Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

今日で、我が息子ようたも10ヶ月を迎えることができました。本当は、ようたの成長を記すつもりだったのですが、いても立ってもいられない話題があったので、ようたの話はまた今度。

僕の「渋谷系」

originalovebeerさんの日記で興味深いテーマが取り上げられていたので、自分も少し考えてみた。まずは下記のエントリを参照のこと。

渋谷系とはなんだったのか?

さて、「渋谷系とはなんだったのか?」というのは結構重いテーマで、すぐには答えを出せない。一つの答えとしては、はてなのキーワード説明がコンパクトにまとまっていると思う。が、少し考えてみて、以前、自分でも「渋谷系とは何か」をテーマにエントリを書いたことを思い出した。
読み返すと、途中まで、あれ?大丈夫か?ということを書いているのだが、最後になって、「渋谷系とは何か」というテーマに全く正面から回答せずに、華麗な逃げの結論を出していたのに、我ながら笑ってしまった。

とすると、渋谷系は、人によって定義の異なる言葉ということが言える。

でも、結構、核心をついた答えかもしれない。ただ、僕としては、今回さらに、「渋谷系の定義は、日によって気分によって変わる」ということを付け加えたい。そうすれば、僕が「渋谷系」という言葉を用いるときの一貫性の無さも問題にならない(笑)。
今の気持ちとしては、「渋谷系」とは、「今夜はブギーバック」のことだ、とりあえずと言ってしまいたい。理由を二つあげる。
まず、コメント欄でoriginalovebeerさんが触れているように、人間関係の図式そのものが渋谷系という現象に大きく関わっているということ。あの頃は、渋谷系周辺の人物相関図みたいなものが複数の雑誌で取り上げられていた覚えがある。小沢健二スチャダラパーのコラボレーションはその典型だが、過去の人物に対するリスペクト・引用も含めれば、いろいろなリンクがあった。(オザケンスカパラ小坂忠をカバーしたのもあった。)
次に、オザケンなくして渋谷系なし、と言いたい。田島貴男が中心人物だったら、そこまで「渋谷系」という言葉は流行らなかっただろう。田島を褒めるには「声がいい、歌が巧い」と言えばそれで済むが、オザケンには、その言葉は通用しない。でも「愛し愛されて生きるのさ」はよい。非常に心地よい。これを説明する言葉は、渋谷系の文脈から持ってこざるを得なかったのだと思う。「クレオパトラの鼻がもう何センチ高かったら」というが「オザケンの歌がもう少しうまかったら」、渋谷系の世界はもっと変わったものになったのではないかと思う。
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さらに、別の観点から言うと、originalovebeerさんの頁のコメント欄でid:honeybluemoonさんが指摘されているように、「渋谷系」とは音楽以外も含めた時代の流れとは切り離して考えられないものであり、よく言うポストモダンの考え方がそのまま当てはまると考えている。

 ざっと繰り返しておくと、80年代末から世界史的に大きな出来事が次々と起こって、日本ではバブル経済がはじけて、どうやら80年代とは決定的に違う時間が、この先に流れ始めるらしいと皆が気付きはじめて、微温的な不安感が、この国のいろいろな部分に波及しつつあった頃、そのことを直接に語ってはいなくても、そういうことすべてへの返答(そこには受け入れと抵抗とが両方存在している)として、たとえばポップ・ミュージックやサブ・カルチャーといったものからも、さまざまな変容の片鱗が立ち現われてくる。意図的であろうとなかろうと、それはやはりそうなのだと思う。

引用先(←佐々木敦さんのクイックジャパン記事。)は、「ポストモダン」という言葉そのものは使っていないが、実質的には、まさにポストモダンを説明した文章と言える。「大きな物語」が崩壊した過渡期の時代だからこそ、ピチカートも先人(山下達郎)から「仏つくって魂入れず」と酷評されもしたのだろう。
さて、ここまで書いていてなんですが、リンク先を読んでもらうと分かるとおり、今の大学一年生は小沢健二を知らないという。つまり渋谷系なんていうものに拘泥するのはほんの一握りの世代なのかもしれませんね。これには衝撃を受けました。

フリッパーズ・ギターも知らないという。小山田圭吾は?と訊ねたら全員首を捻っていたが、コーネリアスのことだとわかると、ああとうなずく。小沢健二については名前は聞いたことはあるものの、曲は知らないみたい。

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田島貴男渋谷系については、originalovebeerさんがうまくまとめてくれるはずです。「渋谷系としてのオリジナル・ラヴは『セッション』(’92)までである」という意見や、渋谷系として紹介するなら『SUNNY SIDE OF』を紹介すべきという意見には大賛成です。
ただ、オリジナルラヴを知らない人には注意しておかなければならないのですが、田島貴男はヤドカリなので、ある程度の時間が経つと、住み慣れた家も出なくては生きていけません。あと家に表札を貼られることを極度に嫌がります。ただ、ここ数年で大人になり(笑)、そこら辺は気にならなくなったようです。最近の住処(貝殻)はいい具合に汚れていると思いますが、そこすら書き置きを残して出ていきそうな雰囲気が田島貴男の魅力です。