Yondaful Days!

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「嫌な感じ」の海に溺れる〜桜庭一樹『私の男』

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

優雅だが、どこかうらぶれた男、一見、おとなしそうな若い女、アパートの押入れから漂う、罪の異臭。家族の愛とはなにか、超えてはならない、人と獣の境はどこにあるのか?この世の裂け目に堕ちた父娘の過去に遡る―。黒い冬の海と親子の禁忌を圧倒的な筆力で描ききった著者の真骨頂。 (Amazonあらすじ)


最後まで惹きつけられた本だったが“嫌な読書”が終わってほっとした。
主要登場人物の誰とも関わり合いになりたくないし、たとえ用があって話しかけても絶対に無視されるだろうし、そもそも共感できるところが非常に少ない。そういう意味では、最近読んだ本で言うと『残虐記』が、受け取るニュアンスの近い小説になる。
以下、3つのポイントに触れながら、何故、こんなに「嫌な」感じがするのか書いてみる。

印象的な冒頭

「嫌な」感じは、以下に示す冒頭の文章から全く変わらず、最後までそれが払拭されることは無かった。巻末の解説で、北上次郎が、その造形力を絶賛しているように、「私の男」が、社会性の欠如した存在でありながら、主人公の花にとっては「落ちぶれ貴族のようにどこが優雅」な、特別な存在であることが伝わってくる。

私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、ためらいなく濡れながら近づいてくる。店先のウインドゥにくっついて雨宿りしていたわたしに、ぬすんだ傘を差しだした。その流れるような動きは傘盗人なのに、落ちぶれ貴族のようにどこか優雅だった。これは、いっそうつくしい、と言い切ってもよい姿のようにわたしは思った。
「けっこん、おめでとう。花」
男が傘にわたしを入れて、肩を引きよせながら言った。


そして、ここを読んで生まれる違和感。この「私の男」でありながら、「私」が他の誰かと結婚するを祝ってくれるという、異様な感じが物語を通して一貫している。
『私の男』は、花と淳悟の二人の過去に、2つの殺人が絡んでいることが次第に明らかになり、それらが何故起きたのかを辿るミステリ的な側面もある。それでも、少なくとも「私の男」に対する印象は冒頭で受けるものから全くぶれない。
終盤で明かされる花と淳悟についてのある事柄も含めて、読み進めれば読み進めるほど、「私の男」の持つ暗い引力が強くなっていく。勿論、第1章から第6章まで、時間を遡っていく構成の妙も影響しているのだろう。


関係性への執着

さっきの待ち合わせ場所に、革靴を濡らしながらゆっくりと近づいてきた私の男のことを、また、考えた。自分を雨にさらしながら、一心に傘を差しだした淳悟。十五年間ずっと、彼はそうだった。いまも、ほら、こんなに雨が降っているのに、さっきぬすんだ赤い傘は、レストランの傘立てにぽつんと残されていた。暗い色の傘であふれる中、そこだけ色鮮やかで、まるで真っ赤な血の花が咲いたようだった。あの男は、濡れて帰ったのだ。自分を粗末にすることにかけては、見所がある人なのにだめになることになかけては、彼はむかしからプロ級だった。
あの男。
私の男。
養父で、罪人。

花のモノローグの中で「私の男」「彼」「淳悟」「あの男」と、次々に呼称が変わる。それは、花と淳悟の関係が、通常使うこれらの言葉の範疇には収まらないことを意味する。
そして、この小説を読み進めることは、互いに依存し合う二人の関係を深く知ることなのだ。


二人のことを最も長い時間に渡って見ていた登場人物である小町は、まだ淳悟と付き合っていた頃に、12歳の花と淳悟のある光景を見てしまい、結局、彼との復縁を諦めるに至る。

どっちが大人で、どっちが子供なの?母の慈愛に似た笑みを浮かべた、幼い女の子……。それは、見たこともないほどグロテスクな光景だった。これ以上、知りたくなかった。考えたくもなかった。私にはまるで理解できなかった。P331

だけど、ほんとうは逆だったのかもしれない。淳悟が、この子の、なにかをずっと奪っていたのかもしれない。形のないものを。大切なものを。魂のようなものを。
奪われて育ち、おおきな空洞に、なった。大人になって、奪って、生きのびる。あの人はそうなのかもしれない。大人だけど、熟すことなく、腐るだけだ。だから、これ以上待つのはやめよう。あぁ、もう、ほんとうにあきらめよう。P340


このときの「奪う」というキーワードは、この小説の時間軸の一番最後(つまり第一章)の花の独白にも出てくる。実感が湧かない部分だが、花にとって、そして淳悟にとって生きていくことは、奪っていくことだったのだろう。

あぁ。
おとうさん……。
おとうさんは、かつてわたしと愛しあっていたことを、忘れないでいてくれるのだろうか。もしも、これっきり、逢わなくても。わたしという女を、このふるびた血の人形を、ちゃんと憶えていてくれるだろうか。
おとうさんは……。おとうさんは……。
そうしてわたしは、これから、いったい誰からなにを奪って生きていけばいいのか。P76


なぜこんな展開になるのか。過去を遡って延々と二人の関係を追求して行く展開になるのか。作者が男だったら、これほどまでに関係性に執着しないと思う。もっと分かりやすい何か、追い求めるものをテーマに掲げる。その意味でこの小説は「女性的」だし、やはり桐野夏生残虐記』に似る。例えば『ニッポニア・ニッポン』の主人公の行うストーカー行為は、関係性に無頓着で、自分の「好き」を押しつけるものだし、最終的に求めるのは、トキである。男の自分には、テーマや最終目標が明確な話の方が読みやすい。一方で、女性的な小説は、普段見ない方向に目を向けてくれる分、当たり外れの振れ幅が大きい、というのが最近の持論だ。

腐野花という名前

主人公の名前である腐野花(くさりのはな)*1には、2011年に読んだ小説のキャラクター名大賞をあげたい。
結局、これまで述べたような、小説に対する嫌な印象は「腐野花」という名前に表れているし、作者もそれを意識しているはずだ。そして「腐野花」という名前こそが、花と淳悟にとっても大きな意味を持っていたと思う。
結婚式で淳悟に渡した「花嫁からの花束」。淳悟がいなくなったあとのアパートでは、花の腐った臭いを「家族の匂い」としている。、

リボンに、見覚えがあった。披露宴の最後に、わたしから養父に渡した花束だ。茎と葉が無残に傷んで、緑と茶色を混ぜた色になり、花びらのほうも色をなくしてしおれていた。青くさいような、泥水のような腐臭が強まってきた。これが、家族の、匂い……。ふと、この花束を渡したとたんに乾いて、不思議なほど変わってしまった養父の姿を思いだした。腐りかけた花の澱んだ臭いがたまらなくて、頭が鈍く痛んだ。P64


家族というのは、この小説のキーワードであり、淳悟も花も両親を亡くしており、追い求める家族のかたちが、普通とは異なる異様なものになってしまう。花は結婚して「腐野花」という名前を無くしてしまうが、淳悟と花にとっての家族は「腐野花」という名前とともにあったのだろう。
なお「くさりの」という読みは、当然「鎖」を意識しているのだろう。

まとめ


上で書かなかったが、文庫版表紙も強烈で、全部が全部「嫌な感じ」だ。
月影先生のポップの通り、やはり「一樹…恐ろしい子…!!」と呟かざるを得ない。
これを読んだあとだと、ラノベの人とはとても思えないが、GOSICKのシリーズも読んでみたい。
GOSICK ―ゴシック― (角川文庫)GOSICK II ゴシック・ その罪は名もなき (角川文庫)GOSICK VIII 下 ゴシック・神々の黄昏‐ (角川文庫)GOSICKs-ゴシックエス・春来たる死神ー (角川文庫)

*1:当然、実在するかどうかは誰もが気になる。Yahoo知恵袋にも質問がある。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215339532