Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

高橋裕『都市と水』★★★ISBN:4004300347

岩波新書は、新書の中でもやはりブランド感があります。少しインテリジェンスな気分が味わえます。それが理由で読んだわけではないけど、手に取ったこの一冊。
記述が教科書的ではあるが、戦後40年間(1988年発行の本)を以下の3期に分けて説明がされており、水関係の歴史が頭に入りやすい。

  • 第一期:1945〜1959 大水害頻発時代。「治水」の時代。
  • 第二期:1960〜1972 水資源開発の時代。「利水」の時代。
  • 第三期:1973〜   国民の価値が転換した「水環境」の時代。


第一期の15年間は、3ヵ年を除く12年は毎年1000人以上の死者が出ているという受難の時代。統計的に見ると、降水量の多い時期ではあったが、急激に都市化が進み、防災が後回しになったという社会的な要因が災害の規模を大きくしていた。
ところで、明治以来の日本の自然災害の犠牲者(死亡)数で多いのは(→P10 )

中越地震の死者数は現時点で40人というから、あらためて阪神大震災というのは非常に大きな地震だったのだなあ、と思い返す。一方で、以下のような記事を見ると、災害によって、生活の基盤(思い出、故郷というイメージ的なものも含めて)を失うことのつらさは、災害の規模(死傷者数)では、計り知れない。
http://www.asahi.com/national/update/1121/012.html
ただ、三陸津波の死者数2万人以上というのは、明治時代のこととは言え、衝撃的。

都市水害の話として、地下河川の話も出てきていますが、ちょうど今日、首都圏外郭方水路の一般見学会があったそうです。「ハリウッドが○億かけた新作映画」といわれても全く違和感のないこの写真↓には驚きますね。今後、このような機会があれば、是非参加したいものです。
dfltweb1.onamae.com – このドメインはお名前.comで取得されています。
 
第二期の13年間には、水資源開発のためのダム建設ブームが訪れたわけだが、これも社会的な背景と離しては語れない。例えば、多摩川上流の小河内ダムの計画当初(1932年)は、東京23区の人口は1955年頃に670万で飽和するという予測が立てられていたのだという。(P19)それが結局1964年(東京オリンピック開催年)の大規模な渇水を招くのだが、すべてが後手後手に回るという点は、日本の都市の特徴(都市計画的な視点がない)なのだろう。
さて、3章ではスペースを割いて、ダム以外による水資源開発の方法が論じられている。具体的には、水の再利用だ。細かく分けると、雑用水利用、下水処理水の再利用、雨水利用、海水淡水化等の方法がある。ちょっと信じられない話だが、パリなどでは、雑用水(飲用水等のそれほど良い水質が求められない用途に用いられる水)を一般水道と別系統にして、二系統配管としているという。もちろん、そのまま取り入れるにはコストがかかりすぎる。結局、「効率的な」水資源開発は、ダムが一番ということになる。
さらに、3章では飲料水の水質について述べられているが、急速濾過後に塩素消毒を行う、という現在の方法は、戦後、アメリカ方式を真似て取り入れられたもので、作者は、緩速濾過の見直しを提案している。こういうところでもアメリカの影響というのは大きい。
 
第三期は、国民の価値観が大きく「環境」へとシフトしていく時代で、それには、1973年のオイルショックの影響が大きい。それ以外の要因として、1971〜1973の四大公害裁判の原告側勝利、同じ時期に多くなった水害訴訟などがあるという。
作者は、ラスト2章で、自然の水循環と水文化を取り上げているが、日本で、この種のことを話題にすると、当然のことながら、農業の話になる。非常に興味のある話題だが、難しい話なので、やや一般論に逃げてしまっているような感じがして残念だった。
僕個人の感覚としては、都市生活の恩恵を十二分に受け、農作業とは無縁の自分のような人間が、農業と一体となった日本の自然の美しさを説き、共同体の復活を言っても無責任な発言だと思う。夏にクーラー無しでは生きられないと言っている一方で原発反対、と言っているのと同じだ。
しかし、コメの関税が490%と聞いても、日本の自然を語る上で、農業の重要性を強く感じてしまう自分もいる。そこら辺のことは、実際に農業方面の専門家が書く本でも一冊読んでみないと、よくわからない。

まとめは特に無し。気になった本を数冊。

*1:はてなダイアリーキーワードの記述が充実しています!