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乗り切れない!~映画『ジョーカー』


映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開



大ヒット上映中の『ジョーカー』を遅ればせながら観てきました。
仕事帰りに、つくば方面から新宿の東宝シネマズ18:30放映開始の回に向かったのですが、色々と見通しが甘く、劇場に入ったのは18:50。
遅刻したことが悔やまれてなりませんが、爆睡した『ゴジラ』同様、これもひとつの個人的な映画鑑賞体験と捉えます。
遅刻したことが影響したのかどうか、いまいち作品には入り込めなかったのですが、そこは後回しにして、まず、良かった点から書いていきます。

演技、衣装、音楽、絵

映画としては、あっという間に過ぎてしまった122分(-遅刻の10分?)。
飽きが来なかった一番の理由は、ホアキン・フェニックスの演技にあります。
まずは、体そのものに惹きつけられました。やせ細った体からは、肩甲骨や肋骨など「骨格」を感じ、背中から見たときでも存在感が飛び抜けていました。
そして、その体が生み出す表情と動作には、色々なものが同居しています。「笑い」の中に見られる自虐と悲哀だけでなく、走る姿は、颯爽というより(まさに喜劇的な)滑稽さが現れながら、色々な場面で踊って見せる、しなやかな体の動きは息をのむような美しさが感じられます。
また、それがどんなに自然で上手く出来たとしても、テレビ出演を想定した自室での練習は、状況そのものが滑稽に映ります。
おそらく繰り返し鑑賞したとしても、見るたびに、アーサーの所作に何らかの発見があると思うし、実際にそうなのでしょう。


また、深い設定はわかりませんが、黄色を基調とした色使いも印象に残りました。
ダークヒーローなのだから、色は赤、黒、紫などがメインかと思いきや、ソフィーをストーキングする場面でアーサーが羽織るのは黄色いパーカー。
自分の中では黄色いパーカーはグレタさんのイメージなので、ダークヒーローに最も似合わない色です。「ジョーカー」としてのアーサーの衣装も赤いジャケットの内側は黄色いベストで、結果的に、この黄色が弱さや優しさ、そして狂気の入り混じるアーサーによく似合っていると感じたし、画面をスタイリッシュに見せました。


カッコ良さついでに言えば、音楽も良かったし、階段、雨、地下鉄など、絵的に印象に残る場面は多く、このあたりも含めて何度も観たくなる映画だと思いました。
ちなみに、アーサーが冷蔵庫に入る謎シーンでは、あのアルバムを思い出しました。*1

グレタ たったひとりのストライキ

グレタ たったひとりのストライキ

ELEVEN GRAFFITI

ELEVEN GRAFFITI


期待と期待外れ

さて、ここから少しずつ不満点を書いていきますが、自分は、そういった良質なアートを求めて映画館に足を運んだわけではないのです。
自分がこの映画に期待していたのは、まず第一に、母親思いの優しい青年がいかにしてダークサイドに落ちて行ったか、という、いわゆる「闇落ち」がどの程度説得力を持って描かれているかという部分です。
もともと人気のある有名キャラクターの誕生部分の核心が説得力を持って描かれているからこの映画は興行成績でもトップを走っているのだろうと思っていたのです。*2

そして、その一方で、より期待していたのは「社会の分断」というテーマを『ジョーカー』がどう描くのかという部分です。最近見た映画では『アス』も『ボーダー二つの世界』も、わざわざ世界を二つに分ける設定を持ち出してまで、社会的弱者(マイノリティ)とマジョリティの対立を描いて見せました。また、ここに関しては、現実社会への影響を危惧する意見を聞いたことがあったので、映画を見ることで、人生に改めて絶望し、「ジョーカー」化する人が出るほどの危険性を持った「ヤバイ」映画なのかと思っていたのです。


結局、自分がこの映画に感じた一番の不満は、作品に対するこれら2つの期待が期待外れに終わった、というところになると思います。
短く言えば、アーサーの気持ちは分かるし、同情もするが、行動は短絡的で、「ジョーカー」というカリスマ的なダークヒーローとなるような魅力を感じられなかったし、社会の分断が深まった末に、ジョーカーというダークヒーローが誕生したというストーリー展開も凡庸に感じられてしまい、物語に入り込めなかったのです。

いくらでも深読みできる妄想展開

ただし、エヴァンゲリオン的に、物語に仕組まれた「謎」を楽しむという意味では、楽しめる映画だとは思います。
いわゆる「信頼できない語り手」としてのアーサーの物語は、真実なのか妄想なのかの線引きがないまま進んでいきます。(とはいえ、真に「解釈次第」とされるのは、一番最後だけで、それ以外はある程度明確だとは思います。)

まず、デニーロ演じるマレー・フランクリンの番組で、観客席にいたアーサーが呼ばれ、憧れの司会者から優しい言葉をかけられるシーンは、すぐに妄想とわかるようになっていて、観客に向けて、序盤の段階で「この映画はどこまでが妄想かわからない」ことを告げます。


一番効果的だったのは、恋人関係にあったソフィーのくだりです。もともと、映画を観ながら不満を感じたのは、アーサーは自分の不幸を嘆いているけど、母親の看病に夜通し付き添ってくれる恋人がいるじゃないか。それはとても幸せなことではないか、ということでした。しかし、長い時間を経たあとで、その「事実」が覆されます。
確かに、エレベータでアーサーに対するふるまいは優し過ぎるし、自分のことをストーキングした相手とわかって、わざわざ忠告に行くソフィーって何なの?等、違和感を覚える部分はありました。しかし、デートのシーンも含め延々と二人の関係を描いたあとで、アーサーの妄想でした、と明かされるシーンはショッキングで、最もアーサーに同情した場面で、自分の中での映画の一番のクライマックスだったかもしれません。


そして、アーサーだけではなく、母親のペニー・フレックの妄想が、ジョーカー誕生の要素としては大きなものでした。
アーサーが、トーマス・ウェインとの間にできた子どもだ、というペニーの思い込みは、過去の入院履歴から、事実ではなかった(ペニーの実の子どもですらなかった)ことが判明します。だけでなく、アーサー自身が幼児期に虐待を受けて脳に損傷を負っていることがわかります。*3つまり最も信頼していた母親こそが、自分を苦しめていた元凶である可能性を知ったのです。この絶望は計り知れないほど大きく、アーサーが「闇落ち」するには十分説得力があり、思い返してみると、ソフィーとの話と合わせて、ジョーカー誕生の物語としては、この段階で十分に成立していると思います。(ここまでは映画としてほとんど不満がありません)


しかし、こういった「何が真実か分からない」という作品構造自体が、自分を物語に入り込むことを妨げました。
つまり、殺人者がヒーローに祀り上げられるこのあとの展開こそが、それまでの物語の中でも、最も妄想的で説得力がないと感じ、終盤に行くほどに冷めて行ったのです。
アーサーが怒りに駆られて3人を殺してしまう部分を手に汗握って見ていた自分も、その後、あそこまで突発的な事件で証拠も多いはずなのにアーサーが捕まらないのはおかしいし、アーサーの正体が不明なまま、「証券マンが殺された」という事実だけで、格差社会の象徴のように、事件や犯人が神格化していく流れは非現実的だと思いました。
一方、アーサーの舞台上での大失敗がテレビ番組で取り上げられるというのも腑に落ちません。(事実だとしたら、あまりに番組が低俗的に過ぎる)
さらには、アーサーをゲストとして招きたいという番組からの突然の電話。
序盤のマレーとの抱擁シーンからの連想で、 これらはすべてアーサーの妄想として見るのが正解だろうと思いました。実際、アーサーを訪ねた元同僚ピエロ2人も、アーサーの語る番組出演を全く信じようとしません。
映画を見ていて、自分は、これは、アーサー逮捕のための警察の罠なのかと思っていました。


しかし、実際にアーサーはテレビに出演してしまい、衝撃的なシーンから暴動への流れになります。テレビ出演部分におけるアーサーの演説もあまり説得力がないままに話は進み、最終的に暴徒がアーサーを称えるクライマックスを、自分は冷めた目で眺めることになるのでした。

ラストの解釈

さて、場面が変わって精神病院でカウンセラーとの面談を受けるアーサー。
ここで、どこまで遡って事実だったのかがわからない、というのは、エヴァンゲリオン的な深掘り映画と捉えれば、この映画の魅力ではあります。
しかし、回想シーンから考えると、これまでの流れは事実で、ここでアーサーが「ジョークを思いついた」というのは、暴動の中で生き残ったブルース・ウェインバットマンとしてジョーカーと対決するという流れを指すと解釈にした方が、ジョーカーの誕生譚としてはわかりやすいものとなります。

一方、マレー・フランクリンの番組出演から暴動までの流れそのものがアーサーの妄想で「ジョーク」であるという解釈があることを、ネット上の感想を見て知りました。これであれば、映画を観ていたときの自分の感覚には合致しています。しかし、この解釈では、ジョーカーは誕生しないし、アーサーにはカリスマ性を全く感じません。それどころか、「社会の分断」をテーマに描く映画としては不誠実だと感じました。虐げられた者の怒りは、単に観客を騙すためだけのまがい物ということになってしまいますし、監督が観客に何を感じてほしいのか全く分かりません。

なお、遅刻して見逃した冒頭にラストと同様の面談シーンが入るとのことで、それを合わせて観ると、また解釈が変わって来るのかもしれませんが、ネットでの評価を見ると、解釈の仕方を観客に委ねた映画となっているようです。ただ、そのように「謎」が主体になること自体、「社会の分断」というテーマの掘り下げを期待して観に行った自分としては、大きく不満の残る部分です。作品のクライマックスである、マレー・フランクリンの番組出演から暴動までの流れは、多くの観客にとって、「社会の分断」を感じさせるものだったのでしょうか。ジョーカーのカリスマ性を感じさせるものだったのでしょうか。川崎市登戸通り魔事件や、京都アニメーション放火事件は、どちらも大量の犠牲者を出した2019年の事件ですが、それらを起こした人を、失うものが何もない「無敵の人」と称することがあります。映画『ジョーカー』について「無敵の人」と結びつけて論じる文章も見ます。しかし、アーサーの地下鉄での殺人は、半ば不可抗力で「無敵の人」だから起きたことではないと思うし、テレビ出演以降は現実の事件と結びつけるには、あまりに非現実的だと感じてしまいました。実際、自分自身でこのテーマについて考えてみるいい機会になるのでは?と思っていただけに残念です。
ということで、自分としては作品テーマの扱いとしても、キャラクターの魅力としても、いまいち乗り切れない作品となりました。


ただ、関連作品として、チェックしておかなければならない映画が出て来たので、これらも観てみようと思います。『タクシードライバー』『ダークナイト』は内容は忘れました(笑)が既に観たので、まずは『キングオブコメディ』でしょうか。(Amazonプライム見放題に入っています!)


あとはソフィー役のザジー・ビーツが出ているということで『デットプール2』も気になります。本ではアラン・ムーアの『キリングジョーク』も当然チェックしたいです。

バットマン:キリングジョーク 完全版 (ShoPro books)

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→その後、『キングオブコメディ』を観て、『ジョーカー』自体の感想もアップデートしました。:『ジョーカー』の見方が変わりました~マーティン・スコセッシ『キングオブコメディ』 - Yondaful Days!

*1:ホアキン・フェニックスロジャー・フェデラーに似ている。田島貴男ロジャー・フェデラーに似ている。『イレブン・グラフィティ』には「ペテン師のうた」という楽曲も入っているし、「ジョーカー」と合わせて聴くべきアルバムでは?笑

*2:ただ、自分自身は、スターウォーズをしっかり通っていないため、ダースベイダーがどのように闇落ちしたのかは知りません。自分の中の「闇落ち」イメージは、北斗の拳サウザーやトキ(アミバ)です…

*3:母親の古い写真の裏にトーマスからのメッセージを見つけるシーンがありますが、これはトーマスが嘘をついていたということではなく、母親の言葉すべてが妄想ではなかったことを示すものと理解しました。