Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「かわいそう」でも「たくましい」でもない~上間陽子『裸足で逃げる』

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

  • 作者:上間陽子
  • 発売日: 2017/02/01
  • メディア: 単行本

それは、「かわいそう」でも、「たくましい」でもない。この本に登場する女性たちは、それぞれの人生のなかの、わずかな、どうしようもない選択肢のなかから、必死で最善を選んでいる。それは私たち他人にとっては、不利な道を自分で選んでいるようにしか見えないかもしれない。
上間陽子は診断しない。ただ話を聞く。今度は、私たちが上間陽子の話を聞く番だ。この街の、この国の夜は、こんなに暗い。
――岸政彦(社会学者)


『裸足で逃げる』は、刊行当時に、荻上チキのsession22で関心を持った後に、有隣堂ビブリオバトルのイベントで、友人が発表し、チャンプ本を獲ったと伝え聞き、「読む本」候補としてずっとリストに挙がっていた本。
今回、その友人が、NHKジャーナルのミニ・ビブリオバトルで改めて紹介するのを聞いたのが「最後の一押し」になって、読んでみた。
内容については、ある程度予備知識があるため、紹介では

  • それまで、小説ばかりを読んでいたが、ノンフィクションもこんなに面白いんだと扉を開けてくれた本
  • DVやシングルマザーの労苦以上に美しい文章に心を奪われる本

という話が印象に残った。(うろ覚えです)


上間陽子さんは1972年生まれという同世代の研究者で、琉球大学教育学部研究科教授の立場から、未成年の少女たちの調査・支援に携わっている。
この本では、6人の少女が取り上げられているが、調査を元にしている本としては、格段に読みやすい。
6人はいずれも未成年のときから風俗業界で働き始め、シングルマザーという共通点があるが、驚いたのは、働き始める年齢が早いこと。そもそも中学生のときに妊娠していたりするので、ある程度子どもが大きくなってもまだ未成年という人も多い。

6人の中で最も印象に残っているのは「カバンにドレスをつめこんで」の鈴乃さん。
彼女は、恋人からのDVに苦しみながらも高校生のときに産んだ女の子をその後一人で育てていく。
産まれた赤ちゃんには重い脳性麻痺があり、彼女は赤ちゃんの世話をしつつキャバクラで働き始めるも、そのあとがすごい。定時制高校に入り直し、塾で3年勉強したあと看護師専門学校3年間を経て看護師になる。
ちょうど、先日見た映画『37セカンズ』で、脳性麻痺の主人公女性と、彼女を一人で育てた母親との具体的なエピソードを思い出したりもして、読んでいて泣いてしまった。(一言だけれど、相模原の事件に言及するところもあり、そこも泣いてしまった)


特にすごいと思ったのは、彼女のケースでは、妊娠中に恋人から受けたDVがそもそも早産そして脳性麻痺の原因となっているにもかかわらず、話がそちらに向かわないところ。彼女自身、「理央(娘さんのこと)のおかげで、自分はいろいろなことを知ることができた」と娘が障害を持って生まれたことを前向きに話しているが、書き手の上間さんも(彼に怒りを向けるのではなく)同じ気持ちにならなければ、この本はできなかっただろう。


これは、たぶん、上間さんの一番の長所なのだろうと思う。
ビブリオバトルでの紹介のときに小説と比べて語られる部分があったので、意識して読んだが、似た内容の本として、プロ棋士になれなかった奨励会の人たちを追った大崎善生『将棋の子』を思い出した。『将棋の子』も、作者の大崎善生が作中に登場し、オムニバス形式で似た境遇の人たちに話を聞いていく本で第23回講談社ノンフィクション賞受賞作だが小説に近い。
しかし、『裸足で逃げる』は、調査対象の少女たちへの寄り添い方が、それとは大きく異なる。小説であれば作者が面白さを抽出して付加するだろうが、それはしない。フィールド調査をまとめたものであれば、分析や問題提起がメインになるだろうが、この本の中ではそこへの言及は極端に少ない。
あくまで主役は少女たちで、上に例を出した鈴乃さんのようなスーパーマンではなく、「ダメな女の子」であっても、方言交じりの会話文が多めの文章もあって、それぞれの人たちの人柄がそのまま伝わる文章になっている。


もう一つ例を出すと、「さがさないよ、さようなら」で、3年間「援助交際」をしていた春菜の話は、彼女に売春行為をさせていた元カレにまだ気があるという話で終わる。(上間さんは彼女とはその後連絡が途切れてしまう)
普通に考えたら、そんな男やめておけ、ということになるのだが、そうならないのが、『裸足で逃げる』の特徴だと思う。

この辺は、シノドスの対談で岸政彦さんが述べている感想の通りで、通常なら、岸さんが書いている通りの反応で「失敗」してしまうだろう。

僕がいつもすごいなと思うのは、上間さんのアドバイスって具体的なんですよね。「お前にも尊厳があるんだ!」なんて絶対に言わない。「この交差点まで逃げてきてね」、「このファミレスは24時間やっているからここに来てもいいよ」とか、その子がすぐ実行できそうな方法を提示するんですよね。今、被害にあっている子に対して、「お前には尊厳がないのか」、「お前も個人として自立するべきだ」なんて言っても、それができないから悩んでいるわけなので。

僕も昔、失敗したことがあって、「なんで別れないんだ!」と説教してしまったんです。「そんなやつと付き合ってたらダメだ」と言えば言うほど、逆に頑なになってしまうんですよね。それは「その男と付き合っているお前がバカなんだ」というメッセージになってしまう。

岸さんが語るように、相手の気持ちに寄り添うには、具体的な言葉がけや話の聞き方などのテクニックが必要なのだろうが、何よりも大切なのは、他者に対する想像力なのだろう。(このあたり、ブレイディみかこさんが語る「エンパシー」というのと近いのかもしれない。実はブレイディみかこさんは未読なのですぐに読みたい。)

これに関して、荻上チキのSession22出演時の質問メールに対する上間さんの回答が素晴らしい。

荻上 こんなメールをいただいております。 「『裸足で逃げる』の話は沖縄に限定される話でしょうか。また、私たちはこの本を読んだ後、何をすべきでしょうか。」 
上間 まず、沖縄に限定される話ではないと思います。まだ語られていない体験はどこにでもあります。特に暴力を受けた経験は、受けた方は自分が悪いと思っていたり、その体験がいたたまれなかったり、悲しかったりするので、なかったこととして封印することも多いのです。

二つ目の質問ですが、私はこの本を読んだ方に直接の支援者になって欲しいとは思いません。むしろ、自分の体験を思い出したり、自分にもそんないたたまれない時があったかもしれない、と豊かに考えること。それが、彼女たちを想像することにつながっていくと思うんです。そして、自分の経験をだれかに語りたくなるようになるといいなと思っています。もちろん制度の課題もあります。でも制度をつくるためにも、自分の想像力を拡張し、他者とのつながり方、みんなが健やかに生きられる方法とはなんであるかを考えることは必須だと思います。

先ほど書いたように、本の中での言及は少ないが、日本では「子どもの貧困」が大きな問題になっており、特に沖縄では、その問題が顕著であるという。
2020年3月現在、新型コロナウイルス関連が世界的な問題になっているが、国内でもっとも影響を受けるのは沖縄のような観光を主要産業としている地域だろう。
今回のような騒動の中、自分や家族の問題を考えるのと合わせて、遠く離れた地域の様々な世代で、それぞれの問題が生じていることに思いを馳せながら日々を過ごしていきたいと思ったのでした。
そういった「想像力の拡張」が「制度の改善」につながると信じて。



次は、上間さんと共に調査をしている打越正行さんや、シノドスでの対談が良かった岸政彦さんの本、またブレイディみかこさんのベストセラーが読みたいです。

ヤンキーと地元 (単行本)

ヤンキーと地元 (単行本)

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

  • 作者:岸 政彦
  • 発売日: 2015/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


参考

synodos.jp
synodos.jp
www.tbsradio.jp
→上間陽子さんの声はとても素敵です。荻上チキさんとの対談は、シノドスの書き起こしもありますが音声配信をお勧めします。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

浮遊感のある物語とイメージ~三崎亜紀・白石ちえこ『海に沈んだ町』

海に沈んだ町 (朝日文庫)

海に沈んだ町 (朝日文庫)

  • 作者:三崎亜記
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: 文庫


昨年見に行って以来、楽しみにしていた第23回岡本太郎現代芸術賞を見に、川崎市岡本太郎美術館に行ってきた。その中でも興味を引いた澤井昌平さんの作品として、夢の内容をイラストと文章で表した『夢日記』というのが売店に並んでいたので買ってきた。(買ったのは3巻)

これが良かった。何より夢ならではの「脈絡のなさ」と「浮遊感」。芸能人が頻繁に出てくるのも、読み手のイメージを喚起して面白い。


たまたま同時期に読んだ三崎亜紀『海に沈んだ町』も「夢日記」と似た不思議な読後感を残す。『海に沈んだ町』は、連作短編で、各短編内で、次の短編のタイトルについて言及があるという変わった仕掛けがある。それぞれの短編は、脈絡のないワンアイデアで出来ており、その設定に必然性はなく、単なる思いつきで、まさに眠っている間に見る夢のよう。
たとえば、遊園地跡地の住民が回転木馬の夢を見る「遊園地の幽霊」、自らの影がほかの誰かの影と入れ替わってしまう「彼の影」、日常的に利用していた橋が、突如粗末な木橋に改築されてしまう「橋」…。


澤井昌平さんの夢日記のイラストと同様、これらの物語にビジュアルイメージを与えてくれるのは、表紙にもなっている白石ちえこさんの写真だ。
『海に沈んだ町』のクレジットは三崎亜紀・白石ちえこの共著となっているが、それも納得で、写真の点数も多く、物語の中で果たす役割も大きい。
というのは、白石ちえこさんの写真は、ありえない風景を写しているからだ。例えば、かつて日本の人口増加策として造られた団地船(「団地船」)や、海に沈むことをわかって高架で作られた私鉄線路(「海に沈んだ町」)、高い木の上に突如発生した巣箱(「巣箱」)。これは写真のようだが、写真ではないのか?もしくはCGでいじっているのか?もちろん、普通に見える写真もあるのだが、どの写真も、不思議な、というより不穏な空気が満ちている。少し調べてみると、白石ちえこさんの写真は、油絵具で修正を加える「ぞうきんがけ」という手法を利用して作られた作品のようだ。

 

ということで、物語もイメージも大満足だった『海に沈んだ町』だが、惜しむらくは、せっかくの文庫版なのに、解説がないこと。(朝日文庫は解説がないのか?)白石ちえこさんの写真をもとに三崎亜紀さんが文章を書いたのか、その逆なのか、制作過程がわかるともっと良かった。
なお、第23回岡本太郎現代芸術賞で特別賞を受賞された澤井昌平さんの作品は、こちらで少し見ることができる。が、澤井さんの作品も含めて、サイズの大きな作品が多いので、興味を持った方は是非美術館に足を運んでいただければ。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

「介護」と「自立」について考える~酒井穣『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』

ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由

ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由

  • 作者:酒井 穣
  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


10年以上ぶりくらい久しぶりにディスカバー21の本を読んだ。
ビジネス書は本当に読みやすい。
分量が少ない上に目次や構成が練られているので、読み直しも圧倒的に楽だ。
故に、そもそも書いてあることが似通っていたり、結局のところ、個人の成功譚に後付けでスキルやライフハックを絡めて語られているだけの本も多いだろう。
しかし、この本は、20年以上に渡って母親の介護に取り組んできた著者が語るからこその、考え抜かれた重要なエキスが詰まっており、思い付きで書き捨てられた凡百のビジネス書とは異なると感じた。


本書の目次は以下の通り。

第1章 介護離職につながる3つの誤解 
誤解1 介護離職をしてもなんとかなる
     再就職できず、再就職できても年収は半減しかねない
     節約のために親と同居すると介護離婚するリスクが高まる
    「親の貯蓄があるから大丈夫」は間違い
誤解2 介護離職をすれば負担が減る
     介護離職をしたら介護の負担は逆に増します
     虐待してしまう可能性が高まります
     自分がすべての介護をすれば家族は幸せなのか?
誤解3 子供が親の介護をすることがベスト
     身体介護をしなければ仕事と両立できる可能性が高まる
     親の介護に専念することは「親孝行」ではない?
     親の介護を言い訳に理不尽から逃げてはいないか?
コラム 育児と介護はぜんぜん違う!


第2章 介護離職を避けるための具体的な方法
 方法1 介護職(介護のプロ)に人脈を作る
     介護の負担を減らすには、介護サービスに関する知識が必要
     不都合な真実と向き合う必要がある
     とにかく1人、優秀な介護のプロに出会う
 方法2 家族会に参加する
     家族会という奇跡的な成功事例がある
     セルフヘルプ・グループにおける「わかちあい」
     特に男性には家族会に参加してもらいたい
 方法3 職場の支援制度と仕事環境の改善に参加する
     企業は介護離職を恐れはじめている
     介護と両立しやすい仕事の特徴を知り、評価・改善に関わる
     法定の介護休業制度があっても長期の休みはとらない
 コラム 介護離職の決断を相談しているか?


第3章 介護を自分の人生の一部として肯定するために

 指針1 介護とはなにかを問い続ける
     「生きていてよかった」と感じられる瞬間の創造
     中核症状と周辺症状の違いを理解し、周辺症状に挑む
     社会福祉の理想であるノーマライゼーションに参加する
 指針2 親と自分についての理解を深める
     認知症を覚悟しておく必要がある
     親には名前があり、その名前での人生がある
     目標のある人生を歩むということ
 指針3 人生に選択肢がある状態を維持する
     介護離職をするしか選択肢がないと考える場合
     高齢者福祉の3原則(アナセンの3原則)
     シーシュポスの神話

 コラム 介護によって管理職への道をあきらめるとき 

目次がわかりやす過ぎて、これ以上、本の内容を付け加える必要もない気がするが、いくつかポイントを書いておく。


まず、「はじめに」に、「自立」という言葉について、この本の土台となる最も基本的な考え方が示されている。「介護とは自立支援である」といわれるように、「介護」を考えることは「自立」について考えることになるのだ。

自立とは、誰にも頼ることなく生きられる状態のことではありません。これが人間を不幸にする決定的な誤解です。真の自立とは、その人が依存する先が複数に分散されており、ただ一つの依存先に隷属(奴隷化)している状態から自由であることです。
(略)
依存先が複数に分散されてはじめて、人間はより自分らしく生きることが可能となります。
(略)
つまり人間の幸福は、依存先が複数あることと密接に関係しているのです。

すなわち、優れた介護においては、特定の人への過度な依存が避けられており、要介護者であっても何かに隷属することなく幸福を追求する自由が残されるという。
逆に、介護離職をすることは、介護する側の選択肢を極端に狭くすることにつながり、どちらも幸福から離れてしまうということになる。
1章、2章は、介護離職をせずに、介護する側される側のどちらもが、さまざまな選択肢を残すことができる方法について具体的に説明する章となる。
重要なのは3章だ。「介護を自分の人生の一部として肯定するために 」とタイトルをつけられた3章は、20年以上介護に携わってきた当事者が考え続けた重みを感じる内容だった。

酒井さんは介護とは何かについてこう書いている。

私は、このAさんの実話に触れて、介護とは、相手が「生きていてよかった」と感じられる瞬間の創造だと考えるようになりました。それに成功したとき、介護する私自身がとても幸せな気持ちになることにも気がつきました。(略)

いかなる病気であっても、そこには中核症状と周辺症状があります。中核症状とは、その病気そのものが生み出す症状です。周辺症状とは、その病気の症状と、置かれている環境の相互作用によって二次的に生み出される症状です。(略)

いかに優れた介護であっても、中核症状にアプローチすることは困難です。そこは、医師や医療系の専門職の仕事になります。しかし介護には、周辺症状をコントロールするという大事な命題が残されているのです。(略)

優れた介護では、周辺症状が上手におさえられ、要介護者は、中核症状による苦しみはあっても、自分なりの幸福を追い求めることが可能となります。
p133-137

この一連の流れで、「はじめに」の冒頭に引用されたネルソン・マンデラの言葉の意味がよく分かるようになる。

自由であるということは、単に、自分を縛り付ける鎖を捨て去ることではない。自由であるということは、他者の自由を尊重し、それを推し進めるような生き方をすることだ。 ネルソン・マンデラ


幸いなことに、我が家は、夫婦ともに両親が健在で、介護を要する状態にはない。しかし、本の冒頭にも書かれている通り、何の前触れもなく突然、介護が必要な状況が生まれる可能性がある。
また、家族に限らず、職場や知人と広げていけば実際に介護に携わる人はいくらでもいる。
これを機会に、もう少し介護についても勉強して、合わせて人生についても思索を深めるようにしていきたいと思った本だった。

「生きる」ということがきちんとできている人は少ない。ほとんどの人は、ただ「存在」しているにすぎない。 オスカー・ワイルド


なお、ダニング=クルーガー効果*1やリンゲルマン効果*2など、ビジネス用語がたくさん出てくるのもサービス精神満載で嬉しい。
酒井さんは、他にもベストセラーとなっているようなビジネス書を書かれているので、こちらも読んでみたい。 

新版 はじめての課長の教科書

新版 はじめての課長の教科書

  • 作者:酒井穣
  • 発売日: 2014/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
自己啓発をやめて哲学をはじめよう

自己啓発をやめて哲学をはじめよう

  • 作者:酒井穣
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:自分自身を客観的に観察する力が養われていない人が、自分のことを現実よりも高く評価してしまう心理的なバイアス。「介護は、それがはじまってからネットで調べればいい」という考えには、ダニング=クルーガー効果が働いている可能性が非常に高い。インターネットは、知識のない人に対して、知識を授けるツールではなく、知らなければ正しく検索することもできず、知識のない人は検索の結果として質の低い知識しか得られないという、むしろ知識の格差を広げるようなツールになっている。

*2:特定の目標を共有する集団のサイズは、それが大きくなるにつれて、集団の構成員1人当たりの能力発揮が劇的に低下する。親族の多い家族において、介護は「関わりたくない」ことなので、どんどん身を引いて、結局介護離職した一人がその役目を負うことになる。

これも計算のうちか!~田村麻美『ブスのマーケティング戦略』

ブスのマーケティング戦略

ブスのマーケティング戦略

  • 作者:田村麻美
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


久しぶりの自己啓発書。

改行が多く、協調部分は太字で書かれており、圧倒的に読みやすい。
と言ってしまえばそれまでなんだけれど、捨て置けないのは、やはりこのタイトル。
 
Amazonレビューでも次のような意見に対して「107人のお客様がこれが役に立ったと考えています」と共感する人が多いようだ。
 

大変インパクトがある本で面白いのですが、どうしてもタイトルが頂けないです。著者の方は大変優秀な方ですし、お綺麗な方です。世の中が徐々に容姿で判断しない風潮になりつつあるのに、何故平気でブスとか劣化とか侮辱ワードをタイトルに使えるの?一親として、小学生のいじめの助長にも繋がる為、「ブス」という言葉は公に使わない方が良いと思います。  

 
かつての自分は同じように思ったかもしれない。しかし、ある本を読んで以降は少し感じ方が変わったのだった。
 
そもそもこの本を読んだのは、山崎ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』を読んで、他の人が書く「ブス」論の本に興味を持ったから。
『ブスの自信の持ち方』で、山崎ナオコーラさんは、「自分はブスだ」と書くのは、「ブスですが、文章がうまいです」という、(英語が喋れない、○○が不得意などと同様に)単なる不得意分野を示したものに過ぎず、むしろ「文章がうまいです」ということを主張したいのだと言っている。
 
 
田村麻美さんが『ブスのマーケティング戦略』で言っていることも同じで、第一章は、自分という商品が提供しているサービスのセールスポイントの洗い出しから始まる。すなわち「見た目」以外で、自分の価値を探そうとするのだ。
 
 
しかし、この『ブスのマーケティング戦略』のすごいところは、フェミニズム的な視点に一切触れずに、美醜のレベルとしての「ブス」を書き抜くことだ。*1
故に、とても嫌いな「劣化」などという言葉もバシバシ出てくるなど、言われた人がどう思うか等の配慮はあまりないままに、美醜が語られる。。
でも、使われる言葉のインパクトはそれだけではない。


本書の構成から、「ブス」「劣化」以上にインパクトを受けた言葉について説明する。
 

  • 第1章 自分を商品と考える
  • 第2章 性欲をエネルギーに変えて商品力を高める
  • 第3章 神童からただのブスへ
  • 第4章 ブスが処女を捨てるとき
    • 【行動提案】最低限の見た目レベルアップ/告白/処女を早く捨てる
  • 第5章 100回の合コンで学ぶ
    • 【行動提案】自己紹介のテンプレを準備/ほめ会話を続ける/自己PR禁止論を唱和/さわれる店を選ぶ
    • マーケティング戦略】市場調査
  • 第6章 ブスにとっての肩書きの重要性
  • 第7章 ブス自身も顧客であった
    • 【行動提案】行き詰まったら期間限定の現実逃避/SNSで自己表現を磨く
    • マーケティング戦略】市場を変える/自分のなかにいる「顧客」を見つめる
  • 第8章 ブスの結婚
    • 【行動提案】「とりあえず」付き合う、「とりあえず」同棲
    • マーケティング戦略】プロダクトに合ったプレイスとプロモーション
  • 第9章 ブスの起業
  • 第10章  ブスの成功すごろくと美人の経年劣化

 
2章~5章の流れを目次で辿ってもわかる通り、性的な話がかなり出てくるのがこの本の特徴で、読み終えると、そちらのインパクトが大きく、「ブス」という言葉にはあまり抵抗感がなくなってしまったほどだ。
 
例えば、4章には「やりたい」という言葉が何度も何度も出てくるし、5章で出てくる親友の紹介は「ヤリマンの友だち」だ。もちろん、何よりも性欲について(人生の一時期だけとはいえ)第一優先的に考えている女性もいるだろう。しかし、ビジネス書でそれを読むことになると思っていなかったので面食らった。
 しかし、顔写真も含めて、マーケティング戦略の説明(と笑い)のためにすべてをさらけ出し過ぎているので、文章を読んでも嫌な気持ちにほとんどならない。むしろすがすがしい。
 
ただし、この本を読んでどの程度の女性が共感を持ち、自ら動き出すことができるのかはわからない。自分の娘がこの本を熱心に読んでいたらちょっと不安だ。
その意味では、一番ターゲットとなる読者層は大学1年生くらいの男子ではないだろうか。合コンについて書かれた第5章の「リーン・スタートアップ」の項が特に良かった。大学生の頃の自分には刺さりまくっていた気がする(笑)
 

トライ&エラーの繰り返しによって商品の精度を上げていく。
これこそブスに有効な方法だ。
勇気が必要なのはわかる。その背中を一押しするのは、やはり総合点で、商品改良の努力は必要なのだが…。
(略)
繰り返すようだが、ブスのいちばのダメな点は、行動しないことだ。
でも、総合点が低いまま、未完成のまま市場に出すことで、ものすごい学びがある。
(略)
失敗前提で行動し、そこから必ず何かを学ぶこと。
ブスこそリーン・スタートアップ、トライ&エラーである。
このとき、もっとも大切なのは、「フィードバック」の部分である。
失敗から学ばず、同じ失敗を繰り返し、傷を深くしてはだめだ。
p136

 
引用してみると、思いのほか、単なるビジネス書っぽくなってしまったが、この第5章は、合コンのあとのデートでの店選びでは、女を意識させるために「さわれる店を選ぼう」などと下世話な話が満載なので、やっぱりこの本はただものではない。
 
 
そしてこの本のカバー、やっぱりすごい。
本のカバーと同様、本の内容は、基本的には田村麻美さんの半生を描いたもので、誰にでも適用できるものではないだろう。(多くの自己啓発書に言えることだが)
それでも説得力があるのは、この本がこのタイトルと表紙で書店に並んでいること自体が、本の中で語られているマーケティング戦略を体現しているように思えるからだ。
「ブス」という言葉と表紙写真の組み合わせを見て、思わず本を手に取らざるを得なくなったことに対して、また、写真がどこか爽やかさだけでなく、見る人を苛つかせる雰囲気があることに対して「これも計算のうちか…」と言いたくもなってしまう。*2
 
 
「篭絡された」かのようにも思える旦那さんもどんな人か見てみたい。
そう思うほどには、田村麻美さんに興味が沸いた本だった。
ブログもさっそく見に行ってしまった。
tamuramami.com

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

*1:本書での「ブス」の定義は「見た目を武器にできない人」p20

*2:調べたら、ジョジョの第二部でのカーズの言葉だったのですね。

いじめてくんと4人の女性~伊藤朱里『きみはだれかのどうでもいい人』


これは読み返したい本。

帯では「新感覚同僚小説」と謳っているが、とある県の税事務所を舞台として、そこで働く4人の女性のそれぞれを主人公とした連作短編となっている。各短編の時系列は重なっており、同じ出来事もそれぞれの視点から語り直される。
4人はそれぞれ以下の通り。

  • 中沢環:第一章「キラキラは二十歳まで」の主人公。25歳。染川さんと同期。できるタイプ。
  • 染川裕未:第二章「バナナココアにうってつけの日」の主人公。25歳。同期の中沢さんが少し苦手。
  • 田邊陽子:第三章「きみはだれかのどうでもいい人」の主人公。50歳。堀さんと同期。出産を機に退職し、10年ほど前に職場復帰。25歳の娘とのコミュニケーションで苦労。
  • 堀主任:第四章「Forget,but never forgive.」の主人公。50歳。未婚。陰でケルベロスなどと呼ばれる。英会話教室に通う。


面白いのは、4人は、2世代の同期のペア2組にもかかわらず、それぞれが疎まれたり、恐れられたり、と、互いをよく思っておらず、決して仲が良いわけではないこと。
また、ヒーロー的な主人公もおらず、すべてをポジティブに受け止めて前向きに仕事に向き合える人など皆無で、日々の悩みや鬱憤となんとか折り合いをつけながら生きている人ばかり。

そして、物語の核は、実は4人ではなく、4人の話に共通して出てくる新人アルバイト女性の須藤さん(38歳)。彼女は、全てにおいて容量が悪く、おどおどしており、卑屈なタイプ。「三十代も半ばを過ぎているのに小学生みたいな雰囲気」という染川さん評(p94)にすべてが表れているが、彼女が起こすミスも小学生的で、ギスギスした職場の空気を考えると、読んでいて胃が痛くなってくる。


「できるタイプ」の中沢さんは、「できないタイプ」の須藤さん、染川さんとは気が合わない。
それを踏まえて、「染川さんに優しくしてほしい」という須藤さんのお願いを聞いている中沢さんの心の声は辛らつだ。

否定されることを恐れてあらかじめ自己卑下で心を閉ざして、自分こそが被害者だっていう顔で、そうされる相手の迷惑なんか考えもしない、そのくせ自分自身の面倒さえろくに見られない、そんなあなたがどうして人を庇えると思ったんですか?(略)
傷つきやすくて、繊細で、病んでしまった者同士だから、人の気持ちがわかる。そうでしょうね。美しいですね、生きることに挫折させられた者同士で。わかりやすい病名ひとつもらっただけで、この世で自分たちにしか、傷つく権利はないって顔をして。p63

ある意味同類である染川さんも須藤さんには苛々している。

38歳にもなって、この人はどうしてこんなにイノセントなんだろう。
たしか彼女の履歴書には、職歴の記載がほとんどなかった。書くほどの仕事をしてこなかったのかもしれない。きっともともと性格のいい人が、まったく世間の波に揉まれずにこの歳まで生きるとこうなるんだ。そう考えるとあたしは、須藤さんのふっくらした頬に爪を立てて思いっきり引っ掻きたい衝動に駆られた。p111

田邊さんは隣で働いている中沢さんを称賛する一方で、「できないタイプ」の染川さんや須藤さんには苛々する。結局この話は、4人が4人とも「いじめてくん」*1要素が満載の須藤さんに怒りを爆発させてしまうのだが、田邊さんは、染川さんを庇う須藤さんに対してこう言ってしまう。

「かわいそうで大変なのは自分と自分の好きな人だけ、って、まあ普通、そう思いたいもんだけどさ。わたしだけは例外、みんな大好きです、みたいな顔しておいていきなり手のひら返すなんて、そういうのってずるくない?たまには、そうねたとえば、だーれも労ってくれないかわいそうなおばちゃんにも親切にしてよぉ」p196


そして、地獄の番犬ケルベロスの異名を持つ堀主任は決定的な一言を言ってしまう。「あなたは、邪魔」と。

人には、だれでもその人らしく生きる権利がある。
あの若い人事課職員はそう言った。そのとおりだ。弱い人間、集団になじめない人間、みんな等しくその人らしく、自由に生きるべきだ。でも、それが「こちらに迷惑をかけなければ」「目の届かない場所にいてくれるぶんには」という留保つきであるという事実からはだれもが目を逸らしている。水面下で押し付け合いのロシアンルーレットは続き、銃弾が放たれたが最後、たまたまそれを手にしていた者が犠牲にならざるを得ない。
-そうですね。あなたは、邪魔です。
我ながら不気味なほど、優しい口調だった。p270


堀さん、田邊さんが須藤さんを目の敵にするのは、同期の女性で若い頃に自殺に追い込まれてしまった人がいて、彼女を犠牲にしてしまったという後ろめたさがあるからのようだ。*2
それにしても4人が揃いも揃って手厳しいコメントをしていることに驚く。
実際には、それぞれが抱えているのは職場だけでなく、同期の女性間での対比や、家庭での問題も小さくないのだが、そうしたモヤモヤを、須藤さんという触媒を得て爆発させてしまう、というのが、この本の基本的な筋。
もちろん、中沢さんが鋭く指摘するように須藤さんにも悪いところはある。
ただ、それだけが罵倒に近い言葉の浴びせかけの理由でないことも明確だ。
むしろ、激しい怒りが正当な理由によらないものだからこそ、読む側は、この話にリアリティを感じてしまうのだと思った。


さて、最初に「読み直したい」と書いたのは、困ったことに、この物語自体を、しっかりと消化しきれていないからだ。少なくとも教訓が得られるような話ではなかった。「同期」という要素も最初からしっかり追って読めていない気がする。
ただ、「こういう気持ちはわかる」もしくは「こう思われているかもしれない」という、どこの職場にも流れる微妙な空気が言語化されている、という意味では、とても読み応えがあった。読んだ人は誰もが、登場人物そのものというよりは、いずれかの登場人物の思考に共感しながら本を読み進めることになるだろう。
自分は決して「中沢さん」タイプの人間ではなく、むしろ「須藤さん」気質を持っているので、「須藤さん」に同族嫌悪を抱く「染川さん」にどちらかといえば共感しながら読んだが、結局、須藤さんを好きになれないのと同じ理由で染川さんも好きになれない(笑)。4人の登場人物の誰もに共感できないということ自体、この種の職場の緊張感を表しているようで得難い読書体験だった。


ただ、繰り返しになるが、もう少し深く読める本である気がしているので、伊藤朱里さんのその他の著作に当たってから、改めてこの本に戻ってきたい。

*1:吉田戦車の描く漫画キャラクター。実は小型の地雷なのだが、周囲の人々はそれでも虐めたくなってしまう。(そしていじめると爆発する)

*2:このあたりを正確に読めていないので、時間をおいて改めて読み直したい。二人以外にも名前こそ出ないが人事課の「女帝」「氷の女」と呼ばれる女性が同期。

「善意」で世界は明るくできる~中脇初枝『きみはいい子』

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)


(この文章はアニメ『バビロン』、映画『葛城事件』、小説『きみはいい子』をセットで語るシリーズ最終回です)
『葛城事件』の後味の悪さは、ストーリー展開よりも、映画を観ることが、自分の中や身の回りの「逃避」や「嫉妬」、「悪意」に気づかせていくことによるところが大きい。同様に、身の回りに溢れる「善意」に気がつくことは、心を癒す効果がある。
中脇初枝『きみはいい子』は5編から成る連作短編集で、それぞれの話の主人公は、学級崩壊を招いた小学校担任や、娘に手をあげてしまう母親など、ちょっとしたマイナスの部分を抱えている。それぞれの物語の中では、何かのトラブルや問題への「解決」は描かれず、「善意」が明るい方向を示して終わる。
そのうちの一編「こんにちは、さようなら」では、障害者として描かれるひろやくんが「しあわせ」について語るシーンがある。

「でもこの子、自分なりにはわかってるんです。ね、ひろや。しあわせってなんだっけ。しあわせは?」
ひもを結びおわったひろやくんは顔を上げ、一息に言った。
「しあわせは、晩ごはんを食べておふろに入ってふとんに入っておかあさんにおやすみを言ってもらうときの気持ちです。」
わたしと櫻井さんは顔を見合わせてわらった。


「しあわせ」という大き過ぎる命題に対するこの答えは、『バビロン』で生きる意味を語ったアメリカ大統領よりも、むしろ直感的で説得力のある言葉になっている。
ひろやくんは「一緒に晩ごはんを食べること」ではなく、「おやすみを言ってもらう」ときに「しあわせ」を感じる。「おやすみを言ってもらう」のは、自分が「愛されている」ことを実感するときなのだろう。
『きみはいい子』では、別の2編で虐待を扱っており、そういった別の家族の物語があるからこそ、「おやすみを言ってもらう」ことの大切さが倍増して感じられる。
そう考えてみると、『葛城事件』のように、敢えて言葉では説明しないのではなく、背景にある膨大な物語の氷山の一角として「言葉」が表れている物語が最もオーソドックスで、読み手としても受け入れやすいのかもしれない。(『バビロン』の終盤の展開は、すべてを「言葉」で乗り切ろうとしてしまっていたといえる)


最初に、「身の回りに溢れる「善意」に気がつくことは、心を癒す」と書いたが、『葛城事件』で次男・稔が無差別殺人を犯すような人間になってしまったのは、家庭内に充満する葛城・父の「悪意」を吸収してしまっていたからかもしれない。
愛のない『葛城事件』の食事シーンを思い出すと、ひろやくんの「しあわせは、晩ごはんを食べておふろに入ってふとんに入っておかあさんにおやすみを言ってもらうときの気持ちです。」が改めて胸に響いてくる。
自分も「善意」で周囲を照らすことができる人物になりたいと思った。


映画は、これは観なくちゃ!!

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逆「家族を想うとき」~映画『葛城事件』

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(この文章はアニメ『バビロン』、映画『葛城事件』、小説『きみはいい子』をセットで語るシリーズ第2回です)
嫌な気持ちになる映画なんだろうと思って先延ばしにしていたが、好奇心が勝り、ついに『葛城事件』を観た。
父親を中心とした家族4人と、そのマイホーム(葛城家)を追いかけた物語だが、家族4人が辛い状況でもお互いが助け合う『家族を想うとき』の対極にあるような映画だった。
ラストで「え!ここで終わる!?」と感じたことも両作品は同じ。まさに、『葛城事件』は『逆・家族を想うとき』と言えるかもしれない。


家族が崩壊してしまう原因の大半は、理不尽な父親・三浦友和にあると言えるのだが、彼は反省しない。事件を起こしてしまう次男・稔も反省しない。*1
しかし、彼のような存在を、これまで生きてきて何回も見たことがあったし、自分の心の中の片隅に、葛城・父はいる。また、事なかれ主義が過ぎて、夫に好き放題させてしまった妻役の南果歩、彼女もいる。そして勿論、長男でサラリーマンの保は、立場だけでなく、大切なことを先延ばししてしまう悪い癖も含めて自分に似ているかもしれない。

一方、無差別殺人を起こした次男・稔は、葛城・父以上に、「絶対に関わりたくないタイプ」の人間で、さらに、死刑廃止の立場から稔と結婚した田中麗奈は、メインキャラクターの中では「話ができそうなタイプ」でありながら、やはり共感できそうにない。

誰が画面に映っても、緊張感が持続する、この『葛城事件』は、確かに後味が悪いが、「見て損した」という感想を持つような映画ではない。
これは、「考えさせる映画」になっていたからではないかと思う。これは、アニメ『バビロン』と大きく違うところだと感じた。


アニメ『バビロン』が「自殺法」をテーマとしたように、『葛城事件』はメインテーマではないものの「死刑」を題材として取り上げている。
しかし、『バビロン』は「考えさせない」作品で、『葛城事件』は「考えさせる」作品になっていたと思う。
観る側に「考えさせる」ためには、『バビロン』の大統領のように、信頼を置けそうな人物が登場してはならない。視聴者は、大統領の言葉に耳を傾けることに必死で、自分の頭で考えなくなる。もちろん、言葉で結論めいたことを言ってはならない。「言葉」は思考を停止させる。


『葛城事件』の良かった点は、共感できない人間、しかしどこにでもいそうなタイプの人間が、死刑という大きな問題について語ることで、視聴者の「思考」が自然と促されるところだろう。
少なくとも「死刑囚」という言葉を聞いて、葛城稔の顔と言葉を思い出す。(同様に、『イノセント・デイズ』も思い出すが…。)
無関係と思っていても、裁判員に選ばれれば死刑について考える必要に迫られるかもしれない。「死刑」や「死刑囚」という概念だけでなく、ニュースや物語を通じてたくさんのケースを知っていることは、そういったときも思考の僅かな助けになるのではないだろうか。
『きみはいい子』の感想に続く)

*1:この映画の三浦友和は、嫌いになれる要素200%