Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

2015年に読んだ面白かった本など

ちょうど、昨日、一晩をかけて2015年のブログ記事を読み直したので、これを機会に特に印象に残った本を1月から追っかけてまとめてみました。

1〜2月

1〜2月に読んだ本では、やっぱり『その女アレックス』が面白かった。最近では「一気読み」は珍しいけど、これは本当に久しぶりの一気読みだった。

とにかくテンポが良い。謎の女アレックスと、警部カミーユの二人の主人公の視点が交互に入れ替わりながら物語は進む。
読み始めてすぐにアレックスが路上で何者かに連れ去られると、あとはページを止める隙がないほどで、まさに「一気読み」という賛辞がぴったりだ。
序盤のポイントは、アレックスが何故誘拐されたのか?誰に誘拐されたのか?という部分で、アレックスは幽閉される身でそれを考え、カミーユは警察の立場から必死に捜査する。表紙の場面は実際には出てこないのだが、アレックスが何者かに監禁されている状況が継続するのが第一部だ。この小説は第一部だけでも十分に面白い。


あとはブルーバックスは色々とためになる。耳と聴力について勉強できたこの本は良かった。耳掃除はリスクを考えるとむしろ「しない方がいい」らしい。

作者の結論は「基本的に何もしないのが正しい」。気になったときに指でほじったり、お風呂上りにタオルで拭いたりすればいいと考えているようで、湿性耳垢の人でどうしても耳垢が詰まりやすい人は、欧米式の耳垢水(耳垢を溶かす点耳薬)による清掃方法を挙げている。

3月

3月に読んだ佐藤正午『ジャンプ』も面白かった。『Y』と『鳩の撃退法』は読まなくちゃと思って未読だが、これも含めて今年は、読まなくちゃリストに入っていた小説家の作品をいくつも読めたのは良かった。(三浦しをん角田光代朝井リョウ西尾維新など)

だが、この本の見せ方、仕掛けは『その女アレックス』とは全く異なる。
『その女アレックス』は、いわば「影踏み」(逃げ水)で、影を踏もう踏もうと追いかけても、スルリスルリと逃げてしまう。
追う先があるので、読者は影を追いかけようと気を集中する。それに対して、『ジャンプ』は、影を見せない。終盤に至っても物語が一向に収束しない*1ため、読者は話を追うのを諦める。いわば投げっ放し小説なのだが、それでいて、ある箇所を超えると急に世界が逆転する。
その「ジャンプ」感が売りなのだろう。


著作権について勉強しようと読んだ福井健策『18歳の著作権入門』から驚きの事実がわかったのはいい思い出。

著作権に関わる近年の具体的事例(佐村河内守氏のゴーストライター騒動、刑事事件になってしまった「ハイスコアガール」の件、TPPにおける「非親告罪化」の問題等)を含んでいるなど、身近な話題から著作権について学ぶことができる非常にいい本でした。この本の中で、JASRACのことを一章を割いて紹介している部分があり、なかなか興味深い内容でした。

4月〜5月

4月から5月にかけて、「伊藤潤二の方程式」と題して、固め打ちしている(今後も続く予定)が、その中では、萩尾望都の「半神」という短編と伊藤潤二の「記憶」の類似性を指摘したものがなかなか冴えている。引用は最小限にしているため、記事だけでは分かりにくい部分もあるが、オマージュ作品ということでいいのでは?よく気が付いた。

伊藤潤二の短編「記憶」は明らかにこの作品を下敷きにして、伊藤潤二流のサイコホラーに仕上げたものだと考えている。ともに短編(「記憶」は24ページ)で、いくつか大きな共通点があるので、二つを読めば誰もがそう思うのではないかと思う。


5月に読んだ本では日野原重明の本の名言連射がものすごい。また、益田ミリのすーちゃんシリーズは、繰り返し読むことで、自分に色々と考えさせてくれる土台となった。

今日きみが失敗して、みんなに笑われてなみだをこぼした体験は、いつか友だちが失敗したときに、その気持ちをだれよりもわかってあげられるためのレッスンなのかもしれません。今日きみがほめられたときに味わった、晴れやかな、ほこらしい気分は、きみがもっと大きなことに勇気をもってチャレンジするための準備運動みたいなものかもしれません。
(『十歳のきみへ〜九十五歳のわたしから』から引用)

一言一言がその人の人格を形づくっているわけではありませんが、たった一言で相手を幻滅させることもある。そう思えば、やはり、すーちゃんのように、常に自分を振り返りながら、少しでも前に進む努力を続けて行かなくては!と思います。
つまり、すーちゃんの言葉は、ひとことを切り出して名言になる言葉もあるのですが、それを発しているすーちゃんの前向きな姿勢がそれを名言にしているのだと思います。
そんな人になりたいですね。

6月〜8月

6月は、大胡田弁護士の本が良かった。視覚障害者の人の著書を自分はよく読むけど、どれも色々とためになる。

この本は、大胡田さんのように、自分の弱さを認め、自分の側に引き入れることができていない、大多数の人にとって、非常に参考になる本だと思う。
自分の弱いところを克服するというのではなく、弱いところについては他人を頼る「助けられ上手」という選択肢についても考えてみるという考え方は、特に、根性論的に前向きになることで自分を追い詰めてしまうようなタイプの人にはとても「効く」と思う。
そして、全体として多くの人の心に届く内容を持った本だと思います。


6月〜8月にかけて、オリジナル・ラブのアルバム『ラヴァーマン』関連の記事がしつこく続くが、太宰治お伽草子』に絡めて書いた最初の文章が、うまく本質を捉えているかもしれない。というか太宰治くらいだったらいいけど、『さようならドラえもん』とか山口百恵とかと無理矢理結びつけたそのあとの一連のやつはやり過ぎだな(笑)

つまり、「オリジナル・ラブど真ん中」から遠く離れて右往左往しているように見えた田島貴男は、「普遍的なポップス」という花が、もしくは竜宮が、そこにあることを信じ続けていたのです。
そして、新アルバム『ラヴァーマン』は、まさに田島貴男の追い求めていた花が、オリジナル・ラブファンだけでなく、いわゆる「大衆」にも見えるようになったという意味で、ポニーキャニオン以降のオリジナル・ラブ史上に残る画期的な名作であるように思います。

9月〜10月

9月には久しぶりに芥川賞2作を読んだ。『火花』はラストが変なので嫌いな人もいると思うけど、以下の引用部など、自分には好きな部分がたくさんあった小説のように思う。

同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら絶対にそんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん。
(『火花』から引用)


今年は自分にとってはとにかくマラソンを頑張った年で、9月から10月にかけてマラソン関連本をたくさん読んだが、湘南国際マラソンでサブ4を達成できたのも岩本能史の言葉の御蔭のように思う。

一度しかない人生で、自分は唯一無二の主人公のはずです、それなのに、自分が自分を見限ってどうする。それでは自分があまりにもかわいそうではないか。他人に傷つけられたり裏切られたりするぶんには仕方ないけれど、自分が自分を裏切って、あきらめて、投げ出して、辱めてどうする。それは最悪のことだと知っているから、強くありたいと思うのだ、と僕は思います。
(『違う自分になれ!』から引用)

11月

11月以降、いつもより漫画を多く読んだ。中でも不満たらたらだった津田雅美『『十年後、街のどこかで偶然に』のあとに読んだ『愛すべき娘たち』はとても良かった。よしながふみはやっぱりいい。

人を傷つけるのも人を救うのも「言葉」。自分が家族や友人にかける言葉が、その人の人生の一部に確実になっているというのは、怖いことでもあるけれど、自分の生きた証がそこに残っていく、受け継がれていくということだ。後ろ向きではなく、できるだけ前を向ける言葉を、楽しく生きていける言葉を意識して発していけるといいなあ、と思った。


なお、今年書いたブログの文章では、自分の「言葉」に注意しよう、とまとめたものが多かったが、ヘイトスピーチやいわゆるネトウヨ的言説が非常に気になってきた年でもあった。引き続き考えていきたい問題。

このあたりは、スマイリーキクチさんが受けたネットでの誹謗中傷のケースと同じで、言った本人は、その発言の問題に、言われた側の気持ちに全く気がついていない。このことは、今、「自分はヘイトスピーチを言う側の人間ではない」と思っている自分も、普段の何気ない会話の中で、もしくは気軽なツイート、リツイートで誰かを傷つけている可能性があることを示している。
読者としては、ヘイトスピーチを繰り返す人と自分を線引きして安心するのではなく、自分の中にある差別性に向き合うことが重要なのではないかと感じた。

12月

つい最近読んだ本では、森村泰昌の本が「美しい」をキーワードにして、本や音楽との付き合い方について改めて気づかされる内容だった。ビブリオバトルでいう「本を通して人を知る・人を通して本を知る」ということが、どの「美」を味わうのにも有効な態度であると思った。

インターネットの情報社会は、とかく情報ばかりがせわしなく往来しひろがってゆくが、人間の根本部分は、情報量では測ることができない「美しいと思う気持ち」にあるのではないか。
音楽や漫画、読書など、自分の好きなもの全ての中に存在する「美」ひとつひとつを大切にして、他の人の「美」にもできるだけ目を向けてゆきたいと思った。
利己的に「美」を広げようとすることで、世界に対する理解が深まり、人間に対する理解が深まる。かなり対象の広い話だが、この本で語られていることに嘘はないと感じた。
オリジナルかパクリか、芸能か芸術かなど、その他の話題についても非常に分かりやすい説明がされているこの本は、色々な人にオススメしたくなる本でした。


今年は、資格試験(今度ブログに書きます)にも合格したし、マラソンでサブ4も達成したし、厄年にもかかわらず良い一年でした。来年も良い年になるよう精進していきたいです!