Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

『Rainbow Race』に見る、オリジナル・ラヴの理想形

月刊カドカワ1995年6月号「総力特集オリジナル・ラヴ 回帰する夢」は、宮沢和史との対談などもある豪華な特集。中でも、田島貴男が『Rainbow Race』について語った冒頭記事(構成:能地祐子)はいろいろと面白いところがあった。中でも思わず線を引いてしまったのは以下のくだり(田島貴男・談)。

あとね、ちょっと前までは、常に自分の中の“マイ・ブーム”みたいなものがあってさ。例えば『風の歌を聴け』の頃は、「今、ブラジルとかいいよね」とか「テクノって、いいよね」とか。時期によって、いろんなもので盛り上がってたんだけど。そういう“マイ・ブーム”も、なんだか一段落ついちゃったのね。

とりあえず音楽シーンをぐるりと歩いてみて、気が済んだっていう感じなのかなあ(笑)

あちこち目移りして影響を受けたりしなくなったのは、自分なりの価値基準みたいなものがハッキリしてきたのかもね。

おいおいおい!と2007年、雑誌刊行時から12年後の自分(32歳)は、当時の田島貴男(29歳)に突っ込みを入れてしまう。
たった一年後の君は、民族音楽にずっぽりハマったアルバム(『Desire』)を出し、ライヴではウード(民族楽器)をかき鳴らすことになるのだよ、と。

オリジナル・ラヴのひとつの理想形としての『Rainbow Race』

「一週回った」とか「一段落ついた」とかは、音楽雑誌のオリジナル・ラヴ評でもよく出る言葉だし、(確認していないが)田島貴男自身も、このあと、2002年の『ムーンストーン』のときも、2006年の『東京飛行』のときも同じようなことを言っていたような気がする。いわば、口癖だ。
実際、NHKトップランナー」出演時(2000年)にも益子直美に「これから音楽的にこだわっていきたいことは?」と聴かれて「こだわりをなくしていくこと」と語っていた。多少、主旨は異なるかもしれないが、自身の(極端な)趣味性を極力排除したいという意識のあらわれで、5年前(月刊カドカワ)とほとんど同じことを言っていることがわかる。
しかし、だ。
なかば無理矢理、いわば「人工的に」、こだわりをなくしたこのアルバムは、自分がずうっとオリジナル・ラヴの新作に求めているもの、そして、田島貴男が折に触れて理想としてあげる「シンプルなポップソング」に、かなり近いものがあるのではないかと思っている。
具体的には、「Your Song」「夢を見る人」「流星都市」そして「Bird」に強く“それ”を感じるが、それ以外も含め、メロディが自然なだけでなく、歌詞がいい。シンプルな言葉を重ねながら、田島貴男にしか描けない世界がしっかり描けていると思う。
英語詞も勿論あるのだが、非常に日本語的ゆえ前後のつながりもスムーズ。オリジナル・ラヴのアルバムの中でも、かなり歌詞の聞き取りがしやすい部類に入るアルバムなのではないか。そして、それは万人に愛されるポップスに必要不可欠な要素であると思う。

オリジナル・ラヴ田島貴男に必要なコーラス

また、「あざとい」と受け取る人もいるかもしれないが、「Your Song」における少年少女合唱団*1のコーラス、これも素晴らしい。
少し飛躍するが、ソロ以降の田島貴男に不足していると思う大きな要因は、(他人の声による)コーラスだ。実際に同じ曲で聞き比べているわけではないが、自身によるコーラスの曲は、どうしても「独りよがり」になってしまう。オリジナル・ラヴ田島貴男自身が、元来「独りよがり」な存在(笑)であることを考えると、女性コーラスをもっと入れた方がボーカル周りのバランスがよくなると思う。
たとえば、松任谷由美『VIVA! 6X7』でのデュエット曲「太陽の逃亡者」の(田島自身の)成功は、一人だと突っ走ってしまうボーカルを、相手を考えて上手に抑えたことによる効果が大きい。そして、そのアプローチは絶対に「シンプルなポップス」に近いアプローチになっているはずだ。*2
そう考えると、楽曲としても、一ジャンルに突っ走りすぎずに、(個々の楽曲内で)ほどよくブレンドされている、このアルバムというのも、やはり「シンプルなポップス」に近いアプローチとして正解だったように思えるのだ。
作りこみすぎることを避けて落書き(Graffiti)のまま出した『ELEVEN GRAFFITI』(1997)にも、田島貴男のなかで、同様の意図が働いているのだろう。

再び歌詞について

元に戻るが、最新作『東京飛行』(2006)では落ち着いているものの、『街男街女』(2004)〜『キングスロード』(2005)の流れは、田島貴男が、どんな歌詞を書くべきか、ということをかなり迷っていた時期だと思う。
しかし、1995年の段階で、オリジナル・ラヴの歌詞は高い完成度に達していたと思うし、自身が考える理想形に近いものになっていたと思う。本人は、もしかしたら「若気の至り」だとか「かっこつけ」だとか「少し恥ずかしい」と考えるのかもしれないが、それは間違っている。
田島貴男本人が自分のことを分かっていないのではないか、と思うのは、特に歌詞についてである。
田島貴男は、自身の声を過小評価している。
たとえば、以下の歌詞を、説得力を持って歌える歌手というのは、それほど多くないのだ。*3

すべてを果たして すべてを燃やして
灰さえも残らぬものたちに祈ろう
形のないもの 悲しみ 喜び
生まれて死ぬもの その傷に捧げよう
〜フィエスタ『風の歌を聴け』(1994)

それをもっと自覚すべきだと思う。
大半の歌手は、かっこいいこと書いても聴く人の心に響かない。「夢」とか「命」だとか、そういうものを歌われると、聴いている方が恥ずかしくなる。
しかし、それはすべての歌手に当てはまるわけではない。かっこいいこと書いてこそ心に響く歌手というのがいるのだ。
歌詞は、言葉だけで存在するのではない。詩人であれば、その詩は、100%に近い確率で「活字」として読者に伝わるが、歌詞は、常に「声」とともに伝わる。
だから、田島貴男は、もっと自分の「声」を信頼していい。

最後に

ここでは、コーラスと歌詞について、焦点を当てるかたちで『Rainbow Race』を再評価したが、脇役の「夏着の女神」「ホモ・エレクトス」も好みだ。結果として、このアルバムは、自分としては珍しく苦手曲がなく、スキップなしで繰り返し聴ける一枚となっている。
そして、このアルバムが、クレジットに、木原龍太郎小松秀行が名を連ね、オリジナル・ラヴが「ひとりユニット」となる直前のアルバムであることを考えると、やはり、プロデューサーをつけるなどして、「一人じゃないオリジナル・ラヴ」を見てみたいと思うのだ。
新作の声がとんと聞こえてきませんが・・・どうなんでしょうか?田島さん、そろそろ大きく舵を切ってもいいのではないでしょうか?

*1:「Your Song」の仮タイトルは「少年少女合唱団だったという。

*2:ここら辺から妄想モードに入っていることは自覚しています。

*3:佐々木功なら歌ってもいいなあ。