Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

世の果て 地の果て そんな生易しいものじゃない〜おざわゆき『凍りの掌』

凍りの掌

凍りの掌


「シベリア抑留」という言葉を自分が知ったのは、どこだっただろうか。
小中高の歴史の時間に知ったのではなく、もっとあとに日ロ関係の政治記事かなんかで初めてその言葉を認識したのかもしれない。それでも、その言葉の意味するところは全くわかっていなかった。何となく「戦争が終わったあと、シベリアに留まらざるを得なくなった人がいた」という程度のイメージでしかなかった。
そんな自分にとっては、忘れられない、そして忘れてはいけない読書になった。

感想

「これは辛い」と、読んでいて思うことの多い漫画だ。
まず何よりも、1945年8月15日という、「終戦の日」として覚えている年月日のあとから始まる話だというところがキツい。
第二次世界大戦を描いた話であれば、辛いことはあっても1945年8月を境に光が見えてくる、と考える。むしろ、これまでの歴史を知る21世紀人としては、「どん底」から上向いて行く時期だと捉える。
しかし、「終戦の日」を、ソ連と対峙する北満州で迎えた主人公が、何度も「ここでダモイ(帰国)か」とぬか喜びしながら、アムール川を越え、北へ北へと行進を続ける序盤は、それだけで絶望的だ。


そしてギヴダ収容所での終わらない炭鉱掘り。
ここでの寒さと空腹の描写もこたえるが、死人が出たとき、貴重だからと服をすべて脱がしてしまうというのが辛い。そして、固い地面を枯れ枝を燃やして溶かしながら穴を掘り、直に遺体を置き、スコップで土をかけていく一連の流れは、本当に辛過ぎる。
数で言えば、数万人が、そのような形で、シベリアの地で今も眠っているのだろう。


その後も繰り返される、寒さ描写。
炭鉱は穴の中は暑かったというので、その後始まる石炭の露天掘りの話が特にキツイ。

これは本当に
言葉で表せないほど
厳しい作業だった


マイナス40度なら作業は控えられたが、
マイナス30度なら外に出された
マイナス10度、20度なら暖かく感じるほどだ
マイナス30度は本当にきつかった


凍傷で指を切り落としながら、いつ終わるかわからない作業を延々と続ける抑留者たち。
「世の果て 地の果て そんな生易しいものじゃない」」という言葉、そして、時折挟まれる絶望的な見開きページが、読む側の心も暗くして行く。


その後、主人公は、健康面を理由に「地獄のギヴダ」から出され、ライチハ収容所に。
そこからは、風呂に入ったり日本人の技術がロシア人に評価されたり、人間らしい暮らしを取り戻していく。
それと入れ替わるように、日本人同士の人間関係の問題が、「アクチブ」という形で顕れてくる。
凄惨な「吊し上げ」シーンは、ギヴダ収容所とは全く別の辛さ・キツさだ。
漫画の中では「アクチブのみならず日本人による日本人への私刑・体罰はあちこちの収容所で繰り広げられていた」と書かれ、吉村事件(吉村隊事件)のことが挙げられている。
少し調べると、「翔んでる警視」シリーズの胡桃沢耕史直木賞受賞作『黒パン俘虜記』が、まさにこういった事件をテーマにして書かれた小説だという。これは是非読んでみようと思った。

黒パン俘虜記 (文春文庫)

黒パン俘虜記 (文春文庫)


無事、ダモイ=帰国することができたシベリア抑留者たちだが、帰国しても新たな壁が立ちはだかる。
帰国後、抑留者たちは、補償金が出なかったり、「アカ」だからということで就職が出来なかったりしたというのだ。
「あちこちの収容所」で繰り広げられたという私刑の話、そして帰国後の仕打ちの話は、それが日本だからこそ、日本人だからこそ起きた不幸なのかもしれず、元々のシベリア抑留本体の問題とは別の視点で考えていかねばならない問題だと感じた。


何よりこの漫画の一番の特徴は、作者が自分の父親から聞いた内容を漫画にしているという点。
漫画の中でもところどころで現在の顔を見せる父親。資料を調べるだけではなく、実在の、しかも自分と血のつながりのある人から、地獄のような生活の話を少しずつ聞いていく、というのは、相当大変なことだろう。
それを、漫画的表現も上手く加え、話のテンポにも気を使いながら、しかも読みやすくまとめたのは、本当にすごい。
本編とあとがきの間に、ちばてつやの文章が挟まっているが、まさにその通り。語り継がなければならない、忘れてはならない人々の暮らしが、この漫画には詰まっている。

『凍りの掌』刊行に寄せて
             ちばてつや
暖かく、やさしいタッチの
マンガ表現なのに
そこには「シベリア抑留」という
氷点下の地獄図が
深く、リアルに、静かに
語られている。
日本人が決して忘れてはいけない
昏く悲しい66年前の真実
次代を担う若者たちには
何としても読んで貰いたい
衝撃の一冊


同じ作者が、母親の名古屋空襲体験を題材に描いたというこちらも是非読んでみたい…

あとかたの街(1) (BE・LOVEコミックス)

あとかたの街(1) (BE・LOVEコミックス)