Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

考え続けることこそが「今を生きること」〜河合香織『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』

帰りたくない―少女沖縄連れ去り事件 (新潮文庫)

帰りたくない―少女沖縄連れ去り事件 (新潮文庫)

家には帰りたくない―47歳の男に連れ回され、沖縄で保護された10歳の少女はそう言った。親子のように振る舞い、時に少女が主導権を握っているかのように見えた二人の間に、一体何があったのか。取材を重ねるにつれ、少女の奔放な言動、男が抱える欺瞞、そして歪んだ真相が明らかになる。孤独に怯え、欲望に翻弄される人間の姿を浮き彫りにするノンフィクション。

事件については、あまり知らなかったが、いかにもマスコミが騒ぎそうな題材。それを安易な解釈に逃げずに深く掘り下げた作者の筆力、迫力に引き込まれた。有名な『セックスボランティア』も読んでみたい。
今回、角田光代が執筆している文庫版の解説が素晴らしかったので、何故、この解説が良かったのかをメインに感想を書く。

心に残る解説の要素(1)読書の追体験ができる!

書評には、多かれ少なかれ、内容のダイジェストが含まれる。
例えば、自分も映画や本の感想を書くときは、Amazonのあらすじを引用することが多い。
しかし、この解説の冒頭は、内容のダイジェスト(あらすじ)ではなく、読書体験のダイジェストとなっており、読者は、再度『帰りたくない』という本に引き込まれる。対象がノンフィクションである場合、感じ方には小説ほどには幅が無いため、この方法は効果的だと思う。自分が感じていたことを言葉にして補ってくれるので、読後感が強化されるのだ。この本読んで良かったな、と改めて思える解説は、間違いなく良い解説だ。

心に残る解説の要素(2)近視眼的ではなく、多角的な視点がある

まずは、作品の内容には踏み込まず、構成の妙について述べられている。素晴らしい読書体験が何故可能になったのかの補足の部分でもある。
実際、『帰りたくない』は、構成が素晴らしい。
二人が沖縄で捕まり、めぐが「帰りたくない」とつぶやく第四章「幻の楽園」までの前半部は、基本的に、山田自身の手紙や言葉をベースにして構成されている。そして、公判の様子が描かれる第五章「暴かれた闇」で初めて、山田の視点からの描写では見えてこなかったものを読者は知らされる。
ここまででも十分巧いのだが、そこで真相をわかったような気分にさせないのが構成の妙。複数の関係者からの視点で構成される後半部に、読者は悩まされる。何故?が連鎖していく流れは、変な表現を使えばスリリング。全く落ち着くことがない。
角田解説は、そういった構成についての視点から、徐々に内容について切り込んでいくのである。

心に残る解説の要素(3)角田流のノンフィクションの解釈が伝わってくる!

ここで、作品から少し離れて、「心に残るノンフィクションは、ブラックボックスを抱えている」という持論が語られる。この部分では角田の言葉でありながら、『帰りたくない』を語るのに落とすことのできない切り口であるブラックボックスというキーワードについて説明される。本の良さを語るためのキーワードが見つかっていること、これは解説の善し悪しを決める最も重要な要素かもしれない。

  • 時代、時間、人々、背景、会話、天気、感情、生い立ち、記憶、そうしたものをぜんぶ並べてみても、イコール事件の真相にはならない。「なぜ」を、著者は永遠に解明することができない。そこにブラックボックスがある。
  • 事件に人間がかかわっているかぎり、その人間にしかわかり得ないブラックボックスというものは存在する。

テレビ番組のコメンテイターがよく用いる「心の闇」は、事件をわかったような気にさせる安易な言葉である。視聴者に考えさせないように仕向ける言葉である。そして、「心の闇」という特別な何かを持った人が事件を起こすのであって、自分は無関係だと思わせる。
ここで使われる「ブラックボックス」というのは、それとは異なる。わからない部分があることを認め、前面に出し、読み手も書き手も考えるようなつくりになっている。

  • 事件というものは、だれかの明確な間違いから生じるとはかぎらないことを本書は告げる
  • 心に残る事件ノンフィクションは、考えさせる
  • どうしてもわからない「ねじれ」について考える時、私たちはその事件と無関係では無くなる

角田光代は、最後に、私たちは考え続ける、考え続けることこそが「今を生きること」であると読者に伝える。『帰りたくない』の良さを伝えつつ、自分の意見を通し、読者の行動に少なからず影響を与える。
バランスが絶妙なのだと思う。解説対象の本について9割書き、残り1割に込めた自らの思いと、本の良さの両方を
最大限効果的に伝えることができている。
そういったことが、何となく理系的と感じさせる簡潔な文章で述べられているところが良い。
巧いと感じる文章に出会うことは沢山あるけれど、こういう風に書きたいと思わせる文章は久しぶりだ。今後、角田光代解説の本には注目していきたい!*1

本編補足

2005年に懲役二年六ヶ月の判決が下ったこの事件だが、誘拐されためぐは高校を中退して、今は16歳。山田は2007年冬に出所しており、見方によっては過去の事件とも思える。
しかし、「終章 置きざりにされたもの」「あとがき」「文庫版に寄せて それからの二人」では、今に至るまで何も変わっていないことが繰り返し書かれている。

山田の実刑判決により、四十七歳の男による十歳の少女誘拐事件は決着した。
しかし、それによって何が解決したのか。ただ単に、法律的に事件の一端が処理されただけに過ぎない。
めぐの本当の気持ちを誰が汲み取り、そして手を差し伸べたか。誰が、彼女が逃れようとしていたものの正体と真剣に向き合ったか。少女を取り巻く世界は、めぐが被害者として認定されようと、結局何も変わっていないように思える。P237

事件の顛末について、ひととおり述べられているのにも関わらず、全く解決した気がしない。実際、解決していない。そして、どうすれば、解決の方向に向かうのかもわからない。
自分が今まで過ごしてきた世界と違う世界のように見えて、かなりの部分が地続きなのを知っているから性質が悪い。『ヒーローショー』や『ぼくらは海へ』に続き、これも非常に後味が悪い話だった。

*1:角田光代が推薦文を寄せている太田光マボロシの鳥』も気になります。