Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

本田透『電波大戦』

電波大戦

電波大戦

「恋愛至上(資本)主義へ批判的態度」としての非モテの一面に、自分が初めて触れたのがこの本。
電車男」のラストに代表されるような恋愛資本主義に対してアンチの姿勢をとる作者の主張には共感できる。しかし、その先に「“モテの魔の手”からの護身」(後述)がある、という根本的な点が全く共感できない。また、『電波男』は未読なので、本田透は、この本で初めて知ったのだが、いくら芸風とはいえ、40過ぎの男性の一人称が「オリ」だったり、AA的な顔文字が多用されるのは、ちょっと引いてしまう。まさしく、一つ前のエントリで、「彼女」が自称非モテの「彼」に対して感じた「鬱陶しい」という言葉がぴったり来る。そういった不快感は大きかったのだが、対談相手の豪華さ(竹熊健太郎岡田斗司夫滝本竜彦倉田英之)に惹かれて読みきってしまった。
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この本の主張の大前提として、クリエイターは、売れると急にモテる(モテの魔の手)が、そこに落ちると、急に作品の質が下がる、もしくは人生そのものが破綻する、という理論がある。(したがって、モテないようにするための「護身」が必要になる)例えば、対談相手になっている竹熊健太郎は「サルまん」で売れて結婚し、その後公私ともにスランプに陥り離婚しているし、その竹熊健太郎本田透が指摘するようにエヴァンゲリオンで売れて結婚してからの庵野秀明はイマイチなどなど、事例的にはよくわかる理論ではある。また、ちょうど彼女が出来て、電波大戦に入っていることを思わせる滝本竜彦との対談も生々しい。
さらに、よくよく考えてみれば、ミュージシャンとしての自分を知らない人とでないと恋愛ができない、という岡村靖幸の我儘な主張も、実は「護身」的な部分があるかもしれない。
しかし、だからといって、積極的に「護身」する、という立場はどうなんだろうか?この本の終わりには、実践編として「合コンという名の立会い」の様子が描かれているのだが、護身云々の話ではなくて、単にコミュニケーションの問題ではないか?と頭をひねる部分が多い。
全体的に、理屈は面白いし、ほんだシステム、おかだシステムなど、として示される図解も非常にわかりやすいのだが、それが全く人生に応用できない(笑)という部分で、何というか、奇妙な本。