Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「正しく恐れる」ためにはどうすればいいのか

「正しく恐れる」ためには、どうすればいいのか。
現在の自分にとって、かなり関心度の高いテーマです。
「正しく恐れる」という言葉は一般的な言葉であるとは思いますが、寺田寅彦「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」(小爆発二件)が引き合いに出されることが多いようです。
確かに、インフルエンザにBSEといった過去の騒動に対する自分の考え方を思い出しても、両極端になりがちでした。

池上彰さんのメッセージ

そんな中で目についた、池上彰さんの“「正しく恐れる」ことのむずかしさ”(ニューズウィーク日本版)というコラムは面白かったものの、内容が腑に落ちずに何度も読み返してしまいました。
この記事は、前半部だけで読み終えれば、非常に教科書的な分かりやすい内容で、平時であれば自分も「その通り!」と納得をしたに違いありません。

今回の事故の報道内容を見ていくと、「本当に恐れなければならないこと」と、「それほど心配のいらないこと」が、一緒くたにされているきらいがあります。その2つをしっかり分けて理解すること。この大切さを痛感します。「正しく恐れる」ことが必要なのです。

しかし、記事の後半部は、

  • 専門用語を乱発する専門家
  • 専門家の言葉を理解できず、適切な質問ができないキャスター
  • 不安に取り残される視聴者
  • 恐怖に取り乱す海外メディア記者

について例示し、「正しく恐れる」ためにどうすればいいのかという視点は抜け落ちます。

結局、コラムの主旨は、ニューズウィークの記事「そのとき、記者は......逃げた」についての感想を述べることのようなので、池上彰さんの文章自体は、その目的を果たしていると言えます。
しかし、海外メディアを皮肉った「遠くから見ると美しく整っているけれど、近くで見ると穴だらけ、というのは月だけではないのですね。」というまとめは、どうしたら「正しく恐れる」ことができるのかと思いながら記事を読んだ自分には、かなり拍子抜けでした。


コラムの裏を読めば、後半部から読みとれる、池上彰さんのメッセージは以下のようになります。

  • 「正しく恐れる」ことは必要
  • しかし、そういった姿勢を自分に課しているはずの、海外メディアの記者までが動揺し、「正しく恐れる」ことができない
  • (メディアの情報を得る場合は、鵜呑みにせず、上記事実を踏まえておくべき)
  • (一般人が、今回の放射能騒動に対して「正しく怖がる」ことは、かなり難しい、というより無理)


だからこそ、「わかりやすく伝える」ためにニュース解説を続けるのだ(海外メディアの記者なんかには負けない)という池上さんの決意表明にも読めますが、そうだとすれば、ますます一般読者は置いてけぼりです。

放射能被害を「正しく恐れる」

今回の震災について、自分が恐れる対象は、今後の「さらなる地震」と「原発放射能被害)」ですが、後者に絞って考えた場合でも、「正しく恐れる」ことを妨げる原因はいくつかあります。

  1. これまで放射能被害に直面したことがない
  2. 放射能放射線)が目に見えないものであり、外部被ばく、飲食、呼吸等、被害を受ける経路が多い
  3. 低レベルの放射線を継続的に受けた場合の人体への影響がはっきりしていない(研究が少ない)
  4. 放射線レベルが数値的に平常時よりも高くなっている(いた)ことが事実としてある上、下記理由から先が見えない
  5. 現場での作業が困難を極めているため、1ヶ月が経過しても、発電所での事態が沈静化しているように見えない
  6. 余震の大きさによっては事態が悪化する、もしくは沈静化をさらに遅らせることが目に見えている


上に挙げたうち、1〜3くらいまでは、勉強すればかなりのレベルまでは学習によって排除出来る要因で、それによって「正しく恐れる」ことに近付くことができるような気がします。
例えば、以下の記事に書かれているような差別的な行為を起こさない程度には、誰もが「正しく怖れる」ことができると思っています。

原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。【味澤由妃】


しかし、4以降は、テレビや新聞は勿論、ネット上でいくら情報収集しても「正しく恐れる」ための材料は揃いません。今後の見通しによって、専門家の意見も様々となっているため、「専門家の言うことだから」と鵜呑みにできませんし、人間なので、発言を誤ることもあります。
自分も直面して混乱しましたが、水道水に含まれた放射線性ヨウ素への対応をめぐるチーム中川(東大病院放射線治療チーム)の発言撤回の件(当初は、煮沸が有効としていた)は、ある程度信頼できる情報源だとしても、最新情報を入手しようとした場合、継続的な情報収集の必要性を示しています。

解釈に「正解」は無い

さて、ここまで書いてきて分かってきたことは、今後の展望まで含めて考えた場合、そもそも「正しく恐れる」という言葉自体に無理があるということです。

ここで言う「正しく恐れる」ことは、正確な情報と知識にもとづいて合理的な判断を行う、と言い換えていいかと思います。
当然、それは志すべき態度ではありますが、今回の原発事故については、事態の進行が早く「不正確な今後の展望を含んだ判断」であるが故に、「正解」が無いということには注意をする必要があります。


今、ネット上に溢れるのは、様々な「解釈」であり「判断」です。
実際には、コナン君が言うように「真実はいつもひとつ」なのかもしれませんが、解釈の根拠とすべき情報が日々アップデートされるため、より合理的な解釈に収束することが無く、見えない真実の周囲に、揺らぎを持ったグレーゾーンの「解釈」が多数存在しているというのが実際に合っているでしょう。
したがって、最近よく言われる「デマ」という言葉を「正解」以外のグレーゾーン情報と理解すると、ツイッターなどでは身動きが取れなくなります。(正解は無いため、ほとんど全てがデマとなる)
日本政府の発表は「余計な不安を煽らないこと」を常に目的として含むため、基本的に安全側で発表されるということから、「安全デマ」という言い方をする人もいます。しかし、これも、あくまでグレーゾーンの中にある解釈のひとつだと考えられます。(そのために、情報隠し、もしくは情報公開の遅れがあったとしたら困りますが。)


「デマ」とともに「風評被害」ということもよく言われます。
が、誰も「正解」を知らない中で、安全側を見て特定地域の野菜を買い控えることは、むしろ合理的な判断でしょう。以下のような状況を考えると、一部の風評被害の原因は、消費者の判断ではなく、安全性についての国側の情報提供不足(調査不足)であるように思います。

疲れてきた

事態が刻一刻と進行している現状では、「正しく恐れる」ことは難しいとしか言えません。
そのための情報収集を続けることにも疲れてきました。
そこら辺のことは多くの人が感じているようで、小田嶋隆さんも次のように書いています。

私自身の話をすれば、この1カ月の間、原子力関連の情報をつぶさにチェックし、見比べ、考察していながら、結局のところ、どの話がデマで、どの数字が信頼に足る情報であるのかについて、確信が持てなくなりつつある。
(略)
で、私は、1週間ほど前から、判断を放棄している次第だ。
「オレは、ミズノ解説委員の言うことを鵜呑みにすることに決めたぞ」
 と、だからM島にもそう説明した。自前の判断を断念した人間は、考えることや情報を収集することでなく「人」を信じることでリテラシーの穴を埋める。株式欄の文字の細かさに疲れた老眼のお金持ちが、ある段階から証券会社の営業マンの言いなりになる心理と同じだ。

キュレーションか?

小田嶋さんの話はまさに自分の実感と一致するのですが、ちょうど、佐々木俊尚さんの『キュレーションの時代』で書かれていたことをなぞるかたちになっています。

1995年にインターネットが社会に普及し始めたころ、「これからは情報の真贋をみきわめるのが、重要なメディアリテラシーになる」といったことがさかんに言われました。
(略)
しかしネットの普及から15年が経ってふと気づいてみると、とうていそんな「真贋をみきわめる」能力なんて身についていない。
それどころか逆に、そもそもそんなことは不可能だ、ということに気づいたというのが現状なのです。
(『キュレーションの時代』P204-206)

その上で、佐々木さんは、情報の真贋を見極めることは難しいけれども、それに比べると、人の信頼度を見極めることは容易であるとし、人を視座とする情報流通の有用性を説きます。
キュレーションとは「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること」と定義されていますが、「人」「価値観」を介した情報収集であることに意味があると理解しました。


実際、それを意図して自ら実践されている「佐々木俊尚の震災キュレーション」は、情報収集のための、非常にいい道しるべとなっています。


自分も、twitterで、佐々木俊尚さんらをフォローして情報収集を行っています。
twitterでは、沢山の人数をフォローした場合、全ての発言やリンク先を追うことはとても出来ないため、必然的に、(自分がフォローしている)複数の人が言及した記事や、繰り返し話題に上るテーマが目につくことになります。これによって、玉石混交の状態から、ある程度「玉」の割合を多くした状態で情報を得ることができます。
なお、twitterによる情報収集は、悲観的な発言ばかりする人を中心にフォローしたりした場合、つらさが増すので、要注意です。
自分の最近のオススメはプルト君です。子どもらしいキャラクタから繰り出されるイラッとくる、そしてときどきギョッとする発言には、ぼのぼのにも似た哲学的なものを感じます。(プルトくんは、動燃の作成した原発PRビデオに登場するプルトニウムの擬人化キャラクターで、安全性を誇大にPRしているビデオは国際的な批判も浴びて絶版になったそうです。>ビデオはこちら

武田教授の記事はオススメ

もうひとつ自分が行っているのは、今回の原発問題に関する見解を継続的に出している人のブログを読むことです。例えば、以下です。(小出先生は非公式です。)


このうち、武田邦彦教授は、以前から地球温暖化問題懐疑論者として有名で、自分は、それについての非合理的な論説から「トンデモ」として認識していました。ブログも、独特のフォントで、ちょっと怪しい雰囲気が漂います。
また、今回の原発問題に限らず、マスコミと政府に対して陰謀論的な見方をすることが多く、かなりの頻度で「これは頷けない」という発言が出てきます。
しかし、刻一刻と変化する原発の状況に対して、かなり早いタイミングで見解が更新され、しかも一般向けに書いているので文章が短くて読みやすく、考え方の参考になります。*1
そして、頻繁に、武田教授批判の非常に真っ当な意見が出てくるので、情報リテラシーの訓練になります。以下の記事は、とても参考になりました。

キュレーションとは異なりますが、これも「人」を意識した情報収集だといえると思います。

信頼度を見極められる側として

結論としては、やはり池上彰さんの言う通り、事態が変化し続ける中で「正しく恐れる」ことはむずかしいとしか言えません。
しかし、佐々木俊尚さんの指摘する通り、情報の真贋を見極めることに比べれば、人の信頼度を見極めることは易しいと言うのは確かだと感じます。
自分も、「正しく恐れる」ための情報収集をする一方で、人からの信頼を試される側に立つことも考えて、発言、行動して行こうと思ったのでした。

*1:なお、震災以降に、Youtubeで、武田教授本人が喋っているのを見て、予想外に「普通の人」だったこともあり、震災以前よりも好印象になりました。