Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ネット黒船以前の女子非モテエッセイ〜姫野カオルコ『ガラスの仮面の告白』

「男性と一式の寝具で寝て何もなかった数の世界一」というのが、もしギネス・ブックにあったら、載れるんじゃないかと思う。大学生時代など、いったい何人の男性と寝ただろう、グーグーと。杉村くんとも畑さんとも寺沢くんとも藤堂くんとも清水くんとも、私はセックスしていないキスもしていない。手も握り合っていない。彼らと私は、男と女ではなく、中性と中性のつきあいだった――。享楽の都TOKYOに上京した、夢多き乙女が綴る、孤独で切ないけれど、明るくって元気な物語。

刊行年は1990年。初のエッセイ集とのことだが、姫野カオルコは1958年生まれとのことなので、32歳のときの作品になる。
大学生のときに、SM雑誌の団鬼六賞に応募した作品が受賞し、その後の女子大生ブームも受けながら、文筆業を続けるかたわらの非モテ話が延々と続く。そんなエッセイだ。


勿論、つまらなくはない。
つまらなくはないけど、2016年に読む文章としては、とても素直に面白くは読めなかった。
こういった女子ぶっちゃけ文章はネット時代に入って質量ともにレベルアップが著しく、『ガラスの仮面の告白』は、2016年の今では渡り合っていけないレベルにあると思う。
特に、姫野カオルコが売りにしていた女子大生(もしくは20代女性)なのにSM雑誌に執筆しているという状況は、つい先日亡くなってしまった雨宮まみ田房永子など、男性向けエロ本で仕事をしていた人の状況と比べてしまうと、インパクトがない。だけでなく、雨宮まみ*1田房永子がずっと言い続けている、何というか、「女性ゆえの生きづらさ問題」を、おちゃらけた方向からしか触れることができておらず、かえって、80年代バブル期の男性中心価値観に侵されている感じで気の毒になる。
そもそも本の中で取り上げられるような「女子大生ブーム」という持て囃され方自体が、女性を商品として見るような男性視線が感じられて気持ちが悪い。そんな中で、やはり持て囃された姫野カオルコが、いえいえ、こんなにモテないんです…と、悲哀ぶりをアピールする、そんな空気は、(毒親と突き放していいはずの)両親と故郷について触れる場面で「八つ墓村」とふざけるのとも似ている。
要するに、姫野カオルコが32歳まで生きてきて、色々感じてきたはずの、あれやこれやに蓋をされているように感じてしまう。


だから、雨宮まみ『女子をこじらせて』で書かれているような、重苦しい気持ちになっても自分と向き合おうとする文章はほとんど表れない。それでは、逆に、軽薄な文章として面白いかと言えば、先ほども書いたように、名もない素人が書いた自虐面白ネタが溢れるネット時代に、「パーペキ」などという言葉に出くわしてしまうと、むずがゆくなってしまう。
ガラスの仮面』と『仮面の告白』を組み合わせただけの軽いタイトルも、内容にあっていると思うが、つまり、これが90年頃のエッセイの雰囲気なんだな、と感じた。
姫野カオルコさん自体は、やはり『謎の毒親』が面白かったこともあり、小説を読むかたわら、近年のエッセイも読んでみたい。

*1:本当につい先日亡くなってしまい、ショックでした。『女子をこじらせて』は今年の夏に読みましたが、結構重い内容で、男が感想書くのはなかなかしんどいな、と感想を書かないままにしていました。