Yondaful Days!

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運慶展に行ってきました!

東京国立博物館で、2017年9月26日(火) 〜 2017年11月26日(日)に開催されている『興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」』に行ってきました。
関連本2冊を読んで予習したこともあり、とても楽しんで見ることができました。
以下、展示順に、運慶展のホームページから、3章それぞれの説明を引用しながら感想をまとめます。

第1章 運慶を生んだ系譜ー康慶から運慶へ

運慶の生年は不明ですが、息子・湛慶(たんけい)が承安3年(1173)生まれであること、処女作と見られる円成寺大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう、国宝)を安元元年(1175)に着手していることから、おおよそ1150年頃と考えられます。平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう、国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝(じょうちょう)から仏師集団は三つの系統に分かれましたが、運慶の父・康慶(こうけい)は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していました。院派(いんぱ)、円派(えんぱ)の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があったようです。
ここでは、運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品を展示し、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をご覧いただきます。

NHK「日曜美術館」で、みうらじゅんは、デビュー作である大日如来坐像(円成寺)も絶賛していましたが、自分には微妙な違いがわかりません。また、阿弥陀如来および両脇侍坐像(長岳寺)も同様に、心が動きませんでした。(今回思ったのは、やはり座像よりも立像の方が素人目には迫力があるということです。)
むしろ、巻物「運慶願経」に書かれた文字の丁寧な筆致に感動しました。やはり、800年前の紙に書かれた文字というだけで迫力があります。


面白かったのは、運慶父の康慶作の「法相六祖坐像」(興福寺)です。
(こちらで確認できます。→http://www.kohfukuji.com/property/cultural/107.html
運慶デビュー作や長岳寺の阿弥陀如来も玉眼が使われているのですが、やはり仏像ではない方が玉眼は力強い。目の前の老夫婦が、「ほら!今、目が動いたよ!」と言いあっていましたが、見る角度を変えると視線がついてくるような感覚があります。

第2章 運慶の彫刻ーその独創性

文治2年(1186)に運慶が造った静岡・願成就院(がんじょうじゅいん)の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、不動明王(ふどうみょうおう)および二童子立像(にどうじりゅうぞう)、毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう、いずれも国宝)の5体には全く新しい独自の造形が見られます。建久8年(1197)頃の高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の八大童子立像(はちだいどうじりゅうぞう、国宝)は入念な玉眼(ぎょくがん)の表現、立体的に表した頭髪と墨描した後れ毛などが写実性に富み、感情までも表現されています。晩年の無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう、国宝)・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう、国宝)は、圧倒的な存在感と精神的な深みが感じられます。鎌倉時代の人々が仏像に求めたのは、仏が本当に存在するという実感を得たい、ということだったでしょう。運慶はその要求を受け止めて、余すところなく応えたのです。

目玉の一つである毘沙門天立像(願成就院)は良かったです。玉眼とおなかの張りが、これぞ運慶!という感じです。
ただ、本では常にこれとセットで紹介される不動明王立像、矜羯羅童子立像、制多伽童子立像は会えると思い込んでいたので展示対象外と知り、少し残念でした。特に、矜羯羅童子、制多伽童子は、八大童子とは全く表情が異なるので、近くで見たかったです。


意外なところで、大日如来坐像(光得寺)。サイズは小さめですが、大日如来を収めた厨子にくっついた小さな仏様たちが、少し離れてみると、「しめじ」に見えて面白かったです。(「しめじ」が確認できるのは、例えばこちら→http://unkei2017.jp/gakuen/miura03


そして、やはり八大童子。6体それぞれ髪型と表情が異なるのか本当に味わい深い。
髪型のバリエーションと、立体造形物での表現の仕方を見ていると、鎌倉時代から「スネ夫の髪型問題」みたいなものがあったのだろうな、と思わせます。
田中ひろみさんは恵光童子推しのようですが、自分は、ポスターにも登場した制多伽童子の髪型がジョジョに登場しそうで好きです。こういう髪型の仏像やキャラクターというのは他にいるんでしょうか。
なお、八大童子立像は、「知り合いに似ている人がいる!」と思えるという点でも面白いですが、矜羯羅童子については、ニコニコ大百科で以下のように紹介されており、「檜山修之」で検索したら、納得するしかない写真が出てきて驚きました。

不動明王の従者である八大童子の一人。
NHKで放送された「にっぽん 心の仏像知られざる仏50選」と言う番組で、
和歌山県高野山金剛峯寺矜羯羅童子像が紹介され、
声優の檜山修之氏に瓜二つとの事から2ちゃんねるで祭りになった。で
この事から「檜山=仏の化身」というネタが大いに広まった。
ニコニコ大百科「矜羯羅童子」


ノーマークだったのに感動したのは「無著菩薩立像」(興福寺)です。展示スペースには四天王立像、世親菩薩立像もあったわけですが、圧倒的に無著菩薩立像でした。
サイズが2mくらいと少し大きいことから来る迫力もありますが、とにかく表情が凄い。色々な角度から見ると視線や表情が動くようで、今回のベストオブ生きているんじゃないかという仏像でした。八大童子毘沙門天は同じ玉眼でも、半ば漫画的表現だったのですが、無著菩薩立像の玉眼は、大きく目を見開いているわけでもない故に 涙にも見え、より表現に深みが感じられました。


運慶のラスト作品「大威徳明王坐像」(光明院)は、予習本『運慶と鎌倉仏教』の表紙を飾っていた仏像なのですが、その小ささに驚きました。同じ造形でもサイズの大小は印象を大きく変えます。
今回の展示作品は大きいものが多かったですが、この「大威徳明王坐像」や、3章の「四天王立像」(海住山寺)は、とてもフィギュア的で、自分の思い描く仏像のイメージからは外れていました。

第3章 運慶風の展開ー運慶の息子と周辺の仏師

運慶には6人の息子がおり、いずれも仏師になっています。そのうち、単独で造った作品が残るのは湛慶(たんけい)・康弁(こうべん)・康勝(こうしょう)です。ここでは湛慶と康弁の像を展示します。運慶の後継者として13世紀半ばまで慶派仏師を率いた湛慶は多くの作品を残しました。快慶とともに造像したこともあるためか、運慶の重厚な作風より快慶の洗練に近づいています。しかし、京都・高山寺(こうさんじ)の牡牝一対の鹿や子犬(いずれも重要文化財)、高知・雪蹊寺(せっけいじ)の善膩師童子立像(ぜんにしどうじりゅうぞう、重要文化財)などの写実性と繊細な情感表現は、運慶風を継承したものです。康弁作の龍燈鬼立像(りゅうとうきりゅうぞう、国宝)は力士のようなモデルの存在を思わせる筋肉の表現において、より直接的に運慶とつながっています。このほか、運慶にきわめて近い作風の像を展示します。

ここは、やはり「天燈鬼立像・龍燈鬼立像」(興福寺)です。玉眼の目線も特徴的で、素人目にも独創性を感じることができます。もう一つのみどころだった「十二神将立像」(東京国立博物館静嘉堂文庫美術館)もそうですが、動きがバラエティに富み、ユーモアがあり、誰が見ても難しく考えずに楽しめます。
また、完全にノーマークだった「子犬」は驚きました。
高山寺のページでは、少し怖い感じに映っていますが、玉眼も入っており、その可愛らしさは、完全に想定外。まさか仏像鑑賞に来て、このような作品と出会うことになるとは…。物販品コーナーで複数のグッズが売られてたのも納得の可愛さでした。
ホームページにも書かれているように、「子犬」がある高山寺明恵(みょうえ)上人の寺で、明恵は動物を慈しみ、明恵が座右に置いて愛玩した遺愛の犬を運慶の子・湛慶が作ったということだそうです。なお、明恵の「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」という和歌は国語の授業で習ったことがある気がします。

まとめ

運慶作の31点中22点が一堂に会するという滅多にない機会で尚且つ、お寺ではなく、博物館での展示ということで、仏像を色々な角度から眺める貴重な体験が出来ました。
日曜美術館では、みうらじゅんが「スゲー、運慶」という言葉で、番組を締めていましたが、その凄さが素人にも伝わってくるという意味で、やっぱり「スゲー、運慶」なのだと思いました。
今回のように、入念な予習のもとで特別展を見たのは初めてでしたが、イベントをきっかけにして歴史を勉強するのは、自分に合っているかもしれないなと感じます。
今後も、こういう感じで展覧会を狙い撃ちしていきたいです。