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砥石で自分を磨きあげていく〜桑田真澄『心の野球』

心の野球―超効率的努力のススメ

心の野球―超効率的努力のススメ

野球を学問する

野球を学問する

女子柔道に端を発するスポーツと体罰の話題のときに、体罰に反対する有名人として桑田の名前を目にする機会が何度かあり、気になってその著書を読んでみた。
2冊の本では、桑田純度100%の『心の野球』が素晴らしかった。
対談本の『野球を学問する』は、内容としては、桑田が早稲田で書いた論文の内容にシフトしており、また、野球とサッカーの対比なども面白いが、『心の野球』で描かれる「桑田イズム」が他人から見てどうかということを検証した部分に意味があると思う。なお、対談相手の平田竹男は、Jリーグ設立、W杯日本招致、サッカーくじ創設など、サッカー界の発展に官僚の立場から関わり、桑田の早稲田大学時代の教授。単に桑田を持ち上げるだけの立場にはなく、ゼミの中での桑田について客観的な評価がされていて、桑田が主張を実践する人間であることがよく分かる。


まず、桑田はプロセスを大事にする人だ。
これだけ成功した(勿論、借金などの地獄も見た)人なのに、勝利至上主義には強く反し、成果よりも過程を大事にする。たとえ「遅い成長」であっても「成長」することに重きを置き、「マイナス」であっても、長い目で見れば「プラス」で変わると強く信じる、その一貫した気の持ちように自分は感動した。
野球をする長男が、中2の頃に、いろいろな本で父・桑田真澄が1年から甲子園で投げて優勝していたことを知り、「すごい」と言ってくるのに対して、それは違う、と諭す場面もいい。

僕は15歳から甲子園に出て活躍したけれど、だからといって単純に比較してはいけない。人生には人それぞれのペースがある。(略)
すぐ結果に表れるプラスと、5年後に表れるプラス、10年後、20年後に表れるプラスがある。裏の努力を積み重ねる人生において、マイナスになるものは何ひとつ、ないのだ。p249

プロセスは無数にある。
人の数だけプロセスはある。
山の登り方は無数にある。
だから、人は誰でも、いつからでも、どこからでも、何度でも、やり直せると僕は言う。途中まで違う道を進んでしまったとしても、気づいてそこから正しい道に戻る努力をすればいい。(略)
倒れたり、立ち止まったりしたら、また、そこから始めればいいのだし、倒れるということは、倒れたときの苦しみや悔しさを経験するために倒れるんだから、プラスになる。(略)
大事なのは起き上がることだ。p251


つまり、小さな夢を叶えていくことが大きな夢を叶えていくことにつながる、そのことに意識的なのだ。
だからプロ10年目の右肘手術後の辛いリハビリ時代に、たった20球のキャッチボールをできるようになったこと、それだけの前進を「小さな夢を叶えた」と前向きに評価できる。もう一度野球ができるのかどうか不安に思って焦ることよりも、時間を有効に使って、できることを全力で続けることを大事にする。その頃ランニングでできたのがジャイアンツ球場の「桑田ロード」。毎日、外野フェンス沿いを走っていたので、芝生がはげて跡が残ったのだという。
野球に関することだけではない。リハビリ時代に始めたワイン、英語、ピアノなどの趣味も、全てそのように地道な努力をしたことが実際に実を結んでいる。*1
ドラフトも含めてスキャンダルの多い人生を振り返ったときも、それらを全てプラスと評価する。驚いたのは中学3年生の3学期に桑田は転校を余儀なくされた話。夢だったPL学園行きにこだわり、桑田以外の選手の獲得にも前向きな高校の推薦を断ったために、監督はじめ周囲から裏切り者と非難され学校で居場所がなくなったのだという。ほとんど言いがかりのようなものにもかかわらず、人を恨むことは無駄だと考え、そんなことでさえ自分のプラスになったと振り返る。プラス(+)を書いたとき、この+には横棒がある、つまりプラスの中にはマイナスが含まれているのだとする「超マイナス思考」(p79)は、哲学を通り越し、桑田教とすら言える。


ただ一方で、一見「謙虚さ」に見えるその態度は、自分の意見を殺して相手に従うということでは全くない。桑田は強情だ。
例えば、パイレーツと契約が切れた翌年も挑戦すると言ったとき「もうこれ以上やると、いくら何でも格好悪い」というイメージの報道が多かったことに対して、桑田は「いや、格好悪くてもいいんですよ」と答えた。

なぜならば、「格好悪い」というのは、人の評価で、人の評価ほど曖昧なもの、いい加減なものはないから。だって、それを評価している人間自体が完璧ではない。この世の中に「完璧な人間はいない」から。
だから、もっと言えば、多数決で決めても、その多数決だって絶対じゃない。
それに僕は、周囲の人にとって格好いいことをするために生きているわけではなく、自分が充実した人生を送るために生きているわけだから、自らの価値観を大事に、マイペースでいくことが大事だと思う。
p215


だから、そのマイペースさは、実は中田英寿に近い。

  • PL学園時代の厳しい練習についても自ら申し出て、4,5時間行っていた平日の練習を3時間にしてもらう(学問p80)
  • 昔から球数制限に意識的で、甲子園から帰ってきてから1ヶ月ボールを握らないということも監督に認めてもらった。また日本でノースローデーを作った。(p90)
  • プロになった頃、喫煙者が多かったのを気にしてバスもロッカールームも分煙にしてほしい(禁煙=吸いたい人の権利を奪うのではないところが「らしい」)と提案し、分煙、禁煙が実現した。(p194)

というエピソードが紹介されている。勿論、そんな桑田を煙たがった人が多かったのだろうが、桑田はひるまない。しかし、誰にでも感謝の気持ちを忘れずに、何かを「やる」のではなく、常に「させていただく」の精神で取り組む


草むしりをしたり、グラウンドの石ころを拾ったりという陰の努力をすることが運を引き寄せるという考え方や、メジャーのチーム選択や、現役引退のタイミングについて「天の声」で決めたエピソードなどは行き過ぎという気もするが、常に自分と向き合い、問いかけ、考える姿勢には、何かの物語に託してでも自分を律していく必要性を感じた。科学的合理性だけでは自分を律していくことは難しい。むしろ「運が引き寄せられるから」という、一見非科学的な考え方の方が、結果的に、自分を甘やかさない生き方が長続きする。
早稲田大学大学院でスポーツ科学修士を取った論文は、野球界の問題を踏まえて、野球の巧さよりも、「尊敬」「心の調和」「練習の質」の3つを重視し、野球道の中心に「スポーツマンシップ」を置く新しい野球のあり方を論じたものだという。科学的な部分は3+1の要素のうち「練習の質」だけで、それ以外は、精神面をどのように整えていくか、という問題であるところが桑田らしい。


桑田さんにとって野球とは何ですか?
その質問に対して、桑田はいつも野球を「砥石」に喩えるという。
野球に磨かれてきたということ以上に、目指す自分が、己の中にいるという確信がその喩えに表れている。
結局誰もが自分以外の人間にはなれない。
その意味で圧倒的に「砥石」の比喩は正しい。
これを読んだことが、自分にとって大きな変化点となった…あとでそう振り返ることのできるような読書体験にしたい。自ら「陰の努力」を重ねていくことによって、そして「小さな夢」に意識的になっていくことで、それは可能だ。

参考(過去日記)

⇒そうか、以前、桑田真澄に感動した記憶があったことは覚えていたけれど、もう6年が経っていたのか…。「不安だけど、先のことが分からないから感動がある」というのは良い言葉だと思う。桑田の言葉を武器にして、これからの6年間は、もっと強く自分を律していきたい。

⇒昨年末に引退を決めた松井。『不動心』のあとにもう一冊本を出していたけれども、改めて一冊にまとめたりするのかもしれない。桑田と同様、怪我で泣かされた時代の長かった人だけに、改めて本を読んでみたいなと思いました。ちなみに他人に対する感謝を忘れずに信念を貫いていくという点で、二人は似ている点が多いですが、松井はAV好きを公言しているところが好きだなあ。(笑)

*1:桑田は「スポーツ」「音楽」「言語」の3つを世界平和の実現のために大事なものと位置付ける。p197.桑田が話すと「世界平和」は嘘くさくならない