Yondaful Days!

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水嶋ヒロに読ませたい100の比喩〜綿矢りさ『勝手にふるえてろ』

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

あらすじ〜良香は中学のときからずっとイチ彼に片思いをし続けている。しかし、会社の飲み会で知り合ったニ彼から好意を寄せられ、タイプではないのにデートを重ねる。好きなのはイチ、たぶん結婚するのはニ。初めて経験する恋愛の渦中で、彼女が出した結論は?

ストーリーとかオチとかは関係ない。
ちょっとエキセントリックな性格のOLの一人称で語られる『勝手にふるえてろ』は、主人公の独特の感性と論理展開を眺めているだけで、十分面白い。


確かに、冒頭で「私には彼氏が二人いて」と宣言されるので、最後にどっちを取るの?という興味が、物語の推進力になっている。そして、それは最後に一応の区切りを見せるのだけれども、小説の面白さとはあまり関係ない。
話が短いとか、会社生活が分かっていないとか、オチが弱いとか、ほとんど問題にならないんじゃないのかと思う。Amazonの低評価(しかも筋の通った長文)を読んで、そう反論したい気持ちになった。


言い回しが、比喩が、論理が抜群に面白い。
文章を読んでいて、ちょっと笑ってちょっと泣いて、そこに浸れれば、小説として成功していると思う。


勿論、今回、ひとつ前に読んだ小説が『KAGEROU』だったということは、『勝手にふるえてろ』高評価に拍車をかけている。奇しくも、齋藤智裕(水嶋ヒロ)は、1984年生まれで、綿矢りさと同い年。
主人公の性格とあいまって、比喩表現はどれも絶妙なので、水嶋ヒロは、是非こういうのを読んで勉強してほしい。

処女とは私にとって、新品だった傘についたまま、手垢がついてぼろぼろに破れかけてきたのにまだついてる持ち手のビニールの覆いみたいなもので、引っ剥がしたくてしょうがないけれど、無理やり取っぱらうのは忍びない。イチがやさしくぺりぺりはがしてくれるなら、もう本当に文句なしなのだけれど。P72

でも思い出は口から出て外気にふれたとたんに変質してしまう。真空状態にとじこめてなんとか色を保っていたバラの花びらを外に出したときのように、みるみる茶色にしおれてしまう。箱つきならもっと高く売れたのに包装を解いて自分の手で触れてしまえば、たとえそれが一度きりでも大幅に値段の下がる年代物のおもちゃにも似ていた。P94


面白いのは、主人公が、本命の彼「イチ」と、とりあえずキープしている彼「ニ」の、においの違いに敏感なこと。完全に主観による描き分けなのだが、二人に対する想いがストレートに伝わってくる。

帰りのタクシーで隣に座ったニが距離をつめてきた。ニはスープ系の体臭、飛行機で出される油の浮いたコンソメスープと同じにおいがする。つねにだしが効いている。前世がおでんの具だったのかもしれない。お腹が空いているときにはいいかもしれないけれど、少なくとも抱きしめられたいとは思えない。P59

ソファで隣に座っているイチからは子どものころ、いつも抱いて眠っていたきりんのぬいぐるみのにおいがした。ほんとはそんなぬいぐるみなんか持っていない、私は子どものころから寝るときはいつも一人だったけれど、なんていうか、イメージで。しめったにおいといえばそれまでだけど、コンソメ系のニのにおいよりもよっぽど好きで、深く吸い込むと遺伝子のレベルで落ち着く。でも少しさびしくなるにおいでもあった。私たちの間に少し空いたまま、埋まらない隙間みたいに。P97

結局、ほとんど話したことすらない中学時代の同級生「イチ」への一方的な想いは、当然のように上手くいくはずもなく、「イチなんか、勝手にふるえてろ!」(P121)という主人公の、心の中での逆切れで恋は終わる。
つまり、自分のことを好きになってくれたニを選ぶことになるのだが、ラスト近くでの主人公の決意も素晴らしい。

妥協とか同情とか、そんなあきらめの漂う感情とは違う。ふりむくのは、挑戦だ。自分の愛ではなく他人の愛を信じるのは、自分への裏切りではなく、挑戦だ。

とにかく、どこまでも自分勝手だ。主人公に全く共感できない、という批判は大いにありうると思う。自分も、こういう人が近くにいたら嫌だな、と思いつつも、目が離せない。いつまでも視野見*1しておきたい人だ。
あと、物語の重要なカギになってくるのですが、人の名前は覚えておこう!と改めて思いました。


ところで、この本の一番のポイントは、裏表紙から一枚めくった著者近影!何これ。どこのアイドル?と思うくらい可愛いです。寡作な人だからチャンスないだろうけど、サイン会あったら早朝5時から並びたい。

参考

*1:視野見(しやみ)とは、主人公が中学時代に、イチを見たいけれど見ていることに気づかれないためにあみだした技。