Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

とことん嫌な物語〜ジャック・ケッチャム『隣の家の少女』

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

苦痛とはなにか、知ってるつもりになっていないだろうか?

隣の家の少女』の出だしの一文です。
豊崎由美『ニッポンの書評』で紹介されている米光一成さんの文章によれば、「その本を買うべきかどうか」を判断するには、最初のページを読めばいいそうです。
それは「最初の部分で次に読ませようとする力(ベクトル)が文章になければ、それ以後、文章にそんな力が生まれることはない」からです。
この点で『隣の家の少女』の出だしの、薄暗闇に向かうベクトルは強力です。目隠しをした両手の隙間から、この先を、堕ちて行く物語のこの先の世界を覗き込みたくなるような、妖しい魅力に満ちています。


語り手のデイヴィッドは、事件が起きたときは12歳の小学生。思春期でもある彼は、隣の家に引っ越してきた少女に対して恋心をいたきます。
その一方で、「事件」が進行するにしたがって、少女とその継母に対して常に揺れ動く気持ちは、やや暴力的な方向に向かうこともあります。

あの地下室で過ごすうちに、わたしは、怒りも憎悪も恐怖も孤独も、一本の指で押して刺激し、破壊へと突き進ませるための、同じひとつのボタンであることを学びはじめていた。
そしてそれは、勝利に似た味がすることを学んでいたのだ。(P194)

だから読者は落ち着くことができないのです。
語り手は善良そうに見えるにも関わらず、いつダークサイドに堕ちて行くのか、どこまで堕ちるのか。
隣の家の少女のこと以上に、語り手のデイヴィッドが、どのように判断し、どのように行動するのか、その点に引っ張られて、ひたすらページをめくるはめになります。
それは、進行して行く事件に対して何の手出しもできない状態を強いられる傍観者として、デイヴィッドと読者の立場が完全にシンクロするからでもあります。デイヴィッドの言葉を使えば「悪夢じみた世界を映した映画が、無抵抗に流され」(P286)て行くのです。
スゴ本風の言い方をすれば「劇薬本」Amazon評を見ても、読まない方が良い本というやや矛盾したかたちで紹介されることの多い、この本ですが、巻末解説でスティーブン・キングが絶賛するように、サスペンスの力の強いエンターテインメント小説として十分魅力があると感じました。
確かに後味はかなり悪いですが、僅かながらも希望はあります。
最後まで主人公デイヴィッドに共感しながら読むことができたことは、フィクションならではの希望のように感じます。
50年代アメリカ郊外の様子が前面に押し出されていることもあり、現代日本社会と異なる部分が多いのも、物語の暗い侵蝕から自らを避ける材料となりました。だからと言って、積極的に薦めたい本では全くありませんが、久しぶりの外国人作家の本にしては、かなりのめり込んで読めたという意味で収穫の一冊でした。


なお、原題は「the Girl Next Door」で、avexのダンス・ユニット(通称ガルネク)と同名ということになります。もちろんガルネクの方は、一般名詞的な意味からつけているにしても、当人やファンはこの一致を嫌がるのでしょうねえ。

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