Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

エジソン怖い…〜新戸雅章『知られざる天才ニコラ・テスラ』

単純に面白い。テスラのことを知らない人ほど読むべき本。
Wikipediaから引用すれば、日本人にはまだ馴染みが薄いテスラは以下のような科学的功績を持つ人物。

ニコラ・テスラ(1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。
8か国語に堪能で、詩作、音楽、哲学にも精通していた。

序章に詳しいが、欧米では1980年代に再評価の声が高まり、今ではグーグルCEOのラリー・ペイジやスペースXのイーロン・マスクなどがアイドル視するほどの大発明家となっており、高級電気自動車メーカーとして有名な「テスラモーターズ」の名前も当然テスラに由来する。
この本では、1章〜8章でニコラ・テスラの人物史を辿るのと合わせて、9章でテスラの死後の評価、10章で日本との関連、11章でマッドサイエンティストとしてのテスラ象、12章でテスラを取り上げた漫画・映画・テレビ作品を扱い、多方面からテスラとは何者かという謎に迫っている。
9章に書かれているように、テスラの死後、金庫に保管した未発表論文が盗まれ、それが超破壊兵器(粒子ビーム兵器・地震兵器・気象制御兵器など)について書かれたものだという「失われた論文」伝説が広まった。オウム真理教も、この秘蔵論文を教団拡大に利用しようと企むなど、テスラはオカルト的な部分で人気があったことが分かる。


テスラは、エジソンとのライバル関係を通して取り上げられることも多く、この本でも2〜4章で二人の関係を取り上げている。1884年エジソン社で上司部下の関係でファーストコンタクトを果たした二人は非常に対照的な天才だった。

「天才は99%の汗と1%のインスピレーションにほかならない」。この言葉に示されるように、エジソンは徹底的な試行錯誤によって結果をつかみ取るタイプだった。これに対して、テスラは直観を重んじ、具体的な作業に入る前に、すべてを頭の中で解決してしまうタイプだった。その違いをテスラ自身、このように表現したことがある。
エジソンが干し草の山から針を見つけようとしたら、ただちに蜂の勤勉さをもってワラを一本一本調べ始め、針を見つけるまでやめないだろう、わたしは理論と計算でその努力を90%節約できるはずだとわかっている悲しい目撃者だった」(「ニューヨークタイムズ」1931年)

気質の違いもあるが、二人の対立の一番のポイントは、発送電に用いる電流について、テスラが交流、エジソンが直流を主張したというシンプルなもの。電気の発明初期は、理論が単純で扱いやすい直流が多く使われ、エジソンは既に大規模な電力システムの建設に乗り出しており、技術的に未完成な交流にはシフトできなかった。
これに加えて上述した気質の違いがあり、エジソンは交流の危険性を説くために動物実験を行ってイヌやネコだけでなくサーカスの象までを犠牲にするほど攻撃的になったという。
こういったエジソンの攻撃的側面については、荒木飛呂彦鬼窪浩久変人偏屈列伝』の「ニコラ・テスラ」の漫画のイメージが強烈だ。



↑テスラが試作していた交流モーターを蹴り飛ばしたあとテスラをスカタン野郎扱いして、壁に追い詰めるエジソン



↑交流の危険性を説くためにネコを犠牲にするエジソン


変人偏屈列伝 (集英社文庫―コミック版)

変人偏屈列伝 (集英社文庫―コミック版)


その他、情報通信技術よりも無線で電力を送る電力伝送技術に執着したため、ラジオの発明者として長らく名を残せなかったというエピソードなど、テスラの追い求めた技術は、今だからこそその重要性が増しているものが多い。真の天才は100年先まで見通せるのだということを思うと、衝撃的だ。
一方で、計算脅迫障害、闇への嗜好、二つの感覚が錯綜する共感覚、女性用アクセサリーに対する恐怖症、丸くすべすべした物に対する恐怖症、ハトに対する溺愛(笑)など、かなり生き辛かっただろうと思わせるエピソードも多く、「孤独な天才」という、マッドサイエンティスト像そのものを演じているのかというくらい変わった人だったようだ。
テスラについては、今回初めて興味を持ったが、この本は多角的な視点からテスラを取り上げており、テスラを知るのにとても良い一冊だった。こういう風に、歴史上の人物に興味を持てば、歴史の勉強も楽しくなるかもしれない。人に焦点を当てた本をもう少し選んで読むようにしていきたい。