Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

日本サッカーと日本人に求められるもの

月曜だったか、「おはよう日本」で、どういう人選なのか、秋元康やくみつる、斉藤孝の3人がW杯の総括についてコメントを求められていた。
中でも、斉藤孝の意見はよかった。
曰く(要約)

  • 日本代表の敗戦の原因は、能力的なものではなく、精神的な問題が大きかった。
  • その精神的な問題とは、日本人全体の持つメンタリティだ。
  • FWがシュートを打たない日本式サッカーは、発言がほとんど出ない日本の会議と変わらない。
  • 責任を背負う行動を積極的にとることが(日本人全体に)求められている。

改めていうまでもなくその通りだ。
勿論、柳沢の、クロアチア戦での、「あのシュート」はいただけない。そして、日本サッカー協会の責任も含めて、今回の敗因については細かく分析されるべきだと思う。
しかし、それは、あくまで、日本のサッカー界の成長に関係することであって、それをテレビで見ている「自分の成長」とは関係がない。
そんな中で、どんなものでも自らの成長に結び付けようという、斉藤孝の貪欲な姿勢を見て、自分も頑張らねば、という気持ちになった。
〜〜〜〜〜
これに関連して、プロサッカーコーチの湯浅健二さんのHP(哲学者、小林敏明さんとの対話)の中でも、以下のような記述があった。(小林敏明さんの発言)

「一言でいうと、日本のサッカーでは、プレー中の選手たちが責任を転嫁したり責任を回避する傾向が強いように見えるということかな。昔、政治学者の丸山真男という人が、戦時中の日本社会を振り返って、『無限責任=無責任』という表現を使ったことがあるんだけれど、日本のサッカーを観ていて、まさにそれが当てはまると思った。自分の責任をずらしていく。ずらされてきた責任を次の人もずらす。そして結局、誰も責任を取らないということになってしまうというわけだ。それは、日本の体質かもしれない。日本のサッカー界には、そんな体質を克服していってもらいたいね」。

と、ここでも同じことが書かれているが「責任をずらす」という言葉がうまいと思った。
「先延ばし」「その場しのぎ」という言い方もできるかもしれない。夕張市の破綻の問題なんか、その典型なのでは?と思う。
いずれにしても、日本サッカーを強くする方法というのは、そのまま、日本人である自分が強くなれる方法なのだと思う。
そして、その方法をオシムが示唆し続けてきたからこそ、彼が監督に求められているのであり、『オシムの言葉』が幅広い年代に売れている理由だろう。
自分は未読なので、ブックオフに溢れるようになってから読みます。
ちなみに、湯浅健二さんは、以前よりオシムを日本代表監督にと発言してきた人で、彼の著書『サッカー監督という仕事』は、ここ数年読んだ中で五本の指に入る名著なので、興味のある方は是非。

参考:[読書]湯浅健二『サッカー監督という仕事』★★★★★
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20040927#doku