今回は、プチ曽我部恵一特集。そして「東京」特集。
『東京 飛行』を語る(5)〜エクトプラズム、飛行
- アーティスト: ORIGINAL LOVE,田島貴男
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2006/12/06
- メディア: CD
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いやあ、これは一番よく分からないので、何とも書きようがない。
インスト曲といってもメロディがあるわけではなく、音合わせ〜セッションみたいな感じなのだから尚更だ。
〜〜〜
『東京 飛行』は、映画をイメージしたアルバムで、ストーリーが終わってエンドロールが流れる、そんなときに流れるのがこの「エクトプラズム、飛行」。
そういう説明を田島貴男は繰り返していたように思うが、自分の思う「エンドロール」とあまりに異なるので、困惑する。
自分の想像する「エンドロール」曲は、オリジナル・ラヴでいえば、
あたり。濃密な感じで本編が終了して、やや明るくて軽い曲を聞きながらエンドロールの文字が流れてくるイメージ。『L』の「神々のチェス」〜「白い嵐」の流れがべスト。
『東京 飛行』においては、むしろ、9曲目「夜とアドリブ」でアルバムタイトルどおり「東京上空を離れて」怪しい雰囲気で本編を終わらせて、エンドロールで10曲目「遊びたがり」(メロディーのみ)とした方がしっくりくるような気がする。(もちろん、「遊びたがり」はいい曲なので、歌詞なしでは困るのだが)
オリジナル・ラヴ以外では、曽我部恵一の『Strawberry』がそのイメージに近い。
- アーティスト: 曽我部恵一
- 出版社/メーカー: インディペンデントレーベル
- 発売日: 2004/10/08
- メディア: CD
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確かに、「エクトプラズム、飛行」も、これはこれで「終わった」という感じはするのだが、「エンドロール」かといわれるとイメージが異なる、ということを自分は言いたかったのです。
『東京 飛行』を語る(6)〜夜とアドリブ
次は、上でも書いた9曲目。
この曲の歌詞は、他の曲とは少し異なるように聴こえるが、BARFOUTのインタビューによれば以下の通り。(yokoさんのところから引用)
「夜とアドリブ」は単純にイメージでパパパッと作ったんだけど。イメージの飛躍を面白がって作った。でも、他の曲はそうじゃないですね。
もともと、田島貴男は、言いたいことがあって曲をつくるタイプではなく、最初に楽曲ありきで、イメージで歌詞を乗せていくタイプなのだと思う。
例えば、5th『RAINBOW RACE』の1曲目「ブロンコ」。
愛を込めたシギリーヤで 夜更けまで踊り明かす
シギリーヤとか聞いたこともない言葉が出てきているし(しかも、自分はそれを「CD屋」と聞き間違えていたし)、意味はよく分からないけど、響きがメロディーに合っていて、かっこいい、それが(少なくとも一時期の)オリジナル・ラヴの歌詞のパターンであった。「夜とアドリブ」は、その頃を思い出させる歌詞だ。ただし、MARQUEEのインタビューによれば・・・
(ニューアルバムは)人生についてのアルバム。
昔は、サウンドがシャープな音楽、カッコいい音楽を作りたかった。
最近は、この歌が何を言っているか、どんなストーリーを持ってるのか、
そういうことの方が自分のなかの比重としては、大きくある。
ということで、「夜とアドリブ」のような詞の書き方は、最近ではあまりしないようだ。
〜〜〜
ところで、この曲は、田島貴男が楽曲を提供したクレモンティーヌの「リタがダンスを踊るとき」のセルフカバーになる。というか、歌詞を書き加えた上での改作、という言い方になるのだろうか。
- アーティスト: クレモンティーヌ
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 1992/07/01
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気づかなかったのには少し理由がある。
当時の自分は、レンタルしたCDをテープに録音するときに、ちょっとしたルール付けを行っていた。
そのルールは、「録音するのはアルバム一枚につき3〜4曲まで」というもので、そのルール故に、結構CDを慎重に聴いていたし、1本のカセットテープで、4,5枚のアルバムのお気に入りがつまることになるから、テープも繰り返し聴いていた。
『アン・プリヴェ』に戻るが、久しぶりにアルバムをレンタルしてきて聴きかえしてみると、結局、当時の自分のセレクションに合格したのは以下の2曲だけだったらしい。
4. ねえ,ラモン
9. サントロペで
ということで、どこまで意図したのかわからないが、田島貴男が提供した3曲のうち「リタがダンスを踊るとき」を除く2曲。今もそうだが、テンポが速い方がお気に入りだったようだ。
それにしても、『東京 飛行』の中の一曲が「東京」つながりの『東京の休暇』生まれであることは非常に興味深い。
ライナーには、田島貴男のコメントとして以下のようなものがついていたという。
クレモンティーヌの曲を書くにあたって僕が意識したことは、ずばりエキゾティックさである。当たり前のことだが、彼女はフランス人であり、彼女にとって“東京”は言わば異国だ。
その異国に住む僕がフランス人である彼女に曲を書くという感覚。この感覚から、僕は作曲を始めていった。そしてその方向は、三味線、琴、和太鼓といった楽器(それら自体はとても素晴らしい楽器だと思うのだが)を使って演奏されるポップスのような、今日においてある意味で非現実的な・日本(異国っぽさ)・を意識した方へ向かうということは決してなかった。むしろフレンチ・ポップスと呼ばれる、まさに日本的な解釈の上に成り立つフランスの音楽だとか、イギリスやアメリカなどの国々のポピュラー音楽などが、不思議な形で共存して交ざり合っている、いわば無国籍的に音楽のある都市としての“東京”を意識した方向だった。そしてそれは、今までぼくが感じたことのない作曲の感覚だった。アルバムが出来上がって全曲を通して聴いてみた。
予想以上に素晴らしい出来だと正直に思った。そしてなんと無国籍的なサウンドだろう。このアルバムのサウンドが、クレモンティーヌの「東京の休暇」中に感じたその印象であるならば、それは東京に住む人間として僕は、まさにそのとおりだ、と思えるのだ。――●田島貴男
いやあ、この文章、深すぎです。*1
ここでは簡単に書くが、田島貴男が言っている「今日においてある意味で非現実的な・日本(異国っぽさ)」を感じてしまうのが『街男 街女』であるような気がするがどうだろうか。
*1:こういうのがちゃんと載っているUnOFFICIAL PAGEは本当にすごい。尊敬です。
『東京 飛行』を語る(番外編)〜『東京コンサート』VS『街男 街女』
- アーティスト: 曽我部恵一
- 出版社/メーカー: ROSE RECORDS
- 発売日: 2006/10/06
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最近まで、こんな素晴らしいCDが出ていることを知らなかったのだ。
ジャケットいっぱいに広がる満開の桜と、向かって左上にデザインされた「東京」の文字──
1996年にリリースされたサニーデイ・サービスのセカンド・アルバム『東京』は、ファースト・アルバム『若者たち』で注目を集めはじめていた彼らへの評価を決定的にした作品として知られている。サニーデイ・サービスというバンドの代表作であり、リリースから10年が経ったいまも、フェイバリットに挙げる音楽ファンは多い。
10月6日にリリースされる曽我部恵一の『東京コンサート』は、その『東京』の全曲を、歌とアコースティック・ギターだけで再演したライヴ・アルバムだ。それは、“10年目の『東京』”であり、“新しい『東京』”であり、“たったいまの『東京』”でもある。『東京』を聴いたことがなくても、曽我部恵一の新作として楽しめる作品である一方、『東京』を愛してやまないという人、特にリアル・タイムで聴いていた人にとっては、さまざまな感情が、めくるめく光景が、まるで波のように押し寄せてくるであろう作品だ。
いやあ、『東京』というアルバムを自分が好きなのはわかっていたが、ここまで好きだとは思わなかった。ここまで傑作だとは思わなかった。
曽我部恵一の住んでいた明大前も、コンサートが行われた下高井戸も、自分が知っている街だからということはあるかもしれない。
「街」には、そこに住むひとがいて、皆がいろいろなことを考えながら生活している。
『東京コンサート』を聴きながら、そういう人たちのイメージが零れてくるようだった。
(ここから急にオリジナル・ラヴの話)
はっきり言えば、オリジナル・ラヴのアルバムには薄い「生活感」*1が、曽我部恵一の音楽には満ち溢れている。
そして、その生活感を(自分に不足するものだと気づいて)手に入れようとした田島貴男が、「生活感テーマパーク」を作ってしまったのが、『街男 街女』なのではないか。上の田島自身の言葉をもう一度引用すれば「今日においてある意味で非現実的な・日本(異国っぽさ)・を意識した方」に何故か向かってしまったのだ。ここでhiroharuさんのところから引用。
そうだ、先日「ラテン」って書いたけど、この男洋楽オリエンテッドなミュージシャンで、渋谷陽一との対談(誰かDVD化して欲しい、ホントに)でもあったように、アリスを知らない、渋谷の言うところのポップ・スターにパッと行けないジレンマを根深く持っている。これは私の解釈だが、つまりは、「島唄」とか美空ひばりとかいう、日本古来の「おかし」や「粋」をうまく表現できない人なのだ。日本的な情緒や湿り具合というより、もっとクールでドライな面持ちが絶対に似合う。これはもう絶対と断言できる。
まさに、その通り。
田島貴男は外国人なのだ。もう一つ、サンボマスター山口隆の田島評をemiさんのところから引用。
(以下『QuickJapan vol.58』より)
田島さんは"大陸の人"って感じがした。そこが自分とは決定的に違う。僕は純日本の小市民ですから。でもとにかくオリジナル・ラヴは、九〇年代の日本ではいちばんすごいと思ったグループですね。
その通り。
今回『街男 街女』を久しぶりに聴き直して何度も思ったのは、「この人の見ている風景は自分のと違う」ということ。逆に、「純日本の小市民」的な視点を、田島貴男が手にしようとするから、外国人が見たニッポンみたいになってしまう。
ミュージシャンには得手不得手があり、田島貴男が「YEN」を歌って「生活感」を得ようとしたのは、その取り組み自体が間違っていたといわざるを得ないのではないだろうか。
そこら辺が、渋谷陽一の言いたかったことに繋がってくるのではないか、と今は思っている。
(つづく)
補足:田島貴男=外国人説を裏付ける証言
「田島貴男=外国人」説を裏付ける証言が、田島本人から飛び出ました。
あまりにタイムリーだったので引用。
番長は、根がほんとうは、
もしかしたら西洋オバケのような人で‥‥「キャハハハ、西洋オバケはないだろう!
でも今日は一日通して
自分を思い知る感が漂っているからな。
なにか、この急須が
象徴的にオレを示しているのかな?
じつはヨーロッパの血があんのかな?
オレに」
相変わらず「俺のニュース」は面白い。
というか、あのスケッチの急須を本当につくってしまうのだから、やはり常人ではない。
*1:いい意味でも悪い意味でも