Yondaful Days!

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地震予知についてのニュースクリップ

東北地方太平洋沖地震から2ヶ月近くが経過しますが、相変わらず、余震が続いています。
東京では、体感する余震は減ったというのが実感ですが、これまでの余震回数がグラフで整理されているページを見てみると、一旦終息しかかった4/27頃から、福島、宮城、茨城でまた活発化しているようです。また、5/4には静岡県中部を震源とした地震もあり、東海地震も気になります。
そこで、貯めていた地震予知についてのニュースを整理しました。

崩れた地震学、学者ら予測できず 「歴史の空白」盲点に(2011年4月14日 MSN産経ニュース

記事によれば、今回の地震がノーマークだった理由は以下の通り。

  • 都から遠く離れた東北地方では平安時代半ばから江戸初期までの数百年間、記録がまったくなく、今回のような巨大地震は江戸以降もなく「起きないという考えに自然と傾きがちだった」(島崎邦彦東大名誉教授)
  • プレート境界は場所によって性質が異なり、東北沖の日本海溝では、全体が連動する巨大地震は起きないというのが定説だった。

したがって、東北沖では、そもそも前兆現象をとらえるための観測体制もなかった。
一方で予知の体制が整っている東海地震では、地震の直前、プレート境界がわずかに動き出す「前兆すべり」をとらえるために、気象庁が東海地方の想定震源域で地殻変動を24時間監視している。

ただ、問題は前兆すべりが起きる保証はないということだ。防災科学技術研究所の岡田義光理事長は「運が良ければ予知できるが、可能性は2、3割かそれ以下。予知できると考えるのは危険」と警鐘を鳴らす。

東日本大震災:「前兆すべり」観測されず…地震予知連絡会(2011年4月27日 毎日新聞

今回の地震では、前兆すべりが検出されていなかったことについて島崎邦彦会長(東京大名誉教授)の弁。

  • 「東海沖と東北沖はプレート(岩板)の状況が異なる。今回の結果をもって、東海地震の予知ができないということにはならない」
  • 地震学の常識では、海溝付近のプレートがこれほど強く固着していると考えられていなかった。同じことは他の海溝型地震でも起こりうる。海底の地殻変動の監視を強化する必要がある」

「できる」「できない」が錯綜した、やや矛盾を感じてしまう意見になっていて、東海地震の予知の意味を改めて考えてしまいます。というより、圧倒的に、以下に挙げるゲラー教授の指摘の方が納得しやすいと感じます。

地震予知は「不可能」、国民は想定外の準備を=東大教授(2011年4月14日 ロイター)

東京大学のロバート・ゲラー教授(地震学)の意見。

  • 「理論的には一両日中に地震が起きると予知しようとしているが、私の考えではこのシステムは科学的に完全ではなく、中止されるべきだ」
  • 「(地震の予知は)無益な努力だ。不可能なことを可能であると見せかける必要はない」
  • 「予知できる地震はない。これは鉛筆を曲げ続ければいつかは折れるのと同じことだ。それがいつ起きるのか分からない」
  • 「われわれは(地震を予知するのではなく)想定外の事態に備えるよう国民と政府に伝え、知っていることと知らないことを明らかにすべきだ」


広瀬弘忠(東京女子大学教授)『人はなぜ逃げおくれるのか』でも指摘されていましたが、以下の2点で、東海地震の対策は、きわめて冒険的で、ドン・キホーテ的といえます。
一点目は、上に述べているように、前兆すべりが起きない巨大地震もあるということ。
そして二点目は、地震予知ができたとして、それを有効に使うことができないということ。
成功のイメージは、「地震予知の情報にもとづいて、国が警戒宣言を出し、対象となるエリアの全住民が避難したあと、実際に大地震が起きる」ということだと思いますが、この過程にはいくつも難点があることがすぐに分かります。
何より、地震予知よりもよほど精度が高いと考えられるSPEEDIによる放射性物質拡散予測のデータを(住民の不安を煽ることを恐れて)出せなかった政府が、不確かな地震予知にもとづいた警戒宣言を出せるはずがありません。
そういう意味でも、ゲラー教授の指摘はもっともで、地震予知は不可能といえます。

人はなぜ逃げおくれるのか ―災害の心理学 (集英社新書)

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なお、気象庁が余震確率を出していますが、気象庁のHPによれば「発生数は時間経過とともに減少する」「大きな地震は少なく小さな地震は多い」という二つの経験則から導いた確率論的なもののようです。


そういえば、今回は、地震雲の話をあまり聞きませんでした。自然の前兆現象としては、これくらい?

参考(過去の日記):広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』