Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

絶対に併せて読みたい相思相愛解説~河合香織『帰りたくない』×角田光代『坂の途中の家』

文庫本の楽しみは何といっても解説だと思うのです。
やっと本を読み終えた!誰か読んだことのある人と話をしたい!
…と思っても、そんな人が近くにいる、というシチュエーションに巡り合うことはまずありません。
そんなときでも読了直後から話につきあってくれる友達「文庫解説」があれば大丈夫です。
「答え合わせ」や「新たな視点」、関連作品まで教えてくれることのある文庫解説は、自分にとってはなくてはならないものです。


さて、ビブリオバトルは、言わずと知れた「読みたくなる本を紹介しあって勝ち負けを決めるゲーム」ですが、そこで「文庫解説がオススメの本」を紹介しました。
今日参加したのは、通常5分で1冊を紹介するところを、5分で2冊紹介するイレギュラーな形式で「ダブルバウト」と呼ばれる形式です。
新型コロナウイルスの影響を受けて、ビブリオバトルもzoomなどを用いたオンライン形式で行われることが増えました。が、今日はオンラインと対面のハイブリッドという相当レアなビブリオバトルで、しかも自分は少数派の「オンライン」での画面出演で、主催者に迷惑かけまくりだったのではないかという恐縮しきりの参加となりました。


ビブリオバトルはコミュニケーションゲームであるため、基本的に観客を観て話し、原稿を見ながら喋ることはありません。が、自分の場合は、5分という枠内に入るか確認しながらラフな原稿を作成して、プレゼン前に覚えるというパターンが多いです。
しかし、ダブルバウトの場合は、時間が足りないのがわかっているため、かなり完成度を上げた原稿を用意します。
そこで、今回は用意した原稿をアップするのと合わせて、そこで取り上げた2冊の解説について、さらに追加で気になったことを書いてみたいと思います。

ビブリオバトル5分間の発表内容

今日の2冊のテーマは文庫本の魅力と「考えさせる読書」です。
まず一冊目は河合香織さんの『帰りたくない』です。

副題にあるのは「少女沖縄連れ去り事件」。
関東地方在住の10歳の女の子が、47歳の男に誘拐され、8日後に遠く離れた沖縄で保護されます。
保護されたときに、彼女は「家には帰りたくない」と言うのですが、なぜ彼女はそんなことを言ったのかに迫るノンフィクションです。
シチュエーションは、今年の本屋大賞受賞作『流浪の月』と似ている部分もありますが、2冊目に持ってきている本は『流浪の月』ではありません。
『帰りたくない』は、中盤に明らかになる事実が衝撃的なのですが、『流浪の月』の読者には割り増しで響くように思います。


この魅力は、本編もさることながら、解説がすごい!ということです。
小説家・角田光代さんによる解説は、本のダイジェスト、分析がわかりやすいだけでなく、ノンフィクション論になっています。
そもそも、この本自体、河合さんと犯人男性との往復書簡がベースになっているなど、3年半の取材の成果が詰まった傑作です。
けれども、角田光代さんは、事件の核心にいかに迫るかということ以上に大切なものが、すぐれたノンフィクションにはある*1、と言います。
それは、どんなに取材を続けて事実を重ねても、どうしてもわからない、ブラックボックスの部分に対する姿勢です。


この「ブラックボックス」に対して、テレビのコメンテーターは「心の闇」だとか「虐待の連鎖」だとか、「わかったつもり」になるキーワードをつけて蓋をして、ブラックボックスなどないことにして安心させます。
しかし、すぐれたノンフィクションはそれとは逆だと角田さんは言うのです。
ブラックボックスがあることを意識させることによって、読者に考えさせ続ける。事件を起こした人たちが単に特殊な人たちとで、自分たちとは違う世界の出来事だと勘違いさせない。
すぐれたノンフィクションとはそういうものだと言います。


さて、そんな角田光代さんの書いた『坂の途中の家』が、今日の二冊目になります。

坂の途中の家 (朝日文庫)

坂の途中の家 (朝日文庫)

  • 作者:角田光代
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: 文庫


この本に興味を持ったのは「裁判員制度」について扱った本だからです。
いつか突然自分に回ってくるかもしれない裁判員という役割について知っておきたいという気持ちでこの本を手に取りました。
主人公は、もうすぐ3歳になる娘を抱える主婦の里沙子。
旦那さんも忙しいながらも育児に協力的な3人家族。
そんな里沙子が担当する事件は、テレビでも話題になった8か月の乳幼児虐待死事件で被告人は母親です。
裁判員*2としての10日間、事件について里沙子はどのように考えたかを辿る小説になっています。


 最初は、同じ幼い子どもを持つ母親として、被告人を軽蔑していましたが、10日間の中でいろいろな証人の発言を聞くうちに、被告人を同情する気持ちは、むしろ、自分はどうだろうかというところに向かいます。
帯に「娘を殺した母親は私かもしれない」とありますが、被告人が背負った辛さと同じような理不尽を、里沙子自身も、夫から、親から受けてきたのにやり過ごしてきてしまっただけなのでは?と不安になるのです。


さて、もう一度、この本の構造を振り返ってみましょう。
裁判員裁判の事件を掘り進めていくことで、自分の人生について考える主人公・里沙子。
同じように、本で、彼女の気持ちの変化を辿っていく読者は、必然的に考え続けることになります。


ここで驚きの事実を述べますと、この文庫本の解説は、1冊目に紹介した『帰りたくない』の作者の河合香織さんです。
こういった虐待事件を扱うことは、むしろノンフィクションの方が多いわけですが、河合さんは、それと比較したときの小説の強みについて書いています。
河合さんは、角田光代さんの小説には、いつも「私」(つまり読者自身)が書かれている、と言います。
先ほど言った「ブラックボックス」という言葉を使って言えば、ノンフィクションでは最後に残す「ブラックボックス」の部分。
そこに、普遍的な人間の気持ちを入れ込むことによって、やはり、読んだ人が誰でも「これは自分のことだ」と考えさせるような仕組みが内蔵されている。と解釈しました。


優れた文庫解説は、読んだ本について改めて振り返り、そして考える機会を与えてくれます。
相思相愛の解説が読めるこの2冊を是非セットでお読みください。
(発表終わり)

補足的内容

この2冊の感想は過去にそれぞれ以下でまとめています。
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

ここでも書いている通り、『坂の途中の家』の解説が河合香織さんだと知ったときは単純に驚いただけなのですが、今回改めて読んでみると、この2冊の文庫解説は呼応しすぎているのではないか、という気になってきました。
特に顕著な部分として、それぞれの解説の終わりの部分を長めに引用します。(どちらも名文です)


まず、角田光代さんによる河合香織『帰りたくない』の解説。

先に、心に残る事件ノンフィクションは、ブラックボックスを抱えている、と書いた。それはなぜかといえば、考えさせるからだ。(略)
本書もまた、心に残るノンフィクション作品になるだろう。彼女の体当たりの取材によって、私たちは深く考えさせられることになるのだから。あとがきにもあるように、加害者はだれで、被害者はだれなのか。少なくとも、発端のところではだれも何も間違っていない。生きるために闘い、生きるために逃げた。その途上で出会った二人の、奇妙な逃避行について、私たちは考え続ける。考えることで、この不可思議な事件に私たちもまた立ち会い、立ち会うことによって忘れるということがない。人間というもののある在りようについて、おそらくずっと、考え続けることになる。(2010年4月)


次に、河合香織さんによる角田光代『坂の途中の家』の解説。

誰にでも人生を変える書物というものがあるだろう。(略)
本書も多くの人の人生を変える書物になるだろう。もしも出会うことがなかったら、私は何も知らずに生きていったに違いない。善意に隠された悪意も、相手を貶めることでしか表せない愛し方も、考えることを放棄することの悲しさも、そして虐待とはどういうことかも。
これからも私は何かから逃げ出したい時に、必ずこの本を開くことになるだろう。
考えることは、自分の人生に責任を持つことは、苦しいかもしれない。けれども、七転八倒しながらも考え抜いた答えは、他人から押し付けられて選ばされた人生とは大違いだ。見たくもなかった自分の姿も、恥じるものではなく、きっと誇らしくさえ思うだろう。
生を信じることをやめることはできない、そんな人間の剛健さを作者は描き出した。だから、性別や年代に関わらず、角田光代の小説に多くの人が心を動かされ、なぜ作家は「私」のことを知っているのだろうと思うのだ。


「考えること」「考え続けること」の大切さを強調する全体の論旨はもちろん、太字で示した部分は、ほとんど同じ表現を使って互いの本を褒めています。
おそらくは、『坂の途中の家』の文庫解説を書くことになった河合香織さんが、『帰りたくない』で角田さんに書いてもらった文庫解説を読み直して意識したのだろうと推測されるので、アンサーソングならぬ「アンサー解説」なのかもしれません。
しかし、内容としては角田さんの解説に引っ張られずに、しっかりと『坂の途中の家』の核にあるものが抽出されており、ノンフィクション作家の考える「小説論」としても読みごたえがあります。
文庫解説の名手として(自分が)絶対的な信頼感を置いている角田光代さんに負けない河合香織さんも、ものすごく優秀な読み手なのでしょう。


実は、河合香織さんは『絶望に効くブックカフェ』という書評本を書かれており、これが、「最近出版された本」と「古典と呼ばれるもの」を二冊併せ読むという手法で書かれた書評で、ダブルバウトそのものです。
まさに、この本こそ、二冊併せ読みが大好きな自分にとっての必読本なのですが、ここで取り上げられた本を読んでから手をつけようと思って、自分はほとんどこの本を読めていません…。

絶望に効くブックカフェ (小学館文庫)

絶望に効くブックカフェ (小学館文庫)


なお、河合香織さんの『帰りたくない』は絶版でなかなか手に入れにくいのですが、入手できなかった場合は、近作『選べなかった命〜出生前診断の誤診で生まれた子』が全国民必読の名著なので、まずはこちらを読んでいただければと思います。(文庫化されたときには、その解説がやはり気になる一冊です)


2冊を読見直し、改めて「考えること」「考え続けること」の大切さを意識し直しました。
もっと色々な本を読んで、たくさん考えていきたいです。

*1:あとに引用した文章にもありますが、正確には角田さんは「すぐれた」という言い方を使うのは不正確だとして、「心に残るノンフィクション」という言い方をしています。

*2:実際には「補充裁判員」です。この制度も本を読むまで知りませんでした。