Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

いつか飽きる、いつか終わる、しかし今つかんでいる。〜綿矢りさ『ひらいて』

ひらいて

ひらいて

正しい道を選ぶのが、正しい。でも正しい道しか選ばなければ、なぜ生きているのか分からない。p165


綿矢りさの小説が好きだ。

リズミカルな文体が好きだ。
例えば『サマーバケーションe.p.』のように、文章のリズムが面白い小説もある。
が、それ以上に、綿矢りさの小説は、登場人物の思考のリズム感がいい。カラフルでキャッチーな単語と単語の連なりとなって表れる「思い」が、少し寄り道したり、とてつもなく変な方向に行ったりする。Eテレ『いないいないばあ』で、メロン大のゴムまりがぽんぽん弾んで進んでいくコーナーがあるが、あの感じかもしれない。
だからストーリーを辿るだけでなく、リズムを確かめるために、少し戻って読み直す。また戻って読み直す。そんな読み方をする。

だれかが私の側を通り過ぎてゆくとき、私はいつも、それが見知らぬ人であっても、相手の手をつかんで立ち止まらせたくなる。さびしがりのせいだと思っていたけれど、恋をして初めて気づいた。私はいままで水を混ぜて、味が分からなくなるくらい恋を薄めて、方々にふりまいていたんだ。いま恋は煮つめ凝縮され、彼にだけ向かっている。p19

1ミリの勝負だ。たった1ミリ動かすだけで美が生まれ、たった1ミリずれるだけで美が消える。標準は、だれの瞳にも宿るまっすぐでなにもかも焼切るほどの鉄線。ぴんと張りつめた極細の線に限りなく近づくためには、死にもの狂いの努力が必要だ。p85

『ひらいて』の主人公は片思いの女子高生。
ひとつ前に読んだ『勝手にふるえてろ』の印象からかもしれないが、これまで読んだ綿矢りさの小説の主人公は、大体、少し変わっていて我が強く、独りよがりだ。*1
今回も同じような性格で、主観8割の文章。思いを寄せる同級生男子の名前が変なのもいつものパターン。今回は「たとえ」。
これに加えて、同級生女子の「美雪」の3人で話が進む。登場人物が限定されて、世界が閉じる分だけ濃縮されるのも綿矢りさっぽい。
しかし、そう思って読んでいたら、後半はそんな“綿矢りさフォーマット”を否定する展開が待っていた。
驚いたことに、主人公が我が身を振り返り、反省し、変わろうと決意する。そんな物語だった。


鶴を折る。
「たとえ」への思いを込めて鶴を折る。豪華絢爛な千代紙を使って、指で爪でいっしんに美しく仕上げる。あまりたくさん折り過ぎるから、主人公の机の引き出しの中は、折り鶴でいっぱいになってしまった。
しかし、その丹精込めた美しさは、他人に向けられたものではない。あくまで自分ばかりを見つめてつくった美しさだ。たとえと美雪と付き合う中で、そんな自分の欺瞞が見えてきてしまう。
勿論、その欺瞞に初めて気がついたわけではない。主人公は毎朝点検する完璧な笑顔に疲れていた。鏡の中の笑顔はソックスの刺繍に喩えられた。表側の生地には、四つ葉のクローバーの刺繍が施されているが、裏返せば緑の糸がめちゃくちゃに行き交い、なんの形もなさない。
そんな彼女に大きな影響を与えたのがI型糖尿病を患う同級生の美雪だった。

なにかを頑張るときに私のエネルギーの源になる「自分を認めてもらいたい」欲望が、彼女には欠けている。それを失くせば私は無気力になり生きていけないから必死で守っているのに、彼女はあらかじめそれを手離し、穏やかに朽ち果てるしかないとしても、無抵抗で流れに身を任せる。他人を思う十分の一ほども自分を大切にしない。しかし傷つくときはしっかりと傷つく。私から見ればだたの馬鹿だ。私はその馬鹿さにときどき泣かされそうになる。p134

そんな美雪に影響を受けながら、ラストシーンで主人公は、その瞬間*2に満足しつつ、決心するのだった。「愛とは違うやり方で、でも確実に隙間を埋めてゆく」方法に気がつくのだった。
彼女は、自らも渇望する「なにも心配することはない。あなたは生きているだけで美しい」と言ってくれる存在になりたいと思っている。だれかにとってのそんな存在になって、その人が苦しんでいれば、さりげなく、でも迷わずに手を差し伸べて、一緒に静かに涙を流せるようになりたい、と考えている。

そんな存在が無ければ、本当に困ったとき、一体なにがつっかえ棒になって、もう一度やり直そうと奮起させてくれるのだろう?(p159)


狭い世界に閉じこもっていれば、決してそのような存在にはなれない。目に写る世界を感じ、受け止め、人と話をしていくことでしか、そこには近づけない。
ラストシーンで自分自身に向けたつぶやきを、再び繰り返し投げかける相手が、たとえや美雪ではなく、全体のストーリーと全く無関係の少年であることも、これから「ひらいて」行こうとする主人公の思いが感じられて良かった。
…と、書いてみると、内田樹が『呪いの時代』で書いていた祝福の方法と似ているのかもしれない。綿矢りさを読んで、こんなところに辿りつくとは思わなかった。

*1:思いが溢れすぎていて気がつかなかったが、よく考えてみると、これまで読んだのは2冊だけだった(笑)

*2:いつか飽きる、いつか終わる、しかし今つかんでいる。p166という言葉が印象的