス持ちこたえて~のギターリフパートが好きな人(3)さあアクロバットたちよ~の靄が晴れて虹が架かると思いきや、やっぱり曇り空のお天気パートが好きな人、そして、(4)Shooting Dodging~の部分が好きなドッジ弾平派、(5) Offence Defence~の部分の好きなダッシュ勝平派くらいに派閥が分かれるのではないでしょうか。((4)と(5)はドッヂボールとバスケットボールで分けましたが実質的に1つです…。マイケルジャクソン派(Human Nature)もいるのかな…。)
ということで、王道的なAメロ、Bメロ、サビを2度繰り返してブリッジからサビという流れを踏まない構成が魅力です。自分は、一曲なのに、境目がはっきりした4つのメロディで構成されていることから「アクロバットたちよ」には「ひし餅」と渾名をつけています。(ひし餅は通常は3色だそうですが)


ナタリーのインタビューで本人も語っているように、音楽的なチャレンジを常に続ける、まさに ORIGINAL LOVEオンリーのサウンドが、楽曲構成ひとつとってみても実現しているように感じます。


みんなが聴いてくれるような状況になったっていう。前作の「ラヴァーマン」を出した頃とは明らかに状況が変わっていて。今は音楽的なクオリティを追及している若いバンドがいっぱい出てきて、自分のやってきた音楽がすごくやりやすくなった気がするんです。そういう状況だからこそ今回は、「ORIGINAL LOVEがやらなきゃ誰がやる?」というようなサウンドを突き詰めていこうと思って。それが結果的に今の時代のムードとシンクロして若々しく響いているのであれば、自分にとってすごくラッキーなことだと思いますね。
音楽ナタリーインタビュー記事



さて、次に「アクロバットたちよ」というタイトルについてです。
今回のアルバムは、(表題作含め)ラブソング多めだった前作から打って変わって、ラブソングを抑え目にして、メッセージソング、ファンに語り掛けるような歌詞が多いように思います。「ゼロセット」しかり、「空気-抵抗」や「逆行」そして「bless You!」もそうです。
アルバムを語る際に、田島貴男本人も「人生賛歌」という言葉を何度も口にしますが、それよりも、「You!」に向かって語り掛けるアルバムになっていることが最大の特徴であるように思います。そこが「I'm a Lover Man」と歌っていた前作との一番の違いです。

ということで、タイトルそのものが語り掛けの形を取っている「アクロバットたちよ」は、現代社会に生きるすべての人の人生を、アンバランスなロープの上を危うく進むアクロバット(曲芸師)に喩えた、まさにアルバムの顔となる名曲だと思います。
変なタイトルですが、自分は好きです。ひし餅も好きです。
あと、重要なことを忘れていましたが、「逆行」のあとに聴く「アクロバットたちよ」がまたいいのです。引き際を見つけられない危険なアルバムです。

ORIGINAL LOVE『bless You!』全曲感想(1)ハッピーバースデイソング

オリジナル・ラブの新作 『bless You!』が2/13に遂に発売となりました。
オリジナル・ラブについては、それこそ『街男 街女』の頃からアルバムが出るたびに、色々と駄文を連ねていたこのブログとしては、今回もとても楽しみにしていたのです。
が、アルバム発売直前になって、思いもよらない不幸な出来事が(自業自得的に)自身を襲ったことは、このあと、自然と触れていくことになるでしょう。*1

『ラヴァーマン』から 『bless You!』へ

さて、最初に取り上げるのは「ハッピーバースデイソング」です。
前作『ラヴァーマン』は2015年6月発売だから、それから4年近く経っています。『白熱』が2011年7月、『エレクトリックセクシー』が2014年6月なので、白~エレがほぼ3年、エレ~ラヴァーがほぼ1年、そこからするとかなり間が空きました。
その間のオリジナル・ラブといえば、ライヴ活動自体は休みなくこなす間に、リリースとしては、2016年に25周年記念シングル「ゴールデンタイム」を発売。そして2018年4月(自身の誕生日4/24)に「ハッピーバースデーソング」をVictorから発売。この段階で、オリジナル・ラブのメジャー復帰が明確になり、今回のアルバムへと繋がっています。

2曲のシングルと第一印象

2016年、2018年に発売された2枚のシングルで比べると、(今となっては)インディーズ時代最後のシングル「ゴールデンタイム」に圧倒された自分からすると、「ハッピーバースデーソング」には物足りなさを感じました。というのも「ゴールデンタイム」は、アルバム『ラヴァーマン』と完全に地続きで、「これこそが最新型のオリジナル・ラブだぜ!コラーッ!」と、世の中に物申したいほど感動していたのですが、それと比べると、「ハッピーバースデーソング」は、『ラヴァーマン』にも「ゴールデンタイム」にも繋がらない、所在ない感じがしたのです。
なお、ゴールデンタイムの公式Youtube動画はこちら↓。カッコ良過ぎる!*2

ORIGINAL LOVE ゴールデンタイム


話を「ハッピーバースデイソング」に戻しますが、確かにテーマは良いです。
「優しい人も冷たい人も」「友達も知らない人も」誰もが平等にひとりに一日与えられている誕生日を題材にしたこの歌は、オリジナル・ラブのファンではない人にまで射程を向けた歌です。自分は、まさにこういうのを 田島貴男に 歌って欲しかったのです。
しかし、そこからの自分の思考は、他の人がついてこられないかもしれません。
自分はこう考えました。
とても良いテーマなんだけど、同じテーマを歌ったゴダイゴ『ビューティフル・ネーム』と比べると、弱い。

【超絶かっこいい】Godiego / ゴダイゴ - ビューティフルネーム(Beautiful Name)


何か色々と間違っている気がしますが、そんなこんなで、「ハッピーバースデイソング」は、ケータイに入っていても何度も繰り返し聴くタイプの曲にはならなかったのです。

『bless You!』の中での「ハッピーバースデイソング」

ところが、このアルバム『bless You!』で「グッディガール」の後にかかる「ハッピーバースデイソング」の、完成している感じ、これ以外にはあり得ない感じに、驚いたのです。MUSICAのアルバム評でカジヒデキが以下のように書いています。やっぱり、ここでしょ。そうだよね!と心の中でカジヒデキとハイタッチしました。

アルバム全体は超音楽マニアの田島さんらしく、ソウルもロックもファンクもSSWやポップスも全てが見事に溶け合っていて、そのスリリングさと心地よさに完全にやられます。特にM4からSSW系*3の名曲M5への流れの凄さ、これは田島さんじゃなければ出来ない!新しい物を取り入れる情熱と攻め方にも脱帽。絶品です!

そして、このアルバムが最高である理由は、最初に言ってしまうと表題作「 bless You!」にある*4わけですが、この曲との歌詞の内容の親和性の良さが際立っています。
CDJournalの記事を読むと、アルバムの中では「 bless You!」「ゼロセット」「ハッピーバースデイソング」の3曲がアルバムの中では先に形になったということなので、シングルで聴いたときには、既に 「bless You!」という大ネタを隠し持っていたということでしょうか。それはそれで凄い気がします。(注:のちに他のインタビュー記事なども読むと、「bless You!」自体は、一番最後に出来た曲のようです。CDJournalの記事は曲作りではなく、アルバムレコーディングのことについて語ったもののようです)
なお、 「ハッピーバースデイソング」 はほぼ一人なのですが、ソロ演奏は手伝ってもらっているようです。

―「ハッピーバースデイソング」のソロを弾いている岡安芳明さんは、田島さんのジャズ・ギターの先生ですよね。
「あれも素晴らしかったです。〈ハッピーバースデイソング〉はスティーヴィー・ワンダーみたいな曲だと思うんですけど、全部打ち込みなので、ソロはジャズ・ギターを入れたくて、3~4年前から教えていただいている先生にお願いしたんです。すっごく岡安さんらしいソロですね。ジョージ・ベンソンケニー・バレルのフレーバーを感じさせます」
“生命のありさまみたいなもの”---ORIGINAL LOVE『bless You!』

おー!この方がジャズ・ギターの先生なのですね。
客演も素晴らしいアルバムですが、「 ハッピーバースデイソング」にもそれが表れています。


という感じで、今後も続きます。
昨年4月の人見記念講堂のライヴ(個人的には、最初に「ゼロセット」等のアルバム曲を最初に聴いたライヴ)の感想を読んでいたら、カシオの腕時計「OCEANUS」の田島貴男インタビューへのリンクがありました。ちょっと、恰好が凄すぎて、ロバート秋山の「クリエイターズファイル」を彷彿とさせますね。何で当時そう思わなかったのか不思議です。
oceanus.casio.jp


参考

MUSICAのインタビュー記事は鹿野淳の熱が強いです。この人がワンオクロックの人(森進一と森昌子の長男)なのですね…

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2019年 03 月号 [雑誌]


人見記念講堂のライヴを聴いたときは、もしかして新作は『エレクトリックセクシー』寄りなのか…?と思ったことを思い出しました。
pocari.hatenablog.com

*1:ぼやかして言うと、何がしかのネットの不具合により、田島貴男氏のツイッターが読めなくなってしまった…笑

*2:なお、MUSICAのインタビューなどを読むと「ゼロセット」はアルバムの中で最も早く、3年近く前に出来ていたそうです。歌詞は書き直し等あったようですが、再スタートという着眼点が「ゴールデンタイム」と似ています。

*3:SSWってどんな音楽ジャンルなんだろう?と思ってググったらSinger Song Writerの略だとか。知りませんでした…

*4:私見ですが、ほとんどの人がそう思っているのでは…?