Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン グミ編』

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

十数年ぶりに出会う傑作。
大学生の頃、グミ編とチョコレート編を図書館から借り、感激したのを思い出す。
何がきっかけだったのか、大槻ケンヂオーケン)の書く文章は好んでチェックしていた*1のだが、これが決定打となった。
オーケンに限らず、自分が、青臭い文章を、その恥ずかしさを自覚しながらも大好きになったのは、この本があったからかもしれない。
とにかく、青臭く、切なく、楽しい、自伝的青春小説。
それが、グミ・チョコレート・パインなのだ。
〜〜〜
久しぶりに読み直すと、自分がこの本が好きだった理由がよくわかる。僕は僕だから本当によくわかる。
自分のツボを的確についているのだ。
たとえば、主人公・賢三が自習授業中に大学ノートに何かを書き出すこんなシーン。

賢三はこのノートをつける時間をとても大切にしていた。ノートに文字を書き込む度に、自分の存在には意味があるのだ、と思えるような気がした。ノートのページに書き込まれる映画の本数が増えることは、賢三のいう凡庸な連中との差が少しずつ増していくことを意味していたのだ。
P121

その直後、近くで交わされる同級生の猥談を耳にして、賢三の心は急降下する。

オレはセックス体験を大声でしゃべる同級生の横で、誰に見せるわけでもない映画ノートを綴るしか能のないダメ人間だ。結局こんなノート、マスターベーションじゃねえか、(略)賢三、このダメダメダメ人間めが。
P123

実は、高校〜大学時代の自分は、賢三と同じように、誰に見せるでもない読書感想文を大学ノートに書き溜めていた。それをもって「凡庸」だとか「非凡」だとか競うつもりはなかったが、心の支えになっていたことは確かだ。
一方で、そんなことに熱中してしまう自分をひどく恥じてもいた。周りの人がそうしているように、徹夜で麻雀したり、学生寮で飲んだくれたりできない自分、密なコミュニケーションから逃げる傾向のあった自分を、ダメ人間だと決めつけ自虐的になっていた。

また、「自分の趣味を分かってくれる人」を、猛烈に求めていた、いや求めていたというより、見つけてほしかった。
香山リカがいうところの“「キミにしかエヴァンゲリオンは操縦できない」といわれたい”心的傾向に陥っていたのだろう。
そこら辺の欲望は、この小説内では二重の意味で満たされる。

  • 趣味を分かち合える数少ない同級生、カワボン、タクオ、山之上との4人でノイズ・バンドを結成する
  • 同じクラスの美少女・山口美甘子が、実は、賢三と同じ映画マニアであることが判明して急速に仲良くなる

特に後者は漫画のようなストーリー。しかし、だからこそ痛快なのだ。

同好の士がほしいのに見つからないという、もやもやした気持ちは、実は、「インターネット以前」の時代に青春時代を過ごしたからこそ共有できる感覚なのかもしれない。
実際、自分は、高校生のときと変わらず、今もこうして読書感想文を書いている。書く先が大学ノートではなくブログになっただけだ。にもかかわらず、あの頃の悶々とした感覚が抜けているのは、やはり見てくれる人がいるというのは大きい。そして、自分からも、そういう悶々としている人に声をかけることができる、というのも大きい。
そういう見方を進めると、自分にとってのブログは、やはり「観客のいる独り言ノート」である。だから、コミュニケーションの手段として日記を用いるmixiのようなメディアには、いまだに馴染めない。

閑話休題
さて、グミ編は3部作の1巻であるため、物語がすべてトントン拍子に行くわけではなく、ラストに意外な展開があったりして、飽きさせない。
作者自らの自意識を確かめるように「自意識過剰」という言葉が何度も出てくるなど、やはりオーケンも若い。それでも、圧倒的なスピード感が、ページをめくる手を止めさせない。
このあと、チョコ編、そして未読のパイン編と、物語がどう展開していくか非常に楽しみだ。
森見登美彦太陽の塔』のように、男性の方が断然読みやすいとは思うが、そこに書かれていることは多くの男性にとって(隠しておきたい)真実なので、女性にもオススメ。

*1:たしか『音楽と人』で小沢健二との“Wケンジ対談”が組まれていたこともあった。