Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

『東京 飛行』を語る(11)〜カフカの城

さすがに難解と分かっている『城』を読み終えているはずもなく、タイトルについては、特に付け加えることは無い。
今回のアルバムは、多くの人が指摘するように、「あの頃の田島」が戻ってきた、感じがする。そして、歌い方が元に戻ったと感じる。その代表が「カフカの城」であろう。

●今回の『東京 飛行』というアルバムは、もの凄くフラットに、自分自身と、自分自身の音楽に向かい合えてる気がしたんです。まず、歌い方が凄く変わったように聴こえた。ヴォーカリストとして、今までよりも凄く自然と歌っているように聴こえる、よって声が非常に若くなっている。そしてもうひとつ、ラヴソングをセクシーかつクールに響かせる田島貴男オリジナル・ラヴが戻ってきたと感じるんです。

このブログでは何度も書いているように、僕は12枚目のアルバム『街男 街女』の「鍵、イリュージョン」は、大傑作だと信じて疑わないが、しばらく時間を置いてから、この曲を聴きなおしてみて驚いた。
自分の頭の中で鳴っていた音楽と違う、と感じてしまう。
聴き込みが足りないと言われればそれまでだが、聴かない間に、自分の頭の中で熱唱する田島貴男の声は『L』あたりの歌い方に戻っていく。そこで実際にCDを聴くと、頭の中の声とかなりのギャップを感じるのだ。
勿論、人間は少しずつ変わっていくものだから、いつの声が一番とはいえないが、最近のアルバムは、歌に重点を置きすぎていたように思う。つまり、インタビューで鹿野淳が言ったような「自然と歌っている」状態からは遠かった。

思えば、田島貴男の「歌」の模索は、『ビッグクランチ』の途中あたりから発生し、『街男』でピークに達した。
明らかに、「歌」を意識した挑戦的な楽曲「ふられた気持ち」なんていうのもあった。
民族楽器にはまった時期、機材にはまった時期を経て、楽器としての「歌」の上達に嵌った時期だったのだと思う。
しかし、元から、声に存在感のある田島が歌を重視することによって、バランスが悪くなった。考えてみると、オリジナル・ラヴの音楽は、「曲」・「声」・「歌詞」・「サウンド的な試み」が高いレベルでバランスを保っていたのが魅力だったのではないかと思う。
特に近作では、「声」だけでなく、「歌詞」についても、わざとそのバランスを大きく崩すかたちにつくられているので、古いファンにはついていけない領域にまで達したのかもしれない。
さらに、『街男 街女』のときのツアーは、声を枯らして(喉を潰して)歌うくらいの無理のある歌唱を繰り広げ、結果的にはライヴパフォーマンスにもムラが出た。
そういった部分は、『東京 飛行』では、かなりの部分、解消されたのではないかと思う。
カフカの城」は「サウンド的な試み」こそ特徴的なものは無いものの「曲」・「声」・「歌詞」のバランスは、「昔のオリジナル・ラヴ」を思い出させる。
一歩踏み込んで言えば、そういうバランスをとるのがプロデューサーの役割なのだろう。
田島貴男以外の人でなければ、田島貴男の魅力を120%引き出すのは難しい。
それが、渋谷陽一が危惧しているこれからのオリジナル・ラヴの課題なのかもしれない。

と、また批判的になってしまいましたが、本当に「髑髏」〜「カフカの城」の流れは最高です。
この2曲が別の曲であったら、このアルバムをここまで絶賛することは無かったと思います。
それほど、自分にとっては核となる曲です。
ということで、オリジナル・ラヴについては、明日以降も書く予定なのですが、ひとまず「『東京 飛行』を語る」シリーズを終えたいと思います。

「『東京 飛行』を語る」シリーズの目次

今思えば、アルバム発売日に受けた第一印象は、その後も大きく変わることはありませんでした。
ジェンダー以外は「スーパーイントロドン」の世界だったのに、凄い、と思ってしまう。

序章:第一印象
1. ジェンダー
2. オセロ
3. 2度目のトリック
4. 髑髏
5. カフカの城
6. 13号室からの眺め
7. 明日の神話
8. ZIGZAG
9. 夜とアドリブ
10. 遊びたがり
11. エクトプラズム、飛行
(番外編)〜bridgeインタビュー
(番外編)〜『東京コンサート』VS『街男 街女』