Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

国家と国民と新型コロナウイルス~『一人っ子の国』



One Child Nation - Official Trailer | Amazon Studios

自分にとって映画を観る一つの大きな目的は「きっかけ」づくりだ。
特に外国のドキュメンタリー映画や史実を扱った映画は、その傾向が強く、『家族を想うとき』は、イギリスという国に興味を持つきっかけになったし、『国家が破産する日』や『工作』、そして『パラサイト』など一連の韓国映画は、韓国の歴史や現状について知りたいと思わせてくれた。
今回観た『一人っ子の国』も同様の目的で観た。
だが、その衝撃度は凄まじく、これまで、アメリカを抜く勢いの中国を、日本とそこまで変わらないのでは?と考えていた自分の浅はかさを思い知った。


そもそも、この作品は、TBSラジオたまむすびで、町山智浩さんが紹介していたのを聞いて知った。
ラジオの書き起こしページがあるので、冒頭から、作品の概要部分を引用する。

町山智浩)これ、監督は中国田舎で生まれてアメリカの大学を出てドキュメンタリー映画を作っている1985年生まれのワン・ナンフー(Wang Nanfu)さんっていう人がたった1人で中国に行って。自分でカメラを持ってたった1人で撮影をした映画なんですよ。
赤江珠緒)ええー。うん。
町山智浩)これね、たった1人じゃないとできない状態っていうのは見ていてわかるんですけども。彼女、子供が生まれたんですね。だからその2ヶ月かなんかの赤ちゃんを連れて、中国の田舎の親戚に見せに行くんですよ。で、自分が生まれた頃の話を聞いて回るんですけども、そのワン監督が生まれた頃っていうのはちょうど中国では一人っ子政策をずっと続けていたんですね。で、彼女自身が一人っ子政策というものはどうやって実施していたのか?っていうことがわからないから、それを聞いて回るっていう話なんですよ。自分のお母さんとかおじさんとかに聞いて回るっていう話で。
miyearnzzlabo.com

今読み返してみると、この紹介は、映画の内容をほぼ完全になぞっており、いわゆるネタバレ全開ではあるが、復習にはちょうど良いまとめとなっている。
上の引用の中でも書かれているように、自分も当然「一人っ子政策」という言葉自体は知っていたけれども、具体的に何が行われていたのかは想像したことが無かった。


映画の中でその実態が次々と明らかになる中、やはり一番驚いたのは、赤ん坊の写真。

それで、また写真家が1人、出てくるんですよ。その人はジャーナリスティックなアート写真を撮っていて。中国ではその当時、ゴミがそこら中に捨てられていて。産業廃棄物とかの不法投棄がひどかったんですね。で、その実態を撮ろうとしてゴミ捨て場の写真を撮っていたら、そこに人形みたいなものがあることに気がついて……よく見たら普通に出生した赤ん坊の死体なんですね。

映される写真も衝撃的だが、「当時は道端に赤ん坊が捨てられていた」と思い出話を語る人たちの淡々とした語り口も恐ろしい。生まれた子が女の子だったら捨ててしまうということは数多く行われていたとのことで、映画の中での語りによれば少なくとも2000年代初めまではその状況があったようだ。(さすがに一人っ子政策の終わった2015年ギリギリまでそういう状況だったということはないだろうと信じたい。)


後半では、そのような赤ん坊が外国に養子として「売りに出される」話が出てくる。
中国計画出産協会?に奪われて養子に出された双子の姉がアメリカに住んでいることが分かり、SNSで繋がることができたという事例も出てくるが、アメリカの姉には、経緯を知らせることは出来ないため、再会を素直に喜べず、これも辛い。


そして、全体を通して、国の関与、プロパガンダは、もっと怖れなくてはならないものだと感じた。
強制中絶や強制不妊手術の話も出てくるが、それらに携わった医師や産婆が国家に表彰された話に加え、歌や寸劇による一人っ子推奨の広報など、映し出される映像は、どこか昔の話のようにも感じる。
しかし、2015年以降に掌を返して始まった「二人っ子政策」においても同様に、歌や寸劇による広報が行われている状況を知ると、今現在でもこの調子で通じてしまっている中国という国を遠くに感じてしまう。
第一、今となっては「間違い」と分かる「一人っ子政策」について誰も怒らないのだ。

町山智浩)でも、どこでもそうですけども、一度始めるとそれがたとえ間違っていたとしても突き進むんですよ。一旦やり始めるとどんなに間違っていても突き進んじゃうんですよ。で、いま中国はもうギリギリになって2人っ子政策を始めているんですけども、遅すぎるでしょうね。かなり。で、その間に殺された子たちっていうのは一体何だったのか?っていうことですよね。それでも、お母さんとかやった人たちに聞くと「私たちは間違っていない。政府に言われた通りにやっていたんだ。他にどうしようもなかった。それが正しいことだと思わされていたし、思っていた」って答えるんですよ。

インタビューに出てくる人たちは、皆が口をそろえて「仕方がなかった」と語る。もちろん、都会と田舎では人の考え方も大きく違うのかもしれないが、ここまでネットが発達した世の中でも、徹底した情報統制によって「政府のいいなり」を作ることが可能なのであることにとても驚いたし、誰もが「正しく疑い、正しく判断する」ことが出来るわけではないことを改めて知る。


ちょうど、ここ数日で状況が大きく変化しているが、3日ほど前のテレビでは、中国政府を信頼しきって、新型コロナウイルスの被害が大きく広がることはないのでは、と語る中国の街頭インタビューの様子も映されていた。春節を控えて戦々恐々としている日本と対照的で驚いたが、マスコミだけでなくSNSも政府のPRが強く広がるように調整を受けているのかもしれない。
とはいっても、原発問題以降の日本は、政府発表のほとんどに疑ってかかるタイプと、「過度に疑うのは馬鹿」だとばかり、考えなしに政府を信頼してしまうタイプに、大きく二分されてしまったように思う。*1結局、 「正しく疑い、正しく判断する」ことが出来ていないのは日本も変わらないところがある。


こういったドキュメンタリー映画を観て歴史を知ることで、国家と国民の関係について考え、国民の側として、どのような判断を、そして行動をしていく必要があるのかを学んでいきたい。今後、映画や本を選んで行く中で、軸となるテーマをひとつ与えられた一本となった。

*1:ただ、現政権は、隠すだけでなく、統計を偽装したり、文書の改変もするということがどんどん明るみに出てきているので、政府不信になる方が自然だとは思うが