Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

久しぶりに宮部みゆき読んだと思ったら2年前に同じ本を…~宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』

本所深川ふしぎ草紙 (新潮文庫)

本所深川ふしぎ草紙 (新潮文庫)


つい先日、クリストファー・ノーラン監督『メメント』という、主人公の記憶が10分間しか持たないという特殊な映画を観た直後に、映画の内容を思い出せない、という悪夢的な出来事があり、改めて自分の記憶力に自信を失っていたのですが、今回もやらかしてしまいました。
未読と思っていた『本所深川ふしぎ草紙』ですが、2年前にバッチリ読んでました。

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今回、七不思議に合わせて収録されている7話を読みながら、既視感を覚えることも多く、怪しいと思いながら読了したのですが、まさか感想まで書いているとは…。
ただ、感想を読むと、人情に特化した時代物ミステリという読み慣れないジャンルのため、2年前にも、読んだ直後(2週間後)でも内容を忘れていたようで、そう考えれば2年あれば忘れるだろうと開き直っている次第です。(笑)


ということで、今回は2年前に触れていなかった文庫解説について書くことにします。
この本の出版は平成3年発表のものですが、文庫解説は、平成7年に、池上冬樹によって書かれています。
宮部みゆきは、今では、日本で最も読まれている小説家数人の中に確実に入るであろう著名作家ですが、発表当時はそこまでではなく、文庫解説が書かれる平成7年頃には、ある程度、その地位が確立してきた時期であろうことが、解説を読むとわかります。


自分自身、最近こそ宮部みゆきをほとんど読んでいませんが、解説の書かれた平成7年頃はよく読んでいたことを思い出しました。『魔術はささやく』『パーフェクト・ブルー』『レベル7』『火車』『龍は眠る』など、初期作はほとんど読んでいます。(例によって全く内容を憶えていませんが)


池上冬樹は、宮部みゆきの魅力について、本人の弁も引用して次のように書いています。

作者はキングの長所として、“映画的な描写力”と”ものすごいイメージの喚起力のある文章”をあげているが、これはそのまま宮部みゆきの魅力といえる。イメージの換気力、またはひとつの場面に集約させてしまうシンボライズの巧みさが宮部作品にあるからである。

確かに、映画的な描写力、イメージの喚起力というのは分かる気がします。
時代小説が苦手な自分でも、本所深川の江戸の街をイメージしながら最後まで読み進めることが出来たからです。


また、そのあとのところで、池上は次のようにも述べています。

考えてみれば、宮部みゆきの小説が多くの読者をつかんでいるのは、もちろん物語の面白さもあるだろうが、いちばんの要因は、読者の胸にストレートに届く、この人物たちの思いではないのか。人物たちの真摯な思い。悪いこと、うまくいかないことがあっても、真面目に生きていけばきっと望みが叶うのだという思い。分かりあえないかもしれないが、でもいつかは気持ちの通じ合うことがあるのではないかという熱い思い。そんなさまざまな思いが小説の核心にある。

勿論、常にその思いが、望みが叶うわけではなく、今回の7編の中にも、暗い終わり方をする作品もあります。
しかし、それでも真っ直ぐな心を持っている登場人物たちに、読者が鼓舞されるのでしょう。
ここら辺は、あくまでリアリティを追求したり、社会への問題提起を試みるような作品とは大きく異なり、散りばめる噓も多くなっていくのかもしれません。


なお、解説では、この本の裏話として次のようなことが明かされています。

この小説のモチーフは、作者が贔屓にしている錦糸町駅前の人形焼きの店「山田屋」の包み紙にある。

包み紙に描かれた七不思議の絵に触発されて、七つの短編を書き上げたのだと聞くと、これは錦糸町「山田屋」に行かねば、という気持ちになってきます。

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ところで、第一話「片葉の芦」に出てくるヒロインお美津の父親である藤兵衛の話が、まさに現代日本コンビニエンスストアやファミレスの食品ロスの問題を地で行っていて面白く読みました。つい先日、読んだばかりの『大量廃棄社会』が思い出されます。

「おやじさんも、昔、近江屋が今のように名を売るきっかけになった出来事を覚えていなさるでしょう?そら、大川に、毎晩飯を捨てていたことです。」
(略)近江屋が江戸一の店として名を高めたのは、主の藤兵衛が始めたこの習慣のためなのだった。
近江屋の藤兵衛寿司は、宵越しの飯は使わない。それが証拠に、毎夜店をしまう時刻には、大川に、その日残った酢飯を全部しててしまう。

この習慣をお美津が嫌っていたことから父娘の確執が生まれたという話になるのですが、(実話なのかどうかは分かりませんが)「もったいない」とは遠い日本の文化もあったのでしょう。


印象に残ったのは、最終話にもかかわらず「消えずの行灯」を、優しい物語ではなく、怖い夫婦関係の物語として描いたことで、こういうところは小説として上手いなあと思わされました。時代物ということもあるのかもしれませんが、全体的に、ちょっと馬鹿だけど憎めない登場人物が多く、落語を思い起こさせました。
解説では、宮部みゆきは20歳まで本を読まなかったが、子どもの頃、寝る前に父親に落語を聞かせてもらったという話がありましたが、納得です。


ちなみに、つい先日、ライムスター宇多丸のラジオ番組『マイゲーム・マイライフ』に宮部みゆきが登場して、ゲームを30過ぎから始めてどんどん嵌って行ったという話をされていましたが、こちらも面白かったです。
プレイしないゲームの攻略本を読むのも好きという話の流れで紹介されたベニー松山さんの本は、何かしら読んでみたいと思います。

風よ。龍に届いているか (幻想迷宮ノベル)

風よ。龍に届いているか (幻想迷宮ノベル)

隣り合わせの灰と青春 (幻想迷宮ノベル)

隣り合わせの灰と青春 (幻想迷宮ノベル)


ということで、『本所深川ふしぎ草紙』の話はあまり書きませんでしたが、次こそは(何度かチャレンジして他の本に押されて読み終えることのできなかった)『ぼんくら』にトライしたいと思います。

ぼんくら(上) (講談社文庫)

ぼんくら(上) (講談社文庫)

ぼんくら(下) (講談社文庫)

ぼんくら(下) (講談社文庫)

21世紀の「そして誰もいなくなった」~市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』

ジェリーフィッシュは凍らない (創元推理文庫)

ジェリーフィッシュは凍らない (創元推理文庫)

特殊技術で開発され、航空機の歴史を変えた小型飛行船〈ジェリーフィッシュ〉。その発明者であるファイファー教授を中心とした技術開発メンバー6人は、新型ジェリーフィッシュの長距離航行性能の最終確認試験に臨んでいた。ところが航行試験中に、閉鎖状況の艇内でメンバーの一人が死体となって発見される。さらに、自動航行システムが暴走し、彼らは試験機ごと雪山に閉じ込められてしまう。脱出する術もない中、次々と犠牲者が……。21世紀の『そして誰もいなくなった』登場! 精緻に描かれた本格ミステリにして第26回鮎川哲也賞受賞作、待望の文庫化。

千街晶之さんが解説で書いているように、「あまりに前例が多過ぎるという点では不利ともいえる条件の中、『そして誰もいなくなった』系ミステリを投じて、全選考委員(北村薫近藤史恵辻真先)に絶賛され、受賞の栄冠に輝いた」という、実力作。本格ミステリは当然としても、感覚的には『金田一少年の事件簿』でも頻出する、この系統のミステリへの挑戦は、ミステリ初心者にも、そのトライの困難さが理解しやすい。


事件開始から順を追って話が進む「事件編」と事件後の「推理編」が並行して進む構成が面白く、推理の材料が良いバランスに披露されて興味が持続する巧い仕掛けになっている。
読み始めて一番意外だったのは、舞台がU国(アメリカ)であること。したがって登場人物は基本的には米国人だが、一名だけ「J国」出身の九条漣という刑事がいる。かといって、漣が探偵役というわけではなく、このシリーズの探偵は、赤毛の女性刑事マリアで、漣はあくまでワトソン役ということになる。
登場人物が日本人ではないことで、爽やかという言い方は変だが、じめじめしたところがなく、純粋にトリックに関心が行く作品となっている。


また、クローズドサークルの舞台は、現在存在しないテクノロジーを前提とした「ジェリーフィッシュ」という特殊な気球であり、一種のSFでありながら、事件が起きるのは1983年というチグハグさも面白い。コンピュータを用いたジェリーフィッシュの「自動制御」は、物語の重要な要素となるが、この時代のコンピュータは「パーソナル」な領域にまでは届いておらず、当然、携帯電話も普及していない。既に2作の続編が出ているが、そちらではどんな「新技術」が登場しているのか気になる。
なお、「ジェリーフィッシュ」の新技術をめぐるあれこれは、実験ノートの重要性の話も含め、何となく小保方さんのSTAP細胞の騒動を思い起こさせた。


さて、肝心のトリックはどうだったかと言えば、これは結構分かりやすくて好きなトリックだ。「本格」にこだわると、地味で理屈っぽく派手さがない解答になってしまうのでは、という勝手なイメージがあり、故に自分はバカミスを好むのだけれど、このトリックは派手で良い。

そして誰もいなくなった』への挑戦でもあると同時に
十角館の殺人』への挑戦でもあるという。
読んでみて、この手があったか、と唸った。
目が離せない才能だと思う。―綾辻行人

惹きの文句では、綾辻行人自身が『十角館の殺人』を挙げているが、綾辻行人なら、「あの作品」の方に似ているトリックだと思う。読んだときはそのトリックの馬鹿馬鹿しさにちょっと笑ってしまった、久しぶりに「あの作品」を読みたくなった。(ジェリーフィッシュも「あの作品」もバカミスではありませんが…)ということで、肝心のトリックを書かないことで、読書記録としての意味をなさずに、あとで後悔をすることも多いこのブログだが、この作品は絶対に覚えてられると思う。


最後に言い添えると、作品のキモにあたる「ジェリーフィッシュ」が怪しく光るこのカバーは、海外ミステリっぽくて大いに物語の雰囲気を盛り上げてくれ、大好き。調べてみると影山徹さんは、絵本『空からのぞいた桃太郎』では作者としてクレジットされており、他にも色々な作品を手掛けている(メジャーどころでは上橋菜穂子『鹿の王』)ようで、しかも、画風も様々。影山徹さんを追いかけて本を読みたくなるくらい。なお、ジェリーフィッシュも単行本と文庫本では異なり、どちらもやっぱりいいなあ。まずは、影山徹さんのカバー絵目当てという意味でも、続編を読んでみたい。

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グラスバードは還らない

グラスバードは還らない

ブルーローズは眠らない

ブルーローズは眠らない


なお、解説ではクリスティの『そして誰もいなくなった』の特徴を「事件関係者全員が皆殺し」+「クローズドサークル」として、この系譜に連なる作品をいくつか挙げている。名前の挙がるミステリ作品は以下の通り。自分は近藤史恵は『サクリファイス』1冊しか読んでおらず、本格ミステリのイメージが全くなかったので、ちょっと気になる。あと、菅原和也の作品は講談社タイガと知り、俄然読みたくなった。

凍える島 (創元推理文庫)

凍える島 (創元推理文庫)

あなたの罪を数えましょう (講談社タイガ)

あなたの罪を数えましょう (講談社タイガ)

大量廃棄、大量消費を支える「私たち」~仲村和代、藤田さつき『大量廃棄社会』

大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実 (光文社新書)

大量廃棄社会 アパレルとコンビニの不都合な真実 (光文社新書)


この本では、主に日本の問題として、アパレル業界とコンビニ・食品業界における大量廃棄について、いくつもの事例を挙げながら説明される。例えば、日本で供給されている服の4枚に1枚(1年間に10億枚)は、新品のままで捨てられているという。また、日本で1年間に発生する食品ロスは約646万トン、一人あたりお茶碗一杯分のご飯を毎日捨てている計算になるという。そんな中で、この本は、消費者が普段、身に着けたり、食べているものが、どのように誰によって作られているのか、廃棄されているかに迫り、その向こうに広がる遠い世界を、身近に感じてもらおうとしている。(解説、国谷裕子さんの言葉の引用)

国谷さんが解説に書かれている通り、「17の目標の達成によってSDGsが目指す未来に大量廃棄社会は存在しえない」。そして、大量廃棄社会の問題は「私たち」の生活に密接した「消費」のあり方で、その方向性を変えることが出来る、という意味で常に意識し続ける必要がある問題なのだろう。


本の中で、強く印象に残った部分が2か所ある。
ちょうど、映画を観る直前にこの本を読んでいたこともあり、『Us』が意図していると思われる「日々の生活は、知らない誰かの犠牲のもとで成立している」ということを強く感じた部分だ。

ひとつは、「はじめに」でも描かれる2013年4月にバングラデシュで起きた、8階建てのビル「ラナプラザ」の崩壊事故。
「世界の縫製工場」といわれるバングラデシュの縫製業の労働環境は劣悪で、ラナプラザは、違法に建て増しされた危険な建造物だった。起こるべくして起こった事故では、その工場の中で働く人が千人以上犠牲になったという。
利用したことがある、という程度ではなく、むしろ頻繁に利用するユニクロなどの商品の価格の安さは、こうした国の工場なしには成り立たないことを考えると、自分の生活に直接関係する出来事だ。


もうひとつは、驚いたことに日本国内、しかもこちらも頻繁に訪れる岐阜の話で、1993年に始まった、悪名高き「技能実習制度」に関する話。
もともとこの制度は、まさに岐阜のアパレル縫製業者のための救済措置で作られた制度だといわれている(p88)というのだ。つまり、アパレルが生産拠点を海外に移していく中、家族経営のような国内の零細業者が存続できるように「研修」という名目で、安く外国人の労働力を確保できる制度として、始まった。そして、2017年に入国管理局が「不正行為」(賃金不払い等)を認定した183の業者のうち、繊維産業が94を占め、そのほとんどが縫製業者だったという。

こういった事実を知ったからといって、直ちに自分が脱ユニクロを宣言できるか、といえば、それは難しい。ただ、こういった問題を解決しようと、色々な人が色々な取り組みをしていていることを知り、少しずつでも、自分の「消費」を見直していくことで、「自分ごと」として大量廃棄社会を終わりにしていく必要がある。


例えば、紹介されている「10YC」では、服の製造工程や原価を「透明」にしていくような取り組みを行っているという。
HPを見てみると、着古した服の「カラーリフォーム」(染め替え)などのサービスもあり、考え方としては合理的だ。ちょうど、これを書いている9/23も現地イベントがあったようだが、こういったところに行って実際に商品を見てみたい。
10yc.jp


また、2015年にドイツで実施された「Tシャツの自動販売機」のワークショップの話も興味を惹かれた。

Fashion Revolutionは、Tシャツを購入したい人々に自分の持っている洋服がどのような労働条件で作られていたかについて考えてもらうきっかけを作ろうと、購入前にまず劣悪な環境を説明した動画を再生してから「購入」するか「寄付」するかの2択を迫る自動販売機を設置した。その結果、ほとんどの人はTシャツを購入せずに劣悪な労働環境を改善するための寄付をした。
【ドイツ】2ドルでTシャツを買える自動販売機。誰も買わない理由とは? | Sustainable Japan

その様子を映した動画がこちらで、泣きだす人がいるのも分かる。


The 2 Euro T-Shirt - A Social Experiment



突如、映画の話に戻るが、『アス』では、同じ米国(US)人であっても、そういった劣悪な労働環境を強いられている人がいる、ということを暗に示していたが、彼らを、「私たち」と同じ顔をした「ドッペルゲンガー」として登場させているところが上手い。彼らは、他人ではなく、「私たち」であったかもしれないのだ。Tシャツ1枚を買う、という、小さな額の消費であっても、製造過程にいる「私たち」に目を向けなければいけない。
普段だったら、本を読んで知識を蓄えただけで終わっていたかもしれませんが、映画『アス』を観たことで、より身近に、差し迫った問題として考えさせられた読書となりました。
SDGsに関する本は、定期的にしつこく読んで自分を律していきたいと思います。

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吉岡里帆主演映画のノベライズ~豊田美加『見えない目撃者』

見えない目撃者 (小学館文庫)

見えない目撃者 (小学館文庫)

視力を失った、そして事件を”目撃”した。

警察学校の卒業式の夜、事故で視力と最愛の弟を失った浜中なつめ。人生に絶望する中である日、車の接触事故に遭遇するが、後部座席からは少女の叫び声が聞こえてきた。なつめは警察へ赴き、自分の“目撃”した情報を提示して誘拐事件だと訴えるが、捜査は打ち切りに。もうひとりの目撃者である少年、春馬を探し出し、ともに少女の行方を追ううちに、家出少女を救う“救様”の存在を知る。そして四体の惨殺死体が発見され、少女連続殺人事件が浮上。真相を追うなつめは殺人鬼から逃れ、少女を救えるのか!?五感を震撼させるノンストップ・スリラーをノベライズ。


ちょうど9/20から公開している吉岡里帆主演の同名映画のノベライズで、珍しく知人に貸してもらった本。そういうことは滅多にないし、すぐに読めそうだったので、折角なので順番待ちしている本の行列に割り込んで読み終えた。

面白かった!けど…。

読む前に少し調べると、映画は韓国映画のリメイクで、この文庫本は原作小説というわけではなく、ノベライズ。ノベライズを読むのは初めてかもしれない。
ということで、キャストを確認して、主人公なつめは吉岡里帆で、スケボー少年・春馬を高杉真宙で、この二人についてはイメージを完全に固めてから読み始めた。ところで、1996年生まれの高杉真宙は、自分にとっては、仮面ライダー鎧武の龍玄。6年前の鎧武では17歳でリアル高校生だったが、今も賭けグルイやこの作品では高校生役。対する吉岡里帆は1993年の早生まれなので、4学年上に当たり、年齢差としてはちょうど良いキャスティングなのかも。



吉岡里帆主演『見えない目撃者』予告



さて、この映画はR15指定で、何故なのかと思ったら、少女連続殺人事件の映像がかなりどぎついようだ。誰もが口にするように、映画『セブン』と設定が非常に似ている部分があるので、確かにさもありなんとは思うが、映画としては、そこに手を抜かなかったことを評価するコメントも見た。ストーリーとしては、「ノンストップ・スリラー」の言葉通り、ダレる部分はほとんどなく、緊迫感を持ったまま最後まで進むし、展開にそこまで無理がない。ハンディキャップを背負ったなつめが活躍するさまも読み手としては気持ちが良い。

ただ、ノベライズを読むと、やはり映画で観るべき作品だろう、と思う。何より、吉岡里帆が「目が見えない」という役をどう演じるか。そこが映画としての一番のポイントだからだ。R15指定の理由となっているグロテスクな映像が、どの程度必然的なカットなのかも、ノベライズを読む限りでは全くわからない。


ということで、この本が「原作小説」ではない以上、映画を先に観るべき作品だろう。逆に言うと、こういったノベライズは誰が読むのか、とも思えてくる。*1例えば、 同じく映画を観た人が買っているのだろう『天気の子』や『君の名は』の小説版は、作品世界をより突っ込んで知りたい人向けという気がするが、こういったサスペンス映画のノベライズには、掘り下げたい作品世界はあるだろうか。ちょうどストレスなく見終えることのできる映画であるからこそ、何度も読み返したいとは思えない気がするし、小説を読んでしまったら映画を観ないように思う。いや、そうではなく、今回、この本を貸してくれた人のように、単純に予告編を見て興味を持ったが、見に行く時間が無かったり、映画を観るほどではない、という人たちが買うのを見込んでノベライズを出しているのかもしれない。もしかしたら、書店の平積みによる映画の宣伝効果のみを狙っているのかもしれない。
ここら辺は、純粋に分からない。

さて、今回ひとつ注文をつけたかったのは、ノベライズならではの情報をもっと載せるべきだということ。具体的には、先ほども書いた「目が見えない人」についての説明。例えば、この作品では、なつめ(吉岡里帆)が使う携帯電話が話の大きなポイントになっている。自分は目の見えない人がどのような形でタッチパネルを操作しているのかにとても興味がある。(おそらく自分は目隠しをしてスマホの操作は出来ない)中途失明者の人ならではの苦労もあるだろうし、盲導犬との話も含め、本の形式であれば、追加エピソードを入れても良かったと思う。

ということで、ネタバレは避けましたが、映画としては絶対に面白いだろうな、と思います。既にある映画のリメイクということで、より良いものを作ろうとされているだろうし、吉岡里帆高杉真宙という美男美女の組合せも大画面で堪能したい。自分は、まずは、もとの韓国映画『ブラインド』(2011)に当たってみたいですね。あと、中国版リメイク(2016)も興味あり。


ブラインド(字幕)

ブラインド(字幕)

*1:作者の豊田美加さんは多くの映画のノベライズをされている方のようだ

作品の意図を理解するということ~『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』VS『アス』

9月に入って2本の映画を観た。

クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』


映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』予告 8月30日(金)公開


いつもはストーリーには出来るだけ触れないでおくのがセオリーなんだけど、今回は、映画を観る前に、宇多丸タランティーノへのインタビュー(ラジオ番組の特集)を聞いていた。それが大当たり。

宇多丸)で、先ほどから言ってるそのシャロン・テートが本当にキュートに描かれている。マーゴット・ロビーさん演じるシャロンが本当にキュートで愛らしく描かれている一方で、マンソンのファミリーの若者たちっていうのはこの作品だとただただ、本当に時代の産物っていうか。浅薄な、浅はかな正義感を振り回すがゆえの愚かな存在として描かれている。
僕はここにその、要は「シャロン・テート」って検索した時に出てくるのはやっぱりこの事件のことばっかりで。彼女がどう生きたのか、どんな人だったのかっていうことではなく、「マンソンファミリーの被害者」としてしか出てこないというこの残酷さというか、この現実に対して、タランティーノさんなりに怒りを持って。「記憶するべきは加害者の方じゃないだろう?」っていう風にメッセージしてるように感じて。そこがすごく僕は胸を打たれんですけども。

クエンティン・タランティーノ監督に宇多丸がインタビュー!(吹き替え:立木文彦)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』2019.08.29


インタビューを聞いても聞かなくても、シャロン・テート事件*1のことは予習必須とされるこの映画。その予習だけだったら彼女を「被害者」と決めつけて鑑賞していたかもしれない。
しかし、宇多丸評があったからこそ「シャロン・テート」のキュートさにフォーカスを当てて観ることになり、だからこそ、ラストの展開に救われ、涙した。そうでなければ、あの、とても馬鹿馬鹿しく残酷な展開に、驚きこそすれ、幸せな気持ちでの泣き笑いは出来なかったかもしれない。


ブラピとディカプリオの共演に、自分にとって「映画を観る」というのはまさにこんな感じ、と感じたのも高評価の理由だ。
今年前半で最も面白かった『スパイダーマン:スパイダーバース』は、映像表現の新しさが魅力で、『ワンスアポンアタイムインアメリカ』のような古臭さはない。そもそもアニメだ。それ以外にも、面白かった映画として、『主戦場』は、インタビューで構成されるドキュメンタリー、『来る』はジャパニーズホラー、と、メジャー映画のど真ん中を外した映画を自分は好む。
それでも、自分が大学生のときに観た映画は、やはりブラピやディカプリオなど、ハンサムなハリウッドスターが活躍する映画で、その「ど真ん中」さには特別な気持ちを持つ。
今回の映画で言えば、ブラピが女の子を助手席に乗せて運転したり、喧嘩を(ブルースリーと笑)したり、ディカプリオが銃を撃ったり、そういうシーンがあるだけでドキドキする。なんか「映画を観ている」という感じがする。そういえば、映画を観る、といえば、ドライブインシアターの場面があったが、自分はドライブインシアターがどんな場所なのかを映像で見たのは初めてかもしれない。


また、初共演の二人はそれぞれベクトルの異なるカッコよさを持っていた。
ブラッド・ピット(クリフ)は、屋根の上でテレビアンテナを直す時に見せるムキムキの上半身。そしてブルース・リーにも勝てる喧嘩の強さ、かつての妻との悪い噂から感じられるミステリアスな感じ、ヒッピーの可愛い少女に見せる愛嬌。宇多丸評でも「ブラピ史上最高級のカッコ良さ」と言っていたがそれも頷ける。
ディカプリオ(リック・ダルトン)はブラピとは違って将来に悲観的で、何と言っても台詞が覚えられなくて癇癪を起こすシーンが最高過ぎる。そして、イタリアで儲けて「太って帰国」という場面で本当に体格が一回り大きくなっているという、さすがの俳優魂にも驚いた。


最初に戻るが、過剰で無意味でありながら、幸せな空気に包まれて終わるこの映画。その核となる作品意図を、映画を観る前に知っていたのは本当に良かったと思う。映画を観て、解釈に悩んだりするのも楽しいが、その意図をあらかじめ知っていることで、安心して鑑賞することが出来たし、清々しい気持ちで見終えることができた。

ジョーダン・ピール監督『アス』


『アス』予告編90秒

対する『アス』。こちらは、情報を基本的には入れずに観に行ったが、本当に面白い映画だった。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』よりも印象に残るシーンは多いし、主人公のアデレード(レッド)は特にだが、俳優陣は特徴的で、ホラー映画としても、最後まで気の抜けない怖さがあった。


また、『ワンス・アポン~』もタランティーノ映画らしく、音楽が効果的に使われていたが、『アス』も、スマートスピーカーへの「Call the Police!(警察を呼んで)」という呼びかけに、N.W.A.の「Fuck Tha Police」が流れるシーンが印象的だった。同じく、怖いシーンに流れる「グッドヴァイヴレーション」は、その後もしばらく耳に残った。
「彼ら」の赤い服と植木ばさみのコスチュームも印象的だし、やはり、全く同じ顔が二人いるというのは絵的にも怖い。海辺の遊園地も、砂浜から入るミラーハウスも、日本にはあまりないからこそ印象に残った。


しかし、作品に込められた意図がわかりにくい。いや、わかるのだけれど、直感的に伝わってこない。監督のインタビューなどを読んで、改めて考えると…

AIスピーカーが象徴するような便利でリッチな都市生活は、誰かの不幸を犠牲にして成り立っている。
自分と同じ背格好、同じ顔をした人間が地球の裏側で、別の国の幸福な生活のために貧困を強いられているかもしれない。

この映画の中で登場するドッペルゲンガーたちが示しているのはそういうことだろうと思う。
しかし、ドッペルゲンガー側の殺戮が怖すぎるのと、彼らがこだわる(1986年に実際に行われた)Hands Across Americaというアクション*2の象徴するものが(特に米国以外の)視聴者にはわかりにくいことから、意図は伝わらない。言い換えると、映画を観ているときの感情の動きと、作品解釈がリンクしない。
前作『ゲットアウト』は、そこがリンクしていた。映画を観て感じた恐怖は、そのまま社会的な問題意識に直結していた。
映画ではないが、同じく差別の問題を扱った『デトロイトビカムヒューマン』というゲームも、ゲームをプレイしながら、人間→アンドロイドへの差別に対するやるせなさを直接感じるゲームになっていた。
またまた話は飛ぶが、高校演劇全国大会2019でグランプリを取った逗子開成高校『ケチャップオブザデッド』は、マイノリティーなどの弱者のメタファーとしてゾンビを扱ったことになっているが、自分はNHKで放送された演劇を大変面白く鑑賞したが、その「作品意図」についてはほとんど考えることは無かった。『ケチャップオブザデッド』は、そういう「弱者としてのゾンビ」というところが作品として評価されたという話を聞くと、もしかしたら、自分は、思いやりを感じる良心回路的な部分が発達していないのかもしれない、という気持ちにもなる。

ただ、監督インタビューを読み直すと、「集団としてのドッペルゲンガー」というのは確かに面白い問題提起で、掘り甲斐がある作品であることは確かだ。

集団としてのドッペルゲンガーを考えるのは、社会を内側から省みることだと思う。それは今、必要なことだ。ドッペルゲンガーは通常、人間のダークサイドや、暗い秘密について探求したものだと思う。それを集団に当てはめた時、『どんな集団だろう?』『どんなダークサイドだろう?』と考え始める。私たちは互いを必要とするどんな罪をともに犯したのだろうか?と。興味深い問いだ」
アフリカ系監督が『アス』で炸裂させた、「私たち」のダークサイドの怖さ:朝日新聞GLOBE+

下半期映画ランキング

さて、今年は映画をたくさん観ているので、観る度に脳内ランキングを更新している。ここまで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と『アス』の感想を書いてきたが、作品意図が伝わる伝わらないかと、映画の評価は別物であるようにも思える。ただ、やはり『アス』は、自分にとって思い入れの強い『ゲットアウト』を期待して映画館に行ったことを考えると若干評価を下げてしまう。ということで、今年下半期(7月以降)に観た映画のランキングはこの通り。あと5本くらい観られたら幸せだなあ。

  1. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
  2. 工作 黒金星と呼ばれた男
  3. アス
  4. 天気の子
  5. 新聞記者


上半期はこちら。『スパイダーバース』が圧倒的に面白かった。

  1. スパイダーマン:スパイダーバース
  2. 主戦場
  3. 来る
  4. コードギアス 復活のルルーシュ
  5. ギルティ
  6. ゴジラ KOM(寝てた、ゴメン)
  7. 名探偵ピカチュウ
  8. 劇場版コナン紺青の拳
  9. バースデーワンダーランド


そういえば、今回観た2作はサントラが聞きたくなる映画でしたね。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド オリジナル・サウンドトラック

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド オリジナル・サウンドトラック

アス 【帯&解説付輸入盤国内仕様】

アス 【帯&解説付輸入盤国内仕様】

*1:ちなみに、自分は、シャロン・テートの名前は、ビーチボーイズ関連で知っていたが、事件の詳細については今回映画前に調べるまで明確に認識していなかった。

*2:1986年8月25日に開催されたチャリティーイベント。人々が15分間にわたって手をつなぎ、アメリカ全土を横断する“人間の鎖”を作った。参加者の寄付金などがアフリカに寄付された。

重い内容の漢字二文字タイトル対決!〜伊岡瞬『代償』VS葉真中顕『絶叫』

期せずして漢字二字タイトルのミステリーを2冊続けて読んだ。どちらもAmazonでのレビュー数が80以上の人気作。
共通点はタイトルとレビュー数だけでなく、2冊とも、主人公の子供時代から物語が始まり、その半生を追うことで、特殊な人間関係や、事件が起きてしまった理由が分かる構成になっていること。
以前、面白いと思える小説の重要ポイントとして「実在感」、つまり、登場人物の感情変化や発言・行動が実在するように思えるかどうかを挙げたが、そこが丁寧に描かれており、どちらも「絵空事」感がなく、現実と地続きの内容と感じられた。

伊岡瞬『代償』

代償 (角川文庫)

代償 (角川文庫)

平凡な家庭で育った小学生の圭輔は、ある不幸な事故をきっかけに、遠縁で同学年の達也と暮らすことに。運命は一転、過酷な思春期を送った圭輔は、長じて弁護士となるが、逮捕された達也から依頼が舞い込む。「私は無実の罪で逮捕されました。どうか、お願いです。私の弁護をしていただけないでしょうか」。裁判を弄ぶ達也、巧妙に仕組まれた罠。追いつめられた圭輔は、この悪に対峙できるのか?衝撃と断罪のサスペンスミステリ。

1冊目の『代償』は、先に読み終えたよう太(中3)に聞くと「読後感が最悪…ではなく、最初からずっと胸糞悪い小説」という感想だったが、読み終えてみるとまさにその通り。
この展開の元祖が何なのかは知らないが、前半の小中学校時代は、『ジョジョの奇妙な冒険』第1部で、ジョースター家がディオ父子に侵食されていく、あのパターンで辛い。(大好きな展開…笑)
そして後半、周囲の手助けもあり何とか達也親子から逃れて大学を卒業した主人公・圭輔は弁護士になり、達也が圭輔に弁護を依頼する、という、圭輔の側に圧倒的に有利な展開。にもかかわらず、『羊たちの沈黙』のレクター教授さながら留置所の中から事態を掌握する達也は、小学生時代と変わらず圭輔を上から見下す態度で、胸糞悪さは健在。(裁判官裁判の法廷で、突如、挙げた証拠の突飛のなさ、下品さが達也ならでは、と感じられるところは、それまでの積み重ねがあってこそ。)
ここまで人の心を操るのが得意な悪人の造形は難しいように思うが、この小説での実在感、納得感はすごい。
それにしても、やはり愛する人が傷つけられる展開は本当に嫌だ。だからこそ、達也に対する憎悪は強くなり、その分、物語にぐいぐいと引き込まれていく。
なお、huluでドラマ化された際の圭輔役は小栗旬、達也役は高橋努。達也役はやや思っていたのとは印象が違うが、どのように演じたのか気になる。
https://www.hulu.jp/static/daisho/sp/


ということで初めて読んで大当たりだった伊岡瞬。次は、同じく漢字二字タイトルの『悪寒』を読む予定。

悪寒 (集英社文庫)

悪寒 (集英社文庫)


葉真中顕『絶叫』

絶叫 (光文社文庫)

絶叫 (光文社文庫)

マンションで孤独死体となって発見された女性の名は、鈴木陽子。刑事の綾乃は彼女の足跡を追うほどにその壮絶な半生を知る。平凡な人生を送るはずが、無縁社会ブラック企業、そしてより深い闇の世界へ…。辿り着いた先に待ち受ける予測不能の真実とは!?ミステリー、社会派サスペンス、エンタテインメント。小説の魅力を存分に注ぎ込み、さらなる高みに到達した衝撃作!

こちらも初めて読む葉真中顕。600ページという分厚さに見合った圧巻のミステリー。
裏表紙には、無縁社会ブラック企業とあるが、主に取り上げている社会的なテーマとして、生活保護ビジネス、偽装結婚孤独死と、現代日本の社会問題てんこ盛りの内容。
しかも、解説で水無下気流さんが指摘するように、主人公・陽子の人生を辿りながら、女性の生き方、もっと言えば「女の幸せ」の問題に深く切り込む。生保レディや風俗嬢の職業エピソードは、ややデフォルメ感も強いが、おひとり様ブームや婚活ブームなど、女性をめぐる社会の流行と、それに対する陽子の思考はとてもリアルに感じた。
自分は、葉真中顕(はまなかあき)という名前もから考えても、絶対に作者は女性だろうと思っていたが、1976年生まれの男性で、むしろその女性理解の深さに嫉妬する。


さて、自分にとっての、この物語のもう1つの特徴は同時代感、同世代感。
主人公は1973年生まれで自分と1つ違いということもあり、就職氷河期阪神淡路の震災、オウム事件、東日本の震災など、さまざまな事件を同じくらいの年齢で経験していることから、他人事に思えない。
また、登場人物に言わせるサヨク批判、ネトウヨ批判も的を射ており、この辺りも同時代を生きている感じがある。


というように、社会派ミステリーとして申し分の無い内容で、序盤から別々に捜査が進んでいた『江戸川NPO法人代表理事殺害事件』と『一都二県連続不審死事件』の2つの事件が終盤で繋がる構成もよく出来ている。
しかし、それだけでは無く、ミステリーの核となる謎解き部分も読ませ、ここに自分は最も心を動かされた。
話の運びは、綾乃のシーンは3人称、陽子のシーンは何と2人称というトリッキーな文体で進む。つまり、陽子の経験は全て「陽子、あなたは、〜したのでした。」というような書き振りで語られ、読者はどうしても、この語り手が誰か気になる。
結局、語り手については全605ページ中574ページ以降に明かされていくことになり、『絶叫』というタイトルに込められた意味も含め、ラストでの、この着地が素晴らしく、必然性が高い。
ミステリーとしての満足度で言えば、ここ数年でも1、2を争う内容だった。葉真中顕さんの他の作品も読んでみたい。(お、『絶叫』もドラマ化されてるのですね。陽子は尾野真千子、綾乃は小西真奈美小西真奈美はちょっと違う感じもするけど、こちらも面白そう。)

連続ドラマW 絶叫 DVD-BOX

連続ドラマW 絶叫 DVD-BOX

凍てつく太陽

凍てつく太陽


なお、水無田気流さんの解説は、何か他の文庫本でも見た覚えがあるが、話の筋がコンパクトに整理され、かつ、納得感のある深読みがなされていて素晴らしかった。次にどこかの文庫の巻末で出会うときが楽しみです。

知ってたつもりで全く知らなかった〜加藤直樹『九月、東京の路上で』

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響


話題になっていたので、この本のことは何年も前から知っていた。が、関東大震災時の朝鮮人虐殺という史実は知っているし、歴史資料的なものが不得意というそれだけで読むのを避けてきた。
実際、いざ、この本を前にして、パラパラと頁をめくってみて、目次の、多くの場所で起きた出来事の羅列を見るにつけ、あ、もしかしたら、読み切れないかも…と思ってしまった。
ところが、読み始めると、この本の持つ力に圧倒され、よく出来た構成にも助けられ、あっという間に読み終えてしまった。


まず、110頁にも書かれているように、「関東大震災時の朝鮮人虐殺は、東京東部のごく狭い地域で起こったことだと思っている人が多い」がそうではない。
自分がまさに「狭い地域」のことだと思い込んでいた典型で、そういった人たちに向けてこの本は書かれていると言える。
この本は1章、2章は9/1から1日、2日と経って状況が進む様子が時系列で書かれているが、そこが巧みなところで、時系列が進むことにより、被災地からの避難民が外側に移動するため、地理的な広がりを見せる。
1章では、焼失地域(浅草、日本橋、神田、京橋、本所、深川)から、江東区など東京都の東部の話が出てくる。このあたりまでは何となく聞いたことのある話だったが、2章で、虐殺が地方(熊谷、寄居、高円寺、小平)に広がるのを見ると、全く知らなかった「本当は恐ろしい」日本人の話が現れてくる。
自分の認識は、虐殺は、震災の惨状にパニック化した群衆が起こしてしまったというものだったが、読むにつれ、それは日本人に甘い、甘過ぎる認識であることを知ることになる。


例えば、虐殺のきっかけとなった、朝鮮人暴動、朝鮮人襲来のデマは、軍や警察がそれを広げるのにむしろ加担していたという事実(1章)を、自分は全く知らなかった。
また、地方の話は主に9/4以降の話となるが、震災から3日以上経って、直接被災していない場所、つまり地震によるパニックという要因が少ない場所でもこんな風になってしまうのかと唖然とした。
例えば、寄居の飴屋の男性朝鮮人・具さんのエピソードを読んでも、虐殺する側の論理が明らかに破綻しているし、理性的でない。そこには、まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」の精神、そして、「朝鮮人は殺してもいい」という狂気だけがある。


秩父に近い埼玉の寄居でも、東京からの避難民が持ち込んだ流言に、村の自警団は戦々恐々としている。

だが寄居の隣、用土村では、人々は「不逞鮮人」の襲撃に立ち向かう緊張と高揚に包まれていた。事件のきっかけをつくったのは、その日夜遅く、誰かが怪しい男を捕まえてきたことだった。自警団は男を村役場に連行する。ついに本物の「不逞鮮人」を捕らえた興奮に、100人以上が集まったが、取調べの結果、男は本庄署の警部補であることがわかった。

がっかりした人々に対して、芝崎庫之助という男が演説を始める。「寄居の真下屋には本物の朝鮮人がいる。殺してしまおう」。新しい敵をみつけた村人たちはこれに応え、手に手に日本刀、鳶口、棍棒をもって寄居町へと駆け出していった。p100
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/1923962.html?m=1

このような自警団の状況について、本書では、山岸透『関東大震災朝鮮人虐殺80年後の徹底検証』から、以下のような文章を引用している。

自警団、自警団員の中には、自警を超えて、虐殺、朝鮮人いじめを楽しむ者も出てきた。前述で見たような殺し方は、もはや自衛のためのものではなく、社会的に抑圧されていた者が、その屈折した心の発散を弱者に向けるようになったものである」「危険な朝鮮人ではないということを十分に知った上での暴虐であり、自分たちのストレスの発散を求めた、完全な弱い者いじめになっている」「対象は安全に攻撃できる、自分より弱いものであればいいということになる」
p90

これを読んで、「そうは言っても90年前のこと」と捨て置けない空気が2019年9月の日本には満ちている。
とはいえ、本書を読むと、このような、地方での不合理な虐殺は、さまざまな場所で起きていることを知り、何故?の気持ちが高まっていく。


次に強烈な印象を与えたのは習志野収容所に関するもの。
民衆による虐殺行為に、これはまずい、と感じた軍や警察は、自警団による虐殺をこれ以上拡大させないために、朝鮮人習志野収容所に収容し、集中隔離するような対策を取る。
…のだが…。

ところがその間、収容所では不可解なことが起きていた。船橋警察署巡査部長として、習志野収容所への護送者や収容人員について毎日、記録していた渡辺良雄さんは、「1日に2人か3人ぐらいづつ足りなくなる」ことに気がつく。収容所附近の駐在を問いただしたところ、どうも軍が地元の自警団に殺させているのではないかという。p140
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/75.html?m=1

リンク先を読んで頂くと分かる通り、刀の切れ味を確かめるために、収容所から朝鮮人を「貰ってくる」ようなことが行われたという。狂気の沙汰としか思えない。
また、習志野に護送された朝鮮人の中から、自警団のえじきに差し出された人たちがいたこともエピソードとして書かれている。(差し出された16人)

東日本大震災のときに、「暴動・略奪の起きない素晴らしい国」として持ち上げられたのと同じ国とは思えない。


さらに追い討ちをかけ、自分の弱った心にトドメを刺したのは、小・中学生による作文だ。

朝鮮人がころされているといふので私わ行ちゃんと二人で見にいった。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによってみた。すると頭わはれて血みどりになってしゃつわ血でそまっていた。皆んなわ竹の棒で頭をつついて『にくらしいやつだこいつがいうべあばれたやつだ』とさもにくにくしげにつばきをひきかけていってしまった」(横浜市高等小学校1年【現在の中学1年】女児)

「夜は又朝鮮人のさはぎなので驚ろきました私らは三尺余りの棒を持つて其の先へくぎを付けて居ました。それから方方へ行って見ますと鮮人の頭だけがころがって居ました」(同1年女児)p129
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/blog-post_1256.html?m=1

これほど気が重くなる作文もないだろう。
また、虐殺死体が転がっているのが「ありふれた」景色だったこともうかがえる。


しかし、それにしても何故?


本書では、別途章立てして、理由の考察を行なっている。すなわち8割程度は、基本的には事実に基づいた内容のみで話を進め、解釈は出来るだけ含まずに書くことで、資料的価値を高めている。
166頁を読み進めたところでやっと「虐殺は何故起こったのか」の考察が入る。

その背景には、植民地支配に由来する朝鮮人蔑視があり(上野公園の銀行員を想起してほしい)、4年前の三一独立運動以降の、いつか復讐されるではないかという恐怖心や罪悪感があった。そうした感情が差別意識を作り出し、目の前の朝鮮人を「非人間」化してしまう。過剰な防衛意識に発した暴力は、「非人間」に対するサディスティックな暴力へと肥大化していく。
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/10/blog-post.html?m=1


この土台があり、かつ、治安行政や軍が流言の拡大に加担したことが大きいのだという。


今でも、日本の植民地支配は、韓国にとっては良かったことだと考える日本人は多いと思うが、当時から朝鮮人からの怒りを感じつつも、その怒りを「無いもの」と抑え込んでいたらしいことが、4章のさらに突っ込んだ考察を読むと分かる。
それがかえって朝鮮人への恐怖心を増大させることになったのかもしれない。
1910年の韓国併合、1919年の三・一運動、1923年の関東大震災における朝鮮人虐殺はまっすぐに繋がっている。


治安行政については、『災害ユートピア』からエリートパニックという言葉を引いて、次のように説明されている。

災害時の公権力の無力化に対して、これを自分たちの支配の正統性への挑戦ととらえる行政エリートたちが起こす恐慌である。その中身として挙げられているのは「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、噂をもとに起こすアクション」だ。

ここから見えるのは、ある種の行政エリートの脳裏にある「治安」という概念が、必ずしも人々の生命と健康を守ることを意味しないということである。それどころか、マイノリティや移民の生命や健康など、最初から員数に入っていないということである。
p194


団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

ちょうど読んでいた安田浩一『団地と移民』でも、「治安」という言葉への違和感が語られていたが、移民が多い=治安が悪いと考えるのは、日本でもパリでも同じだという。
こうした偏見は、マスコミによって増幅されることも多く、そうなると、それをさらに視聴者がSNSで拡散させる偏見拡大フィードバックが働いてしまう。


そう考えれば、「拡散しない」ことは勿論、異議を表明してストップをかけるなど、SNSの一利用者として出来ることは、無数にある。理性を保って冷静に振る舞えれば…。


しかし、ここまでの話を読んでしまうと、自分が本当に「虐殺する側」「虐殺を黙って見過ごす側」に回らないとは言い切れないのではないかと不安になってくる。
本書では、最後に〈「非人間」化に抗する〉ことの必要性を訴える。

関東大震災はそんななかで起こった。朝鮮人を「非人間」化する「不逞鮮人」というイメージが増殖し、存在そのものの否定である虐殺に帰結したのは、論理としては当然だった。

いま、その歴史をなぞるかのように、メディアにもネットにも、「韓国」「朝鮮」と名がつくすべての人や要素の「非人間」化の嵐が吹き荒れている。そこでは、植民地支配に由来する差別感情にせっせと薪がくべられている。「中国」についても似たようなものだろう。
(略)
「非人間」化をすすめる勢力が恐れているのは、人々が相手を普通の人間と認めて、その声に耳を傾けることだ。そのとき、相手の「非人間」化によらなければ通用しない歴史観イデオロギーや妄執やナルシシズムは崩壊してしまう。だからこそ彼らは、「共感」というパイプを必死にふさごうとする。人間として受け止め、考えるべき史実を、無感情な数字論争(何人死んだか)に変えてしまうのも、耳をふさぎ、共感を防ぐための手段にすぎない。


『団地と移民』でも、やはり個人と向き合うことの重要性が説かれている。2章では、中国人住民が急増した芝園団地の「芝園かけはしプロジェクト」に取り組む岡崎広樹さんはイベントについて次のように語る。

どんな形であれ、人が集まるのは良いことだ。それは防災講習会で得た結論だった。講習そのものよりも、岡崎はそこで中国人ひとりひとりの顔に接したことが収穫だと感じていた。
顔は大事だ。
数字でも統計でもデータでもない。生身の、血の通った人間が、目の前にいる。それを感じたことが重要だった。

しかし、ただ、直接知り合えばいいかと言えば、そうとも言い切れないらしい。芝園かけはしプロジェクトについて書かれた別記事では、逆効果となる場合についても触れられている。

異なる集団同士で接触が増えると相手への偏見が減るという考え方は、社会心理学で「接触仮説」と呼ばれる。ただし、接触することで対立が激しくなる場合もあり、接触仮説が成り立つには、ともに活動することが双方の利益になるような関係にあるなど、いくつかの前提条件が必要とされる。
https://globe.asahi.com/article/11578981


このことも踏まえてか、安田浩一さんは『団地と移民』の中でこのように書いている。

相手の立場になりきって心情をすべて理解することが大事なのではない。ここに住んでいる。
同じ社会でともに生きている。
違いがあっても隣人として暮らしていける。
「つなぐ」ために奔走する人々を見てきたなかで、必要なのは、そうした意識だけでよいのだと、私は考えるようになった。

精神論ではあるが、「非人間」化を避けるためには、必要な考え方だとよく分かる。
すべてを理解し合う必要はない。
違いがあっても隣人として暮らしていけることを、共通認識として持つことが、日常生活の中では重要だ。


そしてもうひとつ重要なのは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という通り、歴史に学ぶことだろう。今回この本を読むことで知り得た史実を、繰り返し咀嚼し、流言に惑わされないことも、「非人間」化を避けるのには必須だ。
その意味では、今回興味を持った、韓国併合から三・一運動までの日韓の歴史について、もっと勉強しておきたい。
本書の副題は「ジェノサイドの残響」だが、90年前にジェノサイドが起きた東京に住む者としては、こういった歴史を学ぶことは必修科目に近いかもしれない。


最近は、最悪の日韓関係と言われながらも、「韓国人は理解できない」というトーンの記事にも共感を覚えることが多かったが、この本を読んで、「この時期の日本人こそよく分からない」と思うようになった。
日本人を知るためにこそ、日韓関係の歴史をもっと学んでいきたい。