Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

何度でも観たい~ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』

20200112155132


『パラサイト 半地下の家族』90秒予告


最高の映画だった。よく言われるような後半の怒涛の展開だけではなく、色んな観点から「最高」だった。

箱庭的な世界と作品テーマ

まず、個人的に、空間を実感させてくれるような映画が好きというところが大きい。
家だけなら例えば『シャイニング』や『クリーピー偽りの隣人』等もあるし、もう少し入り組んでいるものなら『千と千尋の神隠し』も好きだった。『カメラを止めるな』も『ゲットアウト』もいい。
だが、それ以上に、もっと広い範囲での地形・空間を楽しめる作品が好きで、ここでも宮崎駿になるが『崖の上のポニョ』、そして『アス』や『君の名は。』もその流れで、家の外まで舞台は及んでいるのに、世界全体が閉ざされた感じ、いわば箱庭感があるのがいいのかもしれない。


『パラサイト 半地下の家族』がさらに優れているのは。まずメインの舞台となるパク社長の豪邸自体、階段、広い庭園、そして地下室等、空間的な広がりが多様であるだけでなく、絵的に美しいということがある。居住空間としての快適性が画面から伝わってくる、まさに「居心地の良さそうな」家だ。
それに対して半地下の家は、トイレよりも低く、道行く人の立ち小便に気を付けなければならない場所にあり、絵的に美しいとはとても言えないし、住みたいとは思えない。


この二つの家を直接繋げて見せる集中豪雨のシーンでは、主人公のキム一家が豪邸から自宅まで走ってみせるが、その間、何度も坂や階段を降り、さらに、怖くなるような勢いで大量の水が「下」に向かって流れ落ちる。
二つの家族の立場の違いを見せつけるだけでなく、清潔なもの、美しいものが上側にあり、そこから脱落した不潔なもの、汚いものは下側に行く、という社会の「動き」までが比喩的に示され、かつ、「下側」では安全性が担保されないことが分かる。そこは、皆が逞しく生きながらも、いつ家や財産を失うか分からない場所でもある。
つまり、舞台の空間的な配置が、物語のテーマと一致している点が、『パラサイト 半地下の家族』の秀でたところであり、自分の個人的ツボをつくところでもある。

二極化と不平等の表現

パンフレットでは、映画評論家の町山智浩さんが、韓国の現状について語っている。

  • 韓国では1997年のIMF通告以降、中小企業が潰れ、非正規雇用が拡大し、大企業に富が集中する構造が出来上がった
  • 2015年の調査によると、国民の1.9%が「半地下」に住んでいる-格差が広がった結果、今の若者たちは「三放世代」(恋愛と結婚と出産の3つを諦める)と呼ばれている
  • さらに、その先の世代として、正規雇用と家をもつことを諦める「五放世代」、加えて友人関係や夢さえも諦める「七放世代」という呼称さえある。

『パラサイト』では、確かに、この2つの層の衝突を描いている。パンフレットから監督の言葉を引用する。

この社会で絶え間なく続いている「二極化」と「不平等」を表現する1つの方法は、悲しいコメディとして描くことだと思います。私たちは資本主義が支配的な時代に生きていて他に選択肢はありません。韓国だけでなく、世界中が資本主義を無視できない状況に直面しているのです。
(略)
今日の資本主義社会には、目に見えない階級やカーストがあります。私たちはそれを隠し、過去の遺物として表面的には馬鹿にしていますが、現実には越えられない階級の一線が存在します。本作は、ますます二極化の進む今日の社会の中で、2つの階級がぶつかり合う時に生じる、避けられない亀裂を描いているのです。

その点では、『万引き家族』や『家族を想うとき』などよりも、『アス』や『ジョーカー』に似ている。
ところが、これら2つのの作品は、いずれもその衝突が大袈裟て、非現実的に感じられた点が不満だった。
二極化は事実だし、両者間の衝突が起きることもあるだろうが、それぞれが連帯することはないからだ。むしろ、現実世界でもっと頻繁に見るのは、「同じ層の中での衝突」だ。
しかも、社会を変えようとする者を、現状維持(貧困容認)派が邪魔するという形が、日本では最も多く見られるように思う。
『パラサイト』では、(『ジョーカー』や『アス』では描かれなかった)まさにその種の衝突が描かれている。再び町山さんの言葉を引用する。

グンセとキム家は互いの足を引っ張り合い、殺し合う。貧しい者同士が力を合わせて豊かさを目指した高度成長期は終わったのだ。
(略)
豊かになる希望がないグンセは金持ちのおこぼれに頼るしかないからパク家を「リスペクト」し、階級を這い上がろうとするキム家を邪魔する。

乗っ取ろうとした家に、既に別の「寄生家族」を見つけて争いになる、という中盤の「驚きの展開」は、単に作劇上だけでなく、作品のテーマを強く反映したものになっている。

配役と印象的な台詞、そして終わらせ方

そして、役者が素晴らしかった。
どの俳優も印象的なだけでなく、個性が配役と一致している。


まず、豪邸に住むパク家。美し過ぎる社長夫人と、可愛すぎる一人娘を支えるに値すると思わせる、声も顔もダンディでカッコよく仕事のできそうなパク社長。なお、やんちゃで時にエキセントリックな弟もおり、よく考えると、『アス』と同じ家族構成だ。
パク社長の奥さんが、英語を挟みながら話をするのが、ハイソサイエティな可愛さ表現として、印象に残る。


そして、ある意味、物語の核となる「臭い」まで漂うような生活感溢れるキム一家。ソン・ガンホは、いわばいつも通りだが、主人公となるキム・ギウ(役者はチェ・ウシク)がいわゆるハンサムな顔立ちではないところが良い。なお、こちらも『家族を想うとき』と同じ家族構成(我が家と同じ家族構成)だ。
キム家は皆、印象に残るが、家政婦になったお母さん(チャン・ヘジン)と、元家政婦(イ・ジョンウン)が立場の入れ替わりに合わせて、見栄えが大きく変化するのが良かった。


そんな中、やはり最も心に残ったのは、キム父が、避難所で息子に語る言葉。

「何かプランは?」長男の問いに父ギテクは答える。「何もプランはない。そうすれば失敗しないで済む」その言葉には、人生設計して努力しても裏切られてきた韓国の庶民の諦めがにじみ出ている。(再び町山さんの文章より引用)

町山智浩さんがパンフレットに寄せた文章はタイトルを「それでもプランを、夢をあきらめない」としているが、まさにラストシーンと直接繋がる重要なセリフだ。
この映画のラストは、予定調和的に無理にハッピーエンドにするものではないし、逆に、痛すぎる現実を突きつけるものでもない。そして、ラストで示されるギウの考え方は、まさに「資本主義」に毒されたものになってしまっており、ある意味では「間違い」だ。
しかし、観た側としては、現実を見据えながら強い気持ちを持ち、未来を良いものに変えていこうという気にさせられる作品だった。


勿論、ポスターや音楽も良かったし、wifiの電波を探すオープニング、食事シーンも良かった。語り切れないところが沢山ある。
今年、これ以上に面白い作品はないのではないか、と思いつつ、2020年もたくさん映画を観ていこうと思う新年初映画となりました。