Yondaful Days!

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1800年代の江戸旅行ガイド〜『原色再現 江戸名所図会 よみがえる八百八町』

原色再現 江戸名所図会 よみがえる八百八町 (ビジュアル選書)

原色再現 江戸名所図会 よみがえる八百八町 (ビジュアル選書)

先日も少し書きましたが、ひょんなことから(縁もゆかりもない)江東区付近の歴史について説明をしなくてはならなくなりました。(その後、無事終了しました!)
それをきっかけにして、深川関連書をたくさん読んだうちの一冊です。
ものすごくオススメの本というわけではありませんが、総復習には良かったです。

悪いところ

最初に悪いところをあげつらうのは趣味ではありませんが、この本の良くないところは、肝心の「江戸名所図会」についての説明が全くないことです。
まえがきもあとがきも無いまま、すぐに本題が始まり、スッパリ終わります。

  1. もとは白黒の「名所図会」に色を付けたものを見開き2ページで見せる
  2. 次の見開き2ページで現在の写真等を含めた解説が掲載される

その4ページが延々と続きます。最後に索引もあり、わかりやすい構成かもしれませんが、江戸名所図会の歴史的な意味づけや、当時の評価など、全くわかりません。

たとえば、国立国会図書館の特集ページ「錦絵でたのしむ江戸の名所」では、コラムで、まず「名所絵の誕生」として、江戸時代当時の状況を説明しています。
これによれば、江戸時代の中でも政情が安定した1800年代に旅ブームが起きたようです。

名所は古くは「などころ」といい、和歌の歌枕に詠まれる特に名の立った地、名高い場所を指した言葉でした。文学、故事、神話、伝説に登場する名所、旧跡が「などころ」に当たり、実際にはない場所もありました。しかし、江戸時代になって旅行が盛んになると、名所は実際に訪れることができる場所を指す言葉として用いられるようになり、各地に「名所(めいしょ)」が誕生します。

江戸時代は政情が安定し、参勤交代によって街道や宿泊施設、乗り物等が整備され、貨幣の流通も進んだことにより、旅が安全、便利にできるようになります。庶民も平和な時代のもとで、経済的な力を付けてきました。民衆の旅は享保年間(1716-36)頃から盛んとなり、文化・文政期(1804-30)には旅ブームが起こります。
コラム:名所絵の誕生

また、コラム「江戸名所記案内」の中では、「江戸名所図会」以外にも色々な“江戸ガイド”があったことが説明されており、「江戸名所図会」は、このような位置づけのようです。

江戸では名所、名店、名物を案内する書物、今で言うガイドブックが売られていました。江戸を訪れた人々のみならず、江戸の人々もそれらを片手に名所巡りを楽しみました。また、江戸土産としても人気の商品となります。
コラム:江戸名所記案内

江戸名所図会:
天保5〜7(1834〜1836)年に刊行。江戸及びその近郊の絵入り名所地誌。江戸地誌の集大成と評されている。編者は斎藤幸雄(ゆきお)(長秋)・幸孝(ゆきたか)(莞斎(かんさい))・幸成(ゆきなり)(月岑(げっしん))の父子三代。7巻20冊。画は長谷川雪旦(せったん)。神社・仏閣、名所、古跡の沿革と現状を実地検証によって記述し、その史料的価値は高い。特に風俗、行事、景観を伝える雪旦の画は、実地の写生であって精緻を極めた描写が多く、当時の景観や風俗を知るうえでの好史料とされている。
コラム:江戸名所記案内

上の引用部を読むと、「江戸名所図会」は、史料的価値が高いものとされています。また、江戸だけでなく、「近郊」を含むということで、調布市内でも深大寺や布多天神社などが取り上げられているのですが、今回の本では、「江戸名所図会」全体のどの程度の割合を、どんな意図で抜粋しているのかさっぱりわかりません。

良いところ

と、色々と書きましたが、ボリューム的にはちょうどよく、解説もくど過ぎないで読み下せる内容でした。
特に、神社仏閣関連は、少し前からの「御朱印」マイブームで訪れている神社も多く、改めて歴史的な位置づけを本で確認できました。
また、関連する落語について触れられている場所が多いのも良かったです。

アニメで舞台としている場所を巡る「聖地巡礼」ブームは、楽しそうだなあと思っていたのですが、落語や時代小説まで含めれば、東京都内は、「聖地」に事欠かないわけです。例えば、両国橋と回向院や富岡八幡宮は、今回いろいろと勉強した中でもエピソードが多く、とても思い入れの深い場所です。



両国橋は、1657年の明暦の大火がきっかけとなって出来た橋で、本所深川地区発展の最重要施設です。
その後、本所深川地域の宅地開発、木場や寺社の移設のまさに足掛かりとなりました。
アニメ『鬼平』では、隅田川の船上から眺める花火のシーンがとても綺麗で印象的でしたが、ちょうど江戸名所図会で描かれているシーンをお手本にしているのかもしれません。



10万人が亡くなったと言われる明暦の大火ですが、その無縁仏を弔ったのが回向院の始まりとされています。
宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』の探偵役は「回向院の茂七」。相撲の興行や諸国寺院の出張開帳でいつも賑わい、名所図会もその場面が描かれています。
落語の「開帳の雪隠」は、まさに回向院の開帳を題材にしたもので、今回は三遊亭圓生のものを聞きました。「死神」というのもあるとのことで、これも聞いてみたいです。



さて、両国国技館の近くにあるのは回向院ですが、大相撲の元である勧進相撲が始まったのは富岡八幡宮です。
先日、清澄白河にある江戸深川資料館に行ったのですが、ここがとても面白い場所でした。隅田川沿いに実在した佐賀町を再現したジオラマがあるのですが、説明版が全くなく、すべての解説は説明員の方に聞く必要があります。
富岡八幡宮のことを説明する際に、ちょうど、この二軒茶屋の絵を見せてもらいながら話を聞きました。二軒茶屋は、富岡八幡宮の境内にあった高級料亭で、絵の中にも登場している辰巳芸者と呼ばれた芸者たちも含めて、東側にある木場(現在の木場公園)の材木問屋がパトロンになっていたそうです。明治維新のときの廃仏毀釈で、無くなってしまった(隣接する)永代寺の住職が、富岡八幡宮宮司となり、その後継ぎが現在も宮司を務めている等、色々な話を聞けました。
1807年に、富岡八幡宮の12年ぶりの祭りに来ようと詰めかけた人たちによって永代橋が崩落する事故が起きました。このことを題材にした落語「永代橋」は、林家正蔵のものを聞きましたが、ものすごくゆっくりな語りで驚きました。



なお、夏にやっていた『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を思い出してしまうような絵も多かったです。「麻布 一本松」や「中野 淀橋水車」は、村を訪れた場面にしか見えないし、高田馬場や、ゼルダの伝説で欠かせない「馬宿」を思い出しました。


ということで、江戸時代からの東京の歴史については、少しずつ勉強を進めている状況です。これからは、隅田川の西から多摩地域にかけても知識を増やしたいと思うので、御朱印は、神田明神目黒不動尊あたりのメジャーどころから貯めて行きたいです。また、江戸名所図会で、調布や多摩地域のことについて、触れられている部分についてももっと知りたいですね。
なお、今回の記事に使用した図は、国立国会図書館デジタルコレクションから入手しました。場所の載っている巻はすぐにわかるのですが、その何ページに載っているかがわからずに苦労しました。探し方が悪いのか…。


江戸名所図会を読む

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新訂 江戸名所図会 (3) ちくま学芸文庫

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