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もしも高校野球の女子マネージャーがダイバダッタだったら〜手塚治虫『ブッダ』(7)

ブッダ 7 (潮漫画文庫)

ブッダ 7 (潮漫画文庫)


この巻から第四部となります。ダイバダッタ中心の物語展開で、彼が、タッタ、ブッダ、アジャセ王子など、この後の展開に大きく影響する人物と出会う重要巻です。
ブッダとダイバダッタとの一度目の出会いの時は、ブッダは洞窟の中で悪魔(マーラ)と対決中で、迷いのさなかにいます。そのため、以下のようなダイバダッタの主張に対しても、強く言い返すことができず、ダイバダッタは自説を全く曲げないままに帰っていきます。*1

殺し 殺される
それが生きもののオキテなんだ
ただそれだけだ!
これが世の中なんだ 人生なんだ
戦争!!殺人!!奪い合い!!
世界じゅうを見たまえ
こんなことはごくあたりまえに起こってるんだ
それは生きるためなんだ!!
p89


その後、コーサラとマガダの領土をめぐる決闘(ヤタラVSタッタ)に絡んで、タッタの妻ミゲーラは濡れ衣を着せられた上、毒を飲まされて声を失う、という酷い謀略に遭います。全てダイバダッタの企みなのですが、そのミゲーラがブッダによって声を取り戻す奇跡を目にして、ダイバダッタは初めて自分以外の人を信じようという気持ちになります。
このときのブッダがダイバダッタに向けた言葉は、全ての読者に響く普遍的なものです。

どんな仕事をしていようと どういう身分であろうとも
悟ることができるのだ いつも次のことを考えなさい
いま自分は何をしているのか
自分のしていることは自分にとって大事なことなのか
人にとって大事なことなのか
そして大勢の人にとって大事なことなのか!
国じゅうの人にとって大事なことなのか
世界の人にとって大事なことなのか
この自然にとってあらゆる生きものにとって大事なことなのか よく考えなさい
そして もし そうでないと思ったらやめるがよい
なぜなら この世のものはみんなひとつにつながっているからだよ

ここで初めてダイバダッタは、ナラダッタも同じようなことを喋っていたことを思い出し、ブッダの言うことが真理に近いのではないかと考えます。
しかし、この後、他の登場人物のように、素直にブッダに心酔しないのがダイバダッタの面白いところです。

われわれだけ あの人の話を聞くなんてもったいない
組織をつくって広めようぜ(略)
世界じゅうの人間を弟子にして
あの人の教えを広めるんだよ
私は
この組織づくりは私でなきゃあ できないと思う
私は あの人のマネージャーになるぞ
そして きょうからその仕事にとりかかってやるぞ
p220

ダイバダッタは、どうすれば自分が輝くことができるのか、自分の使命は何か、を常に考えています。そういう意味では、現代社会に生きていたら、ビジネスマンの鏡と称賛されるだけでなく、副業でベストセラーを何冊も書きそうです。実際、もしも高校野球の女子マネージャーがダイバダッタだったら、3年間無敗の野球部ができると思います。
しかしブッダの教えはそうではありません。資本主義的なものとは基本的に相容れないのでしょうか。ダイバダッタの存在は、現代社会における仏教や宗教の意味付けについて、改めて考えてみたいと思わせる、物語の中でも特殊なもののように思います。

*1:なお、このシーンまで、ブッダの頭に「螺髪」がありません。次の登場シーンからは見た目のステータスが上がっています。