Yondaful Days!

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北島マヤにとってガラスの仮面とは何なのか〜美内すずえ『ガラスの仮面』5

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

「人形演技養成ギプス」の登場です!
マヤが、人形の役を自然に演じることができるように体中に竹を巻きつけたその格好は、インパクト大。見た目のインパクトでは、11巻の亜弓さんのパントマイム訓練シーンと同レベルの衝撃があります。
一連の「舞台あらし」の流れの中、自分が目立ち過ぎて、他の役者との調和を乱すという弱点をカバーするために、自分が無い「人形」を演じさせるという流れは、非常にわかりやすく、マヤがそこまでして得たいものがあることが分かる構成になっています。ここら辺の自然な流れと、全てが紅天女に繋がるという物語の潮流は、本当にガラスの仮面の醍醐味です。


重要なシーンとして、月影先生から役者失格宣告を受けて失意のマヤを慰める麗の言葉の中に「ガラスの仮面」についての説明があります。

役者はどんなときでもその仮面をはずしちゃならない
どんなに悲しいことや苦しいことがあっても
それは自分自身の悲しみや苦しみであって
役の人間とは関係ないんだ
演技する前にまず自分を押し殺さなければならない・・・
ガラスの仮面だな・・・


わたし達はガラスのようにもろくてこわれやすい
仮面をかぶって演技をしているんだ
どんなにみごとにその役になりきって
すばらしい演技をしているつもりでも
どうかすればすぐにこわれて素顔がのぞく
なんてあぶなっかしいんだろう・・・
このガラスの仮面をかぶりつづけられるかどうかで役者の才能がきまる・・・
そんな気がする・・・


あとの巻でも、このガラスの仮面が崩れ落ちる場面がありますが、舞台上で常にまとうガラスの仮面が、北島マヤの人生そのものということなのです。