Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「恋愛スピリッツ」こそが作品最大の魅力~『ダーリン・イン・ザ・フランキス』

人類は荒廃した大地に、移動要塞都市“プランテーション”を建設し文明を謳歌していた。その中に作られたパイロット居住施設“ミストルティン”、通称“鳥かご”。コドモたちは、そこで暮らしている。外の世界を知らず。自由な空を知らず。教えられた使命は、ただ、戦うことだけだった。敵は、すべてが謎に包まれた巨大生命体“叫竜”。まだ見ぬ敵に立ち向かうため、コドモたちは“フランクス”と呼ばれるロボットを駆る。それに乗ることが、自らの存在を証明するのだと信じて。かつて神童と呼ばれた少年がいた。コードナンバーは016。名をヒロ。けれど今は落ちこぼれ。必要とされない存在。フランクスに乗れなければ、居ないのと同じだというのに。そんなヒロの前に、ある日、ゼロツーと呼ばれる謎の少女が現れる。彼女の額からは、艶めかしい二本のツノが生えていた。「――見つけたよ、ボクのダーリン」

ダーリン・イン・ザ・フランキス、略して「ダリフラ」。
あっという間の全24話でした。
昨年放映時から気にはなっていたものの、昨年末くらいのタイミングで Amazon見放題に入ったのを機に観てみることに。


もう一つ偶々の流れがあって、ちょうど昨年の秋アニメとして全話観た『SSSSグリッドマン』。これが、円谷の実写作品をアニメ化した内容と聞いて想像するのとは違い、エヴァンゲリオンを彷彿とさせる好みの内容で何より絵が綺麗。
しかし、13話(1クール)では全く話が終わらずとても残念だったのです。
特に、自分の好きなタイプのキャラクターであるアンチ君(主人公の敵役だったはずなのに、対立関係を保ちながら主人公を助ける役回りとなる。例.ガイバーのアプトム)が今からもっと活躍を!というところで残り話数が僅かになってしまったのがとても心残りでした。


そんなときに観始めたダリフラ
グリッドマンと同じくトリガー製作ということもあるのか、これも、かなりエヴァンゲリオンの世界観のままの物語。
才能のある少年少女がロボットを操縦する、という基本事項だけでなく、使徒もいるし、NERVもゼーレもある、当然、人類補完計画もある(笑)。
でも、これを観て、やっぱり自分はエヴァが好きなのだなと思った。大歓迎です笑

男女2人乗りで操縦するロボット「フランクス」

色んなところがエヴァそっくりなダリフラですが、彼らが乗るロボット「フランクス」には、エヴァとは異なる大きな特徴があります。
それは、男女2人乗りで操縦するロボットであること。*1
勿論、パシフィック・リムと同じく2人の気持ちが一つにならなければ操縦できないというのは当然ですが、問題は、 初めて見たとき「ええええ!!」と思った コクピットの形状。(未見の方はググってください…)
ただし、全話を見終えてみると、この形状は、実際にはそれほど実用的な意味があるわけでなく、単なる視聴者へのほのめかし(笑)だったのでした。


つまり、主人公たちは10歳くらいで、14歳だったエヴァパイロットたちよりもかなり年下なのですが、4体のロボット(フランクス)に乗る8人の少年少女が、いわゆる思春期を過ごす中で、性的な部分に興味関心を持って行くというのが、ダリフラのひとつの大きな魅力でした。


自分が大好きなエピソードは11話のパートナー・シャッフル。
主人公ヒロとそれに思いを寄せるイチゴ。また、そのイチゴを好きであることを意識し始めたゴロー。10話までの物語が彼らにスポットライトを当てていたので、その部分をシャッフルすると思いきや、ミツルとイクノという8人の中ではあまり目立たない2人の心の内を見せます。
ここでのミツルの感じは、とてもよく分かります。ミツルがヒロとフランクスに乗りたい(男→男)と思っていたのは、ゲイだとかバイセクシャルだとかそういうことではなく、このくらいの年頃だったらあることのように思うのです。一方でフランクスに一緒に乗る相手としてイチゴを指名したイクノは「本気」(女→女)だったことが、この11話だけでなく後半の話でも分かります。あとでも触れますが、後半の物語上の失速は、この「嫉妬」要素が不足していたからだと思います。

嫉妬と諦め、そして「相手」への嫌悪が「恋愛スピリッツ」

さて、この物語は、終盤の展開に不満を抱いている人が多くいるのですが、その理由は、話自体が大きく不連続になるタイミングが2度あるからだと考えています。
まず、ダリフラを薦めてくれた方が、実質最終回と言っていた15話。
ダリフラの一つのポイントは、ヒロインであるゼロツーが暴力的で、そもそも人ではなく、過去にパートナーの少年を何人も(実質的に)殺してきたというところがあります。
それでも、彼女を好きになるヒロ。
そして、幼少時からヒロのことを想い続けるイチゴ。
さらに、イチゴへの気持ちに気がついたゴロー。
このドミノ倒し的片思い連鎖こそが、15話までのダリフラの魅力だったわけです。
自分の大好きな歌に、チャットモンチーの「恋愛スピリッツ」があります。

あの人をかぶせないで
あの人を着せないで
あの人を見ないで私を見てね
あの人がそばに来たら
あなたのそばにもし来たら
私を捨ててあの人捕まえるの?
あの人がそばにいない
あの人のそばに今いない
だからあなたはわたしを手放せない

この感じです。
仲が悪いわけではない。相手からの好意がゼロではない。でも一番じゃない。
特に、実質的に第2の主人公であるイチゴの「恋愛スピリッツ」(嫉妬と諦め。そして「あの人」への嫌悪)が溢れていたからこそのダーリンインザフランキスでした。


それが16話以降はなくなります。
ゼロツ―が「いい子」になってしまったため、ドミノが止まって、イチゴの気持ちが落ち着いてしまったのです。
16話以降で「恋愛スピリッツ」を出したのは、18話のイクノくらいで、15話以前とはかなりトーンの違う作品になってしまいました。

ナインズの活躍がもっと描かれることを期待した20話以降

ということで、15話までと16話以降では物語が断絶しているのですが、それ以降で物語の断絶があるのは、やはり20話「新しい世界」です。ここでは、19話まで伏せられていた物語の核心部分が突如明らかにされます。
16話以降、18話のミツルとココロの結婚式や、その後のココロの妊娠など、自分はドキドキしながら見ていました。(ミツルの髪型変更も良かったです)
一方で、2人の記憶を奪ったAPE(エヴァでいうゼーレ)に対する憎しみを深め、さらに、APEからの指示にひたすら従うナインズの優等生たちも憎々しく思っていました。
本当ならば、最終回に入る前に、ナインズ達と13部隊の対決がきちんと描かれるべきだったと思います。
しかし、20話で、人類の本当の敵は叫竜ではなく、別にいた(VIRM)ことが分かると、ナインズ達は、急速に後退してしまいます。これは本当に残念です。
最終話を改めて振り返ると、ゼロツ―の正体や、APEの目的など、伏線回収はかなりしっかりやりつつ、「戦い」が終わったあとの、登場人物の生活にも目を向けたラストになっていて、ある意味では行き届いた作品になっていたのでした。
その一方で、15話まで見ていて高まった期待にも、19話まで見ていて高まった期待にも応えず、さらに新しい方向に向かってしまったのが、20話以降のように思います。あと、フランクス博士は「ただのマッドサイエンティスト」ではなく、もう少し感情移入できて「可哀想な博士」と思わせてくれた方が良かったように思います(笑)。


ただ、(グリッドマンもそうですが)技術的なところはよく分かりませんが、絵の綺麗さはピカイチでした。重要な場面で現れる桜もそうですが、ゼロツ―の髪の色は本当に画面に映えていて、美しいピンク色が印象的な作品でした。
グリッドマンを見て13話では足りない、と思った自分ですが、ダーリンインザフランキスを見ると、24話やってある程度の伏線回収まで済ませたとしても、まだモヤモヤとした気持ちは残ってしまうのだなあ、と思いました。ダリフラは物語の断絶部分があるから、そこで置いていかれると(気持ちが前の物語に引きずられると)不満は特に大きくなります。
ただ、そこらあたりの不満は分かった上で、ストーリーも一部変更しながら漫画版が進行しているというので、ちょっと漫画版にも期待したいです。そして次に観るアニメは、このダリフラエヴァとスタッフが重なるというグレンラガンかな…。

ダーリン・イン・ザ・フランキス 1 (ジャンプコミックス)

ダーリン・イン・ザ・フランキス 1 (ジャンプコミックス)

*1:男女2人と聞くと、ウルトラマンエースを思い出す人もいるようですが、自分の中では、ダントツに桂正和の『超機動員ヴァンダー』です。コミックスは2巻で終わってしまったけど、もっと続いてほしかった…

あの名作漫画に喩えれば…米代恭『あげくの果てのカノン』最終5巻を目前にして

先日、『あげくの果てのカノン』3・4巻の感想を書くときに、かのんと境宗介が「一線を越えていない」事実があることで、読者を敵に回す「不倫」要素よりも、読者を味方につける「恋」要素が多めになっている…というようなことを書いた。
しかし、その後、果たしてそうだろうか、という気持ちも湧いてきている。実際に2人は一泊旅行に行ってきているわけで、他人から見れば、ほぼ「一線を越えた」のと同義だ。いわゆる、「夜中ずっと部屋でゲームをしていました」という言い逃れと同様、ほとんどの人が信じてくれないだろう。
物語の中では、2人は大バッシングに合っているが、さもありなん。でも、読者だけは二人を信じている、という構図だ。


…と、考えを巡らせていて、ふと気づいた。

  • 相手のいる男性と若い女性がふたりで一夜を過ごすが、一線は超えない…。

確かによくあるパターンなのかもしれないが、これは何処かで見たことがある…。

あ、ワンナイトクルーズ

ガラスの仮面』で、北島マヤと速水真澄の2人が船上で朝を迎えたワンナイトクルーズじゃないか!

そう考えると、いろいろなところが符合してくる。
速水真澄と結婚こそしていないものの婚約相手である紫織さんは、当然、境宗介にとって妻の初穂。
2人の関係に業を煮やして、自宅に火をつけてしまった紫織さんと、ゼリーを逃がして東京を大混乱に陥れた初穂。彼女たちの行動は、それぞれ結局、意中の人を引き寄せる・引き留める効果があったということも含めてシンクロ率が高く、もしかして『あげくの果てのカノン』は、『ガラスの仮面』を下敷きにしているのでは?と思えるほど。笑


そして桜小路君。
自分が『ガラスの仮面』で愛してやまない桜小路優。北島マヤにとっては、兄弟みたいな安心感を与える人物である彼のキャラクターは、『カノン』では誰に当たるのか、といえば…。
そう、こちらも『あげくの果てのカノン』の中で最も応援したくなるキャラクターであるヒロ。
自分の好みの傾向とはいえ、何故、自分がヒロに惹かれるのか、改めてよく分かった。


さて、そうすると、今後、物語はどう展開するのか?
ヒロがバイクで怪我をするのか?
4巻最後で、境宗介が、かのんに対してぞんざいな態度を取るのは、「心変わり」ではなく、初穂のためにわざとやっていることでは?
など、色々と想像が膨らむ。


ただ、問題は、いくら参考にしようと思っても、『ガラスの仮面』は、終わる、どころか、続きが出る気配が全くない…そして、『あげくの果てのカノン』は、次巻5巻で完結してしまうことである。
今回まとめていて改めて思ったが、やはりどう考えても、4巻から登場する松木平は余計だ。『ガラスの仮面』だと、聖さんなのか?(なのか?)
松木平がいることで、あと1巻でまとまる感じが全くしないのだが、それでも全5巻の傑作漫画として、多くの人に薦められるような、そんな終わり方を期待しています!

バランスを崩す4人の恋〜米代恭『あげくの果てのカノン』(3)(4)


4巻まで巻を追うごとに階段を上るように面白くなっていく素晴らしい漫画。
前回に引き続き3巻4巻の感想を。

装丁

3巻、4巻で物語は加速度を増す。
特に、4巻では装丁も変化を感じさせる。
それまでの蛍光色を敢えて外してタイトルをシルバーにした4巻は、3巻まで裏表紙に姿を見せていたタイトルで使われていた境宗介がいなくなっている。あらすじの「世界が反転する第4集」の言葉通り、4巻は変化の巻ということだろう。


なお、表紙の絵を見ると、1巻で空に向かって舞い上がった赤い傘は、3巻で下に向かって落ちてきている。
4巻を通じて黄色い長靴を履いている足元は、3巻でくるぶしより上まで水に漬かっている。
一方で1〜3巻で晴れていた空は、4巻になると、夜になり、雨が降り続いている。
遠くにゼリーが見えていることもあり、4巻の表紙、裏表紙は、それまでと比べても最も不安を誘う絵になっている。

帯は3巻は3名、4巻は4名が寄せているが、3巻の最果タヒさんのが素晴らしい。以下に全文書き写し。

不変なものなんてない。愛情も人格も変わりゆくものだ。
けれど、それでもきみは変わらないでくれと願うことが、甘えるということなのかもしれなかった。
永遠に変わらないきみでいて。永遠に愛し続けてくれ。そう願う自分自身が、不変なものなど何一つ持たないのだと気付いたとき、私たちはそのことを、本当の意味で、直視することができるんだろうか?
そんな、知りたくなかった現実がこの物語の先に待ち受けている気がします。そして、私はだからこそ、この物語の行く末を、かのんの恋を見届けたい。

3巻

さて本編。
1、2巻の感想で決定的なことを書いていなかったが、この漫画のメインテーマは「不倫」。
主人公・高月かのんが憧れていた先輩(境宗介)と恋に落ちるという話がメインストーリーの部分だが、先輩には奥さんがいる。つまり、かのん×境宗介の組み合わせは許されない。それゆえの1巻の名台詞「はいと言ったら罰を受ける」だったのだ。
そして役者の揃った2巻を経た3巻こそが最高潮に面白い巻だと思う。
3巻に収録された12話〜17話でメインになる人を挙げると以下の通り。

  • 12話:宗介×初穂
  • 13話:ヒロ×かのん、ヒロ・かのん×宗介・初穂
  • 14話:初穂×かのん、かのん×宗介
  • 15話:初穂×ヒロ、 かのん×宗介
  • 16話:かのん×宗介(北海道)
  • 17話:(ゼリー脱走)

とにかく、4人の組み合わせをこれでもかと詰め込んだ12話〜15話がすごい。
特に14話。宗介について楽しく語らう初穂とかのんだったが、初穂が万年筆の話題を出したことで、かのんが自分が許されていないことに気が付く場面。
背筋も凍る怖いシーンのあとで、初穂は、かのんと宗介をわざと会わせる賭けに出る。
その後、かのんと宗介のやりとりに話が移り、「私がいつまでも先輩を好きだと思ってナメてるんですか!?」とかのんが怒りを爆発させるシーンも含めてずっと、以下のような初穂の独白が流れている。

ずっと悪手をくり返してきた。
それがダメなこともわかっていたけど、
宗介が自身の意志で戻ってくると信じたかった。
けれど宗介はあの女を想ったまま。
私たちは似ている。
疑心暗鬼で、そのくせ過剰に期待して
膨らみはじけた期待は怒りに変わる。
怒った彼女は私と同じで醜いでしょう?
面倒でしょう?
嫌な女でしょう?
私はずっとあなたに優しくするわ。
だからお願い、
戻ってきて…

この「戻ってきて」に、宗介がかのんに言う「でも僕は高月さんに会いたかったんだ……!!」が被さるのが残酷だ。


そして15話。
最初、かのんは、宗介を「不倫」だからと否定する。

奥さん以外の女に会いに来るなんて…
そんな人、信用できません…

先輩の「心変わり」を、
浮気の免罪符にしないでくださいっ……!!

そのあと、自分勝手な宗介の言葉を聞いて、かのんは態度を改める。
この変化が大きい。

先輩は、神さまなんかじゃない。
私たちは同じように身勝手な人間で、
それでも先輩の存在は、
こんなにも素晴らしくて…尊い

ここでは「不倫」や「浮気」というロジックはもう出てこない。
その後、ゼリー脱走後の避難所で、先輩からの電話を受けたときのセリフ(19話)にもある通り、かのんは、宗介のことを「クズ」、自分と同じ「クズ」だと捉えて、好きな気持ちを優先させる。
ここでやっと先輩が「信仰」の対象から「好き」の対象に降りて来たのだ。
神様とだったら、とてもじではないが北海道へ逃避行はできない。
そして、北海道逃避行は辛い4巻のための束の間の休息なのでした…

4巻

4巻は、有名人との不倫によって、「社会」からも嫌われる、「友人」からも嫌われる、だけでなく、自分のせいで無数の人が被害を受けているという、ダブル・トリプルで厳しい「炎上」の中で、かのんが何を頼りにして生きるかという状況が描かれる。


ただ、個人的には、この巻のキモは、ひたすら(21話から登場する)新キャラクターの松木平にある。
このキャラクターが出るまでは、主要登場人物は4人それぞれ互いの接触もあり、 バランスが取れていた。
物語テンポを考えても、この漫画の「椅子取りゲーム」では、椅子は4つ。5人目が主要メンバーになろうとすると、どうしても椅子に座れずに押し出されるキャラクターが出てくる。4人の中で割を食うのはヒロしかいないわけで、ヒロのこの台詞は、読者である自分の気持ちをまさに代弁している。

…俺は、
姉ちゃんがこの人とつき合ったら
絶対許さないから
(23話)


勿論、作者は、そんな読者の気持ちは分かっているのだろうから、松木平は、かのんにとって眼中にない存在として描かれる。
そして4巻ラストの24話。
かのんの独白「ついにこの日が、この日が来てしまった。」から始まる24話は、「修繕」による「心変わり」が周囲の人(勿論本人も)に与える辛さが強調される話。
ここでの境先輩は、以前とは目の光が全く違っていて、顔が同じでも別の人間ということがはっきりと分かる。かのんと直接顔を合わせるのは、あれだけラブラブだった北海道逃避行以来の登場なので、落差の大きい「心変わり」は、とてもショック。読者としては18話(4巻最初の話)で、境先輩の半生を辿りながらその内面を見ているからさらにショック。
しかし、一番ショックだったはずの、かのんが、ラストのラストでその思いの強さを改めて見せる。
前後不覚になるまで飲んで二日酔いになったかのんに対して、松木平はこう慰める。

良かったじゃないですか?
次からは普通のおつき合いができますよ。
未来のある恋愛ってことです。
不倫なんて
時間を食い潰されていくだけじゃないですか。
さっさと忘れて、他の人に行ったほうが…

これに対するかのんの言葉。

なんで先輩を好きなことが間違ってるって決めつけるの?
松木平くんの言う未来って何?
セックスしないと、
私たちの恋愛って価値がないの?
私はずっと独りのまま先輩を好きでいたけど、
幸せだったよ。
セックスしてれば先輩と私はもっと続いたの?
私が処女だから、先輩はずっと一緒にいたいって思ってくれなかったの?
先輩とセックスできてたらもっと幸せだった…?

いわゆる「一線」を越えていないかのんだから言える台詞なのかもしれない。しかし、マスコミや見知らぬ人までもが「不倫」を責める中で、それは「間違っていない」と言い切る強さが、かのんにはがある。
いや、かのんだけじゃない。ヒロも「ずっと独りのまま好きでいたけど、幸せ」という状況は重なる。
また、考えてみれば、北海道逃避行のときに、「一線」を越えることを選ばなかった境宗介=「あのときの境先輩」も同じ気持ちだったのかもしれない。最果タヒの言う「永遠に愛し続けてくれ。」という気持ちを3人とも胸に抱えている。
3つの恋心に、頻繁に「心変わり」する宗介をずっと横で見て来た初穂の「暴走した恋心」が事態をどんどん悪化させている状況にあるが、やっぱり主要登場人物は4人でバランスしていることが改めてわかって来る。
…とすると、やっぱり松木平は邪魔で(性格は嫌いじゃないが)、次巻以降でどのような役回りとなるのかはとても気になる。ただ、かのんとつき合う素振りでも見せたら、ヒロと同様「絶対許さない」が…。(笑)


なお、22話によれば

  • 脱走したゼリーはほぼ全域にわたって駆除が完了(ラジオ)
  • 駆除だけじゃきっと駄目(初穂)

とあり、ゼリー脱走による避難生活はまだ終わらなさそう。24話では雨に打たれたゼリーがボコボコと増殖する様子が描かれており、これを初穂がどのように阻止するのか、が物語の重要ポイントになる。

大好きな装丁、大好きなストーリー〜米代恭『あげくの果てのカノン』(1)(2)

定期的に繰り返し読み、そのたびに好きになっていく『あげくの果てのカノン』。
5巻が6月12日に発売予定ということで、改めて読み直してみた。
特殊な装丁ではないが、この本ほど、電子ではなくモノとしての本として所持していることの満足感を覚えるコミックはない。
まずは、外側部分から何故この本がこんなに好きなのかを探っていきたい。

装丁

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン 2 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン 3 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン(4) (ビッグコミックス)
4巻まで並べた装丁のワクワク感は、ここ数年でベストだと思う。
特に1〜3巻までのタイトル文字(背表紙は全体、表紙は「カノン」のみ)の蛍光色。この蛍光色が、廃墟と化した地上世界の背景に映えて心地よい。
さらに、よく見ると、題字は、一部が、主人公カノンの後ろ(背景と人物の間)に入っており、立体感の出る配置となっている。(さらに言えば、カバーを外した表紙はキャラクター不在の廃墟のみの絵となっている)
裏表紙に書かれたあらすじも、重要箇所はタイトルと同じ蛍光色で強調されており、しかもそこがポイントを外さない。1巻裏表紙の「でも、いけない」。2巻裏表紙の「罰を受けるべきは誰なのか」は作品のキモを抑えている。


調べてみると、装丁を手掛けているのは 川谷康久。
雑誌『MdN2017年12月号』 では、 「恋するブックカバーのつくり手、川谷康久の特集」 という特集記事が組まれているという。アオハライドの手書きロゴの作り込みなどもなかなか面白い。

そして何と言っても「帯」。識者による感想と惹句が洪水のように襲ってくる。

叶わなくても、諦められない。だって先輩「以上」が、この世界にいない。全員を不幸にするかのんの「一途な恋」に激しい共感の嵐。(1巻)

これは「恋」か「信仰」か…。純粋なようで、グロテスク。「一途な想い」の根源を問う、恋愛ピカレスク。(2巻)

世界の緊迫と、個人の「一途な想い」の切実さがはじけ飛ぶ、大注目、不倫SF第三集。(3巻)

強く、深く、重く、あなたへの想いは絶えることなく、世界を滅ぼす。(4巻)


そして、コメントを寄せている識者は以下の通り。

中でも志村貴子のコメントにはとても共感した。

1話目からずっと怖かった。
得体の知れない世界もかのんも先輩も。
頬を赤らめたり大粒の涙をだばだばとこぼしたり、かのんの中で爆発する感情がひたすら怖かった。
怖いと先が気になってしまうのでページを繰る手が止められない。
自分がこの世界の住人だったらどんな立場にいるんだろうと考えてまた怖くなった。
隠しておきたい感情を丸裸にされてしまった感じ...やめてやめてかのんやめてー!
かのんの行く末を指の隙間から覗く気持ちで読んでいます。
志村貴子

あげくの果てのカノン』が面白いのは、その怖さ故だと思う。
勿論、かのんの「爆発する感情」、それによって引き起こされる周囲との軋轢が怖いのはその通りなのだが、それを演出する「謎」の多い世界観も怖さを盛り上げる。
2巻の時点で、SLC(異界生物対策委員会)が相手にしている「ゼリー」が何なのかは、ほとんどスルーされているし、昔起きた「襲来」がどのようなものだったのかについても触れられない。地上世界と地下世界という「日常」についても隠すかのように曖昧にされたままで物語が進んでいく。
降り続く雨も怖さに拍車をかける。

食べ物

1巻の裏表紙で境宗介(先輩)がケーキを食べているが、食べ物描写に特徴がある作品だと思う。
志村貴子が「ずっと怖かった」というように、食べ物描写も怖い。
3話目でアップになる目玉焼きとハンバーガー。特に、かのんが押さえたせいで、口に入れる直前に先輩の手から零れ落ちてしまったハンバーガーの気持ち悪さは印象的だ。
フィッシュサンド(魚)しか食べられなかった先輩が、いつの間にか肉を好きになっていた、という「変化する嗜好」への嫌悪感が、少しリアルな絵の中に現れている。


また、第6話(2巻)のかのんがロッカールームで食べるケーキ。とても不味そうなケーキを口に入れながら、かのんは「罰」を味わっている。


そして、初穂が、「高月かのん」からの着信があった宗介のスマホを、味噌汁にそっと浸してしまう怖いシーン。

…だけどね、
勘違いしないで?
そんな一時の感情より、
「結婚」のほうがね、
ずうっと思いの。
わかってるわよね…?
(2巻p201)

どれをとっても負の感情とセットで登場する食べ物が印象的だ。

ストーリー

最後にストーリーについても触れる。


ストーリについては、読んだ誰もが1巻ラストのシーンについて言いたくなるだろう。
勿論自分もそうだ。
近年のストーリー漫画屈指の名シーンで、これを読まなければ始まらない。
しかし、その少し前のシーンにこそ、この漫画で何度も繰り返される「核」の部分がある。
境先輩の誘いを一度は断るかのん。ここで、自らに語りかける言葉は

「はい」って言ったら罰を受ける

でも、そのことを強く思った直後に、かのんは、自分の強い気持ちを裏切って先輩に告白する。1秒前に自分への説得と真逆の行動をとる、この異常な感じこそが、村田沙耶香が「 『恋』ほど無垢な異常はない」と評する、まさにその部分だと思う。


告白後に衝撃的な「罰」を受けた退院後から始まる2巻。
アルバイト先のケーキ屋に来た奥さん(初穂)から釘を刺された帰り道に先輩と再会し、二人っきりになる。ここでも、かのんの罪悪感⇔幸福感の往復に引き込まれる。

先輩が私を抱きしめている
けれどこの人には奥さんがいて
高校時代では絶対にありえなかった。
こうしていることは異常でおかしくて、
これ以上は許されない。(p41)

でも一歩先に行ってしまう。

神さまに触れるなんてことは、
あっちゃいけない
私はこの恋に「希望」を見てはならない。
なのに…(p59)

でも進んでしまう。

私はずるい。
たとえ今が「修繕」の一時的なものだったとしても、
それを幸運だと思っている。
私の「希望」は、
先輩の苦しみや、彼の妻を、
踏み台にして、
やっと「恋」になる。
こんな時に、
目を血走らせる私のほうが、
よっぽど化け物で、
ずっと望んでいたものは、こんなにも醜い。
(p68)

最後にも引用するが、村田沙耶香が2巻の帯に書いている、かのんの「純粋な発狂」こそが、この物語の最大の魅力だと思う。


そんな風にして、かのんを一人称にして進む物語は、一転して8話からそのほかの登場人物の心理描写が増えていく。

  • 8話:ヒロの想い
  • 9話:再びかのん(先輩との喧嘩)
  • 10話:初穂の想い〜壊れた万年筆事件
  • 11話:かのん、初穂、ヒロ&かのん、初穂&宗介


そして、「この世界は残酷だ」で終わる2巻最終話(11話)は、かのん、宗介、初穂、ヒロの4人を映して終わる。「一途な想い」を抱いていたのは、かのんだけではなかった。駆け引きというよりは、「一途さ」ばかりが際立つ四角関係が1巻時点より、さらに物語に厚みを与えている。
ちなみに自分が最も応援したいのはヒロ。
かのんの「純粋な発狂」に始終、心を奪われつつ、4人の中で、最も届かない想いを抱えているヒロにこそ幸せになって欲しいとずっと思っている。
それにしても、村田沙耶香のコメントは素晴らし過ぎる。
読者は「私たち」ではない。「恋をする私たち」であり「発情している私たち」なのだ。

この漫画を読んでいると、「恋」を解剖している気持ちになる。
かのんは変わり続けていく先輩に、変わらない恋をしている。
その純粋な発狂は、恋をする私たちの極限の姿のようにも思える。
発情している私たちが残酷な化け物だとしたら、「恋」の根源には一体何があるのか。
震えながらも、その答えが知りたくて、この物語から目を離すことができない。
村田沙耶香2巻帯コメント)

家族愛について考える傑作〜田亀源五郎『弟の夫』全4巻


ゴールデンウィークに都内を中心に「東京レインボープライド(TRP2018)」が開催されていました。これと合わせて、自分も何冊か関連本を読みましたが、中でも最も良かった『弟の夫』について文章を書いてみました。(東京レインボープライドについてはこちら


以前も書いたことなのですが、セクシャル・マイノリテについて、当事者でない自分の立場から考える考える上でいつも思い出すのは、以前読んだ『同性愛と異性愛』の次の一節です。

「人の恋愛は自由だから、同性愛であっても認めるべきだと思う」とか、「同性愛者であっても差別されてはならない」という意見が大半を占めるようになってきた(略)
しかし、同性愛を異性愛となんら変わらずにとらえようとする、こうしたまなざしや肯定的な見方は、家族における同性愛者の存在の可能性について触れた途端にもろくも崩れ去ってしまうことになる。

つまり、「他人事」として同性愛について優等生的な回答をしていた人たちは、 家族に同性愛者がいたら?という質問に対しては、途端に「同性愛反対派」に回ってしまうという指摘です。
子を持つ親として、子どもからカミングアウトされる可能性があること、また、勿論、知人・友人からカミングアウトされる可能性も考えれば、当事者でないことは、この問題と無関係であることを意味せず、いつだって、「自分が関わる問題」になることに改めて気づかされます。


このように「自分の問題」として、このテーマを考える場合に、知識というよりマインドの問題として、読んでおくべき本としてぴったりなのが『弟の夫』だと思います。(勿論、ゲイやレズビアをはじめとするセクシャルマイノリティに関する知識は蓄えておく必要があると思います)


この漫画は全4巻で、今年NHK-BSでドラマ化され、連休中に地上波で再放送されたことが話題になりました。あらすじは以下の通りです。

同性婚をテーマに、一般社会のなかでのゲイを描いた作品。弥一(やいち)と夏菜(かな)、父娘2人暮らしの家に、マイクと名乗る男がカナダからやって来た。彼は、弥一の双子の弟・涼二(りょうじ)の結婚相手だった。涼二はカナダでマイクと同性婚をし、その後亡くなったのだった。「パパに双子の弟がいたの?」「男同士で結婚ってできるの?」と幼い夏菜は、突如現われたカナダ人の“おじさん”マイクに大興奮、たちまち意気投合し仲良しになる。一方の弥一は、しばらく日本に滞在することになったマイクと一緒に暮らすうちに、自身のなかにあった偏見に気づいていく。そして、成長とともに自然と距離ができてしまった亡き弟・涼二への想いを深めていくことになる。
(メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞作の紹介部分より引用)


我が家では、中2の息子と小5の娘に読ませましたが、二人とも面白く感じたようで、特に娘の方は繰り返し読んでいました。その意味で、小学生から大人まで誰にでもおススメできる漫画だと思います。(なお、ドラマ版は、ほぼすべてのキャラクターが原作のイメージを壊さず、オリジナルエピソードもほとんどなく原作に忠実な内容で、漫画版同様、とてもよく出来ている作品です。)


以下に、この漫画の素晴らしい点を4点に分けて考えてみました。

弥一の成長の描き方

繰り返しますが、『弟の夫』は、ストレートである主人公・弥一が、ゲイであるマイクと3週間を過ごしながら、ゲイへの偏見やわだかまりをなくしていく物語です。
おそらく、作者自身の経験上(ゲイの側の視点)から誤解の生まれやすいポイントに絞って物語が構成されているのだと思いますが、それぞれのポイントにおいて、弥一の成長が分かりやすく描かれています。


1巻(1話〜6話)では、「同性愛者に対して、性的の一面を意識し過ぎること」が扱われています。
マイクが初めて家に来た晩に、夏菜(小3の娘)に「毛がモジャモジャ」な上半身を触らせていたことに激怒したこと、また、翌朝に、涼二が子供のころの遊び場の案内をお願いされて断ってしまったこと(二人の性的な関係を想像してしまうからどうしてもマイクと涼二をセットで考えたくなかったため)は、その典型です。
こういった偏見は、夏菜の無邪気な質問に対するマイクの回答を聞いて無くなって行きます。

  • 夏菜「マイクとリョージさん、どっちが旦那さんで、どっちが奥さんだったの?」
  • マイク「私のハズバンドがリョージ、リョージのハズバンドが私」

知識として納得するという以上に、マイクと生活する中で自然と理解して行ったのです。


そして4巻を通じての弥一本人が自覚する一番の変化は、マイクのことを「弟の夫」であると説明できるようになったということです。
1巻で散歩中に会った知人に、マイクのことを「弟の友人」と紹介してしまったことに違和感を覚えた弥一は、カトやんにはちゃんと説明しようとしていたにもかかわらず、「涼くんの…アレでしょ」とカトやんに先に言われてしまいます (3巻) 。が、3度目の正直ということで、夏菜の担任の先生との面談の中では、やっと「弟の夫」であることを胸を張って言えるようになります(4巻)。
この部分は、 コラム「マイクのゲイカルチャー講座」も合わせて読むと 、アウティングなど微妙な問題も含んだ部分ですが、弥一のマインドの問題として一歩ハードルを越えたことが明確に分かるエピソードになっています。


そして個人的には何と言ってもマイクと別れるシーン(4巻)で弥一が「さよならのハグ、していいかな」というシーンに大感動でした。
日本ではそんな習慣はないから…と言って、夏菜とでさえも恥ずかしがってしなかったハグを、弥一が自ら言い出したのです。
『弟の夫』は、ゲイだけでなく、外国人と日本というテーマも何度か触れられています。
ほぼ全エピソードを扱っていると思われるドラマ版でカットされていた、夏菜が水泳教室に行くシーン。ここでは、タトゥーを入れている外国人が利用できない施設が日本に多いことを、マイクと弥一は夏菜に説明できずに悩んでしまいますが、これはセクシャリティとは無関係で、日本の特殊な文化の問題です。
その意味で、ラストのハグは、セクシャリティだけでなく、文化的な壁を乗り越えた人と人との触れ合いが描かれており、弥一の人間的成長が、言葉ではなく態度として一番伝わってくる場面だと思います。

説明の仕方が秀逸

この作品は、ストーリーだけではなく、漫画としてもとても優れていると思います。
一番のポイントは、言葉による説明が最小限に抑えられているということです。
作者として伝えたいことが沢山ある漫画のはずですが、登場人物の台詞や言葉による心情描写は最小限に抑えられています。また、以下のシーンでは、そこで「起きたこと」そのものも省略しており、そこを敢えて描いてしまったドラマ版は無粋に見えました。

  • 酔っぱらって帰ってきたマイクが自分に抱きついて悲しむのを見て、涼二の死に初めて涙するシーン。(涙は描かず、月が二重に映ることでそれを示する)(1巻6話)
  • 久しぶりに夫婦が揃った翌日、夏菜を学校に送り出した後、二人で散歩に出たときに「どっかで休憩していこうか」と 夏樹に誘われるシーン。(ドラマ版ではその後のホテルの様子まで描かれたけど不要では…)(2巻9話)

その他、3、4ページくらい平気で台詞なしのコマが続く場面も多々ありますが、そこが無駄な場面というわけでは決してなく、ドラマでもかなり忠実に、その台詞・無言をマンガに寄せていたように思います。


なお、ゲイについての基礎知識については、物語とは切り分けてコラムとして書かれていますが、これが「マイクのゲイカルチャー講座」とされているのもとても良いと思います。
たとえば、『3月のライオン』の将棋コラムは先崎学九段が書かれており、作中には出てこない専門家がコラム作者であるため、作品とは切り離されています。
しかし、『弟の夫』ではマイクが書いていることで、物語と地続きでゲイカルチャーに触れることができます。コラムのタイトルは以下の通りです。物語がクライマックスを迎える4巻では、進行の邪魔になるためなのか存在せず、1〜3巻に収録されています。

  1. 同性婚
  2. ピンク・トライアングル
  3. レインボーフラッグ
  4. その他のプライド・フラッグ
  5. カミングアウト
  6. プライド・パレード
  7. ゲイ・プライド

弥一の獲得する視点(キャラクターの配置)

そして漫画としてのもう一つの上手さは、キャラクターの配置とその意味付けにあると思います。
『弟の夫』では、すべてのキャラクターが基本的には、主人公弥一が色々な視点で物を見る(視野を広げる)ために配置されているように思うのです。
勿論一番大きいのは夏菜です。
最初にマイクを家に泊めることになったのも、夏菜の発案でしたし、4人で温泉旅行に行くことになったのも言い出しっぺは夏菜でした。夏菜の「偏見のない」視線に触れることで、弥一は、自身の「偏見」に気がついて行くという構図です。


中学生の一哉君が、マイクに話をしに来る エピソードは特に好きです。(13話、14話)
この話では、弥一は、色々な立場の人の思考を辿りながら カミングアウトについて考えます。
まず、一哉君から直接聞いた話で、カミングアウトをする側の人の悩みを知ることになります。また、マイクからも同様の話を聞き、弟・涼二が自分にカミングアウトしたときもそうだったであろうことに思い至ります。つまり、一哉君とマイクの視点を得ることで、弥一は涼二の気持ちを初めて想像することができたのです。
一方、カミングアウトされた側についても同様です。まず、カミングアウトを受け入れてくれたマイクの両親だけでなく、受け入れられない人たちについても描かれています。さらに、夏菜(小3の娘)が女性の恋人を連れて来たときのことを夢に見ることによって、弥一は、カミングアウトされた親の気持ちをリアルに想像することになります。ここでは「自分は絶対に受け入れる」と決心するだけにとどまらず、受け入れなかった場合についても、今度はカミングアウトする側にたって想像を巡らせます。

同性愛者が子供に悪影響だと考えるような大人の
その子供が同性愛者だったとしたら
その子が親にカミングアウトしたら
自分にとって最も身近な人が
自分のことを良く思わない
人生で出会う最初の敵になるかもしれない
(3巻15話)

温泉旅行に行ってもこの話題は引きずり、離婚した夏樹(夏菜の母親)とも話をし、「好きになった相手が男の子でも女の子でもいい」という夏樹に対して、こう言います。

そうなんだけどさ…親としてはさァ
子供には出来るだけ苦労して欲しくないじゃない
やっぱ普通に育って欲しい…とか
つい…考えちゃって…
(3巻17話)

この発言は、夏樹に「苦労するかもと思うのは差別ではないか」とたしなめられるのですが、それだけ弥一が、娘からのカミングアウトという架空のシチュエーションに対して真面目に考えていることが分かります。


そんな弥一から「見えない」キャラクターが一人だけいます。
それが3巻で登場する「カトやん」です。
カトやんは、誰に対してもカミングアウトする気はありません。
物語の中では、カミングアウトをする人としない人がいることの事例として出されているカトやんですが、カトやんが弥一の家に来る回(第19話)のタイトルが、(カトやんが手土産に持ってきた)「焼き菓子詰め合わせ」となっているのは、弥一に見せた「よそ行きの顔」を象徴するアイテムだからなのでしょう。
なお、こういったテーマについて、どちらかの立場に与することないのが『弟の夫』の特徴であり、主張の一部だと思うのですが、ここでは珍しくカトやんの生き方に対しては否定的に見えます。マイクの目から見ると、ゲイの人といるときだけ「素の自分」を出せるカトやんは幸せそうに見えないのです。
例えば「オタク趣味」をオープンにするかしないか、という似た状況は誰にでもあり、そこから考えても選択は人それぞれだと思うのですが、出来るだけ「よそ行きの顔」を減らしたい作者の主張が強く表れている部分で気になります。作者の著書『ゲイ・カルチャーの未来へ』で何か書かれていないか読んでみたいところです。

ゲイ・カルチャーの未来へ (ele-king books)

ゲイ・カルチャーの未来へ (ele-king books)

作品のテーマ

全4巻で台詞も少ない漫画ではありますが、扱っているテーマは「同性愛」にとどまらず何本かの柱があるように思います。

  • 性教育(小4に「結婚」「同性婚」「愛し合うこと」を教えることについて)
  • 結婚・離婚・父子家庭(特に4巻の担任との面談)
  • 外国文化(食事、タトゥー、同性婚

それでも、これら全てが「家族」というテーマに収斂するのが素晴らしいです。

うちだけじゃない
世の中には父子家庭も母子家庭も幾らでもある
お母さんがいないからかわいそう
片親だけでかわいそう
親がいないからかわいそう
そんな考え方には俺は絶対に与したくない
淋しがらせることはあるかもしれないけど
それでも俺は夏菜を幸せにしてみせるし
これが正しい家族の形だ
それ以外はかわいそうだ
そんなのって差別的だよ
(2巻8話)

同性愛という要素は含まれませんが、弥一が夏樹に向けて言ったこの台詞に作品のテーマすべてが表れているように思います。(なお、弥一が強く主張するもうひとつの場面は、担任との面談部分ですが、そこにも家族の形が表れていると思います)


そしてこの漫画のラストシーン。
リョージとの約束が果たせず、もう誰とも「ゼッタイの約束」は出来ないというマイクの言葉に呼応するように、夏菜と散歩をしながら弥一は語ります。

そうだ
先のことは判らない
いつか俺は夏菜と一緒にカナダへ行くかもしれない
涼二が永住を決意した国 涼二がマイクと共に生きることを選んだ国を見るために
行くかもしれない 行かないかもしれない
先のことは判らない


夏菜が大きくなって好きになる相手は
男の子かも知れない 女の子かも知れない
いつかマイクにも新しく大切な人が出来るかもしれない
俺と夏樹が二人で笑って会えなくなる
そんな日も来るかも知れない
先のことなんて誰にも判りはしない
でもそれでいい


俺はいつまで夏菜と手をつないで歩けるだろう
夏菜はいつまで俺と手をつないでくれるだろう
でもたとえそんな日が来ても今日こうして一緒に歩いたことは変わらない


涼二はもう帰ってこない
でも俺には弟がいた
そしてマイクと一緒にカナダで生きた
マイクがそれを教えてくれた
マイクと過ごした日々のこと
ずっと忘れない


一年後にマイクの両親と姉が弥一の家を訪れ後日談を描くドラマ版とは違って、未来への希望を最小限に抑え、現実に起きたことだけを幸せとして噛みしめる終わり方になっています。
テレビ版の終わり方は、ありきたりという以上に、「家族が増えれば幸せは増える」という価値観を提示するような形になっており、原作は、それを拒否したかったのだと思います。また、原作もドラマも弥一と夏樹の復縁を想像させるようなエピソードが多かったのですが、ラストで二人がよりを戻してしまうと、やはり、物語の提示する「家族」の形から外れてきます。
つまり「 正しい家族 」を主張しない、反対に言えば、どんな形でも受け入れる、そんな価値観が強く出ているラストなのかなと感じました。
ただし、原作者の田亀さんは、テレビ版のラストシーンは好意的に捉えているようです。

あのラストシーンは、有りだというか、希望が未来へ向かって広がっていくような感じがして、良いのではと思いました。
元々、漫画とドラマは言語が違うと言いますか、能動的に自分のペースで読み進められる漫画と、受動的で、ながら見もできるテレビとの違いがあると思います。漫画にある"間"を、説明で埋めたくないとも思っていました。ドラマにはドラマのロジックとかあるでしょうし。そういう意味では、どんな仕上がりになっているのか、楽しみですね。
NHKドラマ『弟の夫』原作・田亀源五郎さんに聞く

まとめ

扱うテーマとは無関係に、全4巻で終わる漫画として、最強レベルの完成度を誇る作品だと思います。そして、出来るだけ若いうちに多くの人が手に取った方がいい本という意味では、道徳の授業にぴったりではないかと思います。
教科化されて話題になることの多い「道徳」が、どのような問題を抱えているのかは不勉強でよく知りませんが、「道徳」が「家族」の問題を扱う科目であれば、必読書としてほしい一冊です。
とはいえ、そうはならないだろうから出来るだけ多くの知り合いに読んでもらうよう布教活動を続けたいと思います!

改札素早く通り抜けろ2人のルールで〜熊倉献『春と盆暗』

まばたき(初回生産限定盤)(DVD付)

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改札 素早く通り抜けろ2人のルールで
また ふざけてるんだろう?
雨でまつげが濡れてる
失くしたもの ここじゃないどこかで見つかるから
2人だけの世界 誰にも触らせない

『まばたき』は、ここに来て、自分にとってYUKIのベストアルバムという感じになって来たが、その中でも大好きな「2人だけの世界」。
どうして改札を素早く通り抜けなくてはいけないのかは、歌詞だけからは分からないが、そういう、秘密のルールや、行きつけのレンタルCD*1の話が2人の繋がりを強くする。
しかし、だからと言って2人が「お互いを全て分かり合える」のではない、ということを、ブリッジ部分(↓)で言っているのが面白い。*2

その瞳に映ってた 私は私も知らない
あなただけが知ってくれている
それは必然で 何もこわくはない

「2人だけの世界」は、あくまでも2人の人間それぞれの中にある別個なものだ。ある意味で冷めた視点で2人の関係を分析しつつ、信頼関係があるから、その世界が強固なものだと言ってのける強さが感じられる曲。


春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

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『春と盆暗』は、短編集だが、YUKIの歌う「2人だけの世界」のうち、「2人のルール」に特化した内容が全ての話に含まれる。2人の間には、まだまだ強固な信頼関係はないけれど、「2人のルール」が盛り上がっていくところに、これからの恋の進展を予感させる。
漫画としての魅力は、そのルール自体が、どの程度、魅力的かどうか、というところにかかっているが、自分は面白く読んだ。


帯に「ぼんくら男子と不思議女子の片思い連作集」とある通り、短編は4つとも、不思議ちゃん的性格のヒロインが、世界の捉え方に対する個人的なルールを披露して、そのに主人公男性が惹きつけられるという展開。
似た話ではあるが、4編でキャラクターの描き分けを意識的に行っていることもあって、それぞれ飽きずに読める。
特に自分が好きなのは、定番の「水中都市」ネタを含む、そのままのタイトル「水中都市と中央線」。
カラオケ店でアルバイトする男性主人公は、援助交際的な動きを見せる制服女子(実は21歳)に惹かれる。話してみると「街が水中に沈んだら背が高い方が助かるからいいですね」という謎コメントをもらい、水中に沈んだ中央線の風景が頭をよぎる。自分は、都市が水中に沈んでしまうという妄想は大好き過ぎるので、無条件に高評価になってしまうが、ラストでヒロインが主人公にストローを咥えさせるシーンは最高だ。


また、高尾山、布田駅井の頭公園など、京王線ユーザーには馴染みの場所が多く出てくるのも嬉しい。
絵柄はとても好きだが、やっぱり似た話が偏っている気がするので、次の作品は、ボーイミーツガールに重点を置いた話ではなくて、人間同士の関係性に目を向けた話を読んでみたい。
「水中都市と中央線」がまさにそうだが、不思議女子のイメージは、アジアンカンフージェネレーションのジャケの女の子のイメージなのかな。

或る街の群青

或る街の群青

参考(過去日記)

⇒水中都市ネタとして、ポニョのほか、星新一『午後の恐竜』、絵本『東京は海のそこ』について取り上げています。

*1:歌詞に出てくる「友&愛」は自分の住んでいる最寄り駅にもありました…

*2:歌詞に使われている言葉を見ると、ブリッジ部分以降は女性の立場、それより前は男性の立場で書かれているように思う。それも含めて面白い。

怖がらせるタイミング〜山岸涼子『月読』

月読―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)

月読―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)

今年になってから始めた御朱印集め。
八王子にある子安神社では、桜の時期に3日間限定の御朱印があるので、頂いた画像をTwitterに挙げたところ、書かれた神様と同名の山岸涼子の短編があると指摘を受け、収録作を読んでみた。


Wikipediaによれば、御朱印の真ん中に書かれた「コノハナノサクヤヒメ」は、安産の神として知られ、以下のような由来があり、ここで出てくる姉妹の話が、そのまま山岸涼子の短編の題材になっている。

神話では、日向に降臨した天照大神の孫・ニニギノミコトと、笠沙の岬(宮崎県・鹿児島県内に伝説地)で出逢い求婚される。父のオオヤマツミはそれを喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出したが、ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤビメとだけ結婚した。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギノミコト)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである(天孫降臨を参照)。
コノハナノサクヤビメ - Wikipedia

『月読』に収録されている「木花佐久夜毘売」には、この神様の名からつけられた咲耶(さくや)という女子大学生が登場するが、主人公は「咲耶(さくや)」ではなく、その妹の典子。典子は出来の良い姉と常に比較され、自分のことを、醜い「石長比売(いわながひめ)」に例え、愛されない自分の境遇を恨めしく思う。
そんな典子にも理解者が現れ、明るい終わり方になる、さっぱりした短編で、やや幻想的な「ウンディーネ」と合わせて、元ネタをポジティブな短編に昇華させた後味の良い作品。


「元ネタ」と書いたが、この短編集は6編のうち、5編が日本神話由来の話で、「ウンディーネ」だけが、水の妖精ウンディーネを題材にしている。
表題作は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)の3人が登場する話。
表紙に出ている美形男性が月読命のはずだが、実際の作中の月読は、かなり神経質で暗く、ハンサムのイメージは無い。アニメ『ユーリ!!! on ICE』に登場するギオルギー・ポポーヴィッチ(失恋直後)に似ていて、もはやギャグに見えるくらい生真面目だ。
ただし、月読が激昂する2つの場面は、どちらも、こっそり覗いたらことによって、インパクトの強い「真実」が判明する以下のようなシーンで、月読の反応は仕方なく、むしろ同情してしまう。

  • 決して見てはならないと言われる調理中の保食神(うけもちのかみ)
  • 敬愛する姉の天照大神と、乱暴者の弟・須佐之男の隠していた関係

もともとの古事記日本書紀の日本神話からどれだけ逸脱している話なのか分からないが、この短編集の中では、最も多くの有名人が登場し、印象の強い作品が「月読」だった。


そして、表題作のように、起伏があり、結末もしっかりと閉じている物語展開とは異なり、余韻を残す怖がらせ方をしているのが、「蛭子(ひるこ)」と「蛇比礼(へみのひれ)」。
二つの作品はともに、物語の中心に妖しい魅力を持った「子ども」が登場する。

  • 性的な魅力で、語り手の男子高校生や、大人までもを絡めとっていく小学生女子の虹子(「蛇比礼」)
  • 風と木の詩を彷彿とさせる美少年でありながら、親切心から部屋に入れると、必ず物がなくなる中学生男子・春洋(はるみ)(「蛭子」)

どちらも、物語に明確なオチが無く、気持ち悪さがマックスに達するような場面で、あえてぶった切って終わらせているところが恐怖を倍増する。
もうひとつの短編「天沼矛(あめのぬぼこ)」は3編からなるが、そのうちの「緋桜」も、最後の一コマで長年の疑問の真相に辿り着く、という内容で、怖がらせるタイミングというのは、恐怖漫画ではかなり重要だなあ、と思わせる短編集でした。