Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

明治・大正でなく、平成の中で時代の断絶を感じてしまった〜横田順彌『百年前の二十世紀』

HONZで『21世紀への階段』の参考書として挙げられていていたのが読んだ直接のきっかけ。少し前に読んだ『未来力養成講座』で荒俣宏が明治時代の想像力の魅力を語っていたのも気になっており、その意味でタイムリーな読書となった。


全体を通じて、明治・大正時代の未来予測の「答え合わせ」をしながら、世界の中の当時の日本の立ち位置や歴史を確認し、当たり外れの背景を解説する内容となっている。
表紙は明治36年に出た『300年後の東京』という本の口絵(冷凍睡眠の様子)で、、本文には、文章だけでなく当時の絵が多く登場する。また、「ちくまプリマーブックス」という中高生向けの本であるため、字も大きくて読みやすいのが良い。
紹介される中には、星新一の父親・星一(ほし・はじめ)や、幸田露伴なども名前を連ね、ミーハー心もくすぐる人選で、それだけでも楽しい。肝心の未来予測については、当時は未知の世界だった、鉄道や電話、写真などはかなりの精度で当たっていたりする。
当たっていない予測では、ロボットがある。「ロボット」という言葉の生みの親・カレル・チャペックが『R.U.R』を1920年に発表するまで、人造生物のアイデアはあったが、少なくとも日本では、アイデアが出ていなかったようだ。
また、コンピュータの登場についても、当時予想できなかった因子として大きいようだ。


この本が面白いのは、最終章に、ぼくの『二十一世紀の予言』として、ヨコジュンの百年先の未来予測が披露される部分。ところが、ここで挙げられた10項目には大いに違和感があった。

  1. 宇宙生物大戦争
  2. 平均寿命200歳
  3. 世界連邦国家樹立
  4. 人工生物の誕生
  5. 女性の自然出産が珍しくなる
  6. 物質電送機が完成する
  7. 新人類が出現する
  8. イメージ実現機が完成する
  9. 頭がよくなる、美男美女薬ができる
  10. 横田順彌が天才と認められる


10番目はネタとしてスルーしたとしても、全体的に地に足がつかない、浮ついた予言になっている。わざと素っ頓狂な感じの未来予測にしたのかもしれないが、乗れない。これだけ、過去の未来予測を振り返っておきながら、なぜ改めて「懐かしい未来」を描き直そうとするのか分からなかった。
根本には、素朴過ぎる楽観主義があると感じるのだが、それが何故なのか、本の見返しを見て何となく分かった。
この本は1994年刊行なのだ。つまり、1995年の阪神の震災も、オウムも経ていないのだ。
さらに東日本の震災を経た今からすると、1994年の感覚とは、深くて長い河があると言わざるを得ない。速水健朗さんの本『1995年』が気になっているからということもあるが、おそらく1994年に考えた未来予測と、2013年に考える未来予測には大きな隔たりがあるはずだ。
ヨコジュンの性格が表れているというだけでは説明できない、時代の断絶を感じてしまった一冊だった。


1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)