Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

桑田選手が語る『再チャレンジ論』

東京新聞の記事ですが、非常に感動しました。
昨日のエントリで、オリジナル・ラヴの「ZIGZAG」という歌について、いろいろと書きましたが、田島貴男は、ここで桑田真澄が語るようなことが言いたかったのだと思います。そして、それを伝えるフレーズを用意できれば、「ZIGZAG」は、かなりの名曲になっていたでしょう。
名言が多すぎるので、広範囲にわたって引用します。

 ――パイレーツとのマイナー契約が決まりメジャーに挑戦することになりました。

 楽しみという気持ちが大きい。今までは二十一年間、同じサイクルで生活してきたので、何があるか分かる。来年は何が起きるかまったく分からない。おそらく初めての経験が多いと思う。経験すれば必ず感動がある。嫌なこともあるでしょうが、それも人生にとって大切な勉強なので。

 みなさん年齢のことを言いますが、ぼくはあまり考えない。自分の人生じゃないですか。他人と比較することもないし、自分のペースで、自分らしく、自分のやりたいことをやるのが、自分の人生。若いからできるかと言ったら、できない人もいっぱいいる。統計をとっても例外はあるわけだから。可能性を信じて頑張るのも人間の素晴らしいところだと思う。

 ――嫌な経験も含めて楽しみにしていると。

 ぼくはいつも言うんですけど、明日何時に誰とどこで会って、ダイヤモンドをプレゼントされるよと分かっていたら、実際にもらっても感動しますか。不安だけど、先のことが分からないから、人と会った時だとか、勝った時だとか、負けて悔しかった時だとか、感動がある。それが一番大切なことだと思う。

「不安だけど、先のことが分からないから感動がある」

 ――桑田さんは入団交渉まで単身でやる。松坂選手らは敏腕代理人を立てている。なぜ代理人を雇わないのですか。

 英語で電話交渉するのは大変。そりゃ代理人を雇った方がいい契約を取れると思う。でも、ぼくが向こうに挑戦する意味合いが彼らとは違うと思う。ぼくは野球人として修行に行く。それが自分の第一の思いなんです。人にお世話になり、お金もたくさんもらっては、修行とは言えない。自分でやってこそ修行じゃないですか。英語力を磨くのにも役立つ。自分でやっていけば、自分の人生に絶対にプラスになる。

 ――桑田さんの修行は、野球の修行だけじゃないのですか。

 人間力の修行ですよ。ぼくは別に野球がすべてではないですから。死ぬまで自分の人間力を磨くために、野球をやらせてもらっていると思っている。例えば、音楽家なら音楽を通じて人間力を磨いていると思う。料理人、医者、サラリーマンだって、そう。人それぞれやっていることは違っても、それを通じて人間としての力を磨いているんじゃないかと思う。

「自分でやっていけば、自分の人生に絶対にプラスになる。」
「死ぬまで自分の人間力を磨くために、野球をやらせてもらっている」
「人それぞれやっていることは違っても、それを通じて人間としての力を磨いているんじゃないかと思う。」

 ――世間の「負け組」の再チャレンジに、エールを送るとしたら。

 あるがままでいいんじゃないですか。人と比較しちゃダメなんですよ。生まれた時から親も境遇も違う。やってきたこともすべて違う。ぼくは二人いないし、みんなも世の中で唯一の存在。なぜ人と比較するんですか。勝ち組と言って偉そうにしても、負け組がいなければ、その人たちは勝ち組じゃない。人それぞれ、自分のペースで自分らしくやればいいじゃないですか。ぼくはそれが大事だと思う。

勿論、これまでの努力の積み重ねがあり、実績があるからこそ、輝く言葉の数々だとは思う。
しかし、ここまで謙虚に、悟ったような話が、(自分で用意してきた言葉を披露する会見ではなく)小さなインタビュー記事で、バンバン飛び出すところに驚きを覚える。
「不安だけど、先のことが分からないから感動がある」は、本当に心に響く言葉。確かに「チャレンジ」というのは、先が見えない場合にこそ、使う言葉だ。桑田のチャレンジ精神を見習って、自堕落な日々に鞭を入れていこう。そして、感動を勝ち取ろう。