Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

新年の一冊〜デヴィッド・フォスター・ウォレス『これは水です』

これは水です

これは水です

卒業式スピーチとしては、2005年にスティーブ・ジョブズスタンフォード大学で行なったもの(「ハングリーであれ、愚直であれ」)が有名だが、同じ年にケニオン大学で負けず劣らぬ名スピーチをしたデヴィッド・フォスター・ウォレスという作家がいた。
本書はそのスピーチ「これは水です」の完訳版である。
「考える方法を学ぶ」ことが人生にとってどれほど重要かを、平明かつしなやかな言葉で語った本スピーチは、時代を超えて読む者の心に深く残る。(Amazonあらすじより抜粋)

書評などを見て「これはいいかも」と思ったタイミングと、実際に本を読み始めるタイミングには、かなりのタイムラグがあることが多々あり、その場合、なぜ「これはいい」と思ったのかが分からないまま最初のページをめくることになります。
この本はまさにそれで、普段、自己啓発書の類に全く興味のない自分が、卒業式スピーチの本をなぜ選んだのか、頭を捻りながら読み進めた本です。
魚にとっての「水」のような、ありふれているが一番大切な現実というものは、口で語るのが難しい、という話から始まるこのスピーチ。
ふむふむ、リベラル・アーツは重要だねと思いながら終わりまで読み進めたあとで、巻末の訳者解説で(普通は読む前に知っておくべき)驚きの事実を知りました。


このスピーチを行った デヴィッド・フォスター・ウォレスは、このスピーチの3年後(2008年)に46歳で自ら命を絶っているのです。


しかし、まさにそのスピーチの中では、自殺について次のように語られています。

銃で自殺する大人のほとんどが撃ち抜くのは、頭部なのですが、少しもこれは偶然ではない。
こうして自殺する人の大半は、じつは引き金を引く前から、とうに死んでいるのです。
あなたがたの受けたリベラル・アーツの教育に、リアルでのっぴきならぬ価値が
あるはずだとすれば、ここだと思います。

確かに、このスピーチは変わっていて、卒業生に対して「可能性は開かれている」「人生は希望に満ちている」という話をしません。
スピーチの中では、アメリカの社会人の暮らしの大部分をなすもの(そして、それは卒業式のスピーチで誰も言おうとはしないもの)として「日常」について繰り返し書かれています。

  • 卒業していくみなさんがその意味を知らない「来る日も来る日も」
  • そこにあるのは、退屈、決まりきった日常、ささいな苛立ち
  • 無意味としか思えない日常
  • あくる日も、あくる週も、あくる月も、あくる年も、延々とつづく日常

ここで説明されるのは、そうした「日々のタコツボ」の中で、考え方の初期設定(デフォルト)を、継続的に調整していくことの重要さについてです。
無意識のままに嵌り込んでしまう考え方や価値観(典型的には、自己中心主義)は、絶えずせきたてられ、不安に駆られるような感覚をもたらし、そこから自由にならなければ、「銃で自分の頭を撃ち抜きたいと思うようになる」とさえ、ウォレスは、スピーチの中で説明しています。
正直に言えば、このスピーチ自体は、自分に直接響く言葉は無かったし、多くの人の熱狂を生むような強度の強いフレーズは無いように思います。
しかし、46歳でこの世を去ったウォレスが43歳のときに行ったスピーチであることを考えると、そして、それが「退屈な日常との向き合い方」という、自分にとっても逃れられないテーマであることを考えると、おざなりには扱えないように感じられてくるのです。
ちょうど、この本を読んだのが2019年の始まりということもあり、 少しでも視野を広げ、自己をブラッシュアップしていけるよう、日々、触れる情報や、自分の行動選択に対して意識的であるようにしたいと思いました。

ほんとうに大切な自由というものは、よく目を光らせ、しっかり自意識を保ち
規律をまもり、努力を怠らず、真に他人を思いやることができて
そのために一身を投げうち、飽かず積み重ね
無数のとるにたりない、ささやかな行いを
色気とはほど遠いところで
毎日つづけることです。p129