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その「救い」は誰のため?~早見和真『イノセント・デイズ』

イノセント・デイズ (新潮文庫)

イノセント・デイズ (新潮文庫)

  • 作者:早見 和真
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 文庫



(文章中にネタバレを含むので未読の方は注意してください)

正義は一つじゃないかもしれないけど、真実は一つしかないはずです

放火殺人で死刑を宣告された田中幸乃。彼女が抱え続けた、あまりにも哀しい真実――極限の孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。

田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がるマスコミ報道の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。


あらすじにもある通り、この本の構成は見事で、章ごとに語り手が変わり、過去にあった同じ出来事も視点を変えて語り直される。その順序も絶妙だ。

  • 1章 丹下健生(産科医、6章の翔の父親)
  • 2章 倉田陽子(義姉)
  • 3章 小曽根理子(中学時代の親友)
  • 4章 八田聡(元恋人の友人、ブログ執筆者)
  • 5章 田中幸乃本人
  • 6章 丹下翔(幼なじみの弁護士)
  • 7章 佐々木慎一(もう一人の幼なじみ)

全7章をプロローグとエピローグで挟み、一番最初に田中幸乃の語りが入る。
この構成で面白いのは、誰が田中幸乃に手を差し伸べる人なのかがわからないまま読み進めるところ。言ってみれば3章までは前菜で、4章を読むと、八田聡こそが彼女を助けてくれるように感じられる。しかし、八田はそこまではいかず、5章で田中幸乃本人による文章を挟んだ6章で、真打として、2章で語られた小学校時代の幼なじみである丹下翔が登場する。しかし、彼女を救うのは彼の役目でもないのであった。


単行本の帯にあったという「ひとりの男だけが、味方であり続ける。」の言葉通り、7章で登場する佐々木慎一こそが、「ひとりの男」であり、ここで初めてタイトルの「イノセント」が「無垢」ではなく「無実」という意味で使われていることが分かる。つまり、彼女は死刑になるような罪を犯していない…。
にもかかわらず、エピローグでは、実際に死刑が執行されてしまう。


何と救いのない話なのだろうか。
そう思わざるを得なかった。


しかし、このような、この小説を「暗い」「救いがない」と表現する声に対して、解説で、辻村深月は、この小説を「救いがない」とは読まなかった、と説く。

私は見届けなければならないのだ。彼女が死ぬために生きようとする姿を、この目に焼きつけなければならなかった。(444ページ)


この一文を見た時に、胸の真ん中を強く掴まれ、揺さぶられた。少し読み進めて息を吸い、この場面のために著者は彼女の物語をここまで書き紡いだのだと圧倒された。
読者の心は、おそらく、彼女を見守ってきた女性刑務官と近い。彼女を救いたいと願う人がいるにもかかわらず、自ら死を選ぼうとする田中幸之は傲慢に見えるかもしれない。しかし、彼女に「生きていてほしい」と望む気持ちもまた傲慢でないとどうして言えるだろう。

ずっと自分を消し、幽霊のように実体のなかった彼女が唯一意志を見せ、抗おうとしたその瞬間が、たとえ自分の死を望むものだったからといって、それを間違っているなんて誰にも言わせたくない。


読み始めたとき、プロローグの語り手が女性刑務官であることに面食らったが、辻村深月の書く通り、各章の語り手とは違い、第三者的視点で田中幸乃のことを見守り続けた彼女こそが読者に最も近い。
だから、エピローグにおいて、願い虚しく刑が執行されてしまったあとで、彼女の次のようなセリフを通して、読者のやり場のない気持ちを、どこに向けるべきかを伝えようとする。

心の傷と、解放感。その二つとともに私の中に取り残されたのは、やはり一貫して感じていた怒りだった。

でも、その感情の正体がどうしてもつかめない。私はいったい何に、誰に対してこんなに憤っているのだろう。真犯人か、警察か、裁判のシステムか、死刑制度そのものか。結局救うことのできなかった彼女の友人たちに対してか、それとも幸乃自信に対してか。

すべて当てはまる気がする一方で、すべて的外れだという思いも拭えない。ただ一つたしかなのは、どの方向に怒りの刃を投げつけてみても、結局はブーメランのように自分のもとに戻ってくるということだ。私自身、一度は幸乃を凶悪犯罪者と決めつけていたのだから。p454

6章までは、ほとんどの読者も、まさか彼女が無実とは思わず、凶悪犯罪者として読むだろうから、読者も同罪と指摘しているのだろう。

物語の中で、佐々木慎一も田中幸乃も、一人の人間を、人間性を無視した「凶悪犯罪者」や「死刑囚」という言葉で扱う/扱われることに非常に抵抗を示している。

確かに、事件に関わらない人が、マスコミの断片的な情報から、被害者や加害者をそれぞれが一人の人間として扱うことは不可能だ。しかし、だからこそ、安易にマスコミの「わかりやすい」表現をなぞるのではなく、そこに疑いの目を向ける必要がある。*1
先日読んだ、マスコミ批判色の強いルポルタージュ『モンスターマザー』は、一人の人間を「モンスター」に仕立てているという意味では、マスコミと同じ轍を踏んでいるような気がする。一読者としては、キャッチフレーズや分かりやすいエピソードに流されないで、少しでも自分の頭で考える時間を増やすしかないだろう。


辻本深月の解説は、『イノセント・デイズ』の根幹について次のように語る。

“感動”や“失望”、“暗い”や“明るい”、“”幸せ”や”不幸”といった言葉だけでは片づけられない、名付けられない感情や事柄を時に描くのが小説であり、物語であるとするなら、早見さんが描こうとしたものはおそらく、それらを超越した”何か”が起こる瞬間そのものなのだ。それは、わかりやすい“救い”の瞬間すら凌駕する。

(略)

“暗い”や“明るい”、“”幸せ”や”不幸”という一語だけの概念を超越した場所で彼女を救おうと格闘し、味方であり続けたひとりの作家の誠実さの熱。それこそが『イノセント・デイズ』という作品を支える根幹だと、私は思う。

その熱は、辻村深月の解説からも伝わってくる。


「救い」がない、と作品を評した場合、それは、誰にとって「救い」がないのか。
単に、ここまで読み進めた読者に対して「御褒美」をくれない、ことを指して、言っている言葉ではないのか。
読者も、本を読み、作中の登場人物とつき合うことに、どれだけ誠実であることが出来るか、その姿勢が問われている。

ということで、小説の読み方を改めて教えられるような熱い物語と名解説でした。

*1:ただ、最近の自分は、基本的には、こういうニュースに対しては「無関心」で接するようにしている。誰かが傷つく可能性のある噂話(の真偽の判断)に、限りある時間を費やすのは勿体ないからだ。