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毒親の話をどう読むか〜田房永子『母がしんどい』

母がしんどい

母がしんどい


田房永子さんが小さいころからの母との関係について詳しく綴ったエッセイ漫画で、いわゆる「毒親」を扱った漫画。
田房永子さんの著作は3作目だが、これまで読んだ2作と比べると、性の話がほとんど出てこないことと、絵柄がかなり違うので驚いた。著者名を伏せられていたら、同じ人の作品とは気がつかないと思う。
ただ、絵柄については、この本の内容にとても合っている。
問題の母親は可愛く無邪気に、主人公(田房永子自身)と、夫やつきあった彼氏は無個性に描かれる。
『ママだって、人間』で主人公と夫が、わざと好感をもたれないキャラクターとして描かれていたのとは大きく異なる。
それによって、特定の個人というよりは、母と娘の関係に焦点が当たり、読者は問題と向き合いやすい。


さて、いわゆる「毒親」だが、Wikipedeiaによれば、概念としては20世紀末あたりから存在したが、2013年頃から関係書籍が増えたということで、2012年3月に出版されたこの本は、毒親本の中でも流行ってから出た本ではなく、サルのイモ洗いの話*1のように、突然湧いたブームの最中に出た本のようだ。

元々は、アメリカの精神医学者、スーザン・フォワードが著した『毒になる親(原題:Toxic Parents)』から生まれた俗語である。この本は、原著が1989年にハードカバーで出版され、日本では1999年にハードカバー版が毎日新聞社から、2001年に文庫版が講談社より出版された。本国では2002年にペーパーバック版が出版されている。

日本では2013年ごろより、この言葉をタイトルに含めた本が出版されるようになった。主な意味としては「子の人生を支配する親」のことを指し、一種の虐待親として扱われることもある。「毒親に育てられた子は、毒親からの児童虐待によって苦しみ続ける」が主なケースとなっている。なお、スーザン・フォワードは『毒になる親』にて、「毒親の子は毒親を許す必要などない」と述べている。


さて、毒親というと、自分が現在イメージするのは永田カビさん。
レズレポ(『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』)を読んだときは、自分も「何故"毒親"をもっとアピールしないのだろう?」と思っていたが、最近のpixivコミック連載の『一人交換日記』を読むと、まさに親との問題に、今向き合っているところ。問題を切り分けて、前作で「さびしすぎ問題」という中ボスを(少しだけ)クリアしてから、大ボスと戦いたかったのだと思う。
最近のツイートを見ると、本人もレズレポを「毒親」本にすることを避けていたようだ。



さて、自分のことに立ち返ると、自分が人間関係の問題を、持ち前の鈍感力で切り抜けてきたことは差し置いても、親との関係は良好だと思う。それは子ども時代も今もだ。


そうすると、こういった毒親問題については、コメントしにくい。何といっても「所詮は他人事でしょ」と言われればそれまでだ。*2
ただ、最近は、「自分と遠い他人事」として味わう人生は、それはそれで意味がある。というより、それが文学や漫画の本質だと思うようにしている。BL好きの腐女子の基本的な考え方は、多分そこにある。


さらに、それをエンターテインメントや気晴らしとして消費するだけに終わらせないためには、

  1. 自分と異なる境遇を、できるだけ想像力を巡らせて、感情移入すること
  2. 自分の人生と似ている部分があれば、自身の行動にフィードバックすること

が大事なんじゃないかと思う。
最近はダイバーシティだとか総活躍だとかいう言葉も出てきているが、経済的側面だけではなく、福祉の面に力を入れようとするなら、上に挙げた1.の部分がとても重要なのではないかと思う。特に国政を担う人には必須なので、選挙演説の際には、どうせ党議拘束が掛かって独自性が出せない選挙公約の話なんかよりは、最近読んだ本の読書感想とかを必須にしてほしい。


さて、この本で田房永子さんが受ける色々な仕打ち(もしくは「大きなお世話」的愛情)の中で、こういうのも確かにあるなあと思ったのは、母親が、自分ではなく、知り合い(例えば、結婚相手の母親)にまで、ちょっかいを出す(例えば洋服をプレゼントする)こと。勿論、結婚式でずっとお喋りをやめない我儘な振る舞いや、鳴りやまない電話なども精神的に来るだろうし、田房さんの人生の中では、母親の思う「良きこと」が常に正義だった。


一方で田房永子さんがすごいのは持ち前の行動力で、親との問題に立ち向かったこと。
結婚後、夫にキレまくり、「お母さんと同じキレちゃう病気」を治すために精神科医に相談しにいくところは、問題の把握と対応が適切で素晴らしい。
そこでの先生のアドバイスをもらって楽になるが、それだけに終わらず、自分の内面を観察し、問題から逃げず、自分なりに「不足していたもの」を見つけてしまうところがすごい。


こういった、自分が置かれた状況をトコトン分析して、問題を解決していこうという「根性」は、永田カビさんにも感じ、『一人交換日記』は、途中から、どんどん家族の問題に話が向かっていっており、とても注目している。
と、同時に、それを読んだ自分も、自分の中の躓きや違和感を、時々振り返って、ちゃんと解決していった方がいいのだろうと感じた。また、いわゆる母娘問題として語られることの多い「毒親」問題で、絶対に重要なのは父親で、その意味で、自分と子ども、奥さんと子どもの関係にもちゃんと目を向けて行かなくちゃいけないと思った。


ということで、田房永子さん特有の「性」の問題についてのアプローチは無かったけれど、読みやすい装丁、読みやすい絵柄で、家族の問題が描かれた良い本だと思います。特に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と憲法第24条の冒頭に加筆してしまえる、自民党草案を作成した人に読んでほしい本だと思いました。
次は、角田光代萩尾望都も著者に名前を連ねる、この本を読んでみたいです。あと、田房永子さんの最近の著作も気になります。(書名が…)

*1:いわゆる「百匹目の猿現象」。Wikipediaでも書かれているように、実際の話ではない。

*2:このことを、自分は、当事者以外はその本を楽しんでいると言いにくいという意味で、密かに『タラレバ娘』問題と読んでいる。