本日は王国崩壊の跫音が聞こえてくるような大事件*1があったので沈んで
います。オリジナル・ラヴについての文章は日曜日にアップする予定です。
花を咲かそう
朝、家を出る前に、コニちゃん(KONISHIKI)が「我思う故に我あり」と連呼するのをぼーっと見ていると、画面が変わって、金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」の朗読が始まった。
私が両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
僕は、この詩は知らなかったけど、ホロリと来た。(疲れているのかもしれない)
これだから「にほんごであそぼ」は見逃せない。*1
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「感動」と「論理」はつながらないから、あまり詩の解説とかしたくないけど少しだけ。
この詩は一見「世界に一つだけの花」と似ている。根っこは同じかもしれない。でも受け取る側のメッセージは違う。正反対かもしれない。
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
金子みすゞと何が違うかといえば、この曲を聴いて、世界に一つだけの花を「咲かす」のではなく、「探す」ことに一生懸命になる人の方が多いだろう、ということ。
「私と小鳥と鈴と」は、極端にいえば「生まれたままを全肯定」で「探す」ことを求めない。岩手県の「がんばらない宣言」に近い。一生懸命とは対極の位置にあるのだ。
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でも、僕は一生懸命が好き*2なので、どうやって花を咲かせばいいかを考えてみる。
結局、「花をさがす」のはモラトリアムだし、非効率だと思う。迷いに迷って見つけた種を育て始めても芽が出ないかもしれない。間違って花屋で別の種を渡されたかもしれない。雄株と雌株と対になっていないと実のならない種類かもしれない。咲いてから悲惨な末路を辿る花かもしれない。「一つだけの花」を育てようと思うから間違える。
そうじゃなくて、やたらめったら種を蒔くのが正解なのではないか。最後に笑って死ねればいいなら、死ぬ間際まで種を蒔き続ければいいのではないか。それを楽しみにしながら無駄に種を蒔く。勿論育てることも必要。
ちょっと主旨は違うが、以下のエントリも同じことを言っている。メインストリームがジリ貧になったときに、企業を救うヒットは傍流文化から出てくるという話。
ゲーム業界に見る傍流文化の主流化
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000314.html
僕にとっては、ここで書くことも一つの種蒔き。育つかどうかよくわかりませんが。
*1:こんな素晴らしいページがあることを知りました。これで、「かるた」の出典がわからなくて悩むこともない。http://homepage3.nifty.com/geturo/karuta/karuta.html
落語を読んで「タイガー&ドラゴン」をもっと楽しむ@Excite Books
明日の放送開始を前にして「キター!」な特集です。
充実しすぎていて、とてもすぐには全部読めないのですが、初回のネタは「芝浜」だというので、今からあらすじだけでも予習しましょう。
<あらすじ>腕はいいのに酒ばかり飲んで働かない魚屋・勝五郎。今日こそ働かせようと女房は勝五郎を叩き起こして芝の魚河岸へ送り出した。勝五郎が浜で一服していると、足元に大金の入った財布が。これで働かなくてすむと大喜びで家に帰ってドンちゃん騒ぎ。明くる朝、前日と同じように起こされた勝五郎は拾ったお金のことを言うが、女房は夢でも見たのだといって取り合わない。反省した勝五郎は生まれ変わったように稼業に精を出し、3年後には小さな店をもてるようになった。大晦日の夜更け、勝五郎がお茶をすすっていると、女房が大金の入った財布を取り出す。「夢じゃなかったんだよ、お前さん」あのままでは酒浸りになってしまうと、心を鬼にしてだまっていたのだという。これを聞いた勝五郎は感激、涙を流して女房に礼を言い、酒を口まで運んでピタリとやめた。「また夢になるといけねえ」