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田中克人『殺人犯を裁けますか?―裁判員制度の問題点』

殺人犯を裁けますか?―裁判員制度の問題点

殺人犯を裁けますか?―裁判員制度の問題点

裁判員制度の施行が2009年5月に迫っている。
当然、自分も無関係ではいられないこの制度、この本が主張するとおり、制度が実施され、多数の犠牲者(?)が出る前の段階で、裁判員法の実施を停止させる大きな流れができてほしい、と思っている。

裁判員制度の問題点

裁判員制度の問題点については、「第3章 問題だらけの裁判員制度」にまとまっている。

(1)制度上の問題点

  • 「裁判官の独立」が侵害されるという意味で、憲法違反の可能性がある。(裁判員制度は実質的には参審制に近いが、参審制は憲法違反であるというのが通説であった)

(2)運用上の問題点

  • 中小企業にとって死活問題。(大企業にとっても同じ)
  • 辞退理由の緩和の結果制度維持が困難に。(アメリカの陪審制では、容易に辞退を認める結果、陪審員の多くが失業者という傾向が強まっている)
  • 死刑判決や守秘義務などでの精神的負担

(3)広報・世論調査からの問題点

陪審制、参審制との違い

これらの中で、陪審制(米英など)、参審制(仏独加露など)との違いの部分は興味を引いた。

  • 陪審制は、無作為抽出だが、量刑は判断しない。陪審員のみの判断であるため、買収の可能性や、世論の影響を受けやすい点が問題。(O.J.シンプソン事件など)仏独など陪審制から参審制に移行している国もあり。
  • 参審制は、推薦で選ばれた参審員(任期制)が、量刑まで判断する。裁判官とナアナアになり、チェック機能という意味では十分ではない点が問題。

これに対し、裁判員制度は、無作為抽出にもかかわらず、量刑まで判断するというアンバランスさを持っている。
さらに、素人判断の危険性を回避するためか、裁判員制度は一審のみで、あとは、従来どおりの裁判の手続きを踏むらしい。これは確かに必要だろう。必要だろうが、会社休んで心身すり減らして判断した結果が何事もなかったように高等裁、最高裁で覆されれば、「じゃあ、あの苦労は何だったんだよ」と言いたくもなるもの。

なぜ裁判員法が成立したか?

この部分の話はすんなり頭に入らなかったが、以下のような過程を踏むらしい。
国民の司法参加は取り入れたいが、(最高裁法務省としては)日弁連の主張そのものを飲むことはしたくないので、代案でOKとした、ということでしょうか?

  • 司法制度改革を始めに言い出したのは日弁連。「法曹一元化」*1陪審制導入」を主張していた
  • 日米構造協議(1989)などでのアメリカからの要求(主に弁護士の増員)を受けて、経済界が改革を主張
  • これを受けて政府が司法制度改革を打ち上げる(ここまでは分かるのだが・・・)
  • 改革は、法曹三者最高裁法務省日弁連)の協力で進められた
  • 司法制度改革の中では、国民の司法参加は、おまけ的扱いだった
  • 日弁連の主張する陪審制に他二者が反対し、妥協の産物として裁判員法が成立した

この辺は、もう少しこれらの団体のスタンスなどを勉強しないとよくわからないのかもしれない。

自分の考え

国民の司法参加については、その意義を認めるが、やはり裁判員制度は受け入れがたい。
自分が特に問題だと思うのは、重大な刑事事件に限っている部分と、国民に強いる負担への無配慮。特に、後者はわかりやすいだけに、かなり問題になるはずだ。繁忙期を考えると、6週間前に言われて、急にまとめて休みを取らなくてはならない事態など信じられない。国が負担するから海外でのんびり羽を伸ばして来い、という制度であれば受け入れやすいが・・・。
一方で、守秘義務については、実際に行われれば、かなり心理的負担は大きいだろうが、どのような制度をとったとしても国民の司法参加が行われれば仕方がない部分だろうと思う。
テレビの地上波デジタルへの移行問題同様、近い将来の混乱を考えるだけでため息が出る。

*1:判事補→判事というキャリア制度をやめ、経験を積んだ弁護士の中から裁判官を選ぶ制度