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オバマ大統領声明と併せて読みたい〜伊藤計劃『虐殺器官』

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)


読書も終盤に差し掛かったところで、国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの殺害のニュースを知り、読了を急いだ。
まず、以下に、「殺害」を受けてのオバマ大統領の声明を引用する。

こんばんは。この夜、私はアメリカの人たちと世界に作戦実施のご報告ができます。アメリカは、何千人もの罪なき人々や子供たちの殺害に責任のあるアルカイダ指導者、オサマ・ビンラディンを殺害しました。


(略)この10年間、軍や対テロ活動のプロたちのたゆまない、英雄的な活動のおかげで、私たちはかなりの成果を達成しました。テロ攻撃を未然に阻止し、本土防衛を強化してきました。アフガニスタンでは、ビンラディンアルカイダを庇護し支援していたタリバン政権を倒しました。そして私たちは世界各地で友好国や同盟国と協力し、アルカイダのテロリストを何十人も拘束あるいは殺害してきました。


(略)アメリカの人々は好んでこの戦いに臨んだのではありません。向こうが私たちの国にやってきて市民を無意味に虐殺したことから、この戦いは始まったのです。この戦いに10年近く身を捧げ、苦しみ、犠牲を払ってきた私たちは、戦争の代償がいかなるものかよく承知しています。


(略)私たちの国の安全確保は、まだ完全に達成されていません。しかしアメリカがその気になってやると決めたことは何でもできるのだと、私たちは今夜改めて実感しています。それこそが私たちの歴史です。求めるものが、国民の豊かな生活の実現でも、全ての市民の平等実現でも。海外において自分たちの価値観のために戦う決意もそうです。世の中をより安全な場所にするための犠牲もそうです。
私たちにはこういうことができる。それは財力や権力のおかげだけではなく、私たちがアメリカ人たる所以です。私たちは神の下、分たれることなく、全ての人に自由と正義を与える一つの国の国民なのですから。


虐殺器官』は、自分と同じく1974年生まれで2009年に亡くなった伊藤計劃のデビュー作。ゼロ年代のベストSFという触れ込みに惹かれ、エンターテインメントの部分に期待して手に取った本だったが、予想以上に重苦しい内容だった。
いや、物語自体は、SFではあるが読みにくくは無い。
しかし「テロとの戦い」の中で暗殺任務に携わる米軍大尉を主人公として語られる内容は、(自分がSFに求める)センス・オブ・ワンダー等というものではなく、現代社会批評というべき内容で、2011年現在の世界の諸問題、そしてこれから生じる可能性のある問題への言及が多く、そのほとんどが的確であるように感じて、息をつく暇も無い。
水の中に深く潜る際に、ときどき顔を出して大きく息を吸わなくてはならないように、連続で読み続けることがきつい本だった。
いわんとしていることは、結局は、冒頭で引用したオバマ大統領の声明文に覚える「違和感」に尽きる。

  • 平和とは何か?世界平和のために果たすべき成果とは何か?
  • 戦いの発端が相手側にあれば、「殺害」も「拘束」も、正義として赦されるのか?
  • 自分たちの価値観のためには戦争をしなくてはならないのか?
  • 自由と正義のためには、何を代わりに差し出す必要があるのか?


虐殺器官』は、本文中で何度も言及があるよう9.11以降のテロとの戦いについての物語で、まさに、上述した違和感を、遺伝子やミーム、そして脳と死など様々な角度から再構築して指し示す。
一方で、オルタナ、スマートスーツ、数々のナノマシン等、SF的なガジェットも多く、れっきとした近未来SFといえる。また、タイトルとなっている「虐殺器官」が何を指し示すのか、という点は、終盤まで読者を惹きつけ、謎の男ジョン・ポールが行おうとしていることが何かも含めて、物語を前に進める駆動力も十分すぎるほどなエンタテインメント小説となっている。
そして、徹底的な管理体制から成るトレーサビリティの確保こそがテロ撲滅への道だという、誤った情報を社会全体で共有して突き進む、近未来のアメリカの世界は、現代日本でも同様の問題が起きていることが想起される。(例えば、原子力推進の歩みが誤っているかどうかは別として、3.11以前は、不当に「原子力は安全でクリーン」と喧伝されてきたように思う)
とにかく、国家対国家、国家対個人について、いろいろと考えさせられる本で、これほどの作品を遺した同い年の天才が、若くして亡くなってしまったのは、かえすがえすも残念だ。

本文中からの、さまざまな言葉たち(厳密に言えばネタばれあり)

ピザ屋がピザを作るように、害虫駆除員がゴキブリを駆除するように、戦争もまたある立場からは、民族のアイデンティティーを賭けた戦いでも、奉じた神々への殉教でもなく、単なる業務に過ぎないのだ。p87


なんのことはない、やっぱり普通の虐殺者だ。「正しさ」の狂信者ですよ。p92


アメリカ人がそう意識しているかどうかにかかわらず、現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは、人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的とも言える戦争です。p180


政府が嘘を言っているわけじゃない。というより、政府は嘘を言っているし、メディアも嘘を言っているし、最悪なことに民衆も嘘を言っているんだ。お互いがお互いに「追跡可能性」の嘘を信じあって、現在のこの社会が生まれたんだよ。p230


自分が見たいものだけ見る。
自分が信じたいことだけ信じる。
統計的な事実はそこで、まったくの無力だった。政府も、企業も、民衆も、そんなグラフは見たくないから。p231


衛星の映像を見ていて、ぼくの胸に湧き起こってくるのは不快感−胸糞悪い。なにが胸糞悪いって、それは映像のグロテスクさではなく、むしろその逆−こうして映像で見ているぶんには、人間の丸焼だろうと内臓だろうとたっぷりの血だろうと、きれいに脱臭されていて、ぜんぜん胸糞悪くならないから−その胸糞悪くならなさが最高に胸糞悪い。p245


すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生みだしたのは、仕事に打ちこみ貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり、仕事とは宗教なのだよ。p310


良心とは、要するに人間の脳にあるさまざまな価値判断のバランスのことだ。p312


民衆が望んで、国が望んで、企業も望んではじめたことだ。多少の自由は犠牲にしてでも、安全な社会をつくろうってのはな。そのためにつくったインフラを全部パアにする気なのか?p377


スペクタクルとしての戦争は、常に必要だ。どこかで戦争が起こっているということ。ぼくらはそれを意識し、目撃することで、自己を規定することがはじめて可能になるのだ。p392