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2世紀近く前の米国と現代米国、そして日本〜ハリエット・アン・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』

ある奴隷少女に起こった出来事

ある奴隷少女に起こった出来事

1820年代のアメリカ、ノースカロライナ州
自分が奴隷とは知らず、幸せな幼年時代を送った美しい少女ハリエットは、優しい女主人の死去により、ある医師の奴隷となる。
35歳年上のドクターに性的興味を抱かれ苦悩する少女は、とうとう前代未聞のある策略を思いつく。
衝撃的すぎて歴史が封印した実在の少女の記録。150年の時を経て発見され、世界的ベストセラーになったノンフィクション。
Amazonあらすじ)

本を読んだのは少し前なので、直接は無関係だが、ちょうど今、ミズーリ州ファーガソンで8月9日に起きた、警官による黒人青年射殺事件*1をめぐって、アメリカは大きく揺れている。任天堂トモダチコレクション」の同性婚問題*2などを見るにつけ、差別意識について、日本は後進国アメリカは先進国と思っていたが、根強く残っている差別というものはやはりあるのだなと感じた。その意味では、読むべきタイミングで読めたのかもしれない。


もともと、2世紀近く前に書かれたということで興味を持った本だったが、読む前に改めてタイトルとあらすじを見て、酷い「虐待」の事実と、「忍耐」の日々が描かれているのかと思っていた。
しかし、予想に反し、「忍耐」と比べると「虐待」シーンはそれほど出てこない。確かに、作者本人が回想しながら執筆した本に、虐待のシーンが連発するということは考えにくいし、もしかしたら作者がセーブして書いているということもあるのかもしれない。ただ、事実がどうあれ、暴力シーンを抑え、「忍耐の日々」の心理状態やものの考え方に特化することで、奴隷制の問題の一面が強く伝わってくるものとなっている。


こういった1820年代の奴隷制の問題を、現代にも通じる内容だと考える訳者・堀越ゆきさんは、この本を「現代少女のための新しい古典文学」(巻末解説p295)と評する。

奴隷少女が自分らしく生きるために感じなければならなかった心情が、現代の日本の少女にとって、そんなにかけ離れたものであるとは、率直に私には思えない。少女たちには、奴隷制ならぬ現代グローバル資本主義的で、稚拙で雑多に翻弄された現実が立ちはだかっている。それはガールズにとってのデフォルト、すなわち現代ガールズが無理矢理課された現代の「奴隷制」である。本書の読者の誰にも、そのひと自身の「ドクター・フリント」が存在すると私は思う。それは性的強要で、あるかもないかもしれない。あなたの心に正しいと思うものは、それが社会的にどうであれ、その代償(リスク)がどうであれ、青春の最も楽しい時期の7年間、立つスペースもトイレすらない屋根裏に閉じ込められることになったとしても、つらぬく価値があると、奴隷少女のジェイコブズは証明してみせたのである。
(巻末解説p297)

堀越さんは、自分の過去を振り返り、「他のすべての女と同様に、現実というものに殴られ、冷たい床に置き去りにされた少女の私」と語っている。「他のすべての人」ではなく、「他のすべての女」となっているので、女性であることを理由に辛い現実と向き合う必要があったということだ。
先日問題になった都議会のヤジ問題等を考えると、21世紀の日本でも、自分が思う以上に女性であることが現実の壁を高くしている事実がある、と訳者の堀越さんは捉えているようだ。


しかし、この本を読みながら、自分が想像したのは、女性問題一般ではなく、ストーカー問題だった。
主人公のリンダ(作者のハリエットの作品内での呼称)は、主人であるドクター・フリントに、逃げても逃げてもずっと追いかけ回される。7年間の屋根裏生活も、彼の目を避けるためで、その後、南部から北部に逃げても、何度も探しに来るような状態。現代のストーカー問題も、相手を支配したと思い込んだストーカーが起こしており、ドクター・フリントの精神状態と似ていると感じた。


しかし、当然ながら、ストーカー問題とは全く異なる一面がある。奴隷は、法律的にも商品として取り扱われるという事実だ。この本に出てくる「怖い人」はドクター・フリントだけではない。奴隷所有者の娘で、優しく楽しく遊んでくれる「お嬢さん」ですら、信じられない存在なのだ。

お嬢さんは数人の奴隷を所有していて、それらは一族にふりわけられた。そのうち五人は祖母の子どもであり、お嬢さんのきょうだいの乳きょうだいだったが、祖母の長年の献身的な働きにもかかわらず、全員が人員売買の競売にかけられた。神の似姿どおりにつくられた奴隷は、奴隷所有者の目には、畑に植えた綿花や、飼育した馬にしか見えないのだ。
(p25:リンダを優しく扱ってくれた主人「お嬢さん」の遺書によって、もしかしたら自由の身を得られるかも、という希望は全くかなわず、ドクター・フリントの娘の奴隷になってしまい、辛い日々が始まるのだった。)


そして、子を持つ奴隷の母親を苦しめたのは、売買の対象になるのが自分だけではないという点も、ストーカー問題とは全く異なる。

奴隷の母親にとって、新年は特別な悲しみでいっぱいの季節である。母親は、小屋の冷たい床に座りこみ、翌朝には取り上げられてしまうかもしれない子どもたちの顔を、じっと眺める。夜明けが来る前に、いっそ皆で死んでしまったほうがいい、と何度も考える。奴隷の母親は、制度のために人間の格を下げられ、子ども時代から虐待を受け、愚かにしか見えない生き物かもしれない。けれど、奴隷にも母親の本能があり、母親にしか感じられない苦しみを感じる能力はあるのだ。
(p38:南部では、奴隷の雇い入れ更新日は1月1日だったため、奴隷は新年をこわがる)

奴隷所有者は抜け目なく、父ではなく「子は母の身分に付帯する条件を引き継ぐ」という法律を制定させており、つまり自分のわいせつ行為の結果が、自身の金への執着に支障を起こさないようにしていた。
(p96)

こういった状況に対して、少なからぬ人たちが、善意の人によって、もしくは親戚によって、高値で買い取ってもらうという方法で、自由を勝ち取ったことについても、リンダは「所有者から所有者に売られるというのは、奴隷制となんら変わりない」(p285)と、抵抗を感じる。
この辺りの心の葛藤は、奴隷制というものを「白人から虐げられる黒人」という程度の図式でしか考えてこなかった自分には新しい視点だった。


自らが商品として扱われ、そして2人の子どもが売買される可能性のある中ですら、リンダが憎んだのは、彼女に執着するドクター・フリントではなく「奴隷制」である、という点は、この本の中で一貫しており、またベストセラーとなっている理由のひとつだろう。

奴隷制は、黒人だけではなく、白人にとっても災いなのだ。それは白人の父親を残酷で好色にし、その息子を乱暴でみだらにし、それは娘を汚染し、妻をみじめにする。黒人に関しては、彼らの極度の苦しみ、人格破壊の深さについて表現するには、わたしの筆の力は弱すぎる。
しかし、この邪な制度に起因し、蔓延する道徳の破壊に気づいている奴隷所有者は、ほとんどいない。葉枯れ病にかかった綿花の話はするが、我が子の心を枯らすものについては話すことはない。
p78

この本の中では、敬虔なキリスト教徒ですら、奴隷制という制度によって「悪魔の最も忠実な信者」(p74)になってしまうことも描かれており、「制度」は人間を変える、ということが言えそうだ。


リンダは南部から奴隷制度のない北部(ただし差別は残る)に脱出、さらに「差別のない国」イギリスの訪問の描写を見ると、この時代の黒人の置かれた状況について、地域ごとに大きな差があることが分かる。しかし、北部の自由州であるニューヨークで1850年に「逃亡奴隷法」(p273:州を越えて逃亡した奴隷の返還を定める法律)が成立するなど逆行する動きもあった。
特に、逃亡奴隷法が怖いのは、妻が逃亡奴隷である場合に、(上述した「母の身分に付帯する条件を引き継ぐ」法律のために)子どもたちが法によって捕えられ、奴隷に戻されてしまう、という点だ。南部に住む奴隷の主人たちは、その子どもたちも含めて、喜び勇んで返還を求め、(白人の主人のために)逃げた奴隷を引き戻すのに力を注ぐ黒人もいたという。
まさに、リンダなどこの時代の奴隷達は、地域や制度に人生を振り回されてしまったのであり、それを操るべき人間が、反対に、制度や法律に操られていることが、リンダの逃避行とその先々で起きた事実からよく分かる物語となっている。


巻末解説で、佐藤優は次のように書いている。

リンダの物語『ある奴隷少女に起こった出来事』は、米国の白人、黒人双方にとって、複雑な感情を抱かせる。白人が悪人、黒人が善人という二項対立での記述はなされていない。善き白人で、黒人に対して同情的であっても、経済的に困窮すると黒人奴隷を平気で売り渡す。奴隷から解放された自由黒人でも、白人に過剰同化し、逃亡奴隷狩りの尖兵となる。構造化された差別は、白人、黒人の双方を阻害し不幸にする。本書を読むことによって、米国人は良心を刺激される。そして、あのような米国と訣別し、新しい国をつくらなくてはならないと決意するのだ。ここに米国の強さがある。
(p309巻末解説)

そして、そのような強さを持った米国ですら、「構造化された差別」にやはり打ち勝てず、ファーガソンの黒人青年射殺事件のようなことが起きてしまう。日本でもヘイトスピーチの問題など、最近になって顕在化してきた差別の問題がある。国の対応が重要な問題だが、それが正しい方向に向くよう、差別や人種・民族間の憎悪についての問題は、その歴史的背景なども含めてもっと勉強しておくべきだと感じた。