Yondaful Days!

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渋谷系はいつ終わったのか? 〜サニーデイ・サービスと渋谷系の関係

さて、渋谷系コンピこと『bossa nova 1991』では、サニーデイ・サービスの「baby blue」「あじさい」どちらか一曲が収録されることになっている。
実は、以前、ほかのブログ(田島中毒。)のコメント欄で、サニーデイ・サービスを渋谷系に含めて語ることに反論していた手前、これはちょっとかっこ悪いことになったなあ、と思いつつもやっぱり、何故ここで彼らが・・・?と改めて疑問を感じてしまった。
そこで、サニーデイ・サービス渋谷系に入らない理由を自分なりに分析してみた。

渋谷系はいつ終わったのか?

音楽のジャンル分けは、自分が最も不得意とするところなので、「サニーデイは何故渋谷系に入らないか」という問いかけにそのまま答えるのは難しい。
しかし「渋谷系はいつ終わったのか?」という問いかけに対してならば、これに対する回答は、意外に簡単に思える。

ヘビメタを取り入れた小山田圭吾、ジャズに向かった小沢健二民族音楽に傾倒した田島貴男、いずれのアルバムも「脱」渋谷系のアプローチが共通しており、自分は、これらのアルバムが発売された1995年末から1996年にかけての中で、「渋谷系は終わった」と捉えている。また、デス渋谷系の筆頭である暴力温泉芸者のCDが、ちょうど1995〜1996に出ていることは、一時代を築いた「渋谷系」が、この時期までに、消費されつくしたことを意味していると思う。
なお、渋谷系が終わったのを、もっと早い時期に考える人もいるかもしれない。(例えばフリッパーズ解散時=1991)
これに対しては、自分にとって、渋谷系ど真ん中と言える以下のアルバム群が出ていることをもって、反論したい。1994〜1995年前半のあたりは、むしろ渋谷系全盛期といえるのではないだろうか。

ちなみに、オリジナル・ラヴは1995年5月に『RAINBOW RACE』を出しているが、この時点で「渋谷系」の枠から外れ始めているように思う。そして、渋谷系としてのオリジナル・ラヴは、オリジナルアルバムよりもむしろ、このベストアルバムなのだ。
小沢健二は、1995年と1996年の二年連続で紅白出場を果たしているのだが、1995年が「ラブリー」、1996年が「大人になれば」であることは、この一年間で小沢健二が大きく変化した(本人が、「王子様」を卒業した)ことを明確に表していると思う。
この小沢健二の例に顕著だが、自分の感覚と照らし合わせても、よく言われるように「1990年代前半」、細かく言えば、1995年末の時点で「渋谷系は終わった」と捉えていいのではないかと思う。ピークだった1995年から1996年にかけての一年間で「渋谷系は終わった」と捉えていいのではないかと思う。

それでは、サニーデイ・サービスは?

随分長くなったが、「サニーデイは何故渋谷系に入らないか」というのが、このエントリのテーマだった。
上に挙げたような渋谷系の時代背景を踏まえれば、これに対する回答は、Wikipediaをそのまま転載すると、説明はほとんどいらないのではないだろうか。

  • 1994年 - インディーズでの活動を経て、シングル『星空のドライブep』でメジャーデビュー。この頃のサニーデイ・サービスは当初のパンクとは違い、モロ渋谷系であったが、「悪い意味でのポスト・フリッパーズ・ギター」と評されるなど、その音楽性はあまり評価されることはなかった。その後、メンバー二人が脱退。曽我部、田中が残る。バンド名はサミー・デイヴィスJr.を捩ったものではない。
  • 1995年 - 丸山が加入し、1stアルバム『若者たち』をリリース。渋谷系とは打って変わって、はっぴいえんどのオマージュとも言えるような70年代のフォーク・ロックを展開する。演奏は極めて下手で、また歌詞も非常に青臭く、彼らの後の作品に比べると、完成度は落ちるものの、それこそがこのアルバムの魅力であると語るファンも少なくない。「新しいドラムを入れるとき、何故もっと上手い人を入れなかったのか?」という問いに対して、「それ以上に二人は演奏が出来なく、当時はとても上手い人を入れたつもりであった」と曽我部は語っている。
  • 1996年 - 2ndアルバム『東京』をリリース。前作と同じくはっぴいえんどを基調としているものの、サニーデイ独自の世界観を上手く確立しており、このアルバムを最高傑作とする人も多い。

メジャーデビュー前の「渋谷系」時期を脱皮してメジャーデビューを果たした彼らは、むしろ積極的に「オレは渋谷系じゃない」人たちといえるだろう。
今回、渋谷系コンピへ入るとされる「あじさい」は2nd『東京』(1996)、「baby blue」は『Sunny Day Service』(1997)ということで、どちらも完全に「渋谷系が終わった」あとの時期に出ている。*1
ということで、渋谷系に入らない彼らが何故渋谷系コンピに入っているかといえば、単純にレコード会社の関係などの問題で彼らよりも適任な人たちを入れにくかったからではないだろうか?また、曽我部恵一が一時期レディメイドに在籍した関係から、小西康陽が思い出しやすい人間だったということなのではないか?

まとめ

以上、当時の音楽シーンを思い出しながら書いたが、やはり、サニーデイ渋谷系にカテゴライズされるバンドではないと思う。渋谷系の影響下にあるミュージシャンということであれば、カジヒデキは当然としても、Cymbalsくるりクラムボン、そしてcapsule中田ヤスタカを通じて、perfumeまでが渋谷系に含まれることになってしまう。
今回の渋谷系コンピ、時代を切り取るようなコンピにするのであれば、1996年以降の作品を入れるのは誤りのように思ってしまうのだ。


⇒続編エントリ:遅れてきた「僕らの渋谷系」

*1:追記:『東京』は、上記定義からすれば、渋谷系末期ということになります。