Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

はてなリング、よくわからないながらも、岡村ちゃんリングと書評リングに参加させていただいています。リングボタンは、左のサイドバーの下の方にあると思います。ピンクのマークは、岡村靖幸ファンにはおなじみの「ピーチマーク」というのですが、マクドナルドの新商品「えびフィレオ」(もう終わったかも)のマークがどうしても、ピーチマークに見えてしまうのは、病気かもしれません。

オリジナル・ラヴ『恋の片道切符/青い鳥』★★★

恋の片道切符/青い鳥
今回のシングルは1・18発売のカバーアルバム『キングスロード』の先行シングルということで、カバー2曲(田島貴男訳詩)の両A面+新曲1曲の計3曲という変わった構成。思えば、前回のアルバムから1年ぶりという、かなり待たせたリリースとなった。
曲目は以下の通り。
1.恋の片道切符ニール・セダカのカバー)
2.青い鳥(レオン・ラッセルのカバー)
3.ピストル・スター

恋の片道切符」は、スカパラとの競演曲。はじめはスカパラの色が出すぎているかなあ、とも感じたが、田島貴男の粘っこいボーカルが強烈で、上手くバランスが取れている。
「青い鳥」は打って変わって、落ち着いたピアノで始まる、ミディアムテンポの曲。こちらは原曲を知らないこともあるが、オリジナルラヴっぽさを感じる。ラティールのパーカッションのせいか?
そして「ピストルスター」は、田島ギターがかっこいい曲。過去の曲で言うと「STARS」っぽいか。
3曲を並べると、ド派手な「恋の片道切符」と、その穴を埋めるようなOL的な二曲。シングルとしては十分楽しめる内容だ。
 
さて、ここからが本題。
お前は何様だ、と自分に激しい突っ込みを入れながら書くが、詞について言えば「ピストルスター」は、僕の中では落第点だ。(なかなかweb上で厳しい意見を見かけないので、厳しさ1.5倍(当社比)で行かせて下さい)
何故かといえば、オリジナルラヴの(オリジナルの)新曲は、田島貴男の新境地かつ大傑作である「鍵、イリュージョン」(前アルバムの最後の曲)以来だったからである。今回、これまでにないほど、田島貴男がどんな詞を書くか?に注目していただけに、こういった詞が出てくるのは理解できない。
具体的に、何がそんなに不満なのか?を説明してみたい。

ラブソングを歌う必然性があるのか?

「ピストルスター」は、解釈の仕方にもよるが、ラブソングだ。
以前も書いたが、木村カエラのアルバム『KAELA』を僕が気に入った理由は、ラブソングがほとんど無いからである。世の中に腐るほどあるラブソングを歌わないことに、彼女の主張が見えたのだ。
勿論、僕が、このようにラブソングを嫌うのは、“恋愛”が現在の“僕”の個人的な関心事には含まれないという要素もあるかもしれない。しかし、ミスチル「靴ひも」はラブソングの傑作だと思うし、オリジナルラヴにもそういう歌はたくさんある。つまり、ラブソングを書くこと自体が悪いのではなく、田島貴男が“歌いたいこと”“表現したいこと”がないから、とりあえず落ち着く場所としてのラブソングに“逃げている”と感じられてしまうのだ。
NHKトップランナー」のインタビューで、木村カエラは、ラブソングを書かない理由を「今は書きたいと思わないから」というように語っていたと思う。それは、彼女が“自分の歌いたいこと”を重視していることの表れだろう。表現したいことがあってこそ作品を世に出す意味がある。
あるラジオ番組で、松任谷由美が「作詞をしたい」という松浦亜弥に対して「厳しいこというようだけど無理に作詞とかしないほうがいいよ」「他の人が作った詞を自分のものにできることのほうが素晴らしい」*1とたしなめたという。直接的な意味は、自分で詞を書かないことにコンプレックスを感じずに、「解釈」が得意であることに自信を持ちなさい、とうことだろう。しかし、「作詞」という行為を夢見るのではなく、その行為の大元にある「これを伝えたい」というものが無くては詞は書けないよ、という意味もあったと思う。
かなり脱線したので、田島貴男に戻る。前回のアルバムの9曲目「夜の宙返り」は、この歌詞ゆえか、さまざまな憶測を呼んだが「ごめんね そばに いられなくなっちゃって」というサビが心に染みる佳曲。そしてそのあとの「鍵、イリュージョン」は、かなり長く引用しなくてはならないので、引用しないが、老若男女すべての人に伝わるポジティブなメッセージソング。どちらも田島貴男の“表現したいこと”が響いてくる素晴らしい楽曲だった。
逆に、せこくお金のことを歌った「Yen」なんていう曲もあったが、いずれにしても、田島貴男が自分自身と真摯に向き合った末に出来た曲なんだと思う。前回のアルバムは、全体として、そういった歌詞の後ろに田島貴男が見えるからこそ光った傑作だと僕は感じた。
そして、今回の「ピストルスター」の歌詞には、現在の田島貴男が見えてこない。ラブソングを歌う必然性もわからない。そう思うと、歌詞も字面を揃えただけのように見えてしまう。
これも以前に書いたが、桜井和寿は、曲を作るとき、歌詞が嘘っぽくならないよう「説得力」を気にかけるという。そして、年の功もあるのだろうが、スティービーの新作も、聴く人に思いを伝えようとする迫力に満ちていた。(英語詞がわからなくても、スティービー・ワンダーが怒ったり、楽しんだりしているのが伝わってくる)「ピストルスター」を聴いても、そういう熱意が見えない。
 

言葉選びのまずさ

さて、かなりの推測を元に上の文章を書いたが、実際には「ピストルスター」には“表現したい何か”が託されていて、僕がそれを感じることができなかった、という可能性もある。しかし、その“表現したいもの”が、何であれ、言葉選びが拙ければ聴く人に届かないのではないだろうか?
これも完全に個人的な感覚で書くので、読む人によっては、全く納得がいかないかもしれないが、「ピストル」「孤独を撃ちぬけ」「恋に熱くなりたい季節」「夜空を血に染めた」あたりは、僕にとってはNGワードである。使い古された言葉の並びをわざと選んでいるのでは?と思ってしまう。10年くらい前にビジュアル系のブームでは、どこのバンドの曲にも、こういう使い古された表現が多く、大半の曲は聴けなかったが、何故か最近の田島貴男は、こういう「ダサい」言葉を選んでしまう傾向がある。1年前のシングル「沈黙の薔薇」は傑作だと思うが、タイトルで損をしていると思う。
いわゆる『バカの壁』でいう「脳内の一次方程式」(y=ax で y:出力=受け取る側の行動、x:入力=表現。)がそのまま通じる部分であり、NGワードが続出すると、僕の脳の中の係数a=0(もしくはマイナス)になってしまうのだ。
これを逆に言えば、x(表現したいこと)が、ささやかなことでも、a(言葉選び)がプラスなら、歌詞としては成功しているといえると思うし、xよりもaの方に力を入れるミュージシャンも多いだろう。
スガシカオは、インタビューなどでもよく言っているように「そんなの使わないだろ!」という歌詞を選んで入れる。スガシカオでいえば「家畜」、桜井和寿でいえば「おりもまさお」「みのもんた」「プリン体」、キリンジでいえば「笑わせるなっつーの」、どれも、歌の世界ではあまり使われない言葉を使うことによって、聴く側に“引っ掛かるもの”を与え、自分の歌詞の世界に引き込もうと工夫をしているし、どれも効果的だったと僕は思う。
勿論、田島貴男も“変な言葉”を使え、というわけではないが、「ピストルスター」は、そういった聴く側への配慮(?)は感じられない。
 

最後に

かなり妄想が入ったレビューになっているが、そのまま突っ走る。
今回、「ピストルスター」が、カバー曲2曲のシングルの3曲目に“おまけ”的に入れられているのは、田島自身が、その完成度に自信を持てなかったことの表れではないかと推測する。そして、1月のアルバムがカバーアルバムで、しかも自分の手による日本語訳である、ということは、「作詞」について彼が何かを模索している段階にあり、まだ完全に脱皮できていないのだろう、と思う。*2シングルのHMV用のおまけ*3には、本人の直筆で「みんな 頑張ってる!?」というメッセージが書いてあったが、逆に、本人が新曲製作に相当頑張っている(苦しんでいる)のではないか?と考える。(というか妄想している)
2〜3月のライヴでは、新曲も演奏するんじゃないか?そのときは、是非、ピストルスターでの迷いを払拭する新作を期待したい。

*1:情報元:http://d.hatena.ne.jp/skoba/20051030#p3 toroneiさん経由です。

*2:以前もほとんど同じことを書いた。→http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20050918#OL

*3:アルバムとセット購入者へのプレゼント応募券。タワレコと同じ。