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今さら知るエアチェックの時代〜恩蔵茂『FM雑誌と僕らの80年代−「FMステーション」青春記』

FM雑誌と僕らの80年代--『FMステーション』青春記

FM雑誌と僕らの80年代--『FMステーション』青春記

レコードもオーディオも高価だったあの頃、FMとラジカセこそが、音に飢えた若者たちの音楽入門だった。80年代の伝説的雑誌『FMステーション』元編集長が語る、百花繚乱の音楽シーンを駆け抜けたFM雑誌の青春記。


ときどき、ブログに好きな音楽のことを書いたりもするが、自分が音楽ファンだと胸を張って言えない。本や漫画と比べるとどうしても後ろめたさがある。
その理由は、小中高と最も多感な時期にほとんど音楽に縁が無かったためで、高校生当時にサザンやユーミンの新譜で盛り上がる同級生を見ても、全く興味を持たなかった。テレビ番組で放送される楽曲に親しみはあったが、積極的に特定ミュージシャンを追いかけることはなく、最初に買った音楽メディア(カセットテープ)は、『ナムコ・ミュージックグラフィティVol2』だし、いわゆるエアチェックということをしたことはない。
そうはいっても、高校時代(1990年代前半)から少しずつ音楽を聞くようにはなり、それも図書館でのCDやカセットテープの貸出が最初だった。その頃、図書館に置いてあった音楽誌の中で最も親しみやすそうなものとして手に取ったのが、雑誌「FMステーション」との出会いだったように思う。(おそらく、棚の横に並べてあったのはミュージックマガジンとBURRN、CDジャーナルだった気がする)
その頃の自分は、雑誌という媒体をパラパラ見る行為自体が好きだったためか、今となっては内容はほとんど覚えていないが、今回ネット情報をいくつか見る限り、当時、谷村有美あたりを好きだったのはこの雑誌の影響が大きいようだ。


ということで、音楽情報自体に鈍感な時期ではあったが、歌謡曲中心に80年代音楽を辿った『松田聖子中森明菜』が大好きな自分にとっては、やはり80年代音楽のメインストリームがどうだったのかは気になる。そういう部分に触れるつもりでこの本を読んでみた。


ところが、予想に反して、この雑誌は80年代カルチャーを分析的に読み解いたりはしない。音楽雑誌の編集長というよりは、ひとりの音楽ファンとしての思い出話が語られているような、いい意味で軽い、肩肘張らない読み物になっていた。
たとえば雑誌の特集記事などの資料的な部分を掘れば、それだけで80年代音楽の断片が伝わってくると思うが、それについては全く書かない。具体的にはFMステーションの毎年恒例の記事だった「好きなアーチスト/嫌いなアーチスト」のランキングについても1984年だけ載っているが、1984年の5位まではそれぞれこんな感じ。(ニューロマンティックが流行っていた?)

好きなアーチスト:(1)ビリー・ジョエル(2)デュラン・デュラン(3)ビートルズ(4)佐野元春(5)カルチャー・クラブ
嫌いなアーチスト:(1)プリンス(2)近藤真彦(3)カルチャー・クラブ(4)マイケル・ジャクソン(5)田原俊彦


Wikipediaによれば…

好きなアーティスト(歌手)、嫌いなアーティスト(歌手)
…年に1度、読者投票で選ぶコンテスト。前者は本誌で特集が多かった谷村有美遊佐未森などに票が集中し、後者は当初はアイドル歌手、休刊直前は小室ファミリーが上位を占めていた。

…とのこと。
80年代〜90年代まで全部一覧にできれば、資料的価値も高いし、そこからいくらでも話を膨らますことができたのに…と悔やまれる。(特に「嫌いなアーティスト」の変遷に興味がある)
と、オタク的な興味関心に全面的に答えてくれる本ではなかったが、FMラジオ番組と音楽雑誌を通して80〜90年代の音楽を眺めるにはとても良かった。以下、歴史的な部分のみを抽出して整理。

FMラジオ放送とFM雑誌(80年代中盤まで)

一般的な若者向け番組のAM放送に比べて、1969年から始まったFM放送は、(ステレオ放送や音質が売りだったこともあり)当初は音楽とオーディオ好きな大人向けというイメージがあった。
一方、70年代半ばから始まったカセットの時代は、79年のウォークマン、ダブルラジカセ誕生、80年のレコードレンタルの開始を経て一気に普及する。若者をFM放送にいざなったのは、そうしたカセットテープの普及だったとしている。
したがって、ステーションの先行三誌も含めたFM雑誌は古い雑誌ほど教養主義的になるとしている。

  • FM fan(共同通信社):1966年創刊。クラシックとジャズが中心。
  • 週刊FM(音楽之友社):1971年創刊。fanより若者向け。ニューミュージック推し。
  • FMレコパル(小学館):1974年創刊。若いオーディオ・ファン向け。
  • FMステーション(ダイヤモンド社):1981年創刊。アイドル推し。カセットレーベルとして「使う」雑誌。


そんなFM雑誌の基本は「番組表」。隔週で発売されるFM雑誌向けに、FM局はオンエア当日の三週間前には、番組の内容とオンエア曲目を決めてFM誌に知らせなくてはならない状況にあった(逆に言うと、生放送がレアだった)というのは驚きだ。当時は、「曲を途中でフェイドアウトして終わらせたり、イントロにパーソナリティのトークをかぶせたりせず、一曲一曲、完全にプレイする」というのがFM番組の売りだったというから、エアチェックが流行した状況が、ここに来てやっとわかった感じだ。ただ単に「ラジオで流れる楽曲を録音する行為」という説明だけでは(番組表や放送のルールの話が無ければ)、エアチェックという行為を想像できない。
なお、レンタルCDの普及がエアチェック衰退の一因であるともされているのは、エアチェックが、最新アルバムの収録楽曲の放送を狙って行われたからだと思うが、その対象がレコード収録曲だけでなかったというのは今回初めて知った。
つまり、FM放送が始まった頃から80年代にかけて、リスナーにとってエアチェックのお目当ては主としてライブ番組だったということだ。1987年の番組表からライブ番組を拾っているが、公開録音のライブからスタジオライブまで様々。(9/21号、11/30号から抽出したものとして、TMネットワークスタイル・カウンシルあがた森魚小比類巻かほる伊勢正三等々)

FM民放局の脱FM化とFM誌の衰退(80年代後半以降)

FM放送開始から10年にわたって東京、愛知、大阪、福岡に一局ずつしかなかったFM民放局は82年から次々に開局。これらの新しいFM民放局が、基本的にはFM東京FM大阪を中心とするJFNに加盟しており、番組を供給してもらっていたのに対して、85年にJFNに加盟していないFM横浜が開局した。
FM横浜は、そのフレッシュな印象と「モア・ミュージック、レス・トーク」というコンセプトでブームとなる。(この頃FMステーションは50万部でピーク)
そして、88年にJ-WAVEが開局。J-WAVEは開局当初「オンエア曲目を事前に発表したくない」と言い、FM雑誌を驚かせたが、結局「できる範囲で事前発表」ということに。しかし、バイリンガルDJをメインとして歌謡曲はかけないオシャレ路線は一大ブームを起こし、また、それは脱エアチェックの方向に向かうものだった。
さらに、88年後半にはNACK-5が、89年にbayfmが開局。それぞれが独自の路線を踏み出していく。
一転して古臭くなってしまったFM東京は、FM埼玉が「NACK-5」、FM千葉が「bayfm」という愛称で呼ばれているのに倣って1990年に「TOKYO FM (TFM)」に変更し、トーク中心で生放送メインという、AM的な路線にシフトする。
90年代入ってすぐバブルが崩壊して、おしゃれなFM局よりも地力のあるAM局の方が広告が取りやすくなり、FM局のAM化が進む。この流れで93年にFM横浜が愛称を「ハマラジ」に変えるが、定着せず1995年に「FMヨコハマ」に戻すというエピソードも面白い。
ということで、生が中心の放送はエアチェックには向かず、FM雑誌も存在意義を無くしていく。さらには、この時期に音楽雑誌の通例が変わり、ミュージシャンによる写真チェック、原稿チェックが当たり前となり、音楽誌そのものの意味合いが変わってきた中で、FMステーションは98年に休刊し、最後まで残っていたFMfanも2001年に休刊してしまい、一時代を築いたFM雑誌はすべてなくなってしまうのだった。

まとめ

音楽の聴き方が時代と共に変化していく中で、音楽情報に求められるものも変わっていったことがよく分かる本だった。自分自身、今でもAMラジオのpodcastはよく聴き、ラジオへの親しみはあるので、80年代のFMラジオの特殊な立ち位置を知り、熱い時代だったんだなあ、と、当時のFMラジオファンの方々を羨ましく思う。
また、最近は、ネットを通じた定額サービスでは、「元気を出したいときに聴く曲」だとか「会社帰りに聴く曲」だとか、複数ミュージシャンの楽曲をまとめたプレイリストという形で聴く人も多いようだ。ただ、自分は音楽に付随した情報を楽しみたいと思ってしまうので、楽曲紹介、ジャンル解説みたいなものと合わせて提供してもらうのが一番いい。このあたり、著作権との絡みがあって、工夫をするのは難しいのかもしれないのかもしれないが、ネット技術の発展に合わせて楽曲の周辺情報の提供と楽曲試聴を組み合わせたものがあるといいのになあと思う。(もうありますか?)


ちなみに音楽関連で次に読みたいのは、大学デビューの自分にとって最も音楽を聴いていた頃について書かれたこの本です。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

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