Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

溜飲の下げ方で世界は変わる〜ツイッターと「いじめ」

「いじめ」という言葉を使うこと自体が、そもそもの問題だ!

という意見を、最近ネット上でよく見かけるようになりました。しかし、自分はこれに違和感を覚えます。
きっかけは大津市のいじめ自殺事件ですが、そもそも、自分には、この事件が、ごくごく一般的な出来事だとは思えません。あまりに酷く不快になるだけなので、報道も熱心に追ったりはしていません。しかし「いじめ」の範疇にはとても入らない事件であることは分かっているつもりです。
そのような暴力事件、犯罪行為について「いじめ」という言葉を使うべきではない、という意見は頷けます。
さらに言えば、犯罪行為の隠蔽になりかねないから、学校関係者は(今回の事件は当然として、他の件についても)「いじめ」という言葉を安易に使うべきではない、という意見もわかります。
また、マスコミも事の本質を過小に見せてしまう言葉の使用(よく言われるように「万引き」「セクハラ」等も含む)には慎重に*1なるべきだ、という意見もわかります。
ブログなどを使って意見を表明している人は、概ね上の二つのどちらかに当てはまるのだと思います。
しかし、特にツイッターで「いじめという言葉は、もう使うな」「いじめという言葉の使用自体がいじめ行為を助長している」との意見を散見し、その使われ方が、どうも大津の事件だけでなく「いじめ全般」という非常に大きなテーマに向けられている、そのことに違和感を覚えるのです。


というのも、自分が40年近くの人生で見てきた(学校内や職場内の)「いじめ」は、陰口や無視、悪口など、集団で行う(暴力を伴わない)嫌がらせがほとんどで、犯罪行為には当たらないものが大半だからです。だからどうしても

  • 「いじめ」という言葉をなくしたら、あれらの嫌がらせ行為がなくなるのか?
  • そもそもいじめる側は「いじめ」という言葉を意識するか?

というような見方で、それらの意見を眺めてしまいます。そして、「いじめという言葉をなくしても、これらの問題は解決しない」と結論付けるのです。
(勿論、どんな手段をとったとしても、全てのいじめを無くせるとは到底思いません。しかし、不当に心に傷を負っている人もやはりいるので少しでも減らしたいというのが自分の気持ちです。そして「いじめという言葉をなくせば・・・」論は、それには役立たない)


で、ここからは邪推混じりの思い込み意見です。
どうもツイッターは、「つながり」を強める、広げるという効果を持つ反面、かかわりの範囲をどんどん減らして「他人事」領域を増やす方向に働きやすいのではないかとも思うのです。
例えば今回の例でいえば、「いじめ」をテーマに語ろうとするときに、自分が問題の枠から外れる特殊な事例を持ってきて、それを叩くことで悦に入って思考を停止するというパターンになってはいないか、と思うのです。(自戒を込めてます)
そして「ぶった切る」ことで溜飲を下げるための道具として使われるツイッターは、実は、そのような使い方が一番威力を発揮するツールなのだとも思います。
「いじめという言葉をなくせば〜」という意見は、考えた風でカッコいいですが、伝言ゲーム的に使われる中で、意味が変質してきているのではないか、もう少し立ち止まって考えるべきではないかと思っています。

スマイリーキクチ『突然、僕は殺人犯にされた ネット中傷被害を受けた10年間』について

お笑い芸人のスマイリーキクチが、ネット上で10年間に渡り受け続けた誹謗中傷の全貌について綴った単行本。 インターネットの巨大掲示板2ちゃんねる”などで、「足立区で実際に起きた残虐な殺人事件の犯人だ」といった誹謗中傷を受け続けたスマイリーキクチ。 その誹謗中傷は10年間続き、デマを信じたネットユーザーから、自身のブログなどに殺害予告の書き込みもされるなど、事態は悪化する一方だった。 対応に悩むスマイリーキクチは警察に相談。 09年2月と3月には悪質な書き込みをしていた18人が名誉毀損等の罪で書類送検され、話題を呼んだ。 この10年に渡る誹謗中傷がどのようなものであったか… スマイリーキクチがこのような誹謗中傷にどのように対応し、何を悩んできたのか… そして、09年の18人一斉検挙に至った経緯は… 被害者であるスマイリーキクチ本人が赤裸々に綴った。 ネットでの誹謗中傷に悩む人や、それによるいじめに遭っている中高生や保護者、そして、インターネットを利用するすべての人に読んでもらいたい。

スマイリーキクチの本は随分前に読んだのですが、なかなかに救いがなくてブログに書く気も起きない話でした。というのも、今でこそ、「冤罪」的な事件として扱われることが多いですが、このように扱われるようになるまでに、果てしない時間(1999年から10年間!)がかかっているからです。
そして、警察の頼りにならなさが凄まじく、「あなたが殺人犯なんて誰も信じませんよ」「削除依頼をして様子をみましょう」「あなたがブログを止めれば嫌がらせは止みますよ」等々、こんな何の薬にもならない対応に長期間耐えていたのかと思うと、苛々が止まない、そんな本だったのです。
そして何より衝撃を受けたのは、摘発された人たちです。以下、インタビュー記事から引用します。

 最終的には19人が摘発されました。17歳から40代後半まで年代は幅広く、大手企業に勤めている人もいました。難関で知られる大学の職員は、職場の仲間同士で競い合って書き込んでいたそうです。会社のパソコンや携帯を使って、勤務時間中に書き込んでいた人が何人もいたのも驚きでした。
 刑事さんを通じてその人たちの供述内容を知ると、驚きは深まるばかりでした。ぼくが殺人事件とは本当に無関係だと知ると、「ネットに洗脳された」と泣き崩れた男性。「離婚してつらかった。キクチさんはただ中傷されただけじゃないですか。私のほうがつらいんです」と主張する女性。「ほかの人は何度もやってるのに、一度しかやってない自分がなんでつかまるんですか」と刑事さんに食ってかかった男性。「こんなに書き込みがあるんだから、この人は絶対悪い人です」と言い張る男性に、刑事さんが「証拠は?」と尋ねると「書き込みが証拠です。事件をネタにしたのを見たという人がこれだけいるんですよ」と自信満々で答えたそうです。

 住んでいる場所や年齢、環境はバラバラでしたが、共通していたのは無責任だったことです。まず「やってない」と否定し、証拠を突きつけられると友だちや同僚のせいにし、最終的には「ネットの情報にだまされた自分も被害者だ」「自分のほうがつらい」と言いだす。涙を流しながら「キクチさんに謝りたい」と言った人が何人かいたそうですが、実際に謝ってきた人はひとりもいません。
 「表現と言論の自由だ」とも言われました。刑事さんがある人に、「じゃあキクチさんが君の名前をブログに書き込むのも表現の自由なの?」と尋ねると、「それはイヤです。キクチさんは芸能人だからいいけど、自分は一般人で将来がありますから」と答えたそうです。

今回の大津の事件でも騒動になっていますが、正義感に駆られて同様の行為をする人たちが絶えません。
こういったネット発の「いじめ」問題は、東電叩きも生活保護問題も*2「他人事」領域に入るネタを皆が待ち望んでいることが、それを助長しているのだと思います。上に書いたように、特にツイッターは、「ぶった切る」ことが得意なツールで、他人の発言のリツイートも含めて、断言口調の方が快感を呼びやすいから、その特徴を生かしたネタの投下が常に待たれているのです。
でも、「いじめ」問題が話題になっている今だからこそ、そんな使い方は見直すべきです。


つまり、どうすればいいのか、と言えば、社会問題を「他人事」として処理する癖をやめ、(他人事の部分は情報収集しつつ)もっと「自分事」を広げるように努力し、「ぶった切る」のではなく「思考を継続する」ための道具としてツイッターを、そしてブログを使っていけばいいのではないか。*3
少なくとも、自分は、むしろモヤモヤを残したまま思考を継続し、「ぶった切って」溜飲を下げる罠にはまらないように気をつけていこうと思ったのでした。
(という個人的決意でした。)

(補足)それじゃ、いじめ問題はどうすれば?

ここまで読んで、「それじゃ、いじめはどうやったら減るんだよ」という声もあると思いますが、難しいテーマなので、いろいろな方の意見を読んで考えていこうと思います。特に、以前から意欲的にこのテーマについて書かれているスゴ本のdainさんの記事には共感しました。どこに予算を割り当てるのか、という視点は重要ですね。

8/15追記(中学教諭「いじめ=犯罪では子どもや教員萎縮」 : 社会 : YOMIURI ONLINE

大津市立中学2年の男子生徒の自殺問題を巡り、いじめや自殺について考える教育シンポジウムが12日、大津市打出浜の市勤労福祉センターで開かれ、教職員や保護者ら計約160人が参加、「いじめは犯罪か」について議論が白熱した。
全教滋賀教職員組合などが主催。福井雅英・北海道教育大教授をコーディネーターに中学教諭や保護者、弁護士らが意見交換した。
中学教諭は「いじめイコール犯罪とすると、子どもや教員が萎縮するのではないか」と発言。これに対し、「強い者が弱い者をいじめるのは犯罪だ」「いじめを犯罪ととらえることが重要で、前科がつかないレベルで対処すればいい」など反対意見が相次いだ。
一方、「すべて犯罪と呼ぶのは乱暴」「いじめとは何かを考える必要がある」などの意見もあった。
愛荘町立小で学習や生活の支援員を務める男性(22)は「いじめ問題の結論は、簡単に出ないとわかった。自分自身も考えていきたい」と話した。

このニュースには驚いた。
「いじめは犯罪か」のテーマ自体がおかしい。というか犯罪の定義を再度考えれば議論するまでもないテーマであるのは言うまでもないわけで、報道の取り上げ方に問題があるとしか考えられない。中学生ならともかく大人が議論するテーマではない。こんなバカなテーマで議論して「結論は簡単に出ない」なんてまとめるのはやめてほしい。

*1:「使うな」という意見にはやや賛成しかねるので「慎重になるべき」としました。

*2:それぞれ個別の問題を抱えており簡単に一緒くたには出来ない部分がありますが

*3:それがかつてweb2.0が思い描いて崩れ去ってしまった夢だとしても。