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憧れ、嫉妬、自己嫌悪〜あさのあつこ『バッテリー3』

バッテリー 3 (角川文庫)

バッテリー 3 (角川文庫)

オトムライが息を整える。
「原田、おまえは中学野球というものを何だと思っとるんだ。いいか、教育の一環なんだぞ。よく頭に叩き込んでおけ。チームワークとか努力とか、勝った嬉しさとか負けた悔しさとか、教室の勉強では学べないことを知っていく場なんだ。野球はひとりじゃできん。他人に支えてもらって、他人を支えてチームができる。野球ができるんじゃ。そういうことを中学という時期に学んでいくのが、中学野球の理念で…」
「おれの言うことに、答えろよ」
バシッ。豪の足元に雨粒が叩きつけられた。風が、砂ぼこりを舞い上げて三人の側を吹き過ぎる。
「ごまかすなよ。理念なんてどうでもいい。あんたの気持ちはどうなんだよ。本音を言えよ、先生。おれの球をつかって、試合をやりたいと思ったんだろう」 p54


TVアニメ「バッテリー」の第2話を見た。
いきなり1巻のクライマックスとなる展開に急ぎすぎだとは思っていたけど、あそこまで端折ってしまうと、巧が泣いた理由が見ている側には伝わりにくい。
というのも、作者が否定し、巧や豪が否定する通り、『バッテリー』というのは、友情の物語ではない。(p146の豪の独白など)
もっと言うと、友情という甘い言葉で括れるものではなく、憧れと嫉妬、そして自己嫌悪の物語だ。
巧が青波のボールを遠くに投げてしまったとき、既に巧の気持ちはピークに達している。あのボールは、巧が打たれたフライを、青波自身が捕球してアウトを取った記念のボール、つまり青波にとって、兄との繋がりの象徴でもあり、自分の中の野球の可能性を後押しする大切なボールだった。(この部分を端折ったアニメ第2話では、青波があの軟式ボールにこだわる理由が分からない)
それを放り投げてしまった。巧は、青波の自分へのまっすぐな思い、野球へのまっすぐな思い、そういった自分に無いものの相手をするのが嫌になっていたのだ。
神社で青波の無事が分かったときに巧が泣いたのは、安堵の気持ちに入り混じる自己嫌悪が原因だが、その自己嫌悪は、青波と豪への憧れと嫉妬から来ている。そういった自分の弱点をわかりつつも、巧は自分を変えないところが、いかにも巧の性格をよく表している。
自己嫌悪があるから自分を信じられなくなるのではない、自己嫌悪があるからさらに自分を強く信じるのだ。そういう、どこか袋小路に入っていくような巧の強い気持ちが、次第にほかの登場人物にも伝染していく。そこが『バッテリー』という作品のリアリティーであり、一番の魅力だと思う。
そこがうまく表現できていなかったように思うが、アニメはアニメで好きなので、今後に期待したい。


さて、『バッテリー3』で、巧の強い気持ちが伝染していく様子が一番よく表れるのが、3年生のキャッチャー、展西(のぶにし)のシーン。展西は、2巻で御役御免の脇役キャラのはずだったのだが、この巻で退部届を出す際に、巧に対応するかのように自分の本心をさらけ出す。

「監督…いや、先生。おれ、ほんとは、野球ってそんなに好きじゃないんです。ていうか、それこそチームプレイだのチームワークだのってこと自体が苦手なんですよ。みんな仲良くいっしょに力合わせてやりぬこうなんてこと、だめなんです。入部してすぐ、あ、おれには向いてないなって感じました」 p167


ただの悪者で終わると思っていた展西がぶっちゃけるシーンには驚いたし、何度も書くように、「本音で語る」という空気がキャラクター内に伝染していく様子に感動した。
また、冒頭に引用したように、この空気が野球部監督のオトムライにも伝わる。通常の生徒なら絶対に口にしない巧の物言いに、オトムライの心はグラグラしていく。2巻のあとがきであさのあつこが宣言していることそのままに。


そして、この3巻では、あの大らかな豪までが、本気で怒る。
初登場の門脇との対決。最高の球を投げた直後の4球目で本気を出せなかった巧に豪は激怒する。

「ちきしょう。ばかにしやがって…ちきしょう」
ぐらぐらと頭が揺れる。血と唾を呑み下すと、吐き気がした。怖かった。豪が怖い。豪から噴き出す怒りの感情が怖かった。これほどの怒りを真正面から受けた経験はない。展西たちとは、違う。オトムライとも違う。そんなやわな感情ではなかった。呑み込まれ、食い潰される。恐怖が背筋を走る。こみ上げる吐き気と叫びを歯を食い縛ることで、こらえた。 p225