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「善意」で世界は明るくできる~中脇初枝『きみはいい子』

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)

([な]9-1)きみはいい子 (ポプラ文庫)


(この文章はアニメ『バビロン』、映画『葛城事件』、小説『きみはいい子』をセットで語るシリーズ最終回です)
『葛城事件』の後味の悪さは、ストーリー展開よりも、映画を観ることが、自分の中や身の回りの「逃避」や「嫉妬」、「悪意」に気づかせていくことによるところが大きい。同様に、身の回りに溢れる「善意」に気がつくことは、心を癒す効果がある。
中脇初枝『きみはいい子』は5編から成る連作短編集で、それぞれの話の主人公は、学級崩壊を招いた小学校担任や、娘に手をあげてしまう母親など、ちょっとしたマイナスの部分を抱えている。それぞれの物語の中では、何かのトラブルや問題への「解決」は描かれず、「善意」が明るい方向を示して終わる。
そのうちの一編「こんにちは、さようなら」では、障害者として描かれるひろやくんが「しあわせ」について語るシーンがある。

「でもこの子、自分なりにはわかってるんです。ね、ひろや。しあわせってなんだっけ。しあわせは?」
ひもを結びおわったひろやくんは顔を上げ、一息に言った。
「しあわせは、晩ごはんを食べておふろに入ってふとんに入っておかあさんにおやすみを言ってもらうときの気持ちです。」
わたしと櫻井さんは顔を見合わせてわらった。


「しあわせ」という大き過ぎる命題に対するこの答えは、『バビロン』で生きる意味を語ったアメリカ大統領よりも、むしろ直感的で説得力のある言葉になっている。
ひろやくんは「一緒に晩ごはんを食べること」ではなく、「おやすみを言ってもらう」ときに「しあわせ」を感じる。「おやすみを言ってもらう」のは、自分が「愛されている」ことを実感するときなのだろう。
『きみはいい子』では、別の2編で虐待を扱っており、そういった別の家族の物語があるからこそ、「おやすみを言ってもらう」ことの大切さが倍増して感じられる。
そう考えてみると、『葛城事件』のように、敢えて言葉では説明しないのではなく、背景にある膨大な物語の氷山の一角として「言葉」が表れている物語が最もオーソドックスで、読み手としても受け入れやすいのかもしれない。(『バビロン』の終盤の展開は、すべてを「言葉」で乗り切ろうとしてしまっていたといえる)


最初に、「身の回りに溢れる「善意」に気がつくことは、心を癒す」と書いたが、『葛城事件』で次男・稔が無差別殺人を犯すような人間になってしまったのは、家庭内に充満する葛城・父の「悪意」を吸収してしまっていたからかもしれない。
愛のない『葛城事件』の食事シーンを思い出すと、ひろやくんの「しあわせは、晩ごはんを食べておふろに入ってふとんに入っておかあさんにおやすみを言ってもらうときの気持ちです。」が改めて胸に響いてくる。
自分も「善意」で周囲を照らすことができる人物になりたいと思った。


映画は、これは観なくちゃ!!

きみはいい子

きみはいい子

  • 発売日: 2016/01/13
  • メディア: Prime Video