Yondaful Days!

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私的オリジナル・ラヴ論〜『東京 飛行』に無くて『HOT STARTER 09』ツアーにあったもの

今回の「Hot Starter」ツアーでよかった部分について、originalovebeerさんのところで長期シリーズ化されている“『東京 飛行』は、どう評価すればいいのか問題”*1と絡めて書いてみる。
自分にとって『東京 飛行』というアルバムは、近年作品の中ではかなり聴きやすいアルバムだが、それでも過去作品と比べて大幅に不足している“何か”があると思っている。それは『街男 街女』でも『キングスロード』でも同じで、“何か”が無い(少ない)ことによって、これらのアルバムを大幅に評価できないでいるのだ。決してアンチではないが、いまいちプッシュできない。
そこで、originalovebeerさんの一連のシリーズに、いわば相乗りさせてもらうようなかたちで、「『東京 飛行』に無くて『HOT STARTER 09』ツアーにあったもの」は何か、について書いてみる。

近作に不足していたものの仮説1「ユーモア」

前のエントリで、ライヴのポイントをいくつか挙げたが、やはり一番のポイントは、「ディランとブレンダ」での“爆笑”ではないか。
確かに、田島貴男のMCは、いつも少し変で、あちこちで笑いが起きたりもするのだが、あそこまで爆笑を誘うシーンもそうはなかったと思う。
そう考えると、あの「笑い」こそが今回のポイントであると同時に、近年のオリジナル・ラヴに、そして最新作『東京 飛行』に最も不足していたものであるように思えてきた。
それを何と呼べばいいか・・・。
一言で言うとすれば「ユーモア」という言葉がふさわしいのではないか。


たとえば、ライヴでの必須曲である「JUMPIN' JACK JIVE」の歌詞には、特別なメッセージは無いが、聴く人をクスリとさせる要素があり、結果として、バカになって踊れる、最高に盛り上がれる曲となっている。ただし、ライヴの中で他の曲とならべた場合、やや近年のアルバムの曲目との相性が悪く、連続して演奏されると浮き出てしまうような感覚があった。逆にいえば、近年の作品では、真面目要素が強すぎたのではないだろうか。


〜〜〜
落語家の桂枝雀は理論派で、「笑い」には「緊張と弛緩」が必要だ(緊張が緩和されたとき笑いが起こる)ということを述べていたという。
これは落語の理論ではあるが、応用範囲は広く、音楽でいえば、ライヴのセットリスト、アルバムの構成を考える上で重要な視点だと思う。
たとえば、極端な場合を考えてみればよくわかる。
「緊張」を強いるばかりの選曲のライヴは、深く感動する場面もあるかもしれないが息が詰まるし、「弛緩」ばかりの曲目では、それこそ締りがない。分量的なバランスは勿論だが、それ以上に、緊張−弛緩−緊張−・・・のテンポが大切なのだろう。


勿論、聴く側も、真面目なことを考え詰めたあとには、不真面目にふるまいたくなるものだ。石川啄木も次のように歌っている。

なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて 洗へば心おどけたくなれり*2


今回のライヴでいえば、「灼熱」〜「Darlin'」の流れ、「Glass」〜「Bird」の流れがまさにそれにあたり、緊張から解き放たれて弛緩する感覚があったのだと思う。「ディランとブレンダ」の時のように爆笑が出るわけではないが、前奏が始まるとリラックスした空気が流れる。
過去のオリジナル・ラヴのアルバムを考えても、どのアルバムにもこういった曲があり、曲配置も、この「弛緩」理論に十分沿ったものになっていたと思う。


はじめに述べた「ユーモア」という言葉は、語源を見ると「変化」という言葉と親和性の高い言葉のようで、やはり、この「弛緩」理論とも合致する。とすれば、「ユーモア」という言葉で、オリジナル・ラヴに対するもどかしさを、いろいろと説明できるのではないか?

ユーモアは、「湿気」「体液」を意味するラテン語フモール」に由来し、中世の医学用語として「ユーモア」という語は用いられていた。
中世の医学では、4種の体液「血液」「粘液」「胆汁」「黒胆汁」のバランスによって人間の気質が変化するという、体液学説の概念が重要視されていた。
変化を与えることで人の気質が変わり、笑いにも繋がることから、人の心を和ませるようなシャレを意味するようになった。


・・・と、この辺りまで書いたあとで、originalovebeerさんの過去の文章を読んでいて、『踊る太陽』を語るキーワードとして、「ユーモア」という言葉が使われていることに気がついた。

今でも、聴きどころをイマイチ掴みきれない作品である。ただ、今回聴いてみて新しく発見したのは、矢野顕子周辺が参加した“別格”の曲である「美貌の罠」や「のすたるぢや」を外して聴いてみること。そうすると見えてくるのが、意外と田島の「ユーモア」が溢れたアルバムになっているということだ。

これはその通りで、「ブギー4回戦ボーイ」と「Hey Space Baby!」の印象が強い『踊る太陽』というアルバムは、暗い印象が全く無い。
納得しながら、さらに読み進める。

その田島の「ユーモア」というのは、田島の“自然体”なのではないだろうか。音楽を作ることそれ自体が「生きる」ことである、田島貴男の自然体。「美貌の罠」や「のすたるぢや」が持っているような「高い音楽性」という束縛からふっと解放されたときにできたような楽曲が並んだアルバム。つまり、一人の人間の「生きる力」が表現された非常に温かみのある作品が、この『踊る太陽』なのではないだろうか。

ここも納得だ。
改めて聞いてみると、「ふられた気持ち」は、その歌詞とは裏腹に、「生きる力」を感じさせる明るい歌だ。
originalovebeerさんの文章には「束縛からの解放」という言葉もあり、ここまで自分が述べてきたことと合致する部分も多い。
しかし、全部納得しながらも、何か違う。「生きる力」の表現と同義の「ユーモア」というキーワードは、隔靴掻痒感のある近年作品(『キングスロード』『街男街女』『東京飛行』)に不足していたもの、新作に求めるもの、という部分とは少し異なる。「ユーモア」という、多義的で便利な言葉に逃げずに、もう少し慎重に言葉を選びたい。
そこで、自分の考える「不足要素」のイメージを、再確認するため、それが強く感じられる曲を挙げてみる。筆頭は「JUMPIN' JACK JIVE」なのだが、それ以外では以下のようなものが挙げられる。*3

  • 『Rainbow Race』における「夏着の女神」「ホモ・エレクトス」「Bird」
  • 『Desire』における「ブラック・コーヒー」「ガンボ・チャンプルー・ヌードル」「日曜日のルンバ」
  • 『ELEVEN GRAFFITI』の「ペテン師のうた」「アンブレラズ」
  • 『L』の「宝島」
  • ビッグクランチ』の「ダブルバーガー」
  • ムーンストーン』の「ムーンストーン
  • 『踊る太陽』の「ブギー4回戦ボーイ」」「こいよ」

近作に不足していたものの仮説2-1「メッセージ性の排除、もしくは最小化」

上に挙げた曲を「ユーモア」というキーワードで纏めることもできるが、もう少し突っ込むと、メッセージ性が少ない曲達ということが言える。「ホモ・エレクトス」や「ダブル・バーガー」なんかは、メッセージ性を排除していると言えるだろう。
曲を聴く立場から言えば、こういう(ある意味、バカな)曲を求めるのには理由がある。「弛緩」理論の部分でも述べたように、歌詞に含まれる意味が深く、メッセージ性の強い真面目な曲ばかりだと疲れてしまうだけでなく、お節介に聴こえるからだ。まじめな歌の連続は、「お前ら、ちゃんと正座して人の話を聞け」といつまでも説教を続ける中学教師に似ている。そんなことは、たかがCDに言われたくないのだ。音楽というものは、聴く人の生活を彩るための道具であるべきと考える人が多数だろう。自分が主役の人生なのだから。
勿論、ミュージシャン側としても、こういう曲を求める理由がある。「メッセージを伝えたい」と思う反面「まじめなメッセージの押しつけは恥ずかしい」という気持ちがあるからだ。そこに意識的なミュージシャンは、拮抗する2つの気持ちに何とか折り合いをつけるため、不真面目な曲も出して、「自分はイタくない」ことをアピールしたりするのだと思う。

近作に不足していたものの仮説2-2「ブレないタイトル」

上のリストに挙げた作品は、タイトルが抽象的ではなく、その歌詞内容とのリンクが強い。「2-1」「2-2」は、裏表であるのだが、歌詞のメッセージがシンプルであるが故に、タイトルを見ただけで、歌詞と歌が頭に思い浮かぶ。
これと全く逆なのは、タイトルが抽象的だったり、歌詞のメッセージが一聴して、すぐに理解できない作品で、『東京 飛行』では「ジェンダー」「二度目のトリック」をはじめ、ほとんどの曲に、この傾向がある。自分は、「ジェンダー」のような作品が嫌いなわけではないが、そういう曲ばかりだとバランスが悪いのは問題だと考える。ただし、『東京 飛行』では、歌詞のメッセージがシンプルで、タイトルとシンクロしている作品もあり、それが「遊びたがり」ではないかと思う。
比喩的に書くとすれば、「ジェンダー」のような作品は、引っ越しのたびに、何が入っているんだっけ?と開けるはめになる「思い出」と書かれた段ボール箱である。ラベルだけでは、中身が思い出せない。中にどんなに素晴らしいものが入っていたとしても、このような箱が並んでいる部屋に入るとうんざりする。
一方で「Bird」のような作品は、水族館のガラス張りの水槽である。一見して、そこに何があるかわかるので、水槽がいくつ並んでいたとしても、その部屋に入るのは、心理的に楽で、安心感がある。


次回は、これらを踏まえた、新作への期待について書く予定。
⇒つづき:補足 私的オリジナル・ラヴ論〜(以下略)

*1:特にシリーズタイトルがあるわけではないので、適当です。最近もエントリがありましたが、ある程度まとまっているものとして、この辺があります。→http://originallove.g.hatena.ne.jp/originalovebeer/20090508/tokyohiko

*2:最近読みなおした枡野浩一『石川くん』より。ちなみに、マスノ訳は「なみだなみだ/不思議なものだ/泣くことで心洗われ/ふざけたくなる」

*3:EMI時代はリアルタイムで追っていないので、ポニーキャニオン以降で挙げています