Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

本格志向の俳句初心者には是非〜岸本葉子『俳句、はじめました』

俳句、はじめました

俳句、はじめました

同時期に読んでいた『数学ガール』と同様、読み進めるのに基礎学力が必要な本だった。
(というか、必要な基礎学力の無さを痛感する本だった)


この本は人の紹介で知った。以前、スゴ本繋がりで知り合った方がtwitter上で俳句を読んでいるのを見ていて、それがなかなか上手いので、どうすればそんな風に・・・?と話を振ると、この本の名前が出てきたのだった。


そもそも自分には、一時期短歌ブームがあった。
今でもその情熱は、くすぶりながら灯り続けているのだが、何せ、短歌は文字数が多い。三十一文字の中でオチをつけることが可能であるために、書いてみようと思うと、却って4コマ漫画のネタを延々と考えるような、変な悩み方をしてしまい、結局、積極的に取り組まなかったのだった。
その点、俳句の十七文字は、オチをつけるには短すぎる。見たままを書けば、「それなり」になるのでは?という淡い期待があった。


だが、この本は、そもそも入門書としてどうか?
岸本葉子さんのエッセイを読んだことが無いので、的を射ているか分からないが、非常にハイソサエティな感じがして、西原理恵子みたいな、最下層から物を言う文章に慣れている自分としては、それだけで「気後れ」した。
ただ、そういった雰囲気については、人それぞれの受け取り方の違いもあろう・・・。

あり得ない!(1) 読み仮名問題

しかし、許せないのは「読み仮名」問題。
例えば本文90ページを引用する。

披講というものが、これほど緊張するものとは思わなかった。ふだんあまり使わない言葉が出てくるし、文語と口語の混じり方、仮名遣いの新旧も人それぞれ、どこで息継ぎをしたらいいかもわからず、その場その場で瞬間的に判断。つっかえたり読み間違えたりも、ずいぶんした。許六をキョロクと発音するなど、俳句を読んでいる人には、あり得ない誤りでしょう。作者には申し訳ないことである。

このあと、本文では、自分が読み間違えた漢字「許六」の、意味どころか、正確な読み方さえも示さずに次の話題に移ってしまうのである。


あり得ない。
話題となっている「披講」ですら意味の分からない自分にとっては、二重三重に苛立つ文章だ。


ここの文章だけで、自分が「岸本葉子さんが想定している読者層」には含まれないことがよく分かる。
勿論、本人は、自身が俳句初心者であることの自覚が過度にあって、差し出がましいことを言わないように自重している部分があるのかもしれない。でも、それとこれとは別だと思う。
ちなみに・・・

  • 披講:詩歌などの会で、作品を読み上げること。また、その役の人。
  • 許六:→森川 許六(もりかわ きょりく、1656−1715)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人で、近江国彦根藩藩士蕉門十哲の一人。


なお、それ以外も、読み仮名の無いところが多く、特に植物の名前など、いかに自分が読み方を知らないかを痛感した。字余り、字足らずが極端な場合に、初めて、「自分の読み方」が誤りだと知るわけだ。
例えば、p38にある「松籟」も、読み仮名がついていないけど、こういう字の読み方は誰でも知ってるの?疑問です。

  • 松籟(しょうらい)=松の梢(こずえ)に吹く風。また、その音。

あり得ない!(2) ストロングスタイル俳句

読み仮名問題以外で、入門書としての適性を欠くところは、岸本葉子さんの思い描く俳句が、正統派のストロングスタイル過ぎるところ。
完全なる初心者でないとしても、本書の冒頭で、初めての句会に出た時の投句が

叢林にもの炊く匂い夏至の夕

あり得ない!


入門者歓迎!というよりは、一見さんお断り!的佇まいを見せている。
句会で他の人が読んだ句を見れば

  • ソフトクリームつけたる鼻のあたまかな
  • 黴の香のカビキラーの香に勝る哉
  • つゆだくのカツオのたたき五割引

 (p157〜159)

と、ちゃんと取っつき易い句もある中で、作者が敢えて、その方向に行かないのを見ると、ファイティングスタイルの違いだろう。岸本葉子は、インファイトは避けて、ひたすらアウトボクシングに徹するタイプなのだ。


と言うわけで、正直言って、俳句に近付きたいと思っていた自分にとっては、この本を読んで逆にかなり俳句のハードルが上がった。
短歌のときは、その敷居の高さを下げ、距離を短くした入門書がいくつもあったので、これほどの仕打ちに合うことを予想していなかった。

それがあなたのいい所

とはいえ、この本にも良いところはある。
まず、チャート的なまとめが無いが、重要なポイントは繰り返し書かれており、俳句をつくるときの参考になりそうだ。

  • 季語が二つ以上入る「季重なり」はなるべく避ける
  • 類想(類句、パクリ)かどうかを恐れない
  • 切れ字(「かな」「や」「けり」など)は一句に一つとすべき
  • 季語を置く位置は、取り合わせの句では上五、下五どちらでも。一物の句は、できるだけ上五。
  • 理屈(因果関係)の句は避ける

などは、本書で繰り返し挙げられるが、事例を多く見ているため、こういったルールは少しだけ身に着いた。


そして最終形に至るまでの推敲がよく分かる点は素晴らしい。
兼題(句に読み込む言葉)として「花茣蓙」*1が与えられたときの推敲の様子(p198)などは、ブラッシュアップされる感じが分かりやすい。

  • 花茣蓙や花の軋める午睡かな(×切れ字2つ「や」「かな」/「花」を受ける言葉として「軋む」は変)
  • 花茣蓙の花のたわめる午睡かな(×午睡も夏の季語で季重なりはなるべく避けたい)
  • 花茣蓙や寝返りうてば花たわむ(×「うてば」は句の中に因果関係を作る)
  • 花茣蓙や寝返りうちて花たわむ(最終稿)

この推敲部分が無かったら、「私、俳句初心者ですけど、これだけ読めます」的な自慢の書というイメージに終わったろう。しかし、推敲部分を示していることで、「作る思考」が理解しやすいのは、とても良かった。

季語とは

俳句と言えば季語。
岸本葉子さんは、『俳句歳時記 第四版』の序を引用して以下のように言っている。

「俳句がたった十七音で大きな世界を詠むことができるのは、背後にある日本文化全般が季語という装置によって呼び起されるからである」
まったくそうだと思います。季語は、私の作った五七五を、私一人の限界から解放し、広い場へと押し出してくれる。

本の中でも「類想」(一種のパクリ)についてが何度も話題に上がる通り、俳句はどうしても似通ってくるものであり、だからこそ、過去の俳人達がどのように言葉をセレクトしているのかについての知識が必要になる。逆に、知っていれば知っているほど、短い言葉で伝えられるイメージが増える。
自分を縛る知識が増えるほど、自由度の増す表現ができる、という部分が俳句の面白いところなのだろう。
一応、歳時記も買いました。以前取り上げた野川の散策と相乗効果が生まれるよう、少しずつ読んでいきたい。

今はじめる人のための俳句歳時記 (角川文庫)

今はじめる人のための俳句歳時記 (角川文庫)

追記

奇しくも、冒頭で取り上げた(自分にこの本を薦めてくれた)清太郎さんが、初心者向けに俳句の面白さを紹介すべく、「俳句とポケモンカード」という記事を書かれていた。岸本葉子さんの本よりも、とても読みやすく、ナニナニ、俳句でもやってみるか、と思わせる文章になっている。やはり初心者は正統派ではなく邪道から入らなくては・・・。


読んでみると、一から俳句をはじめたい人におすすめの参考書として、以下が挙がっていた。

角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門

角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門

えー!『俳句、はじめました』じゃないじゃん!嘘つき!
と思ったのですが、心に留めておきます。

*1:夏の季語:はなござと読む。花茣蓙は、あれこれ説明するより、ググって画像を見ると、あれかと理解できます。