- 作者: 田房永子
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2015/06/19
- メディア: Kindle版
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エロ本ライターの仕事で風俗店のレポートを書いていた頃の話をネタに書かれていることもあり、作者の見た「男社会」の印象は、ややデフォルメ化されている部分はあるだろうが、自分は共感した。そもそも田房永子さんを初めて認識したのは、電車内でのある出来事について書かれた文章*1で、(否定的な意見が多く寄せられる内容だったようだが)とても納得が行く意見で、そのときのことを思い出した。
その後、読んだ『ママだって、人間』では、「女性の性欲」に焦点を当てた内容が、自分には受け入れがたかったのだが、それはエッセイ漫画という媒体のせいかもしれない。その意味では、今回は漫画ではなくイラスト入りの文章という体裁で、自分には受け入れやすかった。
ダメな「男社会」「男性視点」について書かれた内容は、ハッとさせられる部分が多いので、以下の引用を読んで、感じるところがあった方は是非読んでほしいです。特に男性。
(女性用のおっぱいパブ「イケメン乳首パブ」があったとしても、最初は罪悪感を感じてしまうが…)
それが男の場合は歴史が長いため、すでに完成されている。「この女の子も仕事でやってるから」という割り切りの感覚を、男は小さい頃から大人の男たちから感じ取り学んでいる。男は「娼婦」的女性と「自分の妻・娘」的女性を、別のものと分けて考える傾向が強い。本人はそんなつもりはなく、気づいていない場合も多いが、「娼婦」と「普通の女」を分けて考えるのは、そうしないと自分に罪悪感が溜まってしまうからだと私は考える。
(p88 おっぱいパブのレポート)
"健康な”男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。理由は「だってヤリマンじゃん」「だってゲイじゃん」のみ。
自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。それは彼らが小さい頃から全面的に「彼らの欲望」を肯定されてきた証しとも言えるのではないだろうか。
(p95 富裕層スワッピングパーティーのレポート)
(新幹線でくつろぎまくる男たちに対して)
彼らに、私の緊張感なんて、絶対分からないんだろうと思った。もし私がここで立ち上がり、「おい、おめーら!女の私がどんだけ緊張してるか分かってんのか!小学生のころから痴漢に遭って、公共の場で見知らぬ男たちから性的いやがらせを受け続けたトラウマ、そして35になって子持ちになった今も、もし何かあったらという恐怖感、自分の身は自分で守るしかないという立場、おめーらがリラックスしまくってる横で、こうやって緊張してる女がいるんだ、分かるか男ども!」と社内で叫んだとしても、「はあ?」と言われるだけだ。だからしないけど、心の中は叫び出したい気持ちでいっぱいだった。
(p199 新幹線に女ひとりで乗るのが怖いという話)
「女の性欲は40代がピーク」だなんて、ただ女は「私には性欲がある」ということを40代になってはじめて人に言える、自分で認められる、だけなんじゃないかと思う。どこの政府機関が調査してるのか知らないが、そういうアンケートにすら、10代の女は「性欲がある」と書けないだけだと思う。それか、自覚しないように教え込まれているというものすごくあると思う。
p205
男子の性欲は本当に「微笑ましい」のだろうか。「微笑ましい」としていることに、なんの弊害もないのだろうか。そしてそれは一体なんのために「微笑ましい」とされているんだろう、10代の時から、男子の性欲ばかりを認めさせられてきて、35歳になっても電車の中吊りで高齢男性の性欲の黙認を静かに要求されることに、私は心底うんざりしている。
(p208 電車内の中学生男子の奇行と中吊り広告について)
私のAKBライブ体験は、”お母ちゃん”が”息子”のよく行く風俗店を突き止め、”少女凌辱系”だと思ってビクビクしてたら、安定したナンバーワンがいる正統派な風俗店で呆気にとられた、という感じだった。
p228